43.はらえない雲
重く哀愁が漂う雰囲気に、吐息さえもその場に留まっていくようだ。
塔での生活、意味を見いだせない、何のためにそこにいるのか、いつ終わりがくるのかわからない日々が脳内を駆け巡っていく。
私はゆっくりと瞼を閉じ、あの頃は縁がなかった、それどころか顔さえ知らなったベアティを視界に捉えた。
「そう、だね。確かに可能性がないとは言えない。でも、私はいなくならないし、ベアティが見失いかけたら何度だって引き戻してあげる」
ベアティが見てくれるように、私の視界にはベアティが映っている。
その姿だけでも、あの頃とは違うことを証明している。
ベアティだけではない。シリルも、双子も、きっと第三王子殿下も。
少しずつ何かが違ってきているのは感じる。
いつもならこの手の私の言葉に顔を輝かせるベアティだが、今回は悲しげに眉を寄せ首を振った。
きゅっと口を引き結び、絞り出すような声で言い募る。
「エレナ様の力はすごい。それでも、絶対ではない。相手は得体が知れない能力を持っている」
「でも、私の力があれば対処できることは証明されている」
いつの間にか私のほうが励ますことになっているが、ベアティの不安に触れることで、伝えることで、私の気持ちがさらに強くなっていくようだ。
――結局、ベアティの不安は私が深く関係しているのよね。
ベアティの情緒は私に左右されるのだと、痛感させられる。
私が揺らぐと、さらにベアティも揺らいでしまう。だから、なおさら迷っていられないと思える。
双子たちの屋敷、大雨で一度離れた後再会したベアティの様子がおかしかった。
尋常ではない震えとなんとか理性を保とうとするかのように必死に縋りつかれ、ベアティの魂が怯え泣いているのを感じた。
本当にうっすらだがベアティとシリルが黒い靄がかかったように見えており、私は双子に気づかれないように軽く聖女スキルを使用した。
すぐにそれらは晴れていったが、あの日から私たちの頭上にはうっすらと雲がかかっているかのようにすっきりしない。
マリアンヌに接触した後、ベアティは気持ちが塞ぎ、支配されていきそうだったと言っていた。
シリルは徐々に気分が悪くなり、どうしようもない不安が増したと言っていた。
これは偶然ではない。
黒い靄で顔が見えなかった理由が、双子の話も含め、マリアンヌにあると私は確信した。
死に戻り前の黒い靄、今回の黒い靄、ベアティを洞窟で見つけた時の黒い靄は、魔法によって精神に関与を受けている状態だったからそう見えるのではないか。
もしかしたらマリアンヌは、回復スキル以外に精神作用系のスキルを持っているのではないか。
そう私たちは疑っている。
「ですが……」
「私たちは確実に皆目を付けられた。相手がどんな手を使ってくるのか、ほかにどのような企みがあるのかわからない。だからこそ、それぞれ助け合ってできることをしていかないと。失ってからでは遅いの」
ベアティ、シリルと関わり、双子の事情までも知った今、もう何もせずにはいられない。
今回は、マリアンヌの取り巻きたちにそれぞれ事情があったことを知った。
彼らの事情が死に戻り前の状況に影響しているのなら、とことん邪魔をすることが最大の防御であり攻撃ではないだろうか。
奪われた前回の分まで、すべてを取り返す。
だから、こんなことで怯んでいるわけにはいかない。
私は、私のことを私以上に心配するベアティを掴んでいる手に力を込めた。
訳もわからず、奪われることのないように。
もうあの意味のわからない苦しみと悲しみは嫌だ。
ベアティにも、理不尽な目に遭ってほしくない。大事なものを失ってほしくない。
「エレナ様……」
その気持ちが伝わったのか、ベアティはうっすらと目に涙を浮かべゆっくりと瞬きをすると、一層熱い眼差しで私を見つめてきた。
「自分の気持に正直に生きていけるよう、大事なものを守りたいだけなの」
何が起こっているのか、これから起こるのか予想がつかない。
だからこそ、少しの不安も取り除き結束していきたい。
「――わかりました。俺も全力を出します」
「ええ。スタレット侯爵家関連は常に警戒していきましょう」
眩しそうに見つめられ、顔を近づけられる。
最近、以前にも増して距離が近い。
あまりにも美しい造形は飽きることなく、ふと気づくと見惚れてしまうほどの完成度だ。
まじまじとつい見つめてしまう。
そこで目を細めたベアティが、鼻を擦りつけるように左右に首を振った。
「ふふっ」
「エレナ様」
艶やかな黒髪が私の頬を撫でていき思わず笑うと、嬉しそうにベアティも笑う。
領地にこもっていたときは決められた人たちとの交流しかなかったので気づかなかったが、過去のトラウマからベアティは他人に触れられることがかなりの苦痛であるようだ。
マリアンヌが無遠慮に触れようとしてきたことで、余計に刺激されてしまったらしい。
まさかここにきてぶり返すというか、副作用的なことが発覚してしまったが、ベアティの過去を考えるとできるだけ彼のすることを否定したくなかった。
普段はクールなベアティが、私の前で見せるこの笑顔を私は守りたい。
じっとベアティを見返すと、睫毛と睫毛が触れるほどさらに近くまで顔を寄せられた。




