救いと憤り
「エレナ様……」
「エレナお嬢様……」
シリルと同時に、愛しくて溢れる気持ちとともに大事な人の名を呼ぶ。
そうすることで、さらに自分の中にエレナを刻み付ける。この一瞬を閉じ込め、大丈夫だと言い聞かせる。
黒く塗ら落ちていきそうになると引き上げられ、ベアティは視界が開けた気がした。
どこまでも広がり澄み渡る空の色が、自分たちを見つめる。
不安と喜びを隠しきれていない自分たちの顔を見たエレナが、柔らかに微笑んだ。
なんだかいつもより暗いところに、思考が引っ張られていた気がする。
これはよくないと、ベアティは首を振った。横にいるシリルも、同時に首を振っているのが見える。
そこで違和感に気づく。
自分はまだしも、シリルが同じなのはおかしい。
この感覚に覚えがあり、つっとベアティは眉をしかめた。
――くそっ。最悪だ。
暗く湿った場所へと掴んで落とし込もうとするような感覚は先ほどのマリアンヌを思い出させ、内心舌を打つ。
汚すことの許されない澄み渡った青空に、冒涜的に塗り込もうとしてくるそれを必死で振り払う。
一つでも染みがつけば、また囚われてしまうのではないかと恐ろしくて身体が震えた。
「大丈夫だよ」
だが、すぐにエレナの柔らかな声が降り注ぎ、それらの脅威が去っていく。
嘘のように震えがぴたりと止まる。
「エレナ様」
じっと探るようにベアティを見つめていたエレナは、そこで静かに頷いた。
まるでベアティの今の状態をわかっているのではないかと思えるそのタイミングに、心が震える。
何も言わずとも自分たちの不安を汲み取ってくれるエレナ。
何度も何度も救い上げられ、ベアティのなかで際限なくエレナの愛が積み上がる。
「好きだ」
愛おしくて、止まらない想い。
伝えずにはいられない。
どろどろしたものすべては見せられなくとも、エレナへの想いは隠さなくていい。
だって、これは一方的な関係ではないと言われている。
不安定なベアティもベアティだと理解してくれている。甘えることは許されている。
「どさくさに紛れて何を言ってるの!? 僕もエレナお嬢様のこと大好きだから」
シリルにすかさず邪魔をされて睨むが、続くエレナの軽やかな声にすぐにエレナに顔を向けた。
この一瞬、一瞬、自分に向けられるエレナの感情や表情を一つも逃してはならない。
「ふふっ。二人ともありがとう。慕ってくれて嬉しいわ」
エレナが照れたように甘く笑う。
きっと、ベアティのこの捻じれた重い想いまではわかっていない。
でも、わからなくていい。
エレナのそばを欲していることさえ伝わっていればそれでいい。いまは、まだ。
ぐりぐりと摺り寄せる。シリルも同じようにベアティも甘えた。
本当は独占したいが、シリルがいることで緩和されていることを知っている。だから、彼の存在は受け入れる。
「はははっ。懐きっぷりがすごいね~」
「懐き? そんな可愛いものじゃないよ」
ミイルズが間延びした声に、げんなりした声で告げるアベアラルド。
なんとでも言えばいい。
エレナにさえ拒否されなければ、周囲がどう思おうが関係ない。
「これだけ吹っ切れてご主人様が好きだとアピールされると、無礼を通り越すもんだね」
「そう、だね。確かに、他者がどう動こうが関係なさそうだね……」
ミイルズの言葉に、アベラルドは説得するのを諦めたようだ。
そうやって受け入れていけばいい。
そうやって、こちらのことを気にしていればいい。
エレナ自身も彼らの悪戯に対して苦言を呈してくれていたようだが、自分たちの存在も抑止力になればそれでいい。
「話は戻すけれど、そういうわけで僕たちは妹を差別しない、回復スキル持ちを探していた」
「もっと先にと思っていたけれど、僕たちがエレナ嬢に今話そうと決めたのは」
「マリアンヌ嬢を信頼しきれなかったからだね」
自分たちの意思で対立していないことを示すように、ミイルズとアベアラルドが交互に話していく。
ベアティはじろりと双子を睨んだ。
マリアンヌの名前が出るだけで、存在を思い出させるだけで気分が悪い。
「ごめんって。もうあんなことは二度としない」
「誓う」
ミイルズは苦笑し、アベラルドは顔を青くさせながら、謝罪を述べる。
双子の視界の先にいるベアティに視線をやったエレナに苦笑すると、エレナも同じように苦笑した。
「なら、いいのですが。とても仲が良さそうでしたけど、信頼できない理由を聞いても?」
エレナが訊ねると、双子は顔を見合わせる。
ああ~とぽりっと頬とかくと、双子は同時にシリルに視線をやった。
「マリアンヌちゃんのスタレット侯爵家で、彼と同じ髪色の男女の獣人を見たことがあって」
「最初はとても珍しい髪色の獣人がいることに驚いたよね」
双子がもたらしたまさかの情報にシリルが大きく肩を揺らし、ベアティはエレナと顔を見合わせた。




