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黒曜の髪 蒼玉の瞳 ~輪廻の先で出会った君を救うため、僕はこの世界で生きると決めた~ 転生医師の異世界奮闘記  作者: 神崎水花
第三章 黒が忌諱される理由

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第90話 麗しき師弟の共演(饗宴)

 盗賊たちが骸となり、あるいは闇へと逃げ去り、村に、束の間の静けさが戻る。

 だが、それは平穏とは程遠いものだった。悲鳴に咽び泣く嗚咽と、漂う鉄錆のような血の匂い。その全てが、声にならない一つの巨大な悲しみの塊となって、村を包み込んでいる。

 まさに、愀然(しゅうぜん)として声もなし、とはこのことか……。

 

 無辜(むこ)の民が己の不運を嘆き、悲しみ憂える、その、あまりにも痛々しい光景。

 そんな、声なき叫びに応えるかのように。誰よりも早く駆け出すアンリエッタさんがいた。彼女は手にした銀環杖をそっと地面に置くと、泥も厭わず、一番近くで倒れていた村人へと駆け寄っていく。


「森の恵みよ、傷を癒したまえ 【シルウァヒール(森の癒し)】」

 僕は、慈愛を湛えた彼女の背中を見つめた後、残された仲間たちへと向き直る。

 

「マリーさん、ミゲルさん。怪我はありませんか?」

「ええ、私は大丈夫よ。ミゲル君は?」

「私も問題ありません。……ご主君、どうか、ご無理はなさらないでください」

「わかってます。じゃあ二人は、ここで休んでいてください」

 僕はそう念を押すと、あの女性(ひと)の背を追うように、傷ついた村人たちの元へと向かう。村のあちこちで助けを求める、か細い声が耳に痛い。


「あなたっ、お願い、目を覚まして!」

「お父さん、お父さん……!」


 ひときわ大きな悲鳴が聞こえた方へ、僕は足を速めた。

 血の海の中に、一人の男性が倒れている。その胸には深い剣の傷が……。

「すみません、ちょっと、どいてください!」


 僕は、泣きじゃくる女性を半ば強引に引き離し、男の前に膝をつく。

 ……脈は?  瞳孔は?

 指先を男の頸動脈に当てる。……弱い。だが、まだ何とか触れる。


 次に、その瞼を無理やりこじ開けた。僕の指先に灯した『ルイン』の光に、散大した瞳孔が僅かに収縮するばかり。

 対光反射、微弱。……まずいぞ。このままでは助からない。

 けれど──。

 あの魔法なら、まだ、間に合うかもしれない。

 残された最後の生命の輝きを、掬い上げることが可能かもしれない!


 僕は決意を固め、アンリエッタさんの名を大きく呼んだ。

「アンリエッタさん!」

「はい!」

 次から次へと、他の村人へ治癒魔法を施していた彼女が、僕の大声に、すぐに駆けつけてくれる。


 浮かべた『ルイン』の光が、彼女の顔を美しく照らす。

「僕は、この方を救います。ただ、おそらく、次の魔法を使えば、十中八九僕の魔力は尽きてしまう」

 僕は彼女の、大好きな蒼玉の瞳を真っ直ぐに見つめて告げた。そして願った。


「残りの人たちを、お願いできますか」

 僕の覚悟を、彼女()は一瞬で理解してくれたのだろう。

 その唇に、頼もしい弧を描かせて。そこには、共に命を救う同志としての使命感と、僕への絶対的な信頼を込めた微笑みが浮かんでいた。

 

「ふふ、誰に言っているのですか? 魔法においては、私は貴方の師、ですよ? どうか、お任せを」

 ああ、そうだ。今の僕にはこの人がいる。

 僕がここで、全てを使い果たしたとしても。後は、彼女が引き継いでくれる。彼女の揺るぎない信頼が、僕の最後のためらいを完全に断ち切ってくれた。

 彼女は、僕の『ルクス・リヴァイブ』は知らないはずなのに……ね。


 僕は再び、目の前の瀕死の男性へと、向き直る。

 彼の妻らしき女性が、そして、その腕に抱かれた小さな子供までもが、縋るような目で、僕をじっと見つめていた。

 

 やるしかない、よな。たとえ、大勢の人の目があったとしても。

 決断したはずの心が、一瞬、ためらう。


 けれど、彼らが傷ついたのは、僕たち『契りの円環(フェルツェンギルデ)』を狙った、あの領主のせいでもあるのなら、僕の決断は一つしかない。

 目の前に救える命がある。

 ならば、その悪意ごと払い、救って見せよう。僕と彼女で。

 ……僕の、元医師としての、矜持にかけて。

 

 僕は、男性の胸に空いた、深い刺し傷へと、両の掌をそっと重ねる。

 ありったけの魔力を集束させねば、この命は救えないだろう。それほどに深い傷だ。

 僕は静かに瞳を閉じた。

 

 唇から紡がれた言葉と共に、掌から暖かく、どこまでも清浄な黄金の光が溢れ出す。

「万物を照らす光よ、生命の煌めきよ、今、消えゆかんとする同胞(はらから)の灯火に、慈悲と恵みの力を与え給え。砕けし骨、裂けし肉を癒し、失われし血潮を再び」

 

 夜の闇を、昼間のように明るく照らし出す、黄金の光が迸った。

 あまりにも神々しい光に、その場にいた誰もが、呼吸さえも忘れている。

「命を拾え、掬い上げろ! 【ルクス・リヴァイヴ(蘇生(創成)の輝き)】」

 少年の魂の叫びが、夜空に木霊した時。

 黄金の光は一つの希望の太陽となって、夫婦の、親子の全ての悲しみを、その、絶対的な輝きの下に塗りつぶしていく。

 

(……違う。これは私が知っている、彼の治癒魔法じゃない……!)

 他の負傷者の元に駆け付けたアンリエッタは、背後で迸った、あまりにも強大で清浄な魔力の奔流に、弾かれたように顔を上げた。

 彼女の白き肌をピリピリと焼くかのような、眩すぎる神気、魔力の奔流。

 

 振り向いた彼女の目に映ったのは──

 在りし日の、彼女の宝物だった少年の手から放たれる、黄金の煌めき。それはまさに、生命そのものの、輝き。

 彼女が知る、どんな高位の治癒魔法とも一線を画す、神の御業にも等しい輝きだった。

 

 目の前で、奇跡が起きている。

 致命傷であったはずの男の胸の傷が、強烈な光の中で、時間を遡るかのように編み上げられていく。失われたはずの血肉が還り、蒼白だった顔に温かい色が戻っていく。

「あぁ……」

 アンリエッタは、信じがたい光景に、ただ、言葉を失っていた。

 

 黄金の光が、ゆっくりと収まっていく。

 強烈な光の洪水が消え去った後には、その場にふらりと、膝をつきそうになる少年の姿だけが、残されていた。

 彼の魔力が、ほとんど、底をついたのだ。

 

 ぜえぜえと、荒い息を繰り返しながら、少年が顔を上げる。

 彼の、全てを託すような視線が、アンリエッタと交わった。

 

 ……私も、頑張らなければ。

 彼の、あの、命を削るような魔法を、無駄になんてしない。

 もしも、ここで、誰かの命を取りこぼしてしまったら……。

 この出来事は、きっと皆の心に、癒えることのない傷を残すだろう。


 マリアンヌさんの心にも。

 ミゲルさんの心にも。

 そして、誰よりも優しくて……誰よりも、人の痛みに敏感な、彼の心にも。

 

 彼女はそこで一度、強く、瞳を閉じた。

 そして、次に、その瞳が開かれた時。

 そこに宿っていたのは、もはや、迷いの色ではなかった。慈愛と、全てを救うという、鋼のような覚悟の光のみ。

 

 ……アンリエッタさん、まさか。

 魔力を使い果たした僕の、ぼんやりとした視界の中で。

 彼女が、何をしようとしているのか、その、大気さえも震わせる膨大な魔力の気配だけで、理解してしまった。

「だめだ、魔封じの首輪が外れたばかりで、いきなり、そんな極大魔法は……! 魔力が暴走したら、貴女が……」

 

 はじけ飛んでしまうかも、しれない。

 ……やめてくれ。


 朦朧とする意識の中で、声にならない、制止の言葉。

 それを振り払うかのように、彼女は手にした銀環杖を夜空へと、高く、高く、掲げた。


 大好きな彼女の……薄くて艶やかな唇から、僕の知らない、古のエルフ(森人)の言葉が紡がれていく。

 それは詠唱というよりも、どこまでも夜空に澄み渡る、一つの祈りの歌のように。


「ハルフィンデルの名において願う。穢れなき森よ、導たる聖樹フィンデールよ。我が声に応じ、此処へと至れ。彼の者らに、癒しと、安らぎを」


 アンリエッタの、清き森のような声に呼応するように。

 掲げた杖の先端から、柔らかな若葉の色をした、緑の光が溢れ出す。

 癒しの光は、夜空へ吸い込まれるように舞い上がると、無数の雨粒のような清き光の粒子となって、村全体へと降り注いでいく。


「遍く者に其の恵みを──【|シルウェリア・ディーウィヌム《聖樹の慈雨》】』

 

 それは、まさに聖なる森の恩寵。

 翠玉(すいぎょく)の如く煌めく、慈愛の雨そのものだった。 

 フェリクスの放った、全てを照らし出す、一点集中の、力強い奇跡の光とは違う。

 傷ついた者、嘆き悲しむ者、その全てを、ただ優しく包み込む、慈愛に満ちた緑の輝きのヴェール。

 悲嘆に沈む村を、淡く包む慈雨の光。

 

 あまりにも幻想的な光景に、村人たちの嗚咽は、次第に感嘆の吐息へと変わっていった。


 魔力を使い果たした僕の、ぼんやりとした視界の中で。

 緑の光の中心で、静かに祈りを捧げるアンリエッタさんの姿が、僕にはもう、聖女のようにしか、見えなかったよ。


 あまりにも神々しい、光の饗宴を。

 少し離れた場所から静かに見守る、男女の影が二つ。 やがて、女は誰に言うでもなく、ひとり呟く。

「……あーあ、やっちゃった。いずれ、こうなるんじゃないかって、思ってたけど……」

 

 女の呆れたような、それでいて、どうしようもなく慈しみに満ちた声。

 彼女は、この二人を守り抜く覚悟を決めたように、隣に立つ男へと静かに語りかける。

「ねえ、ミゲル君……。私たちが出会ったのは、運命だったのかもね」

「はい……」

「この二人は、何があっても、私たちが守らないといけないわ」

「……ええ、わが命に代えても」

 フェリクスが起こした『ルクス・リヴァイヴ』という黄金の煌めき。

 その奇跡的な光景に、一番衝撃を受けたのはアンリエッタです。それは、かつて彼の師であり、彼の力を誰よりも知るアンリエッタだから、視点はごく自然に彼女の驚きへと移ります。

 力を使い果たしたフェリクスが、全てを託すようにアンリエッタを見つめる。今度は彼のその「想い」が、師アンリエッタの心を動かします。

 本話は視点が、フェリクス↔アンリエッタ↔︎三人称と複雑に移動しますが、出来るだけ読者様が混乱しないよう書き分けたつもりではいます。

 わかりづらかったら、ごめんなさい。

──神崎 水花

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