第8話 ポンコツエルフ氏
アンリエッタさんに抱き上げられたまま、くるくると回った二人。
布越しとはいえ、神域に頬で触れてしまうだなんて……。なんて罰当たりな。
あの刹那の一瞬は本当に奇跡のようで、まるで天上でのひと時でした。アンリエッタさんの小ぶりなミニエッタさんに包まれた時は、もう本当に死んでもいいと思ったけれど、彼女に会えなくなるのは嫌だ、ごめん。あっさり前言を翻す。
あぁミニエッタさん、大好きです(ほわん)。
僕を地へ下ろした後も、アンリエッタさんの興奮は冷めやらない様子。頬をほんのり上気させ、太陽のような眩しい笑顔で僕を見つめてくる。
「ぼっちゃま凄いです! もしかしたら天才……いえ、それすらも……」
声が上ずるほど喜んでくれるなんて、本当に嬉しいよ。
「そ、そんな大げさだよアンリエッタさん」
でも、照れくさくてちょっと所在がないかな。
「いいえ、大げさなんかじゃありません! 私は、その、里を追い出された身ですから、エルフの里には長くはいられませんでしたけれど、それでも。魔法が得意と言われるエルフの子供たちでさえ、ぼっちゃまには敵わないんだから!」
身を乗り出して、興奮気味に褒めてくれるのはいいけど、今、しれっと恐ろしいことを言ってなかった? 里を追い出されたって……やはり、以前話してくれたハーフエルフ故の境遇が原因なのだろうか。
まだ幼ない彼女を襲った、辛く悲しい出来事を想像すると僕まで胸が締め付けられる。そんな悲しい思いはもう二度とさせたくない。
悪いけど、『敵わないんだから!』と言った辺りで、興奮のあまり彼女の小鼻がぷっくり膨らんだのを僕は見逃さないよ? もう、プロのアンリエッタさんウォッチャーと言って差し支えないだろう。ふははは。
「生命の輝き、再生の光よ疾くあらん【ファストヒール】」
ん? 不意にどこかで聞いた様なフレーズが!?
見ると、アンリエッタさんが僕の詠唱を真似て、自分の手のひらに治癒魔法をかけていた。どうやら、僕の詠唱に特別な秘密があるのではないか、と考えたみたいだね。思ったより好奇心旺盛な女性なんだ。そんなところも良き。
「うーん、ぼっちゃまが使われた時と同じような感覚ではないですね……。怪我をしているわけではないから、治癒の効力も分かりづらいですし……」
と言うや否や、バサッと勇ましくメイド服のスカートを翻し、露になった腿のあたりに手をやったのだ。 細身に見えて、意外とむっちりとした白い太もも様がバッチリ見えちゃいました。
ええええ、ちょ、突如始まるサービスタイムに僕の理解が追い付かない。
わかったぞ。きょ、今日を僕の命日にする気だな?
よし、上等じゃないか! ばっちこーい! カマン!
あっ、しまった。今の光景、脳内録画スイッチ押してなかったあああ。
やり直しを要求する! 神様ッ。
ふぅ、内心で馬鹿なことを叫んでる間に、アンリエッタさんの手には小さな短剣が握られているではないか。そんな物騒な物を麗しの太もも様に隠していたなんて! いやいやいや、大事なのはそこじゃなーい。
「ちょ、ちょっと待ってよアンリエッタさん。その短剣でどうする気?」
首をこてんと傾け、心底不思議そうな瞳で僕を見つめる、黒髪碧眼の妖精さんが可愛い。
ん? あぁ『妖精さんが~好き』とは言わないさ。
あまりポンポンと、安売りする言葉じゃないでしょうよ。フッ。
「短剣ですよ? ぼっちゃま、使い道はひとつかと存じますが」
何をわかりきったことを。とでも言いたげな口調で、それから彼女は、何の躊躇もなくスパッと手のひらを水平に切り裂こうとする。
は? 何この謎の生き物。もしかして、意外とポンコツなの!?
時折見せる姿がポンコツだなんて、好き。大好物ぅ。
違う違う、今回はだめだ。それはよくなーい。
……なんだか聴衆の乾いた目線も気になるけど、いいや。今は無視無視。
「だ、だめだよ。自分で傷つけるなんて!」
僕は咄嗟に近づくと、彼女が得物を持っていない方の、つまり切られようとしていた左手を、自分の両手で必死に覆い隠すように守った。
『この手は、僕が守るんだっ』
「……では、ぼっちゃまがどうぞ」
「ぶっ!?」
予想外すぎる提案に、思わず変な声が出た。
「そんなこと、できるわけないでしょ!」
何を言ってるんだ。僕が貴女の手を、この刃で傷つけられるとでも? 女神様みたいな見た目をしているのに、もしかして、ちょっとだけお馬鹿さんなの?
「……だめ、ですか?」
しゃがんで、上目遣いで見上げてくる彼女。くっ、それはずるい……。
思わず「いいよ」と言ってしまいそうになる。
「絶対ダメ。そんなことしたら、僕もう許さないから」
「どうしても?」
「どうしてもだよ!」
「……分かりました。ではやめておきますね」
アンリエッタさんは、しゅん……と見るからに肩を落として、名残惜しそうに得物を太もものホルダーへと仕舞った。常日頃、魔法のことを褒めると得意そうなそぶりを見せる彼女だから、魔法に対する探求心や想いは、きっと人一倍強いのだろう。でも、だからと言って、自分を傷つけるなんて方法は絶対に間違ってる。
それよりも! 出した得物は元通り仕舞わなければならない。だよな? つまりだ、再びボーナスタイムが訪れることを、お前は十分に予見できたはずなんだ。なのに、白い太もも様との奇跡の邂逅を凝視し忘れるだと? この愚か者ッ! うぅぅ。
気づけば庭の片隅に、どんよりと沈んだ空気を漂わす。麗しき師弟が、ぽつんと並び、佇んでいた……。
「大体なんで、短剣なんか持ち歩いてるのさ」
白い太もも様との奇跡の再会を逃した腹いせか、語尾をやや強めて尋ねる。
「これは護身用です。買い物や、ご主人様のご用事で街へ出ることもありますから」
まだ少し元気がない様子で答えるアンリ……いや、今はあえてポンコツエルフ氏とでも呼ばせて頂こうか。
なるほど。ポンコツエルフ氏、君は魔法封じの首輪で、魔法の力を大きく制限されているね? うむ。そんな状態で、身を守る術すらも無しという訳にはいかないか。悔しいが君は美人だ。よからぬことを企む輩もいるだろう。
ちなみに私は、もう少しスカートの丈が短い方が好みだ。覚えておきたまえ。
ハッハッハ。
「そっか。ポンリエッタさんは綺麗だし、身を守る武器はあった方がいいね」
「はい?」
(ポ……? 今、ポって)
時折見せるアンリエッタさんの変顔。今日もご登場。
最近ペース多めですね。ニッコリ。
想像すらしていないことを見聞きすると、稀にこういう表情を見せてくれるんだ。
舐めるなよ、プロのアンリエッタさんウォ(略)
そこ! 略さないで!
「私に、そんなふうに言ってくださるのは、本当に、ぼっちゃまくらいですよ?」
少し照れたように、でもどこか寂しげに彼女は言った。
「そうなの?」
「はい、大体の方はその……」
「その?」
「気持ち悪い色、ですとか、不吉の象徴だの……。恐ろしいと言われたことも」
彼女の声が微かに震え、俯いた拍子に長い黒髪がはらりと落ちて、その表情を隠してしまう。
出た、まただ。彼女をずっと悩ませ、深く傷つけ続ける理不尽な迫害。
気持ち悪い色って、この絹のように滑らかな黒髪がか? 馬鹿を言うな。 そんなことを言う奴らは、一度日本に行ってみるといいんだ。見渡せば黒髪ばかりで、きっと腰を抜かすに違いない。
僕は、いてもたってもいられなくなる。
背はまだ彼女に到底及ばず、彼女の胸元すら届かないけれど。精一杯手を伸ばし、彼女の背に腕を回すようにしてぎゅっと抱き着いた。そしてできるだけ優しい声で彼女に伝える。
「アンリエッタさんは気持ち悪くなんかない。不吉だなんて、ただの一度も思ったことないよ。」
「ありがとうございます。ぼっちゃま」
頭上から、くぐもった声が降ってくる。
「それに、僕はその綺麗な黒髪も、蒼い瞳も全部大好きだから」
「まぁ、うふふ」
頭の上に温かい手のひらが乗せられ、何度も、何度も、優しく撫でられる。彼女の指が僕の髪を優しく梳く感触と、頭上から響く甘く美しい声。その全てが心地よくて、僕はこの温もりにずっと包まれていたいと、心底思うのだった。
あとがき
本話、突如訪れた『くるくるタイム』によりフェリクスはテンション高めです。
温かい目で見守ってやってくださると嬉しいです。
──神崎水花




