第75話 いざ城館へ
翌朝、僕たちはギルドマスターの部屋で、登城のための身支度を整えていた。
ミゲルさんは、騎士見習いだった頃の物であろう、仕立ての良い一着に、鍛え上げられた体躯を滑り込ませている。古びてはいても、その立ち姿には、やはり騎士を目指した者の風格が滲んでいた。
マリーさんのいで立ちもまた、普段の冒険者としての姿とは一線を画している。
鮮やかな橙色のコットに、落ち着いた紺色のシュールコーを重ねたその姿は、どこか深窓の令嬢のようで、思わず見惚れてしまうほどだった。
とてもよく似合っていたよ。
それに引き換え、僕は、どうだ。
「……どう、でしょうか……?」
僕が、おそるおそる尋ねると。返ってきたのは、マリーさんのきっぱりとした一言と、ミゲルさんの、どうしようもなく困った苦笑いのみ。あの実直なミゲルさんでさえ否定するのだから、余程似合っていないのだろう。
ベルナールさんに至っては、片手で目を覆い天を仰いでいる始末。ぐぬぬ。
「フェリクス君。可哀そうだけど、はっきり言うわね。……全然、似合ってないわ」
見えない何かが、僕の心に突き刺さる。
マリーさんの手によって、深々と。
二人とも様になっているのに、僕だけが滑稽な道化という、この悲しさよ。
それも、そのはずで。
ギルドマスターベルナールさんは身の丈、六尺はゆうに超えるであろう巨躯。そんな彼の服をこの僕が着て、似合うはずもないじゃないか。
なら、借りるなよって? その通りだよ。
長すぎる袖も、引きずりそうな裾も、全てが『だぼだぼ』だ。その姿は、まるで父親の服をこっそりと盗み着した悪戯っ子そのもの。
こっちはまだ成長期なんだよ!
と、声を大にして叫びたい。全く。
「うーん。借りた相手が悪すぎたわね」
ダメ押ししてくるマリーさんが素敵(泣)
「そんなこと言われても、今更ですよマリーさん……」
「もう、しょうがないわね」
マリーさんは部屋の外にいたシモーヌさんを呼びつけると、どこからか大量のピンを持って戻ってきた。
「フェリクス君、動かないで、危ないから。私とシモーヌさんで何とかしてみるわ。といっても、余った布を留めるくらいしかできないけれど」
マリーさんとシモーヌさんは二人して、僕のだぼだぼの服の、裾という裾を器用に折り返しては、ピンで次々と留めていく。
僕は着せ替え人形のように、なすがままだった。
どうにかこうにか、二人がかりでの応急処置が終わる。
「ふぅ、これで、なんとかなったかしら」
額の汗を手の甲で拭うマリーさんの顔には、安堵と、やりきった後の疲労が浮かんでいる。
「ええ。これ以上は無理よ、アンちゃん。あとはもう、彼の立ち居振る舞いで誤魔化してもらうしかないわ」
シモーヌさんも、やれやれとばかりに肩をすくめた。
「……こんな、折り返しだらけの恰好で、本当に良いのでしょうか?」
僕の不安げな呟きに、それまで腕を組み、黙って僕たちのドタバタ劇を眺めていたベルナールさんが、初めて重い口を開く。
「ふむ。お前たちが、ただの冒険者であることは先方も承知の上だ。過度な装いや、堅苦しい口上など、期待してはおられんだろうよ」
「え、じゃあ、別に、こんな服着なくてもよかったんですかっ!?」
僕の苦心は、一体何だったというのか。
「馬鹿言え……ないよりは、あったほうがいいだろうが。そういうもんだ」
ベルナールさんの、どこか不器用な励ましに背中を押され、僕たちはギルドマスター室を後にする。
ギルドから一歩外へ出ると、朝の涼やかな空気が僕たちを包み込んだ。
……はずなのに、その清々しい気分は、すぐに打ち砕かれることになる。
「あら、コニー君じゃない」
聞き慣れた声に振り返ると、そこに、ミレーユさんが笑みを浮かべて立っていて。
「なんて可愛らしい格好なの~」と、喜んでいる。
僕の顔から、ぶわっと火が噴き出るのが分かった。
よりによって、一番見せたくないこの格好を、人に見られてしまうなんて。
彼女は楽しそうに僕の周りをくるりと回り、マリーさんたちが必死で留めてくれたピンの一本を、面白そうに指でつん、とつつく。
視界の端では、マリーさんが肩を震わせて笑いをこらえ、ミゲルさんに至っては、もう、どう反応していいのか分からないとばかりに、明後日の方向を向いてしまっている。
「い、行きますよ! 遅れてしまいますから!」
僕は半ばヤケクソ気味にそう叫ぶと、二人の背中を無理やり押すようにして、その場から逃げ出した。
ひと悶着あったものの、僕たちは城館へと続く石畳の道を進んでいた。
僕たちの間に流れるのは、どこか張り詰めた沈黙。これから始まる謁見への、期待と不安がない交ぜになった、重い空気だった。
城館へと続く上り坂を歩いていると、懐かしさに僕の足取りが、ふいに止まる。
……ここは。
あの日、アンリエッタさんの、あのドヤれていないドヤ顔があまりにも可愛すぎて、僕が思わず彼女の名を呼んだ場所。僕に向かって両手を大きく広げ、抱きしめてくれた所じゃないか。
久方ぶりに彼女の体を抱きしめ返した時、いつの間にか自分の腕が、その華奢な体をすっぽりと包み込めるほどに大きくなっていたことが、どうしようもなく嬉しかった。あの日の幸福感が、今も昨日のことのように胸に蘇る。
「あら、どうしたの? フェリクス君」
甘酸っぱい記憶に浸っていた僕を、マリーさんが不思議そうに覗き込む。
「なんだか少し、頬が赤いような気もするけど?」
「な、なんでもありませんから!」
「あやしいわねぇ。まあ、いいわ。また今度、こっそり教えなさいよね~」
過去を思い返しただけで頬が染まる。それだけで全てを察するとは。
真に恐るべきは、女性の、勘か。
そんな他愛もないやり取りを交わしながら歩くうちに、やがて見えてきた。かつて父に会うため、アンリエッタさんと二人で、何度も通ったリヨンの小さな城門が。
それは今の僕にとって、彼女と歩む未来を隔てる、最後の壁のようにも見えた。それだけじゃない。この辺りは、父さんとの、もう二度と戻らない日常の思い出が多すぎて、胸が軋むほどに痛む場所でもあった。
その、城門を守る衛兵の一人が、僕の顔に気づいたのだろう。
彼は一瞬、目を丸くした後、すぐに親しげな笑みを浮かべて話しかけてくる。
「おい、フェリクスじゃないか! しばらく見ないうちにまた、大きくなったか? 元気にしていたか?」
「ご無沙汰しています。はい、なんとか。……実は今日、ご領主様からの緊急依頼を達成した、そのご報告のために参上いたしました」
「ああ、聞いて驚いたよ。じゃあ案内の者を呼んでくるから、待っててくれるか? ……ん? まさか……お前は……ミゲル、なのか……?」
門番の声は、隠しようもなく震えていた。
その瞳は、信じられないものを見つめている。
「なぜ、お前がここに……。いや、それよりも、その体は……。お前の腕と足は、もう二度と……」
それもそのはずだった。
ミゲルさんは先般、あの黒オーガとの戦いで、再起不能とも言えるほどの重傷を負い、騎士への道を完全に絶たれたのだ。そして罷免され、このリヨンの城館から、姿を消したはずの男なのだから。
その彼が今、両の足で立っている。
以前と、何ら変わらない姿で。衛兵が驚くのも無理はない。
ミゲルさんは、彼の驚愕を静かに受け止めると、深く一礼した。
「ご無沙汰しております。今は、我が主君の剣として、ここに」
散々に驚いた後、門番に案内され、僕たちが通されたのは、領主との謁見を待つための控室だった。簡素だけど隅々まで清潔に保たれた部屋。
そこで待つよう告げられ、革張りの長椅子に腰を下ろしてから、しばらく。
物凄い勢いで、部屋の扉がバン! と、乱暴に開かれた。
やはりと言うべきか……。そこに立っていたのはベルガーさんだった。彼は一瞬だけ僕たち、特にミゲルさんの顔を何か言いたげな、けれど言葉にできぬとでも言うような、苦い表情で見た後、ふいと、気まずそうに背を向けた。
そして扉を開けたまま、廊下へと先に歩き出し、ただ一言そう呟く。
「……ついてこい。ご領主様が、お呼びだ」
僕たちは無言で立ち上がり、彼の大きな背中の後を追う。
長い石造りの廊下を歩く間、彼は一度もこちらを振り返らなかった。
けれど、訪れし静寂を破ったのは、彼のぽつりとした呟き。
「……ミゲルを治してくれたんだな。……礼を言う」
後ろを向いたままの、ぶっきらぼうな声。
しかし、その奥には隠しきれない感謝の色が滲んでいるのがわかる。
「いえ……」
彼は父さんの数少ない友人で……粗雑な部分もあるけれど、根は良い人なのだと知ってはいる。
でも、父さんを見殺しにした、と……そう感情を爆発させてしまったあの日以来、僕たちの間にはどうしても消すことのできない、わだかまりがずっと残っていた。
それで、昔のように気安く話すことなど、できなくなっていたんだ。
そうこうする内に、僕たちの目の前に一際大きく、重厚な石造りの両開き扉が姿を現わす。ベルガーさんがその扉の前で足を止めると、この長い廊下を歩いてきて、初めて、僕たちの方へと鋭い視線を向けた。
「……まあ、その、なんだ。お前たちは冒険者だから、大丈夫だとは思うが、この先でお会いする方への言葉遣い、間違えるなよ。……少々、な。気難しい、お方だ」
「……分かりました。気をつけます」
なるほど。つまりは度量が狭く、狭量なご領主様だから、言葉遣いを含めくれぐれも気をつけろ、と。そういうことかな。
こんな、主君への批判とも取れる危険な進言。
もし、誰かに聞かれてしまえば、彼自身、非常に危うい立場になるに違いない。騎士が己の主を公然と批判するなど、罷免されてもおかしくはないのだから。
彼の不器用な、けれど精一杯の配慮に、僕たちは、ただ静かに感謝した。




