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黒曜の髪 蒼玉の瞳 ~輪廻の先で出会った君を救うため、僕はこの世界で生きると決めた~ 転生医師の異世界奮闘記  作者: 神崎水花
二章 取り戻すために

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第74話 こういう日もあっていい

 黒オーガとの死闘が、少し前のことのように感じられる。

 ギルドマスターとの重い対峙も。そして、思い出すだけで今も顔が熱くなる、あの夜の照れくさい誓いも。

 まるで、嵐のような日々が、嘘のように過ぎ去って。


『ご領主様からの使者が、いつ、来てもおかしくない。そのつもりでいろ』

 ベルナールさんに、そう、釘を刺されてしまっては、僕たちも迂闊に、依頼に出かけるわけにもいかなかった。

 それまで、一日でも早くアンリエッタさんを取り戻そうと、がむしゃらに依頼を求めて駆けずりまわっていたというのに。そんな毎日が、本当に、嘘のように止まってしまっていた。

 

 何処にも行けず、何もできなくなった僕たち。

 ギルドホールにあるいつもの卓で、ただ、時間だけが、いたずらに過ぎていくのを、悶々としながら待っている。


 僕はテーブルの木目を、意味もなく指でなぞり。

 ミゲルさんは背筋を伸ばして、正面の一点を見つめ続けている。

 そして、マリーさんは──言わずもがな。

 退屈でやるせない沈黙に、最初に耐えきれなくなったのは、やっぱり彼女で。

 それはもう、僕たちの間では、説明不要なほどの、様式美とでも言うべきものなのかもね。

 

 彼女は、卓上に空になったエールの樽ジョッキを、少しだけ乱暴に置く。

「はぁ……。早く来るなら、来る。来ないなら、来ない。はっきりしてほしいわよね、もう……。ホント、仕事が遅いんだから」

「マ、マリーさん、声が、大きいです。ご領主様の使者に、万が一、聞かれたらどうするんですか」

「ご主君の仰る通りです。マリアンヌ殿。ここは、静かにお待ちするべきかと」

「……ふんだ。皆の気持ちを代弁してあげたのに、いい子ぶっちゃってさ」

 マリーさんは僕たち二人の、もっともすぎる正論にそっぽを向いて、口先を少し尖らせる。うん、凄く分かりやすい。

 

「──おい、お前ら。ちょっといいか?」

 そんな、ほんの少し重くて、ちょっぴり気まずい空気の中を割って入るように、スクルさんのいつもと変わらない、ぶっきらぼうな声が届く。彼が三枚の真新しい冒険者票(プレート)と、一つの革袋を手に、僕たちの元へとやってきたのだ。


「ギルドマスターからの伝言だ。今回の緊急依頼の、ご領主様からの特別報酬については、改めて、城館から使者が来るのは聞いているな?」

 彼はそう言うと、まず、革袋をテーブルの上へと置く。

「だが、それとは別に、これはギルドからだ。お前たちの今回の功績に対する、特別報奨金として、金貨五枚。ありがたく、受け取れ」

「き、金貨……五枚ですって?」

 マリーさんの、驚き、上擦った声が漏れる。


「あとは、これだが……」

 スクルさんが卓上に一枚、一枚、置いていく、僕たちの真新しい冒険者票(プレート)

「まず、フェリクス。お前は本日付で、白鋼級へと昇格だ。異例の高速昇進だな」

「次に、マリアンヌ。……いや、アン。お前の本当の名は、マリアンヌだったんだな。知らなかったぞ」

「ギルドの皆がそう呼ぶから、今更変えるのも、どうかな~ってね。……で?」

 マリーさんは、その、どこか揶揄(からか)うようなスクルさんの言葉を、ふふんと、鼻で笑うようにして、受け流す。

「アン、お前は、長年のブランクを考慮して、鉄級へと降格措置が取られていたが、今回の功績を以て、本日、正式に白鋼級へと復帰する。よかったな」

 マリーさんは、その真新しい白鋼のプレートを、懐かしそうに眼を細めて、指でそっと撫でていた。


「……そして、ミゲル」

 スクルさんの、少しだけ改まった声に、彼がびくりと、その肩を震わせた。

「お前はまだ、青銅級になったばかりのド新人だ。だが今回の、黒オーガとの戦闘における目覚ましい活躍を、ギルドマスターが特別に評価された。特例中の、特例だ。本日付で、鉄級へと昇格させる、とのことだ」


「……え……?」

 ミゲルさんは信じられない、といったように、鉄級の冒険者票(プレート)とスクルさんの顔を何度も、交互に見比べている。

 一度は、全てを失い、騎士への道を絶たれたはずの彼。その彼が今、再び、その実力と功績を、公に認められた瞬間だったから……。

 彼の嬉しそうな横顔を見ていると、胸の奥底からも自分のことのように、温かい何かが、こみ上げてくるのがわかる。

「何だか、僕らまで嬉しくなっちゃいますね、マリーさん」

「ええ、本当にね。今日一番の朗報だわ」


 突然の歓喜と、少しばかりの興奮。

 もたらされた熱が、徐々に、日常の喧騒の中へと溶けていくと、僕たちを待っていたのは、またしても、どうしようもなく退屈な時間だった。

 気付けば西の空が、夕焼けに赤く染まり始めている。

 今日という一日も、このまま何の意味もなく、過ぎてゆくのだろうか……。

 

「……で、いつになったら、やって来るのかな~。その、お偉い、ご領主様のお使いってやつは」

 マリーさんがもう、何度目になるか分からない、エールの樽ジョッキをぐい、と煽りながらくだを巻く。

 その白い頬を、ほんのり上気させて。

 朝からずっとだから、さすがの酒豪様も酔いが回り始めているのかもしれないな。

「マリーさん、飲み過ぎじゃないですか? 大丈夫ですか?」

「だって、退屈なんだもの。フェリクス君、なんか面白い話でもしてよ。ミゲル君でもいいわよ?」

「お、面白い話ですか? うーん……」


 その時だった。

 乱暴にギルドの扉が開け放たれ、一人の、場違いなほどに、身なりの整った男が入ってきたのは。

 冒険者のような武骨さはない。仕立ての良い上質な服を纏って。

 それは明らかに、城仕えの者のそれに見える。

 男は、僕たちや、他の冒険者たちには一瞥もくれることなく、まっすぐに、受付のシモーヌさんの元へと向かう。何事か、短い言葉を交わすと、そのまま二階のギルドマスター室へと、その姿を消した。

 

 やがて、その使者らしき男が再び階段を下りてきて、誰に会釈することもなく、静かにギルドを後にしていく。

 それを見送るようにして、階段の上からギルドマスター、そう、あのベルナールさんが姿を現した。

 彼はまっすぐに、僕たちの元へとやってくると、ただ一言、告げた。

「決まったぞ。──明日の午前、十の刻、登城しろとのことだ」


 やっと来た『登城命令』

 動き出した歯車に、僕たちはごくりと喉を鳴らし、顔を見合わせる。

 そんな僕たちを、ベルナールさんは改めて、上から下までを値踏みするように見下ろした。その視線は特に、僕とミゲルさんの服装に注がれているような。


「……ところで、お前たち」

 彼は、心底、呆れたような声で言う。

「まさかとは思うが……その格好のまま、登城するつもりではないだろうな? アンは、まあ、何とかするだろうから、あまり心配はしていないが。……問題は、お前たちのことだ」

 言われて初めて、僕は、自分の服を見下ろしてみる。

 冒険者として動きやすさだけを重視した、丈夫なだけの麻の服。洗濯はしているけれど……お世辞にも、上等とは言えない造り。

 ミゲルさんも、似たようなものだった。

 

 重くなり始めた場を、マリーさんの楽しげな、けれど明らかにアルコールを含んだ声が割って入る。

「困ったわねえ。じゃあフェリクス君に、私の、お気に入りの服を貸してあげる。や~ん、可愛いかも~♡」

 

 酔っぱらいの、あまりにも無責任な冗談。

 それに、ミゲルさんが、どこまでも真面目な顔で、的確すぎる分析を返した。

 彼は一度、マリーさんの豊かな胸元へと、堂々と、その視線を落として、言う。

 ……隠さないのが、すごい。

 それは、僕にはないものだよ。

 

「……ふぅ。マリアンヌ殿のお召し物では、ご主君には、胸元が緩すぎるかと。とても人前にお見せできるような、お姿にはなりますまい」

「ぶっ……!?」

 ミゲルさんの、あまりにもド直球で、僅かに破廉恥を含んだ(?)言葉と態度に、僕は思わず、吹き出してしまった。

 そして、その隣。

 マリーさんが、ぷるぷると、その白い肩を震わせているのが見える。

 その顔は、もう、熟れた林檎よりも、真っ赤に染まっていたよ。

 

 そうなんだよね……。

 彼女は、これほどまでに美しくて、スタイルも抜群というのに、こういう、男女間の際どい話題になると、驚くほど免疫がない。途端に、シャイで、うぶな反応になってしまう。

 いつだったか、スクルさんも言っていた。

「アンの奴は、見た目に反して、妙に身持ちが固いからな」と……。

 

 お姉さんなのに、うぶだなんて。

 素晴らしすぎる属性の、組み合わせじゃないか……!

 

 ……なんて、一瞬、思ってしまったけれど。

 それも、きっと。彼女が心の奥底に抱え続けていた、あの悲しい出来事のせい、なのだろうな。


 亡くした者たちへの想いを、自らの幸せへの枷として。

『私だけが、幸せになるわけにはいかない』と、彼女が、ずっと思い続けてきたのだとしたら。

 その、健気すぎるうぶさも、頷ける気がした。

 

「み、見たわね、この、朴念仁……! なんて、破廉恥なことを!」

 彼女の上擦った声が、ギルドホールに虚しく響いていたよ。

 ああ……ベルナールさんが、目の前にいるというのに……。

 

 そんな僕たちの、どうしようもないやり取りを、ベルナールさんは、じっと見つめていた。こめかみを指でぐりぐりと押さえ、苦虫を百匹、まとめて噛み潰したかのような表情で。

 ……二人とも、気づいているのだろうか。


 その顔には、「こいつらに任せて、本当に大丈夫なのか?」という問いと、心からの深い疲労の色が、浮かんでいる。

 僕にはそう、見えたよ。

「……はぁ。もう、いい。仕方が無い」

 それから、彼は吐き捨てるように言い切った。

「俺のを、貸してやる。サイズは合わんだろうが、我慢しろ。……いいな?」

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