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黒曜の髪 蒼玉の瞳 ~輪廻の先で出会った君を救うため、僕はこの世界で生きると決めた~ 転生医師の異世界奮闘記  作者: 神崎水花
二章 取り戻すために

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第73話 契りの円環

 ……なあ、教えてくれよ。

 なぜ僕は、花を贈っているんだい? なあ?


「ええっ!? フェリクス君が、私に花を……? うそ、嬉しい。ありがとう」

 僕が戸惑いながらも差し出した、たった一輪の白い花。

 それをマリーさんは、かけがえのない宝物でも受け取るかのように、そっとその両手で包み込むようにして、受け取ってくれた。

 心の底から、嬉しそうな笑顔で。


 ふと、隣に立つミゲルさんへと視線を向ければ、

 『ほら、贈って正解だったでしょう?』

 とでも言いたげな、どこか誇らしげなドヤ顔が、そこにはあって。

 ……何だか無性に、腹が立つ。


 それにしても、だ。

 花が咲くように笑う彼女の、その、あまりにも眩しい笑顔を前にすると、これはこれで、良かったのかもしれない。

 そう思えてくるから、不思議だ。

 この状況がミゲルさんの、ありがたい気遣い(?)のおかげなのか、それとも、ただの余計なお世話に過ぎないのか。今の僕に、正しく判断することなんて、できそうにもなかった。

 そもそも、男女の細やかな機微は、僕には難解すぎるんだよ……。

 どうやったら、あの、ギルドマスターとのやり取りが、婚約うんぬんに発展するんだ……。

 

 それはそうとして、先ほど市場で買い込んできたばかりの料理が、目の前の卓上へと、所狭しと並べられていく。

 ミゲルさん垂涎の、巨大なボア肉の串焼き。こんがりと焼かれた表面には、香辛料と肉汁が混じり合った魅惑的な照りが浮かんでいる。

 食卓に、少しの華を。バターで炒められた、色鮮やかな紫色のカブのソテーが、甘く、優しい香りを漂わせていた。

 

 そして、これだよ、これ!

 手のひらほどの大きさがある肉厚なキノコに、醤油のようなものを垂らして焼いたのだろう。その、鼻腔をくすぐる香ばしい匂いだけで、僕の胃がきゅるり、と可愛い音を立てちゃう。

 

 ところがどっこい、今日はそれだけじゃない。

「ごめんね。これも、食べてくれると、嬉しいのだけど……」

 マリーさんが台所から、大きな木の器を持って、僕たちの元へとやってくる。

 

 その手には、大きな肉の塊と、野菜がごろごろと入った、具沢山のポトフ。

 香草の爽やかな香りと、じっくり煮込まれた肉と野菜の優しい匂いが、湯気と共に、ふわりと僕たちの心を解きほぐしていく。


「ギルドで解散してから、そんなに時間も経ってないでしょ。あまり、煮込めていなくて。お肉も、まだ少し硬いかもしれないから……無理して、食べなくてもいいからね」

 何をおっしゃる。

 食欲をそそる懐かしい匂いが、僕の記憶の扉を、容赦なく叩いていますよ?

「……うわぁ、ポトフ、ですか……」

 僕の口から思わず、感嘆の声が漏れる。

 

「以前、まだ僕の家に皆がいた頃……オデットさんという方がいましてね。僕にとっては、お婆ちゃんのような人でもあったんです。その人が、よく、シチューやポトフを作ってくれて……すごく、好きでした」

 そこまで言って、僕は、はっと我に返る。

 なんて、暗い話をしてしまったんだろう。せっかくの、お祝いの席だというのに。

 

「あ、すみません! なんだか、しんみりするような話をしてしまって……」

 

 僕が慌ててそう言うと、マリーさんは、そんなことはない、とでも言うように、穏やかに優しく、首を横に振った。

「ううん。謝ることなんて、何もないわ」

 彼女は僕の目を、じっと見つめて、続ける。

「……キミが、今日まで一人で、どれだけ頑張ってきたか。私、ちゃんと、見てきたつもりよ。大事な人を取り戻すために、本当によく頑張って……見てて、妬けちゃうくらいにね」

「マリーさん……」

 

「過去は、変えることができない。でもね、フェリクス君。『未来は、変えられる』って……キミがそれを、私に教えてくれたのよ?」

「僕が、マリーさんに、教えた……?」

 僕の、間の抜けたような問いに、彼女は力強く頷く。

「ええ。私はこうして、また、弓を担いで。……再び、こんなにも、素敵な仲間たちと、日々を、過ごせるようになったのだから」

 

 僕は、がむしゃらに、自分の目的のために、突き進んできただけなのに。

 あまつさえ、彼女を、この危険な道へと引きずり込んでしまった。

 ──とさえ、思っていたのに。

 なのに、彼女は。

 そんな僕に、未来を変えるための「希望」を、見出してくれていたなんて……。


「……ね?  あともう、少しじゃない。元気、出しなさい」

 彼女の、その、あまりにも優しい声と、全てを、お見通しだと言わんばかりの、温かい眼差しに、僕は、どうしようもなく胸が熱くなってしまう。

 その言葉だけで、これまでの、孤独だった日々の全てが、報われたような気さえしたよ。


「……さてと!」

 しんみりし始めた空気を、彼女が自ら、明るい声で断ち切った。

「お祝いの席で、しんみりしてても仕方ないわ! 飲みましょ、飲みましょ! ほら、二人とも、杯を持って!」

 彼女は僕たちの買ってきた、甘口の果実酒の栓を、ポンッ、と、景気のいい音を立てて開け、それぞれの木の杯へと、葡萄色の液体をとくとくと、注いでいく。

 僕たち三人は、それぞれの杯を、そっと持ち上げた。

 

「──じゃあ、改めて」

 彼女は、僕とミゲルさんの顔を順番に見つめて、太陽のように笑う。

「領主様からの、緊急依頼、達成、おめでとう! そして……私たちの、新しいパーティーの、最初の輝かしい勝利に。乾杯!」

「「乾杯!」」

 僕とミゲルさんの声が、綺麗に重なる。

 カチン、と、三つの木の杯が、優しくぶつかり合う。

 僕たちの本当の意味で、最初の祝杯だった。

 

 ポトフと、市場で買ってきた沢山の料理を囲んで、僕たちのささやかな祝宴が始まる。

「ねえ、二人とも」

 ポトフを数口味わったところで、マリーさんが思い出したように言い始めた。

「そろそろ、私たちの、パーティーの名前を決めない?」

「パーティー名、ですか?」

 

「ええ。いつまでも『フェリクス君と、その仲間たち』なんて呼ばれるのも、なんだか、しまらないでしょ。これからギルドや、それこそ、ご領主様と、やり取りすることもあるかもしれないし、ちゃんとした名前があった方が、何かと都合がいいと思うのよね~」

 元ギルド職員らしい、彼女の、非常に現実的な提案に、僕も、ミゲルさんも、顔を見合わせて頷くばかり。

 ただ、何ですかね、その『フェリクス君と、その仲間たち』ってフレーズ。

 僕、初耳なんですけど!?


「うーん、どうせ付けるなら、格好いい名前がいいな……」

 僕とマリーさんがうーんと唸って、良い名前が思いつかずにいると、それまで黙って肉串を食べていたミゲルさんが、おもむろに口を開いた。


「……いえ。私はそのままでも、よろしいかと」

「……その、まま?」

 マリーさんが、不思議そうに問い返す。

「はい」

 ミゲルさんは力強く頷くと、どこまでも真剣な眼差しで、心からの忠誠(?)を込めて、言い放つ。

「『ご主君と、その、忠実なる臣下たち』……何か、問題でも?」


 僕とマリーさんは、顔を見合わせる。

 彼女の大きな緑の瞳が、「ねえ、この人、本気で言ってるの?」と、僕に訴えかけているのがわかってしまう。

 マリーさん、彼はたぶん本気です……。

 本当に、心からそう思ってる。そんな気がします!

 

 やがてマリーさんが、こめかみを引きつらせながら、できるだけ優しい声で、しかし、有無を言わさぬ完璧な笑顔で言ったよ。

 久々に見たかもしれない、彼女の業務用笑顔を。

「……ミゲル君。その名前は、ごめん。ちょっと、ない、かなー?」

「左様でございますか……」

 ミゲルさんは心なしか、少しだけしょんぼりと、肩を落とすのだった。

 いやいや、そんなの通るはずがないでしょう!?

 なぜ、落ち込むかな!


「マリーさん、何か良い案ありませんか?」

 僕に話を振られて、困ったように腕を組むマリーさん。

 その恰好、たわわ様が強調されて大変危険です。

 僕の前以外では、やらない方がいいですよ。

「うーん、そうねぇ……。私、こういうの苦手なのよねぇ……」

 彼女は手にした木の杯の中の、葡萄色の液体を見つめながら、ぽつりと呟く。

「……じゃあ、『バッカス』とか、どう、かな……?」


「思いっきり、お酒の神様の名前じゃないですか!」

 僕の、全力のツッコミが飛ぶ。

 行け、『イグニスフィア』そんな風にだ!

「だ、だから、苦手だって言ったじゃない! 大体、こういうのは、リーダーが決めるものでしょ! そうよねミゲル君!?」

 マリーさんは顔を真っ赤にして、話をミゲルさんへと強引にすり替える。

 

「ですね。ご主君がお決めになるのが、筋かと。私はご主君がお決めになった名前が、どのようなものであっても、謹んで、お受けいたします」

 ミゲルさんのどこまでも真面目な表情が、そこにあった。


 そうして二人に、全ての責任を丸投げされた僕がいる。

 不意に芽生えた、一つの疑問……。

「あれ? ちょっと待ってくださいよ。なんで僕がリーダーなんですか?」

 僕のその……意外だと言わんばかりの問いに、マリーさんミゲルさん。二人が揃って、きょとんとした表情で僕を見つめ返すのだけど?

 いや、その表情は、おかしい。

 本来、僕がするべきものでしょうよ!

 

「当たり前じゃない。今更、何を言ってるのかなー、この子は」

 マリーさんが、心底呆れたように言う。

「全くです。ご主君以外の一体誰が、我々の長でありましょうか」

 ミゲルさんが大真面目に、力強く頷いている。

 君たちってさ、実は……仲良いよね?

 怒らないから、正直に言ってごらん?

 

「いや、どう考えても、経験豊富なマリーさんの方が、リーダーには的確じゃないですか!」

 僕が必死にそう反論すると、マリーさんはニヤリと、それはもう最高の、この上なく意地悪な笑みを浮かべて、僕にとどめの一撃を放った。

「あら、そうかしら?  でもね、時折、私を心配して必死に『マリィ』って叫んでくれる、キミのあの声。私、あれこそがリーダーの成せるわざ、だと思うのよねぇ。ちょっぴりドキッと、しちゃうもの」

 僕がその、予想だにしない反撃に言葉を失っていると、

「ええ、ええ。私も早く『ミゲル』と呼ばれたいものです」

 おいおい、君たちは何て息の合った、見事すぎる連携攻撃を放つんだ……。

 こ、この二人、さては、もう酔いが回り始めている……?


「ほ、本当に僕で良いのですか? し、知りませんからね?」

 僕の……半ばヤケクソ気味の言葉に、マリーさんは「はーい、賛成、賛成〜♡」と上機嫌に、ほろ酔い顔で手をひらひらと振る。

 ミゲルさんもまた、その隣で音なく力強く挙手している。


 ……ああ、もう駄目だ、これ。

 こうして僕が、このパーティーのリーダーであることが、半ば強制的に、決定してしまったのだ。お祝いの日に!

 

 あの、ミレーユさんたちのパーティー名、格好良かったな……。

 僕たちもああいう、何というか、詩的で意味のある名前がいいと思う今日この頃。

「じゃあ、考えてみます……。出来たら、その、恰好いい名前がいいんですけど。……例えば『二剣一華』さん、みたいな……」

 僕の、その、か細い提案に、マリーさんは楽しそうに笑いだす。

「いかにも、男の子が好きそうな名前よね~『二剣一華』」

「くっ……」

 図星だ。否定できない。


 マリーさんは、そんな僕の様子を見て、さらにくすくすと笑う。

 そして、またもや腕を組んで、少しだけ考えるような素振りを見せるんだ。

「まあ、意味は分かるわ。剣士が二人と華やかな女性が一人、なんでしょうね」

「ええ……たぶん」

「……さしずめ、私たちなら、『二剣二華』ってところかしら?」

 彼女は自分で言っておきながら、再び、ぷっと吹き出す。

「でも、さすがにそれはないわねぇ……。真似しすぎでしょうし」


「では……『契りの円環(フェルツェンギルデ)』というのは、どう、でしょうか」

 僕のおそるおそる、といった感じの提案に、マリーさんとミゲルさん共に、今度は真剣な顔で耳を傾けてくれる。

「僕たちの、この、出会いというか……繋がりが、一つの輪のようになって。それぞれの想いや、誓いが、その円環の中で、互いを支え合う。……そういう、人の和、みたいな意味を込めてみたんですけど……」


 僕の、拙い説明。

 けれど二人は、それを馬鹿にしたり、茶化すことは、決してなかった。

「……契りの、円環……。……ええ、すごく、いい名前だと思うわ」

 マリーさんが穏やかに、そう、微笑んでくれた。


 その優しい笑みに勇気づけられて。僕は、続ける。

 ゆっくりと立ち上がり、そうして三人の中心、卓上に右手の甲を差し出した。

「僕は誓うよ。僕がこの輪を、自ら断ち切ることは決して、ないと」

 僕の、少しだけ芝居がかった行動の意味を、マリーさんはすぐに理解してくれた。

 

 彼女は瞳をやや潤ませて微笑むと、自らも、ゆっくりと立ち上がり、僕の差し出された甲の上に、自らの華奢な手を、そっと重ねる。

「……なら、私も誓うわ。私から貴方たちのもとを、離れることはないと。そして、何があっても、決して諦めないと」

 

 最後にミゲルさんが、静かに立ち上がる。

 彼は、僕とマリーさんの、その重ねられた手の上に、自らの大きく、無数の傷跡が刻まれた武骨な手を、ゆっくりと、力強く重ねた。

「私は既に、ご主君に忠誠を誓った身。ゆえに今更、誓う言葉はありません。ですがあえて、宣言するならば……死す時は、私が一番であることを望みます。……私は、見たくない」

 

 こうして、重ねられた三つの手。

 それぞれに違う想いを抱えた三人の、それでも決して断ち切られることのない、僕たちの環が、いま一つの輪になった日だ。

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