第6話 初めての拒絶
「ぼっちゃま朝ですよ~。起きてくださーい」
「も、もうちょっとだけ……もごもご」
こんなやり取りはしょっちゅうだった。
言っておくが、僕は決して朝に弱いわけじゃない。
この世界の朝が早すぎるのだ!!
なんだよ、まだ空は夜の色じゃないか……。
電気や水道にガスといった、所謂エネルギーインフラが存在しないこの世界で、重宝されているのが魔石で動く魔道具たち。だが、皆の想像通り魔石は無料じゃない。魔道具に至っては、庶民には手の届かないほど高価なものもあるとか。
『そもそも、寝て起きれば勝手に明るくなるのだから、夜は早く寝てしまえばいい』
現代人からすると、乱暴で理不尽極まりないこの言葉も、道理として何ら間違ってはいなかった。うん。
「なんでこんなに朝が早いのさぁ……」
「城門や、大きな城塞都市の門が開く時間だからですよ」
僕の詰まらない愚痴にも、ちゃんと返してくれるアンリエッタさんが良き。
なるほど、それは知らなかった。
「ぼっちゃまは毎日遅くまで勉強されてますから、でも、そろそろ起きましょうね」
「はーい」と返事はしたものの、眠気はそう簡単に消えてくれない。布団の中でぐずぐずしていると、アンリエッタさんが優しく微笑みながら手を差し伸べてくれた。
彼女が差し出す温かな手を拒否するなんて、僕には無理だ!
さらば愛しのおふとぅん。
渋々寝台から這い出し、普段着に着替えるのだけど、この世界に来てから着るものも随分と簡素になった。前世のブランド物の服なんて見る影も無いけれど、これはこれで動きやすく悪くない。
朝食を母さんと、アンリエッタさんやオデット婆さんらと共に済ませる。
父さんは騎士の仕事で城館に詰める時期らしく、ここ最近は不在の日が続いていた。パンとスープと一品だけの朝食だけど、こうして誰かと一緒に食べるのは、やはり良いものだね。
食後、僕はいつものように庭へと向かった。
昇り始めた朝日が眩しい。いつだったか、父さんに教わった木剣を手に取り、言われた通りに素振りを始める。
「右、左、右、左──」
手首を返しては、左右に切り下していく。
まだぎこちない動きだけど、少しずつ様になってきたような?
騎士爵家のたった一人の嫡男として、いつまでも弱々しい子供のままではいられない。父さんのように強く、アンリエッタさんを謂れのない迫害から守れるくらい強くなりたい。そんな思いを胸に、僕は今日も木剣を振るう。
体力作りと剣術の午前が終われば、待ちわびた午後がやってくる。
楽しみにしているアンリエッタさんとの魔法の特訓は午後が多い。イコール午後は好き。この公式を崩せる人がいたら、ぜひ名乗り出てほしいものだね。ふふん。
この少しの時間が、ひたすら励む僕の毎日の『癒し』となっている。
魔法を教えてくれたあの日から今日に至るまで、彼女から魔法を教わり続けて来た。けれど、その時間は日によって大きく異なり、長い日もあれば、ほんの僅かな時もある……。そして今日は、たまたま短い日だったというだけのこと。
これが、僕の抱えるただ一つの不満だった。
夕食からしばらく、庭で剣の素振りでもしようかと外への扉を開けると、偶然、中に入ろうとするアンリエッタさんと鉢合わせ。彼女の手には重そうなバケツが握られていた。
「アンリエッタさん、それは?」
「皆さんの湯浴みの準備ですよ」
重そうなバケツを持つにも拘わらず笑顔で応じ、そこに嫌味の一つすら無い。
元の世界のような広い浴室や浴槽はないけれど、洗い場には大きな瓶のような窯があって、皆その湯を使って髪や体を綺麗にしている。
水を運ぶアンリエッタさんのか細い腕を見て、はっとする。そうだ、この館の使用人は二人だけ。オデット婆さんはもう年だし、力仕事は難しいだろう。じゃあ、いつもアンリエッタさんが……?
なんで今まで気づかなかったんだ。この時間は部屋で勉強することが多いから、なんて言い訳にもならない。僕はただ、ひたすらに己を恥じ、そして悔いた。
一生懸命に朝から晩まで働いて、僅かにできた自分の時間を僕に使ってくれていたのに。不満を感じていた自分が情けない。
『父さんの収入がもう少し多ければ、使用人を雇えるのかな? そうすれば、彼女との時間がもう少しは増えるかも……』なんて、浅はかな考えを持ったこともあった。我が家の収入を含め、お金に関することは何も教わっていないお子様の分際で。
我が身の至らなさに、忸怩たる思いが募る。彼女はいつも笑顔で僕に接してくれるのに、僕はその背景にある苦労に気づきもしなかった。いてもたってもいられず、意を決した僕は彼女からバケツを奪い取った。
「あっ」
「うわ、重っ」
剣を振り続けた日々によって培われた自信は、脆くも崩れ去る。所詮は子供。なみなみと水が張られたバケツは、子供には十分すぎるほど大きくて、容赦なく重い。
「ぼっちゃま? 重たいですから」
「強くなりたくて剣の稽古をしてるのは知ってるでしょ? これは体力作りだよ」
えへん、と得意顔で彼女に言うんだ。恩着せがましいと、アンリエッタさんが遠慮してしまうから。僕に出来るたった一つの罪滅ぼし……。
「でも、ぼっちゃまにさせる訳には……」
「これも特訓だって。これからは僕がするから」
申し訳なさそうに彼女が見つめるから、僕は腕を捲って、無い力こぶを大仰に見せつけた。大袈裟気味にね。
「まぁ、うふふ」
くすくすと笑う彼女が可愛い。彼女からほんの少しでも罪悪感が消えるなら、面白い奴と思われたって僕は構わない。
幸いなことに、父さんは今の時期、騎士としてご領主様の城館に詰めていて不在だし、母さんは父さんの仕事着の縫物が忙しい。この光景を見られて彼女が怒られることはないだろう。仮に見つかっても鍛錬の一環だ。で通してみせる。
「甘えて良いのでしょうか……」
「いいんだよ、むしろ今まで気づかなくてごめんなさい」
「ぼっちゃま、ありがとうございます。無理だと思ったらすぐに仰ってくださいね。それは私の仕事なのですから」
「うん、約束する」
そう答えると、顎に指を当てて少し上を見つめ、何かを思案する様な仕草を見せるアンリエッタさん。これは可愛くて好き。
「では、空いた時間で何かして欲しいことはありますか?」
「え、いいの!?」
「ええ、構いませんよ」
な、なんだってー!?
パンパカパーン。
突如やってきたボーナスタイム追加のお知らせに、内心狂喜乱舞しちゃう。
「でも、折角できたアンリエッタさんの時間、いつも僕が邪魔してよいのかな……」
「まぁ、ぼっちゃまは優しいですね」
「そうでもないよ……」
「貴方と過ごす時間は、私も楽しいのです。だから気にしなくてよいですよ」
いつもと違う親密な雰囲気にドキリとした。僕と過ごす時間が楽しいだなんて、こんなに嬉しいことはない。それに心なしか、最近の彼女の言葉使いが変わってきている気がするのは、気のせいではないはず。
じゃあ、一つだけ甘えてみようかな。
実はどうしても、お願いしてみたいことがあったんだ。
「アンリエッタさんが作ったご飯、食べてみたいかも……」
我が家の調理担当はいつも決まって、オデット婆さんなんだよね。
「…………………………」
あれ? 反応が無いぞ?
「アンリ……エッタ、さん?」
なんだろう。彼女らしくない、表情の失せた半開きの目が気になる。
普段の彼女ではありえない、醸しだす少し湿った生暖かい雰囲気も合わさって、今まで晒されたことのない空気に狼狽え、怯んでしまう。
「それはダメです」
まさかの拒否。強めの拒絶。
この世界に来てから、彼女に拒絶されたことはただの一度もない。
それなのに、今ここでぇぇぇ? 一体なぜ!
「でも、何かして欲しいことって言ったよ?」
「それ以外で! お願いします」
異様に圧が強い……。
それ以外とか急に言われてもさ、思いつかないよ。
「じゃあ勉強か、魔法を教えてほしい、かな」
「そんなことでよろしいのですか?」
少し意外そうな表情を見せるけど、あの空気と拒絶を味わった後じゃ、こんなのしか思いつかないよ……。し、しまったあああああ。男子の憧れ!『湯浴みを一緒に』とかあったじゃないか!
あぁ、慌てて無難な選択を選んだ自分が恨めしい。このおバカ!
「…………うん」
こんなに気持ちの乗らない同意は初めて。
けれど、彼女で沈んだ気分は、彼女が再び上げてくれる。
「では、私の小さな騎士様、あなたの望みを叶えて差し上げましょう」
彼女はにっこりと微笑むと、まるで主従のように片膝をついて優雅に礼をした。
出会った時から、彼女の対応の仕方が大好き。
いつも、慈しみ見守るかのように接してくれるよね。断られたけど。
それでいて、どこか茶目っ気もあって、こんなに素敵な人が僕の傍にいてくれるなんて、僕は本当に幸せ者だ。
認めたくないけど、僕はこの世界に感謝し始めていた。
あとがき
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──神崎 水花




