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黒曜の髪 蒼玉の瞳 ~輪廻の先で出会った君を救うため、僕はこの世界で生きると決めた~ 転生医師の異世界奮闘記  作者: 神崎水花
二章 取り戻すために

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第29話 予期せぬ協力者

 僕が必死の形相でそう訴えると、アンさんは「まあまあ」と僕を宥めるように、その柔らかな手を僕の手にそっと重ねてくれた。

「フェリクス君。まずは落ち着きましょ? ほら、深呼吸」

 温かい手の感触と、落ち着いた優しい声を聞くと、さっきまで頭に上っていた血がすうっと引いて、(たかぶ)っていた気持ちが少し和らいでくるから不思議だ

 

「日中の仕事でね、魔物の討伐依頼よりも割の良いものとなると、正直なところ、殆どないのよね。もちろん、高ランク向けの依頼になれば報酬も跳ね上がるけれど、今のフェリクス君では受けられないし……。かといって、夜だけのお仕事なんてのもねえ。リヨンではまず見かけないわね。うーん……」

 

 分厚い依頼帳をパラパラとめくり、眉間にきゅっと皺を寄せながら、真剣な顔で思案を巡らせてくれている彼女を見て、僕も少しずつ落ち着きを取り戻していく。

 ……そんなに都合の良い仕事なんて、そうそう簡単に見つかるわけがない。分かっていたはずなのに、僕は焦りすぎていた。

 この際だ、無謀かもしれないけど、最後の手段を彼女にぶつけてみようと思う。


「あの~、アンさん」

「なあに?」

 依頼帳に視線を落としたままに、彼女は応える。

「例えば、ですけど」

「うん」

「魔の大森林に泊まり込みで、集中的に依頼をこなすというのは、どうでしょうか? いちいち街に戻ってくる時間を節約できれば、かなり効率よく稼げるんじゃないかと思うんです」

 

「へ? 大森林で、野営をするということ?」

 僕の提案に、アンさんが驚いて声を上げる。

 依頼帳に落としていたはずの視線は、いつのまにか僕の(まなこ)を射ていた。

「キミが、一人で?」

「はい、そうですけど……」

 だって、僕しかいないし……。

「そ、それは絶対にダメよ! 馬鹿なことを言わないで頂戴」

 彼女は、いつになく強い口調で、きっぱりと否定した。


「なぜですか?」

「なぜって、フェリクス君は、まだ一人で冒険を始めたばかりでしょう? 夜の魔の大森林がどれだけ危険か分かって言ってる? 夜、寝ている間に魔物に襲われたらどうするの? 食事は? 水浴び中は? 一人でずっと警戒し続けるなんて、無理よ」

 捲し立てるように、アンさんが僕の計画の無謀さを指摘していく。

 

「うーん、でも、体力なら人一倍自信がありますし」

「そういう問題ではないの!」

 ピシャリ、アンさんが僕の甘い考えを一蹴した。

 その真剣な眼差しからは、僕の身を本気で心配してくれていることが、痛いほど伝わってきた。

 

「……じゃあ、仮に。仮にフェリクス君が不眠不休で、一人でずっと狩り続けることができたとして。その大量の戦利品はどうするつもりなの? まさか、全部一人で背負って歩くつもり? 一回や二回程度なら、偶然上手くいくこともあるかもしれないけど。そんな無茶なやり方、いつまでも続けられるとは思えないわ」

「…………確かに、そうですね」

 彼女の指摘はあまりにも的確で、ぐうの音も出なかった。

 

 かなり言葉を選んで、僕を諭すように説得してくれているのも分かった。確かに、僕が考えていたことは無謀で、滅茶苦茶なことだったのかもしれない。

 ……こんな子供じみた計画に「イエス」と言ってくれる人など、いるはずがないことも。

 けど、それでも僕には、お金が必要なんだ。

 僕の切実な願いであり、想い。これは、理屈じゃあない。


「人を雇えば安全面は解決するかもしれないけど、その分、給金や、戦利品の分配が発生してしまうだろうし。うーん、悩ましいわね……」

 アンさんが、ペンのお尻でトントンと机を鳴らしながら、再び真剣な表情で考え込んでしまう。

 これが、彼女の思案中の癖なのかな?

 ふと、思い出す。僕の大好きなあの女性(ひと)は、こういう難しいことを考える時、よく自分の顎にそっと手をあてて、少しだけ上を見つめるような仕草をしていたことを。


「……ねえ、フェリクス君。差し支えなければ、教えてくれない?」

 アンさんが意を決したように顔を上げ、僕を見つめていた。

 教えてって、一体何を……。

「そもそも、どうして、そんな大金が必要なの? 失礼な言い方かもしれないけど、あなたの身なりや言葉遣いを見る限り、お金に困っているようには見えないのよね。それに、今日の稼ぎはいくらだったの?」

「銀貨五枚でした……」

「なら、駆け出しの冒険者としては破格だと思うわ、それで十分じゃない」

「それは、……そうなんですけど」

 

「それなら上の宿泊費を纏めて払って、たとえ毎晩エールを飲んで、お腹いっぱい食べたとしても、十分過ぎるほどお釣りが残るはずよ。普通に考えれば大成功よね。なのに、どうしてそこまでしてお金を稼ごうとしているの? 何か、私には言えないような特別な困りごとでもあるなら、話してみて。力になれるかは分からないけれど」


 出会ってからほんの僅かなのに、アンさんは本当に親身になって僕に色々と教えてくれた。でも、僕が抱えているこの事情はあまりにも重くて、個人的な内容すぎる。軽々しく他人に話していいものだろうか……。

 

「……もし、話してくれないなら、私にはこれ以上、何もしてあげられないかもしれないわ。ごめんね。ギルドの受付としてできることなんて、基本的には仕事を紹介することくらいだもの」

 アンさんが、寂しそうに付け加える。

 そっか、そうだよな。何も事情を離さず手伝ってくれだなんて、虫が良すぎた。

 

「アンさん。実は、僕にはどうしてもお金が必要な、特別な事情があるんです。誰にも話せずに、ずっと一人で抱えていたんですが……。でも、それは、ここで立ち話でできるような内容ではなくて。あ、もちろん悪い事が理由ではありませんから」

 

 そう答えると、アンさんはすぐに僕の気持ちを察してくれたようで、

「わかったわ。じゃあ、少し場所を変えましょう」と応じてくれた。

 さすがに、他の冒険者たちの耳があるここ、ギルドのカウンターで話せるような内容ではなかったし、僕個人の問題だけならまだしも、契約を含むアンリエッタさんのプライベートに関わる部分が多分に含まれていたから、正直助かったよ。


 アンさんは近くにいた同僚に一声かけると、僕を伴ってカウンターの奥へと進む。

 先導する彼女の後ろを黙って付いていくと、やがて、ギルドの奥まった一室、前世でいうところの小さな応接室のような部屋へと通された。

「ここなら、誰も入ってこないから、安心して」

 そう言って、アンさんは部屋の扉を静かに閉める。

 

「それと、約束するわ。今からここでフェリクス君が話してくれることは、私は絶対に他言しないと。ただ、もしギルドマスターから、直接話の内容を報告するようにと命令された場合は、それに従わなければならないけれど……。でも、余程のことがない限り、そのような命令が出るとは思わないから、心配しないで」

 彼女は僕の目を見て、真剣な表情でそう付け加える。

 

「では、少し長くなるかもしれませんが……」

 それからは、父がリヨンの城館に勤める騎士であったこと。

 魔の大森林近くの村を守るための任務で、突如現れた規格外の魔物、黒いオーガから負傷者を救うため命を落としたという事実。

 その結果、当代限りの騎士爵位は召し上げられ、家も領地も失った家族は離散。

 それだけでなく、父が長年ギルドと契約していた、僕にとっては家族同然だったハーフエルフの女性、アンリエッタさんまでもが、商人ギルドに連れ去られてしまったと……。

 その、僕にとっては何よりも大切な女性を取り戻すために、三ヶ月以内に、金貨百枚という途方もない大金が必要なのだということを、全て正直に洗いざらい話した。


 独り胸に秘め、出口の見えぬ暗闇で抱え続けてきた言葉たち。

 それらを一つ一つ紡ぎ出し、ただ静かに受け止めてもらえたという事実が、どれほど僕にとって救いであったか。

 心の(おり)が洗い流されたかのように、重圧が和らいでいくのを感じた。


 アンさんは僕の話をただ黙って、時折相槌を打ちながら最後まで聞いてくれた。

 そして、僕が全てを話し終えると、彼女の大きな緑色の瞳から堰を切ったように、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出し、その綺麗な顔は、あっという間に鼻水と涙でぐちゃぐちゃに濡れてしまう。

 今の彼女に、ギルドナンバーワン人気受付嬢の面影は、もうどこにもなかった。

 

「ぐすっ、なんて、なんて話なの。そ、そんな大変な事情があったのね。いづも側にいた、大切な女性をどりもどす為に……なんて子なの」

「あのぅアンさん。大丈夫ですか? そんなに泣かれると、何だか僕まで」


「ひくっ、だ、大丈夫だから。 で、でも、泣かせる話じゃないの。 好ぎな女性のためにたった一人で、ひっく。危険な冒険者になってまで、大金を用意しようとするなんて。まるで物語みたいだわ」

「あ、ありがとうございます……」

 そう言ってもらえるのは嬉しいけれど、改めて言葉にされると、なんだかすごくむず痒い。

 

「女だったら誰だって、そうよ。一生に一度くらいは、そういう純粋な想いに憧れるものだわ……! もう、ダメ……、涙が止まらなくて……ううっ……」

 アンさんはそう言うと、堰を切ったようにわっと泣き出し、言葉にならない嗚咽を漏らした。

 僕よりずっと年上の、しっかり者でデキるお姉さん風だったアンさんが、会ったばかりのだよ? 赤の他人である僕の話を聞いて、こんなにも感情を露わにして、自分のことのように一緒に涙を流してくれるだなんて……。

 彼女はきっと、心根の優しい女性なんだと思う。

 

「わ、わがったわ。 ぐすっ……ひくっ、フェリクス君! 私に出来る範囲で、できる限りの協力をしてあげる!」

「ほ、本当ですか!?」

「ええ、まがぜて!」

 そう返事をすると、アンさんはポケットから取り出したハンカチで、思い切り鼻をチーン! と噛んだ。……うん、やっぱり、さっきまでの美人受付嬢の面影は、今はもうどこにもない、ね。


「ふぅーっ。ごめんね、少し取り乱してしまったわ」

 ようやく落ち着きを取り戻したアンさんが、赤く腫れた目元を擦りながら言う。

「こちらこそすみません。突然あんな話をしてしまい……」

「ううん、話してくれてありがとう。いま言ったことは本当よ。私に出来る範囲で、全力でフェリクス君を協力させてもらうわね」

 アンさんは、きっぱりとした口調で、改めてそう宣言してくれた。

 僕と何ら関係のなかった、彼女までが応援してくれる。それは、僕の選択は間違ってなかったと言ってもらえたようで、本当に嬉しい。

 

「なるほど。それで、想定していたよりお金が稼げなくて、焦っていたのね」

「その通りです。このままじゃ、三ヶ月で金貨百枚なんて無理じゃないかと」

「焦る気持ちは痛いほど分かるわ。でも、だからといって、無茶は禁物よ。辛くてもここはじっと耐えて、地道に依頼をこなしていきましょう。そうして、受けられる依頼の難易度と報酬を少しずつ上げていくの。結局は、それが一番確実だと思うわ」

 

「それは、わかってるんです。だけど、もし思ったほど稼ぎが伸びなかったら……そう思うと」

「あ、そうだわ。私、明日はちょうど休みなのよ」

「お休み、 ですか」

「フェリクス君さえよければだけど、明日、キミの依頼に付いて行ってあげる」

「ええっ!? アンさんがですか?」

 彼女の予想外すぎる提案に、僕は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 

「ええ、そうよ。ふふ」

「そ、そんな、それこそ危ないですよ! ゴブリンだって数はバカにならないし。アンさんは受付のお仕事なんですから、そんな危険なことはさせられません」

「あら、心配してくれるの? ありがとう。でも大丈夫。こう見えても私、昔は冒険者をやっていたこともあるんだから。少しは腕に覚えもあるのよ?」

 アンさんは悪戯っぽく片目をつむり、満面の笑みを浮かべている。

 

 だからと言ってねぇ、ギルドの職員である彼女にだよ?

 僕の個人的な事情のために、貴重な休日までも、危険な森に同行してもらうなんて……。それは、いくら何でも厚かましすぎるかと。


「アンさん、お気持ちは本当に嬉しいですけど、さすがにそれは……。せっかくのお休みなんですから、ゆっくり休んでくだ……」

 僕が遠慮して断ろうとすると、アンさんが突然ガバッと椅子から中腰になり、僕の両手を、彼女の温かくて柔らかな両手で、今度は一層つよく、ぎゅっと強く握りしめてきた。

 

「私が一緒に行きたいのよ。だから問題はないわ。それに、ただ付いて行くだけじゃなくて、実際の狩りの仕方とか、魔物の効率的な解体の方法とかね……私でも、フェリクス君に教えられることはあると思うの」

 彼女の深い緑色の瞳が強い意志の光を宿して、真っ直ぐに僕を見つめてくる。

「う、……で、でも、それは」

「行くからね! 明日の朝ギルド前で待ってるから! もし来なかったら次から私の列に並ぶの禁止よ!」

「そ、そんなぁ~」

 有無を言わさぬ強い口調。年上女性の迫力に僕はタジタジ。

「わ、わかりました。よろしくお願いします……」

 僕はその勢いに気圧されて、頷くことしかできなかった。

 まさか、冒険者になって初めて組むパーティーが、ギルドの受付嬢のアンさんになるとは夢にも思わなかったよ。

 何から何まで、本当にすみません、アンさん……。そして、ありがとう。


「ところで、アンさん?」

「ふぁい?」(まだ少し涙声)

「一つ、確認してもいいですか?」

「なあに?」

「ギルドで働いている方がお休みの日に、個人的に冒険者みたいな活動をしても、ギルドの規則的に問題はないのですか?」

「ああ、そのこと? 全然、問題ないわ」

「そうなんですか?」

「そりゃ、ギルドの仕事を休んで、勝手に依頼を受けたりするのはダメでしょうけど。ま、そんなの気にしなくていいわよ」

「よかった、安心しました。では、明日、よろしくお願いします」

「はい! よろしくお願いされました!」

 アンさんは、元気いっぱいに、満面の笑顔でそう答えてくれた。

 なんだか救われた気がして、本当に嬉しかったよ。

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