第28話 嘘でしょ?たったこれだけ?
ずしりと重くなった戦利品の袋を背負い、僕は再び冒険者ギルドへと戻ってきた。さあ、問題はこれが一体いくらになるか……。
期待と不安を胸に、僕はギルドの奥にある報酬査定の窓口へと向かう。
通りすがりに、受付カウンターの内側からアンさんが、心配そうに視線を送ってくれているのが分かった。
彼女はあくまで「受付」が主な担当のようで、この「報酬査定」の窓口は管轄外なのだろう。こちらへ来て声をかけたいけれど、さすがに他の職員の持ち場である、こちら側まで付いてくることはできない様子に見える。
あのう、気にかけてくれるのは素直に嬉しいけど……アンさん、そんなに僕のことばかり見ていて大丈夫デスカ? あなたの窓口、ほら、また長蛇の列ができ始めてますよ?
彼女は今日も変わらず、ギルドの人気者ぶりを遺憾なく発揮しているのだった。
アンさん頑張れ! 僕は心の中で小さくエールを送る。
「すみません、討伐証明と魔石、あと、その他の戦利品もここでいいですか?」
僕は窓口に立つと、ちょっと厳つそうな見た目の、中年風男性職員に尋ねる。
「ああ、全部まとめて査定するから、そこに置いてくれるか」
「はい、では置いていきますね」
指定されたカウンターの上に、まずは、革袋から取り出したゴブリンの左耳を置いていく。その枚数ゆえか、それはこんもりと、見栄えの悪い山を形成していた。
──ところで、耳の単位って「枚」でいいのかな?
さすがに自信がない。
前世を含めて、今まで耳を数えるなんて機会なんてなかったし……。
耳と、ほぼ同数のゴブリンの魔石。それらとは別の大きな袋から、拾い集めたボロボロの短剣や小剣が数振りに、ひしゃげて凹んだ兜、最後に薬草と思われる草を数束、どさりと置いた。
これが今日の冒険で得た、僕の戦果の全てだった。
「ほう、こいつは驚いた。これ全部をお前さんが一人で? たいしたもんだ」
査定員のおじさんが、カウンターに広げられた戦利品の数々を見て、目を丸くして感心しているような。
「えっ? フェリクス君、初めての依頼でこれだけ獲ってきたの!?」
どこから見ていたのか、ほんの少し受付を抜け出してきたのであろう、アンさんまでもが大きな緑色の瞳をさらに丸くして、呆けたような顔で驚いている。
「ほう、初めてでこれだけの成果か。っ……アン、何をやってるんだ、持ち場に戻らんか」
査定員のおじさんに軽く窘められ、
「おほほ、ごめんなさーい」
去り際にちらりと、悪戯っぽく舌を出すアンさんが見えた。
ほうら、いわんこっちゃない。仕事中に抜け出しちゃだめでしょうに。
「これくらいが普通なのかと思っていました」
本当は、査定額に大きな期待をしているけど、努めて平静を装って答える。
皆の驚きようを見てたら、ねえ。
自然と期待は高まるってものさ。
「いやいや、新人冒険者が初日でこれだけ持ち帰るのは、なかなかできることじゃねえよ。大したもんだ。よし、すぐに査定するからな。これくらいの量なら、そうだな……一時間もかからんと思う。悪いが、また後でここへ来てくれるか?」
「わかりました。では、よろしくお願いします」
礼を言って、僕は一旦査定窓口を離れることにした。
ギルドの隅にある、まだ空いているテーブル席に腰を下ろし、壁に掛けられた依頼書の数々を見ながら、査定が終わるのをじっと待つ。
そういえば、馬車で出会った服ピタお姉さんの、もとい、鎧おぢパーティーはまだ戻らないのかな? この時間にいないとなると……現地で野営したりするのかもしれない。
うん……確かに、ゴブリンとの戦闘時間よりも魔の大森林への移動や、森の中で獲物を探し回る時間。その後に行う解体作業らの方が、よっぽど時間がかかってしまうもんなぁ。
想像していたよりもずっと、戦闘以外に時間が掛かってしまったことを、僕は一人、腕を組んで悩んでいた。
おっと、そうだ。
こうして待っている間に、魔石や討伐部位の切り出しに使うナイフを見に行くのもありかも。
いま僕が持っている刃物は、父さんの形見である、あの長刀一本のみ。
切れ味は抜群すぎるほど良いけど、いかんせん刀身が長すぎて、細かい素材回収作業には向いていないんだよね~。
非常に扱いづらいこと、この上なかったのだ。
それに、何よりさ、父さんの大切な形見である刀で、魔物の耳を削ぎ落としたり、胸を抉ったりするのも……なんだか、こう……すごく、気が引けるというか。
やはり、専用の道具は必要だと思う。うん。
僕は再びギルドの外へ出て、昨日インゴットを届けたばかりの武具屋へと、慣れた足取りで向かう。
「こんばんは〜、ゴードンさん」
「おう、フェリクスじゃねえか。どうした? 昨日の今日で、もう用か?」
「今日は、解体用のナイフを見に来たんです」
「ほう、解体用か、戦闘用ではないんだな?」
「はい。魔物から素材を剥ぎ取る時に使うような……、そういうナイフが欲しくて」
解体、という表現で合っているのか分からないけれど、他に丁度良い言葉が思いつかない。
「なるほどな。素材採集用のナイフか。それなら……」
ゴードンさんは心得たとばかりに頷くと、壁に掛けられた棚から、おすすめのナイフを数本選び取り、カウンターの上で僕に見せながら説明してくれる。
「この辺りが、手頃で使いやすいだろうな。まあ、大型相手にはちと力不足だが、その辺のゴブリンやオーク、小型から中型程度の魔物ならこれで十分だと思うぞ。解体なら凝った装飾とかもいらんだろ? これは実用一本、頑丈さが売りのナイフだ」
なるほど、確かに飾り気は全くないが、刃も厚く、しっかりとした作りに見える。
「いいですね。ちなみに、おいくらですか?」
「そうだな、こっちの一番小さいのが銅貨八枚、真ん中のやつが銀貨一枚、で、右端の少し立派なやつは銀貨二枚ってところだな」
うーん銅貨八枚から、銀貨二枚かぁ……。
思ったより高い。銅貨八枚といえば、いま借りているギルドの宿の、ほぼ九日分の宿泊料に相当する。
今日の稼ぎが一体いくらになるか、まだ分からない。けれど、今の僕にとって、稼ぐことと節約することは、何よりも優先すべき至上命題なのだ。
それに、僕には最後の手段として、あの魔法がある。
このナイフだって、購入した後にこっそり魔法で強化してしまえば、切れ味も耐久性も格段に向上するはず……。だとしたら、無理して中途半端に良い物を買うよりも、一番安いもので十分かもしれない。うん、そうしよう。
「すみません、今ちょっと手持ちが厳しくて……。この、一番安いやつでお願いできますか?」
「おう、まいどあり! 安いとはいえ、こいつも丈夫なやつだからな。大事に使ってやってくれ」
僕は、数本あったナイフの中から一番安い物を購入し、礼を言ってゴードンさんの店を後にした。これで、素材回収も少しは捗るだろう。
買い物を済ませ冒険者ギルドへ戻ると、ちょうど良いタイミングだったのか、数分もしない内に査定が終了し呼び出される。僕は、期待と不安で高鳴る心臓を抑えながら、奥の報酬査定窓口へと再び向かった。
ふぅ。なんだか緊張してきたよ。
せめて銀貨十五枚くらいにはなっていて欲しい。本音を言えば、金貨一枚以上は。
頼む、 頼むぞ。
「よう、兄ちゃん。待たせたな、これが今回の買取額だ」
そう言って、査定担当のおじさんが一枚の紙を僕に差し出した。
僕は、祈るような気持ちでそれを受け取り、記載されている内容に目を落としていく。
ドク、ドク、ドクと、自分の心臓の音がやけに煩い。
ゴブリン討伐部位に魔石。それらに、薬草やドロップ品の武具など全て合わせて、
『合計、銀貨四枚と銅貨八枚」だと!?
ん、まて、まだ下に何か文字が書いてある。追加報酬があるようだぞ、どれ。
『……依頼達成報酬 銅貨四枚』ガクッ。
……嘘でしょ?
たった、これだけ……?
あのさ、根拠なんて何も無かったよ。
けど、心のどこかで、正直、金貨一枚くらいは行けるんじゃないか? なんて甘い期待を抱いていたのは事実。
なのに、蓋を開けてみれば、銀貨五枚にすら満たないという、この厳しい現実だ。
何が成功報酬銅貨四枚だよ。くそっ。
まさか、インゴット運搬より安いだなんて。
なお明細には、ゴブリンの耳が数枚、申請した数よりも減額されていた理由として、『黒炭のように燃え尽きており、鑑定不能』と。逆に、魔石の中に少しだけ良い価値のものが混ざっていたのは『討伐対象の中に、数体上位種が混在していたと思われる』と記されていた。はぁ。
昨日の報酬(銀貨九枚)と合わせても、この二日間で僕が稼いだお金は、銀貨十五枚と少しがやっと。金貨一枚にすら届きやしない。
このペースだと、残された三ヶ月の間、一日も休まず死に物狂いで働いたって、目標の金貨百枚どころか、その半分の五十枚に届くかどうかすら怪しいぞ。
これじゃあ、アンリエッタさんを取り戻すなんて……夢物語もいいところだ。
アンリエッタさん……。
こいつは、まずい。本気でまずいぞ。どうしよう……。
あまりに衝撃的な、そして絶望的な結果に、僕はその場で唖然として、しばらく動けなくなってしまった。
何か、何か他に方法はないだろうか?
もっと短期間で、効率よく大金を稼げるような依頼は? ゴブリン程度の弱い魔物をチマチマ狩っていても埒が明かない。
危険を冒してでも、もっと強い魔物を倒すべきなのでは?
しかし、今の僕はまだ青銅級冒険者で……。
くっ、くそっ。何もかもが思い通りいかない。
ギルドは、冒険者成り立ての僕に、難度の高い仕事を与えてはくれない。
このまま地道に依頼をこなして、多少ランクが上がったところで、どれほど稼げるようになるというのだろう? 残り三ヶ月、後半の巻き返しに失敗すれば、全てが水泡に帰す。
先の見えない厳しい現実に、僕の心ばかりが焦ってしまう。
あの女性を救えない。なんてこともあり得るのか。
居ても立ってもいられなくなった僕は、藁にもすがる思いでアンさんの受付へと向かう。
彼女なら、ギルドの事情にも詳しいだろうし、もっと割の良い特別な仕事とか、もしかしたら夜にできるような稼ぎとかも、知っているかもしれない。
……なんとも他人任せで、情けない考え方だと自分でも思う。
けれど、今の僕に、このリヨンの街で頼れる知り合いと言えるのは、受付のアンさんと、武器屋のゴードンさん、あとは父さんの同僚だった騎士のベルガーさんくらいのものだ。あとは誰一人として思い浮かばなかった。
早くしろよ、前の奴ら。
時間がないんだって!
くそっ、なんでこんなにダラダラと進まないんだ! 遅々として進まない行列に、僕は内心でイライラと悪態をつきながら、自分の番が来るのをひたすら待った。
そしてすっかり辺りも暗くなり、ギルドの中も壁に掛けられた灯具の灯りが頼りになるような、間もなく夜も更けようかという頃合いになって、ようやく僕の順番が回って来た。
「アンさん!」
僕は少し焦ったような、切羽詰まった大きな声で、カウンター越しにいる彼女を呼んでしまう。
「ひゃっ!? フェリクス君? ど、どうかしたの? そんなに慌てて」
僕のただならぬ雰囲気と切羽詰まった声に、アンさんが少し驚いて、戸惑ったような表情でこちらを見ている。
う、いきなり大きな声をだしてごめんなさい……。
「査定の結果で何かあったの?」
「いえ、査定自体は問題なかったんですが……。アンさんすみません、もっとお金が必要なんです! 何か他に稼げる仕事はありませんか? どんなに危険な仕事だって構いません。 僕にできることなら何でもやります! それこそ、夜中でも構いませんから!」
頼れるのはもうアンさんしかいないんです。
僕に仕事をくださいっ……。




