第15話 露呈した才
「では、行くとするか」
衛兵が立つ門をくぐり、僕たちは父さんを先頭に城館の敷地内へと足を踏み入れる。石畳で舗装された通路をしばらく進むと、衛兵や騎士たちが日々の鍛錬に使うのだろう、そこそこ広い練武場のような空間へと出た。
土埃が舞い、掛け声や木剣の打ち合う音が其処彼処に聞こえ、見れば、完全武装ではないものの、軽装の革当てを身に着けた騎士や衛兵らしき人たちが、大粒の汗を流していた。
屈強そうな男達が、打ち込み台を相手に剣を振るい、互いに激しく木剣を打ち合ったりと、真剣な面持ちで訓練に励んでいる。
「お、アドリアン。もしかしてそいつが、お前の言ってた例の息子か?」
広場の隅で休憩していたらしい一際体格の良い男が一人、僕たちに気づいて声をかけてきた。
「おうよ! 言っとくが本当に強いぞ?」
父さんが、満面の笑みで誇らしげに応対している。
……知らなかったな。こんな風に子供のことを自慢するだなんて。
親バカな一面があったんだ……。
「へぇ、随分と若そうなのに」
「本当にそんなに強いのか?」
「嘘つけよ、そもそも無理があるだろ」
別の騎士たちも半信半疑といった様子で、値踏みするような目でこちらを見ては、口々に好き放題言っていた。
「ようし、噂が本当かどうか、いっちょこの俺が稽古をつけてやるか!」
最初に声をかけてきた大男は、騎士で、名をベルガーというらしい。
その彼が、大きな声で名乗りを上げた。
「馬鹿なこと言うなベルガー。お前は、現役バリバリの騎士隊の小隊長だろうが! 子供相手に名乗りを上げてどうする。壊す気か? やらせるなら、もう少し若い奴にしてやれ」
周りにいた別の騎士が、呆れたようにベルガーさんとやらを諌める。
「ちげえねえ!」
「それもそうだな!」
皆がゲラゲラと、屈託なく豪快に笑い合っている。
なんだか、体育会系のノリみたいだな、ここは。
「じゃあ、そうだな……。おいミゲル! ちょっとこっちへ来い!」
ベルガーさんが、広場の反対側で黙々と素振りをしていた、若い兵士に目を付けた。駆け寄ってきたのは、年の頃はたぶん、十八か、十九くらいだろうか。まだ少年らしさが僅かに残る、真面目そうな顔立ちの青年。
「坊主、こいつはミゲルと言ってな。去年、騎士見習いとしてここに配属されたばかりの新人だ。まだまだ青二才だが、剣の筋はなかなか良い。今日はこいつに手合わせして貰い、色々と学んでいくがいい。いいなミゲル、お前にとっても指導は良い経験になる」
ベルガーさんが、有無を言わせぬ力強い口調で彼に命じる。
「は、はい。 分かりました!」
ミゲルと呼ばれた青年は、緊張で顔をこわばらせながら、僕に向かって背筋を伸ばし、深々と頭を下げた。
「ミゲルと申します。今日は、よろしくお願いいたします!」
「あ、はい。 こちらこそ、フェリクスと申します。よろしくお願いします!」
僕も慌てて、しっかりと頭を下げ返す。
礼儀は大切にしなくては。
道徳や礼節を失ったら、人も獣と同じになってしまう。
それに『謙虚にして驕らず』と、彼女と約束したからね。この誓いは、何も魔法だけが対象ではなく、全ての規範としていいはず。
さてと、試合稽古を始める前に少しだけ時間を頂戴して、アンリエッタさんの元へと向かおう。父さんから預かった、汗臭い(かもしれない)洗濯物や書類の入った荷物を、彼女に預かってもらうために。
「アンリエッタさん。これ、お願いします」
「はい、お預かりします。──ぼっちゃま、勝てそうですか?」
荷物を受け取りながら、尋ねてくるアンリエッタさん。
その蒼い瞳には揺るがぬ、強い光が宿っているように見えた。僕の勝利を信じて疑わない。そんな強い眼差しで。
「うーん、どうかな? 実は、歳が近い人と手合わせした経験がないんだよね。だから、さっぱりわからないや。でも、負けるつもりはないよ」
僕が正直な気持ちを答えると、アンリエッタさんは「ふふ」とようやく柔らかく、いつもの優しい笑みをこぼす。
「うふふ、心配はいりません。あなたは私の自慢のぼっちゃまなのですから。きっと、戦いが始まれば、私の言っていることの意味がすぐにわかりますよ」
彼女はそう言うと、ほんの少しだけ挑戦的な、それでいて自信に満ちた光を目に宿して、対戦相手のミゲルさんや、周りで談笑する騎士たちを見つめていた。
なんだろう、この表情は? 自分が手塩にかけた『とっておき』を、いよいよ衆目の前にお披露目するような……そんな心情なのかな?
アンリエッタさんのこんな表情を見るのは、本当に初めてかもしれない。
どこか誇らしげで、玲瓏たる魅力がある。
……これは、ますます負けられないな。
僕は両手のひらで自分の頬をパンッ! と叩いて気合を入れ、ミゲルさんが待つ練武場の輪の中心へと、確かな足取りで歩を進めていく。
目の前にはミゲルさんがいた。
稽古試合とはいえ、いよいよ、人生で初めての対人戦闘を迎えるというのに、不思議と心は凪いでいた。父さんや、アンリエッタさん以外の人と、初めての試みなのになぜだろう?
僕たちは互いにとって初めての対戦相手であり、相手の手の内や、実力はまるで分からない。されど、あくまで訓練の一環という建前もあってか、それとも年上の騎士見習いという立場ゆえか、戦いを告げる初撃はミゲルさんから放たれた。
僕を試すような。やや、速度を欠いた振り下ろしの一撃。
お前は避けるのか? 或いは受けてみせるか? これは、こちらの技量を見極めようとする測りの一撃だろう。
ビュッと、空気を割く音と共に迫る木剣を、僕は最小限の動きでひらりと躱す。アンリエッタさんの高速の突きに比べれば、全然大したことがない。
僕のインターヴェンションで強化され続ける、彼女の美しき肢体から放たれる超速の突きは、そら恐ろしいものがある。
僕があまりにも、あっさりと初撃を躱した瞬間、
「オオォォ……!」と、周囲を取り囲んでいた観衆から、驚きのどよめきが起こった。……ふむ、やっぱり大人たちの良い娯楽にされている気もするが、まあいい。現在の自分の実力が、この騎士団にどれくらい通用するのかを測る、絶好の機会でもあるのだから。
僕は強いのか、弱いのか。
強くなることを一身に願い、繰り返してきた僕の日々に、今日審判が下される。
初撃を容易く躱されたミゲルさんは、一瞬驚いたような表情を見せるも、すぐに表情を引き締め、まるでギアを一気に切り替えたかのように、剣速をグンッと上げてきた。二撃目、三撃目と、先ほどとは比較にならない速さで、鋭い剣撃を次々に放ってくる。
剣撃を大きな動作で避けると、それが逆に新たな隙を生むことになりかねない。それをアンリエッタさんとの日々の稽古で嫌というほど学んだ僕は、慣れない相手の急な速度上昇に最初こそ戸惑ったものの、ミゲルさんの四撃目以降の連続攻撃も、全て最小限の体捌きと受け流しで躱し続けた。
ヒュン、ヒュンと、僕の体のすぐ側を、彼の木剣が虚しく空を切り裂いていく。
「くっ……! やるな、フェリクス君!」
息を切らし始めたミゲルさんが、悔しそうに呟いた。
やるなって、これでもアンリエッタさんの普段の剣速に全く及ばないんだけど……。え? もしかして、有望な騎士見習いって、この程度のものなのか?
まだまだ本気じゃないんだよな? きっと、今から「ゴゴゴゴ……」って感じで、戦闘力がインフレしていく展開なんだろ? そうに違いない。
「おいおい坊主、避けてばかりじゃ勝てねーぞ?」
周囲から、そんな野次が飛んできた。まあ、確かに撃たれっぱなしも何だし、それに、さっきからのヤジも何だか少し気に食わない。
相手がまだ本気を出していないのなら、こちらから少し仕掛けて、その本気を引き出してみたい。そんな思いもあってか、僕はミゲルさんに対して、初めての攻撃をお見舞いすることにした。
よし、まずは、基本の真一文字に払う抜付でいくか。
僕は呼吸を整え、意識を集中させる。──瞬動一閃! 相手に瞬きする暇さえ与えない。僕の放つ、疾風の如き一撃は、ミゲルさんの防御の意識が追いつくよりも速く、彼の体を完璧に捉えた。
ズドンッ!!
重い衝撃音が、静まり返っていた練武場に響き渡る。
大気を切り裂き疾る、必殺の壱の太刀とでも言うべき一撃を、真正面から右胴にまともに食らったミゲルさんが、「ぐぅっ……!」と短い呻き声を上げながら、糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。
……あれ?
放った僕自身も驚いてしまうほどに、人生初の対人戦闘は、あまりにもあっけなく終了となってしまった。
「…………」
一瞬の静寂の後、練武場は割れんばかりの喧騒に包まれる。
「うおおおおおおおおお」
「い、いやいやいや……」
「おい、嘘だろ? ありえねえだろ、今の」
「なんだ? あのとんでもない剣速は!?」
「ミゲルが一撃だと!?」
「ちょ、あいつお前より強いんじゃないか?」
「馬鹿言え、俺は騎士だぞ。見習いと一緒にするな」
予期せぬ結末に、周りの騎士や兵士たちが口々に叫び、騒然となっていた。その喧噪を掻き分けるようにして、輪の中心へとベルガーさんがやって来る。
彼の顔には、驚きと、信じられないものを見たという困惑が、ありありと見て取れた。
「おいおい、坊主。こりゃあ、本当にまいったな……」
「はぁ、すみません、少し力が入りすぎたかもしれません」
「いや、そういう問題じゃねぇだろ……。片手払いとか、見たこともない型だぞ? あの不思議な構えもなんだ? 坊主が自分で考えたのか?」
前世で習った剣だから正確には違うのだけど……。困ったことに、そうは言えないときた。まいったな。どうしよう。
「……はい」
結局、こう答えるしかないよね……。
「かーっ、坊主、お前いくつだ?」
「もうすぐ、十六になります」
僕が正直に答えると、ベルガーさんは天を仰いで大きな溜息をつく。
「ではまだ十五か!? はっはっは! 末恐ろしいにも程があるわ!」




