1-65
続きです。
ただ俺は一人、取り残されたような気分でその背中を眺めている。
よろめくリサの背中を。
血まみれのその背中を。
血、血、血・・・・・・。
血ばかりが流れる。
さっきからずっとそうだ。
なんだこれは。
なんなんだこれは・・・・・・。
「いや、違うだろ・・・・・・」
違う。
今は俺は、そうあるべきじゃない。
俺を庇って、そして致命的な傷を負ったリサが、戦いに赴いているのだ。
おそらく俺の所為で始まった戦いに。
だったら、止めなきゃだろ。
俺が前に出て、リサを守るべきだろ。
駆ける。
前へ進む。
リサを追い越す。
「・・・・・・すみません。少し、冷静になれました」
「・・・・・・そうか」
「だから、リサは下がっててください。こんなことで死なせませんよ」
「ふふ・・・・・・そうか・・・・・・」
こんな時だと言うのに、何故かリサは笑う。
そして握った剣を振り抜いて見せた。
「リサ・・・・・・?」
こちらを向いて、リサは格好良く笑う。
「だがそういうわけにはいかねぇな! 行くぞ、マナト! このままリタもあいつらも全員助ける!」
手負とは思えないほどの機敏さで、残された兵士たちに突っ込んでいく。
「ちょ・・・・・・リサ!?」
驚く、が・・・・・・あれを止められないことを同時に悟る。
だから、俺もそれに追随するしかなかった。
鎧を蹴ってひと暴れするリサの、その横に並ぶ。
こちらに仕掛ける兵士の数は、この瞬間では二、三。
だから纏めて・・・・・・。
「・・・・・・叩く!」
輝く刀身。
迸る烈火。
それが兵士の鎧に赤熱する傷を作り上げた。
「くそ・・・・・・」
先程までの威力は出ないか。
だが、十分。
俺を殺せると思うな。
俺は生きるぞ。
炎で怯んだ兵士に、更なる追撃をする。
もう一度刀身を振るい、その鎧の機能を完全に奪った。
「クソ・・・・・・」
焦る兵士の表情が俺の瞳に映る。
しかしその意識を拳の一突きで奪った。
「怯むな! 見捨てられたとはいえ、これは最後の仕事だ! なんとしても時間を稼げ! 我ら自身の訃報をその戦果で持ってして帰りを待つ者たちにとって輝かしいものにしてみせろ!」
兵士の一声で、彼らも奮起する。
熱が高まり、その鎧の内の目に輝きを宿す。
人が、刃が、矢が、俺たちの命を奪おうと迫る。
死を覚悟した人間は、強い。
炎に身を飲まれるのを厭わず、こちらに接近してくる。
俺はその刃を、溶かし切って応じた。
しかしそれでも尚諦めない。
武器も失い、熱に鎧を歪め、中ではほとんど蒸し焼き状態のはずだ。
にも関わらず、こちらに迫り、そして遂には俺の腕を捕らえて見せた。
「う、ぐ・・・・・・ぉぉ・・・・・・!」
俺自身の皮膚が、熱された鎧に焼かれる。
こちらが熱を武器にしているのを逆手に取られた。
火傷を経験してこなかったわけではないが、今までの体験とはレベルが違う。
度を越した苦痛は、とても耐えられたものじゃない。
だがその痛みを、越す。
踏み越える。
両腕を掴まれたまま、その兵士の腹部を足の裏で思い切り蹴った。
溶けかけの鎧が兵士の腹部に押しつけられる。
その苦痛は、思わず俺を押さえる手を離してしまうには十分だった。
蹴られた衝撃を殺す兵士は、それでも尚その拳をこちらに向けてくる。
経験の差か、俺よりずっと体勢を立て直すのが早かった。
だが、その突き出した腕を突如飛来した氷の礫が切断する。
既に魔法の弓兵を一掃したリタが、こちらに加勢したのだ。
「すみません、治療は後でいいですね?」
「ああ。悪い」
礼を言うのと同時に、腕を吹っ飛ばされた兵士に向かって刃を突き出す。
切断しきるのに十分な威力はなくとも、突きはその体を貫いてみせた。
リタの加勢で、戦いが一気にスムーズになる。
把握するべき情報のその絶対的な数が少なくなり、だから話す余裕も生まれた。
「なぁ、リタ・・・・・・。足止めって言ってたけど、こいつらは俺らを足止めしてどうするつもりなんだ?」
刃を防ぎながら、リタに尋ねる。
リタは風で俺の炎を広がらせながら答えた。
「上を見てください」
「・・・・・・上?」
あまり余裕はないが、一瞬空を見上げる。
ほんの一瞬ではあったが、それでもその一瞥で異常は理解した。
上空に、巨大な氷塊が浮いている。
既にここから見える空を覆い尽くすほど巨大なそれは、今尚成長を続けていた。
「大型魔法です。外側の者たちが、この街もろともわたしたちを葬り去ろうとしている。・・・・・・つまり、わたしたちには制限時間があるわけです。あれが完成する前にここを抜け出さないと・・・・・・」
「抜け出さないと・・・・・・?」
「死にます」
なるほど。
つまり今優勢なようでも、実際はその通りではないというわけだ。
この戦い自体は完全に圧倒していても、脱出が叶わなければ彼らの勝利・・・・・・。
というか・・・・・・。
「やっぱりあの男騙してたのか・・・・・・」
どれだけそのことに腹が立とうと、あの男が居るのは壁の外だ。
この手が今は届かないのがもどかしい。
「とにかく・・・・・・こいつら全員しばいて外を目指さなきゃならないんだな・・・・・・」
兵士の数は外側より全然少ない。
だがしつこい。
とにかくしつこい。
向こうとしてはもう攻める手段を失っているに等しいのに、執念でなんとしてでも俺らを逃すまいとまとわりついてくる。
しかしリタはその首を横に振った。
「いえ、その必要は・・・・・・無いかもしれません」
「・・・・・・え? じゃあ、どうやって・・・・・・」
リタの視線は、空に向く。
氷塊の浮かぶ空に。
「飛びます」
「飛ぶ・・・・・・って・・・・・・」
何を言っているんだ、と思いかけていたところで、リタとの出会いを思い出す。
「あ・・・・・・」
空から落ちて来た俺を受け止めたのは、空を踏み締めて駆け上がって来たリタに他ならない。
「街の外ならともかく、おそらく中に魔法兵はもう残っていません。ここを抜け出すだけなら、可能かと・・・・・・」
「そうか・・・・・・」
その手があったか。
俺がそうして納得している間にも、リタが分厚い風を巻き起こして兵士を蹴散らす。
どれだけ彼らが踏ん張ろうとも、そんなことまるで意味をなさない風圧だ。
有言実行。
その隙にリタは俺の体をあの時と同じように脇に抱え、そして兵士と一緒に風に吹き飛ばされたリサもさらった。
「お、おっと!? なんだ!?」
ただいきなり吹き飛ばされてさらわれただけのリサは状況に理解が追いつかない。
「・・・・・・ついでに二人とも治療しておきますね」
リタは特にリサの疑問に答えはせずに走り出した。
それを見逃すはずもなく、わらわらと兵士たちが追ってくる。
中には鎧を脱ぎ去ってから駆け出す者も居た。
「リタ・・・・・・!」
「分かってます」
リタの踏み出す足が、大気をとらえ始める。
階段を登るように、一歩ずつその高度が増していく。
迫る兵士の手は・・・・・・届かない。
しかし・・・・・・。
「・・・・・・ダメだ、魔力が正常に流れてない。大型魔法に何らかの妨害も絡められてます」
せっかくある程度の高度に達したというのに、階段を踏み外したかのように高度が下がってしまう。
「こ、れは・・・・・・?」
俺たちを抱えるリタの表情は苦いものだった。
「まずいです」
やむ無しと言った具合に、リタは地上に戻る。
それでも俺たちを抱えたまま出口を目指した。
風が耳元で騒ぐ。
景色が素早く流れる。
追い縋る兵士を置き去りにして。
これなら間に合う、と思うが・・・・・・しかしリタの表情は依然冴えない。
それは出口である門にたどり着いてから分かった。
硬く閉ざされた門。
それは硬く分厚い氷に覆われている。
完全に凍りついているのだ。
その門の前で、リタは俺たちを脇から下ろす。
そして俺の方を向いた。
「マナト、やれますか?」
「え・・・・・・あ、そうか」
一瞬「何を?」と思った自分が恥ずかしい。
俺はすぐさま、再び炎の剣を顕現させた。
リタも同じように、両の手のひらの中に炎を生み出す。
視線を交わして頷き合う。
そしてタイミングを合わせて、立ち塞ぐ氷に炎を放った。
叩きつけられた炎はその氷に素早く伝わる。
多少分が悪い戦いではあったが、氷の内側まで熱は侵入しそれを打ち砕いてみせた。
間に合った。
そう確信したのも束の間、驚異的なスピードで再び氷は形成され始める。
「な・・・・・・」
「なにせ向こうは人数だけは多いですから・・・・・・修復も容易でしょう」
言いながらリタは再生仕掛けの氷を蹴り壊す。
そして俺とリサの背を押した。
そしてリタ自身は一歩下がり、体の向きを変える。
その視線の先には、とうとう追いついて来た兵士たち。
「二人は、はやく・・・・・・!」
リタは彼らの前に立ち塞がってそう叫ぶ。
「させるかよ・・・・・・!」
しかし、俺たちへの指示、そのほんの一瞬の間隙を、鎧を捨てた兵士は見逃してくれなかった。
他の誰でもない、リタを狙って亡骸と共に転がっていた折れた刃を突き出した。
「・・・・・・!」
リタはそれに気づく。
気づいたのだが・・・・・・。
俺たちの目の前で、リタのローブが不自然に盛り上がる。
リタの腹部を貫通した刃が、ローブを内側から押し上げたのだ。
「・・・・・・っ!」
リタは声にならない声を上げて、膝をつく。
“怪物”を仕留めた兵士たちは、大いに湧きあがった。
「あ・・・・・・」
絶対に崩れないと思っていたものが、目の前で崩れる。
この戦場で散々見せつけられて来たリタの強さ、それが敗北したのだ。
そして、唖然としていた俺たちにも、刃は降りかかる。
驚愕のあまり明らかな隙を晒してしまっていた俺とリサは、脇の瓦礫の影から兵士が迫っているのに気づきもしなかった。
「がっ・・・・・・!?」
「クソが・・・・・・!」
自分の体を刃が貫いている。
冷たい金属が体内に侵入しているはずなのに、その傷は焼けるように熱かった。
やがてその熱は、鮮烈な痛みとなる。
リサも俺も、リタと同じように倒れふした。
その衝撃がまた激しい痛みをもたらすが、それを緩和することもまた出来ない。
満足に体が動かせないのだ。
リタは血液を水溜りのように広がらせ、それでも突き刺さった剣を引き抜こうと体を震わせている。
リサは、俺より一瞬早く凶刃に気付き対処しようとしたのが裏目に出て逸れた剣尖によって喉を裂かれてしまっていた。
おそらく、絶命している。
「・・・・・・」
死ぬ、のか・・・・・・?
兵士たちはもはや目的は果たした、とトドメを刺そうとはしない。
ただ未だ身動きの取れているリタを警戒しながらも、その時を待っていた。
体を起こせないまま、俺の視線は空の氷塊を捉える。
それは、何かが満ち足りたように不思議な輝きを内に秘めていた。
兵士たちは安堵したように、その最期に浸る。
それを見て、悟る。
ああ、来るのだ・・・・・・と。
この状況を覆しうるのは、神様から貰った力の“制限解除”だけ。
街が死に、リサが死んでしまった今、その大きすぎる力を解放することで失うものももう無い。
なのに血液が喉に詰まって、その起句に当たる言葉を発せない。
最期まで俺は役立たずのまま、結局神様の言葉も守れず・・・・・・終わる。
全ては結局、運命に弄ばれるままだ。
そして、空の氷塊が落下を始める。
あれだけ粘ったのに、希望は見えていたのに、全てが瓦解するのはあっけないものだ。
瓦解・・・・・・。
崩れ去る。
何が?
それは・・・・・・空を塞ぐ、巨大な氷の塊が。
「・・・・・・!?」
驚愕する。
何が起きたのか理解できない。
ここを葬り去らんとしていた塊が、その質量が、前触れなく崩壊したのだ。
全てを受け入れる構えをとっていた兵士たちも、その有り様に目を向く。
そして、誰もが口を開けて空を見上げる中・・・・・・リタが遂に自らの体から刃を抜き去る。
傷口からごぽりと血液が一気に噴き出すが、患部を手で覆えば瞬く間にその傷は塞がっていった。
まだ痛みの余韻が残っているのか、よろよろと立ち上がり、そして自らを貫いた剣を地面に投げ捨てる。
その音に兵士たちはハッとするが、しかし今更何をしていいか分からないようだった。
そうしてリタは俺に歩み寄ってくる。
リタが俺に刺さっていた剣も引き抜いたようで、その時だけ瞳が裏返るほどの痛みが走るが、そこからは徐々に苦痛は消えていった。
「う、ぐ・・・・・・げほ・・・・・・」
正常な機能を取り戻した俺の体は、喉の奥に溜まっていた血液を吐き出す。
そうして再び呼吸は酸素を取り込み始めた。
「あ、れは・・・・・・」
空で起きた異常を見つめながら、まだ本調子ではない体で呟く。
空で瓦解した氷塊、その砕けた破片は落下することなく何かに吸い込まれていくように消えていく。
一方リタは、リサに手を触れてその目を伏せていた。
俺の視線に気づいたのか、リタは首を横に振る。
分かってはいたが、やっぱり仲間に死なれるのは簡単には飲み込めなかった。
形の崩れた氷塊は、その大きさを徐々に小さくしていく。
そしてとうとう、この異常自体の正体があらわになった。
氷塊を内側から破壊し、完全に消し去って見せた・・・・・・闇。
歪んだ光に縁取られた球状の虚無。
俺はそれを偶然にも知っていた。
リタにたまたま見せられた本に記されていた、重力魔法。
未だ実現されたことのない、禁術だ。
「虚。・・・・・・お姉ちゃん、ですね。これは」
リタがその光景を見て呟く。
リコ・・・・・・は、まだこの街に居たのだろうか。
そして、彼女は自らの思想に反して魔法を使った。
おそらくその訳は、リタが致命的な傷を負ったためだろう。
リコの手によって生み出された、いわばブラックホール。
それは氷塊を破壊し尽くすと、その姿を消す。
しかし、それは終わりではなく始まりだった。
最後の手段さえ失敗に終わり、もはや立ち尽くすのみの兵士。
その体が、前触れなく潰れた。
水風船が弾けるみたいにほとんど液体のようになって弾けてしまう。
それは一人ずつだが、着実に執行されていく。
鎧を着ていようがいまいが関係ない。
容易く潰されていく。
そしてその人体が破裂するリズムが止んだ頃、この場所で生きている人間は俺とリタだけになった。
外側はどうなっているかと門を見ると、凍結の再生は途中で放棄されたままになっている。
リタが半端に凍った門を手で押して強引に押し開く。
すると外側にも同じように血液の海が出来ていた。
ただ、遠くの方に追いきれなかった兵隊が逃走していくのも見える。
あそこまでは届かないのだろう、リコの魔法も。
「おそらく・・・・・・氷塊が壊された時点で逃げましたね。街のみんなは・・・・・・」
「既に居ない、か」
血の海が広がるばかりで、人は居ない。
連れ去るべきは連れ去ったというわけだ。
嵐は去った。
だがここに、何が残った?
虚しさだけが心に重く沈み込む。
「・・・・・・無くなっちゃったな、全部」
「・・・・・・。無くなっちゃいましたね。何もかも」
俺たちは生き残った。
生き残って・・・・・・でも嬉しくなくて・・・・・・。
けど、フォスタの言葉を受け取った今、死ぬつもりもない。
全てを失い、ただ生きねばならない、それだけが残った。
「・・・・・・お姉ちゃんに会いに行きましょう」
「ああ・・・・・・そうだな。助けてもらったんだから、お礼言わないと・・・・・・」
何もかも、あらゆるものが抜け落ちてしまって、俺らが交わす言葉に抑揚は無い。
表情も、筋肉が死んでしまったみたいに変わらない。
魔法の射程からして、リコはおそらくこの街に居る。
やっと静寂が訪れた街を、リタと並んで彼女たちの家があった場所を目指した。
続きます。




