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知らない誰か

 





 あれから二週間。三日に一度、わたしとセレストさんは仕事終わりに魔道具部に立ち寄っている。


 チューリップは相変わらず綺麗に咲いていて、枯れる気配がない。


 魔道具部の人が言うには『夜に弱い精霊が休みに来ている』ようで、まだしばらくは枯れないだろうということだった。霊花は普通の植物とは色々と違うらしい。


 書類の入った封筒を抱えつつ、第三救護室に向かう。


 ……仕事中でもセレストさんに会える。


 第三救護室の書類を届けるのは、番がいるわたしの仕事だ。


 それに第二警備隊の建物の中なら一人で動き回ってもいいし、迷子にもならない。


 アンナさんは今、手が離せないらしく「一人で持って行けますか?」と心配してくれたけれど、第三救護室までの道のりはきちんと覚えているし、書類もこれくらいなら運べる。


 実は、セレストさんの仕事中の姿を見るのが好きだ。


 いつもは穏やかで優しいセレストさんが、真剣な表情で治療したり書類を書いたりしている時の横顔がとてもかっこいい。それで、わたしの視線に気付いて微笑んでくれると幸せな気持ちになる。


 第三救護室の人達も気さくで優しいから好きだ。


 目的地に着き、扉を叩こうとしたら中から声がした。




「セレスト、あんたかっこよくなったじゃん!」




 若い女性の声に手が止まる。


 少し開いたままの扉から、思わず中を覗いてしまった。




「いやぁ、本当残念! セレストがあたしの番だったら良かったのに〜!」




 中にはセレストさんとエルフだろう人がいるのが見えた。


 声からして、こっちに背中を向けているエルフの人は、セレストさんと同じか少し若いと思う。


 バシバシと遠慮なくエルフの人がセレストさんの腕を叩く。




「痛いですよ。……それにしても、お久しぶりですね」


「七十年ぶりだっけ? グランツェールも少し変わったね〜」


「あなたはあまり変わりませんね……」


「何だと? 年頃の女性に向かって失礼だぞ〜?」




 苦笑するセレストさんの腕を、エルフの人が先ほどより今度は軽く叩く。


 その様子はとても気安い雰囲気があり、親しげだった。


 ……誰……?


 後ろ姿しか見えないけれど、覚えのない人だということは分かる。


 ズキリと胸が痛み、とっさに扉から離れてしまった。


 中から楽しそうな話し声が聞こえてきて、気付けば駆け出していた。


 ……見たくない、聞きたくない……!


 書類を抱えたまま、廊下を走る。


 誰かの「走ると危ないぞ!」という声が聞こえたのに、足が止まらない。


 胸が苦しくて、つらくて、悲しくて、怒っているのか苛立っているのか自分でも分からないくらいぐちゃぐちゃな感情に振り回されて、とにかく第三救護室から離れたかった。


 ……セレストさん、その人は誰? 何でそんなに親しそうなの?


 セレストさんは基本的に優しいが、女性に対しては一歩引いたところがある。


 竜人は見目も良くて能力も高いから、番でなくても恋人になりたいと思う人も多くて、それを知っているからいつだってセレストさんは女性に勘違いをさせるような言動をしないように気を付けていた。


 わたし以外で、あんなふうに女性に触れられるのを許してる姿は初めて見た。


 仲の良いヴァランティーヌさんですら、不要な接触はしないのに。


 ……わたしはセレストさんの番なんだよね? でも、じゃあ、あの人は?


 あんなに親しげなのはどうしてなのだろう。


 走り続けていると、廊下の角から誰かが出てきた。




「うわっ!?」




 ドンッと人影にぶつかり、地面に尻餅をついてしまう。


 手も痛いし、お尻も痛いし、ぶつかった額も痛い。


 でも、それ以上に心が痛かった。




「って、セスの番か。大丈夫か?」




 声をかけられ、顔を上げればウィルジールさんがいた。


 セレストさんの親友で、幼馴染で、同僚で──……。


 ウィルジールさんの金色の瞳にセレストさんが重なり、もう耐えられなかった。




「えっ? もしかして、どこか怪我したのかっ?」




 視界がにじみ、ボロボロと涙がこぼれ落ちる。


 人気がなくて、ここにはわたしとウィルジールさんしかいない。


 ウィルジールさんの問いかけに首を横に振る。




「セスのとこ、行けそうか?」




 その問いに更に涙があふれる。


 もう一度、さっきよりも大きく首を横に振れば、ウィルジールさんの困ったような声がする。




「何かあったのか? セスと喧嘩……はないよな?」




 服の袖で拭っても涙が止まらない。


 わたしがわたしになってから、こんなに泣いたのは多分初めてだ。


 自分でもどうすればいいのか分からなくて。


 感情のせいなのか、それとも涙のせいなのか、息苦しくて少し頭が痛い。




「あー……セスのとこには行きたくない?」




 ウィルジールさんが屈み、わたしに訊いてくる。


 それにわたしは泣きながらも頷き返す。


 頭を掻いたウィルジールさんが「まあ、言い訳は何とかなるか」と言った。




「ちょっと触るぞ」




 という声と共にバサリと何かがかけられる。


 それがウィルジールさんの上着だと気付くのと同時に抱え上げられた。




「ヴァランティーヌのとこは? ……そっちもダメか」




 ウィルジールさんの問いに首を振れば、少し面倒くさそうな声音が呟く。


 そうしてしばらく歩き、ガチャリと音がして、ふわりと外の風が流れてくる。


 ヒョイと下され、上着が剥がされるとどこかの渡り廊下だった。窓ガラスがない吹き抜けと外の景色から、多分建物の最上階付近だろう。この建物に屋上はないが、それに近い休憩所だと思う。


 木製の長椅子の上にわたしは座っていた。


 一人分の距離を空けてウィルジールさんがドカッと座る。


 その手にはわたしが落とした封筒があり、わたしとウィルジールさんの間にそれが置かれた。




「何があったんだ?」




 訊かれて、話そうとしたけれど、言葉が出てこない。


 代わりにまたボロボロと涙が出てきて、ウィルジールさんがギョッとした顔をした。


 俯けば、膝の上に涙が落ちていく。




「……とりあえず、涙拭けよ」




 差し出されたハンカチに顔を上げれば、ウィルジールさんが顔を背けたまま言う。




「その顔だとすぐには戻れないだろ」




 ハンカチを受け取り、顔に押しつけるとセレストさんとは違う匂いがした。


 それが余計に悲しくて泣くわたしの横で、ウィルジールさんは黙って座っている。


 慰めるとか、話を聞くとか、そういうことはないのに立ち去るわけでもない。


 ……多分、わたしをここに一人で残していけないから……。


 ウィルジールさんは親友セレストさんの番であるわたしを放ってはおけないから。




「……ごめ、なさ……っ」


「……一応訊くけど、泣いたのは俺が原因じゃないよな?」




 頷き返せば「それならいい」とウィルジールさんが長椅子の背もたれに寄りかかる。


 こんな感情は初めてで、胸が押し潰されそうなくらい苦しい。


 でも、これが何なのか分からなくて余計に苦しくて、つらい。




「……セス関連か?」




 それに何とか頷き返した。




「セスは君が泣いてるって知ってる──……わけないか。番が泣いてるの知ってて放置するような奴じゃないし、そもそも番を泣かせるようなことはしないはずなんだけどな……」


「……セレ、ト……さん、悪く、ない……」


「でも、セス関連なんだろ?」




 返事の代わりに喉が引きつって、ひっく、としか出てこなかった。




「あー……とりあえず、深呼吸して落ち着け。セスに関係することだとしても、君が泣いたままだと俺がセスに責められる。……番を傷付けられた竜人がキレるとヤバいんだ。特にセスみたいに理性的な奴ほど、本気で怒ると怖い」




 ……確かに、普段怒らない人が怒ると怖いって前世でも聞いたことがある。


 思わず、ふふっ、と笑うとウィルジールさんがホッとした様子で小さく息を吐いた。


 目を閉じてゆっくりと深呼吸をする。まだ胸が苦しい。でも、さっきより呼吸ができる。


 第三救護室で見た光景を思い出すと手が震えるけど、握って誤魔化す。


 五回くらい深呼吸を繰り返して、ようやく涙が止まった。




「落ち着いたか?」


「……はい……」


「治癒魔法、あんまり得意じゃないけどかけといてやるよ」




 ウィルジールさんが詠唱をして、顔にふわりと温かな感覚が広がる。


 鼻水は止まらないが、腫れて熱かった目元は戻ったようだ。


 鼻をすすっているとウィルジールさんが顔を正面に向けたまま言う。




「それで鼻かんで、そのゴミ箱に捨ててくれ」




 その言葉に従ってありがたくハンカチで鼻をかませてもらった。


 それでスッキリした。ハンカチは横のゴミ箱に捨てた。


 さすがに鼻をかんだものを洗ったとしても、返されたら反応に困るだろう。


 もう一度深呼吸をして、背筋を伸ばす。




「君が働いてるのは第四事務室だったよな? 他の奴も心配するし、またどこかにフラフラ行っても困るから、そこまで送ってってやるよ。この書類も俺がセスに届けて上手く取り繕っておく」




 ウィルジールさんが封筒を持って立ち上がろうとした。




「……何で……?」


「ん? ああ、まあ、俺は番がいないから分からないけど『番だから』って何でも互いに分かり合えてるわけじゃないし、隠し事しちゃいけないって決まりもない。君は一番セスを信頼していて、それでもセスに話せないのは何か理由があるんだろ?」




 ……ウィルジールさんはいつもは意地悪なのに……。


 てっきりセレストさんのところに連れて行かれるかと思ったが、そうならなかった。




「……ごめん、なさい……ウィルジ、ルさん、ありがとう……ございます……」




 ウィルジールさんは悪い人ではない。


 ちょっと捻くれてるし、親友大好きだけど、わたしのことを気遣ってくれた。


 前にフレーズを食べられてわたしが怒った時も、その後にきちんとフレーズのお菓子をくれた。




「いいって。ただ、セスは聡いから君が何かに悩んでることはすぐに気付くと思うぞ?」


「……分かって、ます……」


「そうか。それなら、もう俺が何か言うことはないな」




 今度こそウィルジールさんが立ち上がったので、わたしも長椅子から立ち上がる。


 歩き出すウィルジールさんを追いかけた。


 ゆったりと歩いてはくれるものの、セレストさんのように歩調を合わせてくれはしない。


 しばらく歩くと見慣れた廊下に戻り、第四事務室に辿り着く。


 ウィルジールさんが扉を叩き、ややあって内側から扉が開けられる。




「あら、ユイちゃん……えっ、どうかしたんですかっ?」




 治癒魔法をかけてもらってもまだ涙目のわたしと横にいるウィルジールさんを、アンナさんが見比べる。




「あー……俺の不注意でこの子と廊下でぶつかったんだ。治癒魔法はかけたから怪我はないと思う。ただ、結構な勢いでぶつかったから転んだ時に痛かったみたいでさ。番のセス……セレスト=ユニヴェールとは友人だから、こっちから説明しとく。とりあえず、一人にさせられないから連れてきた」


「そうだったんですね……。ユイちゃん、救護室には行かなくて大丈夫ですか?」




 ウィルジールさんが説明して、アンナさんが心配そうにわたしの手を取る。


 それに頷き返せば、アンナさんが「隣の給湯室で休んでいいですよ」と言ってくれた。


 わたしの今日の仕事は大体終えていたので、その言葉に甘えさせてもらい、隣の給湯室に移動する。ウィルジールさんは「じゃあな」とだけ言って去っていった。


 アンナさんが紅茶を用意してくれて、給湯室の椅子に座って休む。




「あの、わたしは大丈夫です。少し休めば、平気です」


「そうですか? もし具合が悪くなったら声をかけてくださいね」




 と、心配するアンナさんを何とか事務室に送り出し、息が漏れる。


 思い出すとまだ苦しいし、つらいし、頭も痛いし、体が震えるけど、大丈夫。


 ……痛いのも、苦しいのも、我慢できる……。


 でも、戦闘用奴隷だった時とは違う苦しさと痛みだった。






* * * * *






「セス、ちょっといいか?」




 親友の番を職場に送り、一時間ほど経って六の鐘が鳴った頃に第三救護室に寄った。


 そこにはセレストがいて、いつも通り、椅子に座っている。


 近づくと親友がハッとこちらを凝視したので、封筒を机に置いた。




「どうしてユイの匂いが、ウィルから……?」


「ああ、それについて、まずはごめん。俺の不注意でぶつかって、セスの番が転んだ」




 ガタッと親友が立ち上がったので慌てて手で制する。


 今、事務室にセレストが行くと番と顔を合わせることになる。


 親友の番は落ち着いたばかりなので、もう少し時間を置いたほうがいいだろう。




「待て待て! 番のほうは大丈夫だ! 怪我はなかったし、一応治癒魔法もかけておいた。ただ、結構な勢いでぶつかったから痛かったみたいで、セスの番がちょっと泣いてな……もちろん、こっちに来るか訊いたんだけど『セスに心配をかけたくない』って言うから事務室に送ってきた」




 番が無事だということに、安堵した様子で親友が椅子に戻る。


 ……終業までには番のほうも落ち着くだろ。




「そうだったんですね。……ユイを送ってくださり、ありがとうございます」


「いや、こっちこそぶつかって悪かったな。ヴァランティーヌのとこの子もそうだけど、足音が小さいから気付かなかった。……あと番に触って悪い。派手に転んだから、思わず抱き起こしたんだ」


「そうですか……」




 ウィルジールから番の匂いがするのが気になるらしい。


 落ち着かない様子の親友に、ウィルジールは立ち上がった。




第三救護室ここの浴室、借りてもいいか? このままだと落ち着かないだろ?」


「すみません、ウィル……」


「いいって。ついでに、昔みたいに服も洗っておいてくれよ」




 昔、子供の頃によく服を汚して大人達に叱られた。


 だから叱られないよう、帰る前に水魔法が得意なセレストに服を洗ってもらうのが子供の頃は当たり前だった。他の仲間と街のあちこちに行って汚した服を親友はいつも洗ってくれた。


 それを思い出したのか親友が小さく笑った。




「ええ、分かりました」




 ……下手に拗れないといいけど。


 これに関して、ウィルジールはあえて口出しをしないことにした。


 こういうことは第三者が口を挟むと余計にややこしくなるものだ。


 二人で話し合って解決するのが一番良い。






* * * * *

来週16日はコミカライズの更新日ですので、お忘れなく!(*´꒳`*)


別作品ですが「ミスリル令嬢と笑わない魔法使い」書籍第六巻が本日6/10より配信開始となります!

電子書籍のみではありますが、是非お楽しみください(´∪︎`*)

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― 新着の感想 ―
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