謎(1)
書類の入った封筒をいくつか抱えながら、前を歩く背中についていく。
「ユイちゃん、手伝ってくれてありがとうございます」
ふんわりした可愛い兎獣人のその女性アンナ=ドゥネーヴさんは、わたしが働いている第四事務室の先輩である。
春から夏になるこの時期は新しい武器や備品の購入が増えることもあって、事務は大忙しだ。
特に今は入ったばかりの新人の武器や制服、訓練や仕事で必要な備品の必要数が一気に増えるから、毎日計算書類と戦っている。ヴァランティーヌさんからもらった計算機が大活躍だ。
そうして、確認して各場所に戻すものや不備のあったものをまとめて持って行くのも仕事だった。
これは手が空いた人が行うことになっており、わたしも書類の確認作業が終わったところだったので一緒に運ぶことにしたのだ。
……それに、渡す相手はヴァランティーヌさんかシャルルさんだし。
ちなみに第三救護室に書類を持っていくのはわたし担当になっている。
セレストさんがいるから、あえてそうしてくれているのだろう。
「毎年のことですが、この時期が一番忙しくて大変ですね」
「計算機がすり減りそうです」
「ふふ、確かに。ユイちゃんの計算速度は第四事務室一番ですからね」
仕事中の第四事務室は計算機を使うパチパチという音があちこちからするので、他の人からするとちょっと異様な雰囲気に感じるらしい。みんな集中しているから、静まり返っている中で計算機と書類を捲る音、書く音だけが響くのは怖いのだとか。
……計算、間違えるとやり直しだから。
お互いに他の人の邪魔をしないように気を付けているだけなのに。
アンナさんと二人で他のところにも書類を置きに回りつつ、訓練場近くにある研修室に向かう。
ヴァランティーヌさんはこの時期だといつもここにいて、新人隊員の教育に携わっている。
部屋の扉を叩けば、中から「どうぞ」と声がする。
アンナさんが扉を開けた。
「失礼します」
「失礼します」
アンナさんの後に続いて部屋に入ると室内にはヴァランティーヌさんとシャルルさんがいた。
「書類のお戻しにまいりました」
「ありがとうございます。……ああ、丁度この間の書類が返ってきたね」
ヴァランティーヌさんが封筒の中身を確認する。
その目の前には人の形をした木製の人形みたいなものが立っていた。
うっすら顔に凹凸があるものの、何だか不気味である。
わたしがまじまじと見ているとシャルルさんが教えてくれた。
「これは訓練用の魔道人形だ。ある特定の動きを覚えさせ、それを繰り返す」
「動きを繰り返す……」
「そうだ。体術などの基礎を覚えさせておけば、ヴァランティーヌや俺がいない時でも新人が訓練をしやすくなるからな。新人同士でいきなり手合わせをして、加減が分からず大怪我することもあるんだ」
だから、まずは体術や戦いの基礎を覚えさせた人形と訓練を行わせる、というのを考えているらしい。
見た目の不気味さはともかくとして、こういう魔道具も作れるのかと驚いた。
わたしが熱心に見ていたからか、シャルルさんが「触ってみるか?」と言ってくれた。
まだ試作段階なので複雑な動きは組み込んでいないらしい。
魔力を注がなければ動かないそうなので、触るくらいなら大丈夫だろう。
そっと触ってみると滑らかな木の感触がした。
人が触ることを考えているからか、丁寧に表面を仕上げてあるようだ。
ミシ……と何かが軋むような音がした。
瞬間、ガバリと視界が黒一色に染まった。
「ユイ! シャルル!?」
慌てたようなヴァランティーヌさんの声がして、遅れて、シャルルさんが何かからわたしを庇っているのだと分かった。
…………緑……?
シャルルさんの大きな肩越しに緑と茶色が見えた。
「大丈夫かいっ!?」
「ああ、俺達は問題ない」
駆け寄ってきたヴァランティーヌさんがわたしの体を触り、怪我がないことを確認する。
一体、何が起こったのか全く分からなかった。
アンナさんも驚いた顔で固まっている。
「……木?」
木製の人形があったところに、枝分かれした木が生えていて、人形が埋まっている。
ヴァランティーヌさんが木に触れて驚いた顔をした。
「人形の木が再生したみたいだねぇ……」
「木が再生? どういうことだ?」
「アタシもよく分からないさ。……植物の中には根が残ってるとまた生えてくるものがあるだろう? あれと同じことが起こったみたいだけど、アンタ達、何をしていたんだい?」
ヴァランティーヌさんに問われて、シャルルさんと顔を見合わせる。
「わたしが人形に触りました」
「ああ、ユイが人形に触れたらこうなった」
今まで何ともなかったということは、最後に触ったわたしが原因としか思えない。
……でも、どうして……?
今まで植物や木を使ったものに触れてもこんなことは起こらなかった。
ヴァランティーヌさんが不可解そうに眉根を寄せる。
「理由は分からないけれど、人形を使っての訓練は見直したほうが良さそうだね。急に再生するなんて危なくて使えたもんじゃないよ。誰かが巻き込まれたら大変だ」
「ああ、そうだな。こうなった原因が分かるまでは使用しないほうがいい」
そうして、ヴァランティーヌさんがわたしの肩に触れた。
「ユイ、怖くなかったかい?」
「ビックリしたけど、大丈夫です。シャルルさん、ありがとうございます」
シャルルさんを見上げれば、首を横振られた。
「いや、ユイに怪我がないならいい。俺は頑丈な鱗があるから問題ない」
シャルルさんも怪我はなさそうだった。
「……あの、ごめんなさい。わたしが触ったら壊れました……」
「ユイのせいじゃない……と言いたいところだけど、最後に触ったのがユイなら、何か関係がありそうだね。これについてはアタシ達のほうで調べてみるよ」
ヴァランティーヌさんが顔を上げ、困った様子で腰に手を当てた。
「それはともかく、これはどうしたもんかねぇ」
室内なのに、床に根を張った木が堂々とそこに立っていた。
* * * * *
「──……っていうことがあってね」
昼食の時間、ヴァランティーヌさんとシャルルさんがセレストさんに説明をしてくれた。
わたしはセレストさんの膝の上に座っていて、ギュッと抱き締められている。
「すまない、とっさにユイに触れてしまった」
シャルルさんが浅く頭を下げ、セレストさんが首を横に振った。
「いえ、ユイを守ってくださり、ありがとうございます」
どうやらシャルルさんがわたしを庇ってくれた時に匂いがついてしまったそうで、セレストさんがわたしを抱き締めて改めて『匂いづけ』をしている。
わたしには分からないけど、セレストさんやシャルルさんは分かるようだ。
話しながらもセレストさんがわたしに食事を食べさせてくれる。
……わたしから異性の匂いがして不安みたい。
でも、今回はわたしを守ろうとしてのことだからセレストさんも納得したのだと思う。
「しかし、ユイが触れたら再生したというのも不思議な話ですね」
セレストさんが小首を傾げる。
「アタシやシャルル、他のが触っても何ともなかったんだけどねぇ……」
ヴァランティーヌさんとシャルルさんも首を傾げている。
「もしかしたら他の魔道具も同じ反応をするかもしれないし、改めて試してみたいんだけど……ユイは大丈夫かい? もちろん、試す際にはセレストにも立ち会ってもらうつもりだけどね」
「わたしは大丈夫です」
セレストさんを見上げれば、困ったような顔をしながらもセレストさんが頷いた。
「ユイが良いと言うのであれば」
「すまないね。でも、きちんと調べておかないと他の誰かでも同じことが起こるかもしれないから、こういうことは放置しておけないんだよ」
確かに、あの木の成長に巻き込まれたら怪我では済まないだろう。
何が原因なのかはっきりさせてくれたほうがわたしも安心だ。
* * * * *
帰り道、セレストさんと腕を組みながら駅までの道を歩いて帰る。
……魔道具、やっぱり壊したのはわたしだよね。
普段の生活で魔道具というものはあまり見かけない。
魔道具は基本的に高価で、日常で使われているものもあるけれど、ヴァランティーヌさんが試作と言っていたので手間やお金をかけて作られたもののはずだ。
それを、わたしが壊してしまった。
ヴァランティーヌさん達は何も言わなかったが、きっとがっかりしただろう。
駅に着くと、丁度馬車が来た。
でも、木製の馬車に触れるのが怖くて、一瞬躊躇ったわたしをセレストさんが抱き上げて馬車に乗せてくれた。椅子や机も心配だったが、馬車のほうが明確に『怖い』と感じた。
もし、わたしが触れたことで馬車の木材が再生したらどうなるだろうか。
それが頭を過ぎって、体が震えた。
横に座ったセレストさんがわたしの手をそっと握る。
「ユイ……」
心配そうに名前を呼ばれて、わたしはセレストさんに寄りかかった。
「魔道具を作り直すの、わたしのお給金で何とかできる……?」
「あなたが支払いをする必要はありませんよ。元々欠陥があり、偶然ユイが触れたことでそれが表面化しただけかもしれません。ヴァランティーヌ達も何も言わなかったでしょう?」
「……みんな、優しいから言わないだけかも……」
魔道具を壊してしまった上に、室内に木が生えてしまった。
あの木を片付けなければいけないだろうし、魔道具も作り直しだ。
セレストさんの大きな手がわたしの頭を撫でる。
「ユイは成人したのですから、皆も言うべき時は言いますよ」
……本当にそうだろうか。
わたしは相変わらず小さくて、細くて、子供みたいだから気を遣ってくれているのではないか。
そう思うと心にずっしりと重しが圧しかかるような気がした。
最近は事務の仕事も一人で任されるようになって、浮かれていたのかもしれない。
馬車が停まり、家の近くの駅で降りる。
降りる時もセレストさんが抱えて降ろしてくれた。
駅から少し歩き出したところで、セレストさんが立ち止まる。
顔を上げれば、そこは花屋さんだった。
「ユイ、花を買いましょうか」
セレストさんを見上げれば、微笑み返される。
「チューリップはいかがですか? 以前は公園に行きませんでしたが、こうして花屋にあるものを買って眺めるのも良いものですよ」
と、セレストさんが近くに置いてあったチューリップの束を手で示す。
赤色や黄色、ピンクなどの可愛いチューリップが綺麗に咲いている。
セレストさんが屈み、赤いチューリップの花にそっと手を添える。
わたしもそばにしゃがみ込む。
「……可愛い」
「ええ、ふわふわした花びらが可愛いですね」
二人で眺めているとお店の人に声をかけられた。
「ああ、それは今日咲いたばかりなので一、二週間くらいは楽しめますよ」
「一本だけでも買えますか?」
「はい、もちろん。お包みしますので、少々お待ちください」
「お願いします」
お店の人が近づいてきて、セレストさんが選んだ赤いチューリップを一本だけ抜くと、お店の中に持っていく。
セレストさんが立ち上がり、大きな手が差し出される。
「大丈夫ですよ、ユイ」
セレストさんに『大丈夫』と言ってもらえると安心する。
その手を取り、引き上げてもらう。
「セレストさん、赤色のチューリップが好き? 一本でいいの?」
黄色やピンクもある中で、セレストさんは赤いチューリップを迷いなく選んだ。
わたしが問うと優しく繋いだ手が握り返される。
「私がユイに贈るのにぴったりな花言葉なので」
そう言ったセレストさんは微笑んでいた。
意味を教えてもらう前にお店の人が戻ってきた。
可愛らしい薄ピンク色の布で包まれたそれをセレストさんが受け取り、わたしに差し出す。
つん、とチューリップに触れてみたけれど変化はない。
それにホッとしつつ、チューリップを受け取った。
「よく店の前を通って行かれますが、もしかして番同士ですか?」
お店の人の言葉にセレストさんが笑顔で頷いた。
「ええ、そうです」
「なるほど。それなら、赤いチューリップを一本というのも頷けますね」
お店の人が微笑ましいという表情をした。
お店の人に見送られながら、セレストさんと一緒に歩き出す。
「赤いチューリップで一本って意味があるの?」
「花言葉は花だけでなく、人に贈る時に色や本数でも意味が変わってくるんですよ」
セレストさんが優しく笑う。
「赤いチューリップの花言葉は『愛の告白』ですが、一本だと『あなたは私の運命の人』という意味になります」
それを聞いて、お店の人がわたし達を番だと判断した理由が分かった。
番とは神様の決めた運命の相手。だから、わたしに赤いチューリップを一本渡した。
「……居間に飾ってもいい?」
「はい、ユイの好きなところに置いてください」
家に帰り、セリーヌさんにお願いして花瓶に活けてもらい、二階の居間のテーブルに置いてもらった。
いつも通り、自室で着替えてから居間に戻り、夕飯までセレストさんの膝の上で過ごす。
温かくなってきて、最近は暖炉を使わない日もあるけれど、今日は暖炉に火が灯っていた。
チューリップは暖炉の火と同じ、暖かな赤色で、大きな花びらが可愛い。
……あなたは私の運命の人……。
セレストさんは『番』という意味で贈ったのだろうけど、わたしは別の意味にも感じた。
四年前、賭博場が摘発されたあの日、わたしはセレストさんに命を救われた。
わたしの人生において、番という意味以外でも、セレストさんは運命の人だった。




