もう少しだけ待っていて。
アルレットさんとジスランさんの訪問から一ヶ月が経った。
わたしは十六歳になり、成人した。
成人を迎えるのと同時にわたしは少し変わった。
……いや、変えたって言うべきかな?
それまではわたしは子供だった。
セレストさんもわたしを未成年の子供として扱っていたし、そう認識していただろう。
だけど、いつまでもそのままではない。
人間は十六歳で成人なので、誕生日を迎えて以降、わたしはセレストさんへの接し方を変えることにしたのだ。
「セレストさん、お仕事頑張って」
人気のない第四事務室の前で、セレストさんの頬にキスをする。
それにセレストさんが少し照れくさそうな顔をする。
「はい、ユイも頑張ってください」
セレストさんがお返しをしてくれる。
成人したので、晴れて、わたしはセレストさんときちんと恋愛出来る年齢に達したのだ。
そしてわたしはセレストさんが好きだ。
セレストさんの中では、まだ親愛のほうが強いようだけど、でも、恋愛感情も育ちつつあるのは感じられる。
それをもっと育てるためにも触れ合いと、愛情表現を増やすことにしたのだ。
……それにまだ正式には番わないし。
わたしがもう少し成長して十八歳になるまで、セレストさんは待っていてくれている。
だから、それまでのあと二年、セレストさんにガンガンぶつかっていって恋愛感情としての好きを持ってもらえるようにしたい。
セレストさんは最初は戸惑っていたけれど、わたしからの愛情表現は嬉しいようで、機嫌が良い。
成人してもセレストさんの過保護ぶりは変わらなくて、相変わらず一緒に通勤しているし、第四事務室までの送り迎えもある。
仕事をして、昼食の時間になると、セレストさんが迎えに来てくれる。
「ユイ、午前中お疲れ様です」
「セレストさんもお疲れ様」
ギュッとセレストさんに抱き着く。
実を言えば、人目のある場所でこういうことをするのは結構恥ずかしいのだが、反面、嬉しくもある。
この人はわたしの番で好きな人だと堂々と出来るのは幸せなことだ。
あと、アルレットさんとの話で色々と考えた。
わたしが恥ずかしがってセレストさんのことを拒んだり、セレストさんから離れたりしたら、きっとセレストさんは「大丈夫です」と言いながらも傷付くだろう。
わたしの恥ずかしさよりもセレストさんのほうが大事だ。
だから、ちょっとくらい恥ずかしくても気にしないことした。
それから手を繋いで食堂へ行く。
食堂へ着くと、ここ半年で見慣れたメンバーがいた。
ヴァランティーヌさんが手を振って、わたしとセレストさんはその席へ向かう。
そこにはヴァランティーヌさんの他にディシーとシャルルさん、そしてウィルジールさんがいて、珍しくレミさんもいた。
レミさんは最初の頃にわたしを助けてくれた獣人だ。
どうやら混んでいて、席がなくて困っていたレミさんにウィルジールさんが声をかけて誘ったようだ。
「お久しぶりです。遅くなりましたが、成人おめでとうございます」
レミさんに言われて、わたしも会釈を返す。
「ありがとうございます」
食事を取りにみんなが席を立ち、わたしとディシーだけがテーブルに残される。
「なんか、不思議だね」
ディシーが言った。
「不思議?」
「そう、四年前はこんな風に普通に過ごせるようになるなんて想像もしてなくて、半年前はシャルルさんと恋人になれるなんて思ってもなくて、なんか、こう、すっごく幸せだなあって」
「確かに。わたし達、四年前は奴隷だったんだよね」
思い返せばあっという間の四年だった。
四年前、わたしとディシーは暗く冷たい地下の牢獄で過ごすのが普通だった。
毎日の食事も満足に出来なくて、戦う日々で、服だってボロボロで、毎日傷だらけで。
四年前はそれが当たり前に思っていた。
でも、今は違う。
暖かな家があって、大切にしてくれる人がいて、ディシーもわたしもお互いに好きな人が出来て、仕事もして、毎日楽しく過ごしている。
あの頃のわたしにもし会えるなら、伝えたい。
未来のわたし達は幸せになっているよ、と。
「不思議だなあ」
もう一度、そう言ったディシーは笑っていた。
その目は離れた場所にいるヴァランティーヌさんとシャルルさんに向けられていて、慈愛に満ちた横顔だった。
「人生、何があるか分からないものだね」
死にかけて前世を思い出したり、番に出会ったり。
わたしの言葉にディシーが頷いた。
「そうだね。でも、こういう幸せな『何か』はきっと、これからも沢山あるよ!」
それにわたしも同意して頷いた。
戻ってきたセレストさん達と食事をする。
わたしがセレストさんにくっつけば、セレストさんが嬉しそうに目を細めて笑い、わたしの腰を抱き寄せる。
机で見えないけれど、ディシーとシャルルさんも最近更にイチャイチャが深まって、シャルルさんの尻尾がディシーの腰や足に巻きついていることが多くなった。
リザードマンが伴侶に示す愛情表現の一つである。
もし竜人にも尻尾があったら、同じようなことをしていたのだろう。
ヴァランティーヌさんもウィルジールさんも、もう見慣れたから平然としているが、レミさんだけは少し顔を赤くしていた。
食事を終えて、セレストさんがまた、わたしを第四事務室まで送ってくれる。
「帰りに迎えに来ます」
セレストさんがわたしの額にキスをする。
それが少しくすぐったくて、嬉しい。
そうしてもらえると午後の仕事も頑張れる。
……これで正式な番になってないんだよね。
正式に番ったらどうなることやらと思うが、我慢をやめたセレストさんを見てみたい気もする。
午後の仕事をしているうちに終業の鐘が鳴った。
使っていた道具や紙を片付け、少し待っていると、セレストさんが事務室の出入り口に現れる。
わたしも立ち上がってセレストさんのところへ早足で歩み寄った。
「今日も一日お疲れ様です、ユイ」
ふわっとセレストさんが歩み寄ったわたしを抱き締めてくれた。
「セレストさんもお疲れ様」
体を離して手を繋ぐ。
二人で廊下へ出て、正面玄関へ向かう。
仕事を終えた人々に紛れてわたし達は第二警備隊を後にした。外も帰り道を行く人達が多い。
のんびりと駅への道を歩き、駅で馬車に乗って、家へ帰る。
家の近くの駅で降りて、少しだけ歩いて家に着く。
「お帰りなさいませ」とセリーヌさんとレリアさんの声がして、二人が出迎えてくれる。
二階へ行って、自室で上着と荷物を片付けて、二階の居間へ向かうと、丁度セレストさんと鉢合わせた。
「どうぞ」
セレストさんが扉を開けてくれて、わたしはセレストさんと一緒に居間へ入った。
そうしてセレストさんはいつもの揺り椅子に座る。
当たり前のように差し出された手を取って、その膝の上にわたしは座った。
帰宅後のこの時間を密かに充電時間とわたしは呼んでいる。
わたしもセレストさんも、仕事で離れていた間を埋めるように、帰宅するとこうしてくっついて過ごす。
……落ち着く……。
セレストさんがわたしの頭をゆっくりと撫でた。
会話はあんまりないけれど、その沈黙は心地良くて、わたしはセレストさんの胸元に寄りかかる。
「セレストさん、薬の匂いがする」
すん、と小さく鼻を鳴らしたわたしにセレストさんが「ああ」と苦笑する。
「午後に新人の怪我人を手当てしたんです。訓練での怪我なら、治療するのですけれど……」
「そうじゃなかったの?」
「前日に酔っ払って怪我をして、それを今日まで放置していたというので、手当てだけにしました。すぐに治療してしまうとまた同じことを繰り返しますからね」
セレストさんの説明に「あー……」と思わず納得の声が漏れる。
今回治してしまえば、次もそうしてもらえると思うだろうし、セレストさん達だって勤務外での怪我の面倒までわざわざ見る必要はない。
でも、何もしないというのも微妙で。
それで手当てだけした、という感じか。
「その時に使った薬の匂いでしょう」
「すみません、嫌でしたか?」と訊かれて首を振る。
前世では病院でずっと過ごしていたから薬の匂いには慣れているし、この世界の薬は薬草を使っているので植物を使った独特な匂いが多い。
でもわたしは結構好きな匂いだ。
「薬の匂い、嫌じゃないよ」
「そうですか」
セレストさんがホッとした顔をする。
時々、セレストさんからは消毒液みたいな匂いがして、それを嗅ぐ度に前世のことを思い出した。
もうかなり前世のことも忘れつつあるけど。
べったりとくっついて小一時間ほど過ごし、それから一階に降りて、夕食にする。
セリーヌさんとレリアさんが用意してくれた。
夕食を準備して、二人は帰っていった。
「ユイ、はい、どうぞ」
セレストさんが自分のお皿から肉を一口分、切って、わたしに差し出してくる。
それにぱくりとかじりつく。
十六歳になって、セレストさんとの距離を詰めようとするわたしに、セレストさんもわたしとの距離を少しずつ詰め始めてくれた。
その一つが、この給餌行為である。
食事全部というわけではなく、少しだけだが。
恐らくセレストさんも、どこまでわたしが許してくれるのか測っているのだろう。
「ん、美味しい」
「もっと食べますか?」
「うん」
ニコニコしているセレストさんに食べさせてもらう。
もしかしたら蜜月期になったら、セレストさんは食器を持たせてくれないかもしれない。
今でさえこうなのだから、蜜月期では、もっと甘やかされてしまうのではと予想している。
自分で食事をしつつ、時々セレストさんに食べさせてもらい、夕食を終える。
二人で食器を片付けて、厨房で洗って、それから二人で二階へ上がる。
暗い中、セレストさんが家のあちこちにライトの魔法で明かりを灯して回る。
わたしはライトの入ったランタンを持って、浴室へ向かった。
体や髪を洗い、化粧水を肌にたっぷりつけて、タオルで髪を拭きながら出る。
居間へ行けばセレストさんが待ち構えていた。
魔法で髪を乾かしてもらい、その後、セレストさんに髪も梳いてもらう。
これがなかなか気持ち良いのだ。
それが終わると部屋から本を持ってくる。
ディシーから借りている流行りの恋愛小説だ。
これをセレストさんの膝の上で音読する。
セレストさんがゆっくり椅子を揺らしながら、わたしの音読する話を聞く。
大体、二、三十ページくらいを読んだ後、セレストさんと二人で物語について話をする。
たとえばヒロインの行動の意味とか、ヒーローの感情の動きだとか、気に入った部分はあったかとか、そういう内容だ。
「ここでポムのパイが出てきたでしょ? 夕食、食べたばっかりだけど、わたしも食べたいなあって思っちゃった」
「そうですね、私もつい思い浮かべてしまいました」
……セレストさん、ポムのパイ好きだよね。
前世でいうところのアップルパイのことだ。
セレストさんは竜人だからお酒も好きだし、甘いものも好きだし、果物もお肉も好きだ。
ただ、野菜はあんまり好きじゃない。
竜人はみんなそうらしいけど、なんだか子供っぽくて可愛いと思う。
しばらくそうしてお喋りをして過ごしたら、セレストさんが入浴をしに席を立つ。
これまでセレストさんはいつも夜遅くに入浴していたのだが、最近は、早い時間に入るようになった。
その間にわたしはセレストさんの部屋に行く。
セレストさんの部屋はわたしの部屋より広くて、大きなベッドがあって、そして本とインクの匂いがほんのりと漂っている。
壁際に立て付けの本棚があるが、そこいっぱいに本があり、それでも置ききれないものが積み上げられて小さな山になっており、セレストさんがどれだけ読書を好むか読み取れる。
三階の倉庫にも本が沢山仕舞われていて、そちらはセレストさんが読み終えて、もうあまり読み返さないと思ったものが置かれているらしい。
スリッパを脱いでセレストさんのベッドに潜り込む。
セレストさんが来るまで、ベッドの中でごろごろして過ごす時間がちょっと好きだ。
面倒臭かったのか、珍しくベッドに上着が放って置かれていた。
それを手繰り寄せるといい匂いがした。
……セレストさんの匂いだ。
つい、上着をギュッと抱き寄せる。
わたしと同じ石鹸の匂いに薬の匂い、それから本の独特の匂いと、優しい、いい匂い。
それを抱き締めたまま、うとうとする。
ふと、ベッドのそばに人の立つ気配がした。
「おや」
セレストさんの視線を感じて、重い瞼を上げると、セレストさんがわたしを見下ろしていた。
和やかにセレストさんの目が細められる。
「セレスト、さん……」
眠気に何とか耐えつつ、ベッドを叩く。
セレストさんが小さく笑った。
「上着は退けますね」
手の中から上着が引き抜かれる。
代わりに、ややあって、寝転がるわたしの横にセレストさんが同じように横になった。
向かい合って、そっと背中に腕が回される。
セレストさんから石鹸のいい匂いがした。
「……うん、セレストさんが、一番いい……」
上着の匂いも好きだけど、やっぱり本物が一番だ。
もそもそと動いてセレストさんの胸元に顔をつけ、ぺったりとくっつく。
頭上から「ありがとうございます」と声がした。
ぽん、ぽん、と背中を優しく叩かれる。
一定のそのリズムと、入浴したてで体温の高いセレストさんの温もりが心地良い。
……ずっと、こうしていたい……。
「セレスト、さん……」
夢現に呼べば、囁き声で「何でしょう?」と訊き返される。
……ああ、もう、眠い……。
でもこれだけは言わなくちゃ、と口を動かす。
「十八に、なったら、正式な番に、してね……」
ギュッと抱き締められる。
「……あと、もう少しだけ、待ってて……」
きっと、あと二年もしたらもっと成長するから。
その時こそ、本当の番にしてほしい。
セレストさんだけの特別に。
腕を持ち上げて、セレストさんの首にそれを回して、セレストさんの頭を引き寄せる。
「だいすき、セレストさん」
ちゅ、とセレストさんの唇に自分の唇を重ねる。
……早く、大人になるから……。
そこまで言えたかどうかは分からなかった。
そうして、眠りに落ちた。
わたしにキスをされたセレストさんが、真っ赤な顔でしばらく固まっていたことは知らなかった。
でも翌朝、セレストさんからお返しのキスをされて、わたしも真っ赤になったので、きっとお互い様だろう。
「おはようございます、ユイ」
今日も幸せな一日が始まる。
──元戦闘用奴隷ですが、助けてくれた恩人は番だそうです。(本編・完)──




