温かな冬
ディシーとシャルルさんが付き合い始めて二ヶ月。
グランツェールにまた冬が訪れた。
去年の冬は寒く、長引いたけれど、今年の冬は比較的暖かく、グランツェールで過ごした冬の中で一番暖かいかもしれない。
それを一番喜んだのは意外にもシャルルさんだった。
リザードマンは変温動物に近く、気温があまり下がり過ぎると体の動きが鈍ってしまう。
そのため、グランツェールの厳しい冬には毎年苦労させられているらしい。
冬のシャルルさんはモコモコに着込んでいて、ちょっと面白い。
ディシーとシャルルさんが付き合ってからは、昼食の席にシャルルさんが毎日来るようになった。
あまり口数の多い人ではないけれど、無口というほどでもなく、話しかければきちんと受け答えが返ってくる。
だけど、ディシーに話しかけられると嬉しそうだ。
……うんうん、その気持ち分かる。
大切な人から笑顔を向けられて嫌な気持ちになる人なんていないだろう。
付き合い初めてから、どうだろう、と心配していたけれど、それは杞憂だった。
シャルルさんはディシーをとても大事にしている。
同時に、独占欲を感じているらしかった。
ディシーが他の男性と二人で話していると落ち着かない様子になるし、触れられると威嚇することもあって、なんだか既視感を覚える。
……セレストさんに似てるかも。
その話をセレストさんにしたら「竜人とリザードマンはドラゴンの要素が強い生き物ですから」と苦笑された。
そしてリザードマンは竜人よりも人目を気にしないらしく、昼食の席ではいつも、ディシーの腰を抱いたり、時には膝の上へ乗せたりしていた。
セレストさんがたまに羨ましそうにそれを見ていて、わたしはちょっと居た堪れない。
セレストさんがそうしたいと言えば、わたしはきっと断れないだろう。
でもとても恥ずかしい気分になる。
ディシーはそういうことはあまり気にしないようで、人目のあるところでも構わずイチャイチャしている。
「人目のあるところでイチャイチャしたほうがいいよ。だってシャルルさんって素敵だし、他にもシャルルさんを好きな女性が出てきたら困るし」
ディシーはそう言っていた。
つまり、人目のある場所でイチャイチャするのは牽制の意味もあるということだ。
……なるほど。
ちなみにシャルルさんに訊いたら、こう返ってきた。
「ディシーが俺の恋人だと周知させるためにも、他の雄に取られないためにも、見せつける必要がある」
正反対な二人と思っていたけれど、どうやら、そうでもないらしいことが判明した瞬間だった。
二人が付き合ってから、シャルルさんはヴァランティーヌさんの家へ足繁く通うようになったそうだ。
ディシーお手製の料理を食べて、更に惚れ直したのだとか。
仲睦まじい二人に嬉しい気持ちと、ちょっとだけ、面白くないと思う気持ちがあって、わたしは驚いた。
子供っぽいけど、ディシーを取られたと感じる自分がいて、わたしは驚くのと同時に少し気恥ずかしくなった。
その気持ちはセレストさんだけに打ち明けた。
セレストさんは微笑んでわたしを抱き締めてくれた。
「そのような気持ちは恥ずかしいことではありませんよ。それだけユイにとって、ディシーの存在が大きかったのでしょう」
セレストさんに抱き締められると寂しい気持ちはなくなったが、それでもモヤモヤが完全に晴れることはなかった。
「でもね、ディシーとシャルルさんのこと、本当に良かったなって思ってるの」
「ええ、分かっています。ディシーは自分の唯一の人を見つけましたが、ディシーにとって、一番の親友は変わらずユイなのです。そのことを忘れないでください」
そう言われて頷いた。
わたしの一番の親友だってディシーだ。
これは何があっても変わらない。
「今年はシャルルとウィルジールも呼んで、六人で楽しい冬を過ごしましょう」
わたしとセレストさん、ディシー、ヴァランティーヌさん、シャルルさん、そしてウィルジールさん。
きっと賑やかで楽しいだろう。
「うん、そうだね」
セレストさんと二人で過ごすのも幸せだ。
でも、みんなで過ごす賑やかさも好きだ。
揺り椅子の、セレストさんの膝の上で、セレストさんに寄りかかる。
そのまま甘えるようにセレストさんの肩に頭をこすりつければ、セレストさんがふふ、と小さく笑ってわたしの頭を優しく撫でる。
「今日はいつもより甘えたですね」
うん、と頷きながらセレストさんの手にすり寄る。
ディシーとシャルルさんがあんまりラブラブなものだから、わたしもちょっと当てられたのかもしれない。
「セレストさんが好きだなって、再認識したの」
イチャイチャする二人を見て、感じたのは『わたしもセレストさんともっとイチャイチャしたい』だったから。
ちゅ、とセレストさんの唇が前髪越しに額に触れる。
「ありがとうございます。私もユイのことが好きですよ。これからも、この先も、あなたが好きです」
「恋愛の好きって意味で?」
「そうですね」
セレストさんが頷いた。
「少し前までは親愛のほうが強かったのですが、最近はユイに恋愛感情での好意を感じるようになってきています」
それは何よりも嬉しいことだった。
……そういえば、最近は前ほど子供扱いされなくなった気がする。
「しかしユイがきちんと成長するまでは待ちますよ」
わたしのことを考えてのことなのは分かっている。
……でも、キスくらいは解禁して欲しいなあ。
頬にキスをされながら、そんなことを思った。
……まあ、わたしはまだ未成年だからなのだろうけれど。分かってるけど、女性としての魅力がないのかな、と不安になる。
わたしはディシーみたいに女性的な体型じゃない。
「それまでに頑張って成長するね」
セレストさんは微笑んで「どんなユイでも好きですよ」と言うのだから、本当にわたしに甘い人である。
* * * * *
ディシーと付き合って二月が経った。
シャルルはいまだに、時々、これは夢なのではないかと思ってしまうことがある。
明るく、活発で、誰とでも仲良く出来て、美人なディシーが自分の恋人になったことは驚くべきことであった。
そして、その気持ちを受け入れた自分自身にもシャルルは驚いた。
ディシーに告白された時、一番最初に感じたのは喜びだった。
驚きや疑念よりも、まず最初に嬉しいと感じた。
シャルルにとってもディシーは特別な異性になりつつあったからだ。
共に食事をして、話したり訓練をしたり、一緒に出かけた日はとても楽しくて有意義な一日を過ごした。
少し前まで小さな子供だったディシーは、気付けば、大人の女性になっていた。
「おい、シャルル、飲んでるか〜?」
酔っ払ったウィルジールに絡まれる。
……いや、実際にはそんなに酔っていないはずだ。
竜人族は皆、酒に強い。
酒瓶を数本空にした程度で酔っ払うような種族ではない。
「飲んでいる」
「そうか? いいよなあ、セスもシャルルも酒を注いでくれる番がいてさ。俺なんてまだ独り身だってのに!」
ガツンとテーブルにグラスを叩きつけ、ウィルジールが不満そうに言う。
ウィルジールの横にはセレストがいて、その隣にユイがいて、セレストのグラスにユイが酒を注いでいる。
向かいのこちら側では、真ん中にディシーを挟んでシャルルとヴァランティーヌが座っており、ディシーが楽しそうに両側のグラスへ酒を注ぐのだ。
今日はセレストの家に招かれたが、ウィルジールが酒を大量に持ってきて、食事会はすぐに宴会へと様変わりした。
竜人は酒が好きだ。
実はリザードマンも酒が好きだ。
ヴァランティーヌもそこそこ飲むほうである。
ユイとディシーは酒を飲まない。
年齢的な問題もあるが、飲むよりも、その場の雰囲気を楽しむほうが好きなようだ。
「酔ってるのか?」
シャルルが問えば、自分でグラスに酒を注ぎ入れながらウィルジールが「酔ってない」と返す。
……まあ、そうだろうな。
それを一息で飲み干したウィルジールにセレストが苦笑して、空になったグラスに酒を注いでやった。
「ウィルにもいずれ良い人が見つかりますよ」
セレストはそう言ったが、シャルルは内心で、どうだろうなと思った。
ウィルジールは少々、女遊びが過ぎるところがある。
そういう店にもよく通っているようだが、それ以外にも、恋人を複数持っている時もある。
恋愛の仕方は人それぞれ自由であり、本人達が同意しているならシャルルが口を挟むべきことではないものの、気にはなる。
いつか、番を見つけた時、どうするのだろうか。
本能で番を選ぶ竜人と違って、リザードマンは自らの意思で伴侶を選ぶことが出来る。
それに一生に一人とは限らない。
一度番と認めれば、番っている間はずっとその者だけを愛するのがリザードマンだが、その者が死んだ後、別の者をまた愛し、番として迎えることがリザードマンには出来るのだ。
たった一人に一生を捧げる竜人とは異なる。
もちろん、一度愛せば他の者に目移りすることはないが、番でなくなれば、話は別ということだ。
……だが、そんな日は来るのだろうか。
ディシーは百年をくれと言った。
魔族の中でも長生きなほうであるリザードマンにとって、百年は短い時間だった。
……セレストがユイを愛する理由が分かる。
番の寿命のほうが短いからこそ、せめて、番が生きているうちに愛情を示そうと必死になる。
限りある時間そのものが愛おしくなる。
「ああ、ありがとう、ディシー」
グラスに酒を注いでくれたディシーがニコリと笑う。
「どういたしまして」
ディシーの嬉しそうな笑顔を見ると、シャルルもまた、笑顔になった。
リザードマンの笑みは怖がられやすいのだけれど、シャルルが笑うとディシーも嬉しそうにするので最近はシャルルも笑みを抑えるのをやめた。
笑いたい時に笑う。それでいい。
「私、シャルルさんに『ありがとう』って言われるの好き。それに『どういたしまして』って返すとシャルルさん、ふっ、て笑うの。それが格好良くて好きなんだ〜」
少し前、ディシーがユイにそんなことを話しているのを聞いてからは積極的に感謝の言葉を伝えるようにしている。
ディシーが笑顔になるとシャルルはそれだけで幸せな気持ちになれる。
「ん〜、俺はまだしばらくいいかな」
独り身だ、とぼやいたくせに、コロリと態度を変えるウィルジールに全員が苦笑する。
ウィルジールの気分屋は今に始まったことではない。
そうして賑やかに夜が更けていく。
これまで、シャルルにとって冬は静かで冷たく、寒い季節であった。
だが、今年からは違う。
シャルルにはディシーがいる。
愛する人がいるというそれだけで、寂しさや心の寒さが和らぐのを知った。
散々食べて飲んで、そうしてセレストの家を出る時、ユイがディシーに本を返すからと部屋に誘った。
その短い間に、セレストから小さく畳まれた紙を渡された。
「これは?」
開いて読もうとするとセレストに止められた。
「ユイからあなたへの伝言のようなものです。絶対に、帰ってから、一人の時に読んでください」
「……分かった」
よく分からないが頷いて紙をポケットへ仕舞う。
そのすぐ後にディシーが戻ってきて、ヴァランティーヌとディシーと三人で帰路へ就く。
ヴァランティーヌの家までディシーを送り、家への道のりを足早に進む。
寒いのは苦手だ。冬はリザードマンにはつらい。
リザードマンの暮らす湿地帯は大抵いつでも暑いので、初めて冬を経験した時、シャルルは『このまま死ぬのではないか』と不安を感じたものだ。
実際、あまりに気温が低くなり、体温が下がり過ぎるとリザードマンは低体温で死んでしまう。
あちこちを旅して回ったが、グランツェールの冬が最も厳しく感じる。
それでもこの街にいるのは、ここが好きだからだ。
自宅に戻り、ふとシャルルはセレストから渡された紙を思い出し、上着のポケットからそれを取り出した。
上着をかけ、暖炉に火を灯し、その明かりを頼りに紙を開いた。
一枚の紙を丁寧に畳んだそれに箇条書きで色々と書かれており、ユイの几帳面な性格が読み取れる。
中に書かれている内容を読み進めて、すぐに、シャルルは自分の体温が上がるのを感じた。
そこにはディシーが好きだと感じているシャルルの仕草や身体的特徴、性格などが書かれており、その横には『ディシーがドキドキする部分』と題して、また色々なことが書かれていた。
ディシー本人の口からですら、シャルルのどこが好きだと言われたことはない。
訊くと恥ずかしそうに言葉を濁してしまう。
どうやらユイが気を利かせて訊いてくれたらしい。
「……予想外の贈り物だな」
椅子に腰掛け、何度も読み返す。
・黒い鱗が綺麗で好き。いつか撫でたい。
・筋肉が好き。主に胸板と腹筋。
・鋭い牙が獰猛な感じで格好良い。
・訓練場で指導している姿が素敵。
・尻尾が格好良い。触ってみたい。
紙いっぱいに書かれたそれに心が温かくなる。
一つ一つは小さなことだが、ディシーがそれだけ、シャルルのことを見てくれているのだと伝わってくる。
それと、どうにもディシーはシャルルのこの大柄で怖がられやすい体躯が好きらしい。
ギュッと抱き締められたい、などといった感じのディシーの希望も添えられていて笑ってしまう。
……そんなことくらい、いくらでもしよう。
それはシャルルにとっても嬉しいことだから。
紙を丁寧に畳むと、シャルルは立ち上がり、それを自室の部屋へ持って行って、机の引き出しに大切に保管することにした。
それから、シャルルは時々、これを読み返すようになる。
その後もたまに、セレスト経由でユイから情報を渡されるようになるのだが、それはまた別の話である。
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