彼女達 / 彼の変化
* * * * *
ここ一週間ほど、視線を感じる。
そして振り返るといつも同じ人物がいる。
柔らかな亜麻色の髪に、オレンジがかった赤い、人族が好んで飲む紅茶のような色をしている瞳。
セレスト=ユニヴェールの番、ユイだ。
気配を隠すのが上手く、気付くと、いつの間にか少し離れた場所からこちらを見ている。
最初は気のせいかと思ったのだが、何度も同じようなことが続けば、それが偶然ではないことくらい、シャルルでも分かる。
シャルルはユイとそれなりに仲が良い。
……と、シャルルは思っている。
訓練場を時折訪れるユイと話すことも多い。
さすがに触れられないので共に訓練をしたことはないが、やや引っ込み思案のわりに、ユイは好奇心旺盛で何かと話しかけられる。
大抵は魔族に関することだけれど。
リザードマンはその独特な外見から、人族の中には敬遠する者もいるが、ユイはそのようなことがない。
最初は怯えていたディシーも今はリザードマンであるシャルルのことを気にせず接してくれている。
子が出来難いリザードマンは他種族であっても子供を可愛いと感じ、そして大事にする種族だ。
懐かれれば当然嬉しいし、可愛く思うものだ。
しかも第二警備隊は大人ばかりなので、ユイとディシーという二人の子供を可愛がる者は多い。
シャルルもその一人だった。
背中に感じる視線に振り返る。
またユイかと思い、今日こそは、この視線の理由を尋ねてみようと考えたものの、後ろにいたのはディシーだった。それも意外と近い。
「ディシーか。訓練に来たのか?」
初めて会った時に比べて、ディシーは随分成長した。
たった三年半ほどで身長もかなり伸びて、大人っぽくなり──実際、人間の成人である十六歳を迎えたのでもう大人なのだろうが──、訓練を続けて今では下手な新人隊員よりも強い。
シャルルの問いにディシーが首を振る。
「あのね、クッキーを作ったんだけど、作りすぎちゃって……。良かったらシャルルさんももらってくれますか?」
差し出された包みは可愛らしい。
明るいオレンジ色の布に黒いリボンが結んである。
「あ、クッキーは木の実を使ってます。えっと、甘いもの、嫌いじゃなければ……」
ディシーの声が段々と尻すぼみになっていく。
『も』ということは、恐らくヴァランティーヌやユイにもクッキーを渡しているのだろう。
沢山作ったものの、お裾分けということだ。
差し出しているディシーの手を傷付けないよう、シャルルはその可愛らしい袋を受け取った。
「ありがとう。訓練後は甘いものが欲しくなるから、後で食べさせてもらう」
そう言えば、顔を上げたディシーの表情がパッと明るくなる。
菓子をもらって感謝すべきなのはこちらのほうなのに、ディシーのほうがずっと嬉しげだ。
「ううん、私のほうこそ受け取ってくれてありがとう! また作ったらお裾分けしてもいい?」
「ああ、もちろん」
「やった!」
嬉しそうに声を上げた後、ディシーは「またね!」と手を振りながら駆け出す。
それに手を振り返せば、満面の笑みでディシーがもう一度大きく手を振り、警備隊の建物へ消えていった。
小さな頃からディシーは笑顔の多い子だった。
いつもニコニコしていて、明るくて、誰とでも親しくなれて、努力家である。
成人したこともあり、隊員達からの人気も高い。
案の定、ディシーがいなくなると、今のやり取りを見ていた隊員達が集まってきた。
「シャルルさん、いいなあ」
「羨ましい〜」
「なんだよ、お熱いことで」
首に腕を回されたり、つつかれたりして鬱陶しい。
「からかうな」
ただ、たまたま、それなりに親しかったから余ったものを渡されただけである。
そういう風な誤解はディシーにも失礼だろう。
「ええ、でもさ、そのリボンだってシャルルの色に合わせてあるじゃん?」
手元の袋を見れば、確かにシャルルの鱗と同じ黒色のリボンが使われている。
単に誰にどれを渡すか目印するためだと思う。
変に深読みすべきではない。
「そんなことよりお喋りする余裕があるなら、訓練を再開するぞ!」
シャルルの言葉に「ええ〜!」と抗議の声が上がるけれど、無視して歩き出す。
隅に置いてあった上着の上に袋を置く。
……ここなら問題ないだろう。
ヴァランティーヌが以前から自慢していたが、ディシーは料理上手らしい。
きっと、もらったクッキーも美味しいのだろう。
訓練後の楽しみが出来て、シャルルは小さく笑みを浮かべる。
誰かから贈り物をもらうのは久しぶりだった。
* * * * *
「どうだった?」
戻ってきたディシーに訊く。
するとディシーが親指を立ててニッと笑った。
「受け取ってもらえた!」
「やったね」
そうしてディシーとハイタッチをする。
まず第一関門の『贈り物作戦』は成功だ。
ポケットから折り畳んだ紙を取り出し、広げれば、ディシーも覗き込んでくる。
この紙には少し前、ヴァランティーヌさんの家へ遊びに行った時にヴァランティーヌさんとセレストさん、ディシー、そしてわたしの四人で話し合った作戦が書いてある。
ここ一週間ほどシャルルさんの様子を見ていたけれど、シャルルさんには今現在、恋人や想いを寄せている人などはいないようだ。
様子を見ながら気付いたが、どうやらリザードマンの外見は人族の女性には少々不人気らしい。
あの硬質でツヤツヤの光沢のある鱗や、蜥蜴にも蛇にも見える独特な顔付き、鋭い爪と尻尾、大柄な体躯は威圧感を覚え、近寄り難いそうだ。
シャルルさんは誰かといても、その誰かは殆ど男性ばかりであった。
……シャルルさん、すごく優しいのになあ。
物静かで、落ち着いた大人の雰囲気があり、自分の外見を理解しているのかわたし達と話す時は声を荒げないよう気を付けてくれるし、何か訊いても丁寧に答えてくれる。新人の訓練もよくしていて、実は面倒見もいい。
ディシーが好きになるのも分かる。
「シャルルさん、何か言ってた?」
訊けば、ディシーは嬉しそうに頷く。
「また作ったら、もらってくれるって!」
「本当? 良かったね。シャルルさん、嘘吐くような人じゃないし、少し間を置いて、また渡してみる?」
「うん、そうする!」
クッキーを受け取ってもらえてよほど嬉しいのか、ディシーのテンションがいつもより高い。
……まあ、それもそっか。
手作りのお菓子を好きな人が受け取ってくれたのだから、少なくとも、嫌われてはいないということだ。
作戦第一、贈り物を渡してみよう。
既製品だとシャルルさんに渡すために買ったものだと分かってしまうので、クッキーなどの食べ物──手編みのものとかは好みもあるし、いきなりそんなものを渡したら変に思われるから──を『余ったから』という口実で渡す。
余ったものと前置きすることで受け取りやすくして、かつ、手作りでも食べてくれるかどうかの確認だ。
これを受け取ってくれたなら、シャルルさんの中で、ディシーは結構親しい間柄に分類されているはずだ。
さして親しくない相手だと思われていたら、手作りのお菓子を受け取ることはないだろう。
ディシーなりにリボンをシャルルさんの色にして、分かり難いけど『シャルルさん用』だと分かるようにしているのは良いと思う。
「なんなら、次に渡す時にどういうお菓子が好きか訊いてみたら? ほら、色々なお菓子に挑戦してみたいからって言えば、好きなお菓子とか料理とか聞けるかもしれないし」
「確かに。好きなものが分かれば練習出来るし、それを作ったからって口実で渡せるね!」
うんうん、とディシーが頷いた。
この作戦はシャルルさんの好意の度合いを確認出来る上に、ディシーの料理上手なところもアピール出来る。
「次の『一緒に食事で距離を詰めよう』作戦もやってみよう。ディシー、次のお休みっていつ?」
「えっと、明後日だよ」
「じゃあ明後日、訓練に行って、その時にお菓子の感想を聞きつつ、昼食に誘ってみるのはどうかな?」
ヴァランティーヌさんもセレストさんも、シャルルさんが昼食に同席するのは了承済みだ。
ディシーの隣にシャルルさんを座らせて、話す機会を増やすのが目的である。
この昼食を一緒に食べる作戦も何度かやってみて、シャルルさんに断られなければ、次の作戦に移行する。
第二作戦で距離を詰め、好感触の時は、第三作戦では踏み込む予定だ。
第三作戦は『シャルルさんをお出かけに誘おう』である。
「頑張る……!」
ディシーがグッと拳を握る。
リザードマンは協調性が高いものの、その外見を怖がられることも理解しており、自ら進んで他種族と親しくなろうと思うことは少ないらしい。
他種族が嫌いだとか、興味がないとかいうのではなく、自分達の種族の外見が受け入れられ難いと分かっているから一歩引いて、無理に関係を持とうとしないのだとか。
リザードマンと親しくなるには、こちらから押せ押せでいかないとダメなのだろう。
……そう、リザードマンは他種族相手だと基本、受け身なんだよね。
でも何でも受け入れるわけではない。
親しくない相手からの贈り物は受け取らないし、戦士なので警戒心も強い。
そんなリザードマンのシャルルさんが、ディシーの作ったクッキーを受け取った。
最低でも友人、もしくは信用出来る相手と思われているはずだ。
あとは距離を詰めてみて、警戒されたり拒絶されたりしなければ、どんどん押していけばいい。
ヴァランティーヌさんが良いことを教えてくれた。
「ああ見えてシャルルは押しに弱いんだよ」
怖がられることが多いからこそ、グイグイ来られると、どう反応していいか戸惑うのかもしれない。
「絶対にシャルルさんを落としてみせる……!」
燃えるディシーには悪いけど、つい笑いが漏れる。
外見だけ見れば、むしろシャルルさんのほうが捕食者側なはずなのに、今は狙われる側なのだ。
思わず大きな網を持つディシーと、そんなディシーに気付かないシャルルさんの図を想像してしまったのだ。
告白するかどうかを見極める目的だったはずなのに、ディシーの中ではシャルルさん捕獲作戦に切り替わっているらしい。
それだけディシーはシャルルさんのことが好きで、本気なのだろう。
……恋する女の子は可愛いなあ。
* * * * *
「シャルルさん、最近ヴァランティーヌさんとこの子と仲いいっスね」
訓練中、隊員の一人に言われてシャルルは目を瞬かせた。
「……そうか?」
ディシーとは元々仲が良いほうだ。
彼女はリザードマンのこの特徴的な外見でも、シャルルと仲良くしようとしてくれるし、他の者達と分け隔てなく接してくれる。
……だが、言われてみれば最近はよく顔を合わせている気がする。
ちなみにあの一週間ほどユイから向けられていた視線は、今はもうない。
ディシーに誘われて昼食に同席した際にユイ本人に訊いてみたところ、どうやらリザードマンの背中にある鬣のような鱗の部分が気になって眺めていたらしい。
確かに人間にはそのようなものがないし、ユイの場合は気になってもセレストのことを考えると安易に「触りたい」とも言えないのだろう。
「そうっスよ〜。昼食も一緒に食べてるじゃないスか。あれ、結構羨ましがってる奴、多いんスよ〜」
ディシーにクッキーをもらった後、訓練に来た彼女に感謝と感想を伝えた際に「良かったら一緒に昼食、食べませんか?」と訊かれ、特に約束をしている相手もいないので頷いた。
それからよく声をかけられるようになり、ここ数日はヴァランティーヌとディシー、セレスト、ユイ、そしてシャルルの五人でテーブルを囲むようになった。
気心の知れた相手で、シャルルの食事姿を気にしない──どうしても食事をする時に鋭い牙が見えてしまう──ので、シャルルとしても下手に他の者達と食事を共にするより気楽だった。
「そうなのか?」
「さっきも言ったっスけど、ヴァランティーヌさんとこの子も人気あるし、ほら、ヴァランティーヌさんはみんな一度は世話になってる人だし、三班のユニヴェールさんって言えば第二警備隊の治療士の中では有名だし、その番の子も最年少で事務員に入った子だって一時期、話題になったじゃないっスか〜」
「その話を聞く限り、俺が一番何もないな」
シャルルはこの街で唯一のリザードマンだが、第二警備隊の中では平隊員で、経歴も長くない。
しかし目の前の隊員が呆れた顔をする。
「シャルルさんも有名っスよ。この街唯一のリザードマンだし、めちゃくちゃ訓練が厳しい」
生まれ故郷の村でもシャルルの色は珍しかった。
シャルルの生まれた地域のリザードマンは濃く暗い青色が多く、闇夜を写し取ったような黒色の体色はシャルルを除いて他にはいない。
そのせいでいつも、どことなく腫れ物に触るような扱いを受けてきた。
差別はされなかったが、皆がシャルルに気を遣っているのが落ち着かず、シャルルは成人すると村を出て、長く放浪の旅をしていた。
このグランツェールに居着いたのも五十年と少しくらい前のことで、ここでは誰もシャルルの体色を気にしなかった。
そもそもリザードマンを見たこともある者のほうが少なく、黒色のシャルルを見ても、それが珍しい色だと知らないのだ。
「厳しいか? 生まれ故郷では、戦士となるためにこういう訓練を誰もが受けていたが……」
「訓練で腕が上がらないとどうなるんスか?」
「一定の基準に達しないと成人しても戦士とは認められない。認められない者は村の外に出ることは許されないし、場合によっては結婚すら認められないこともある」
「ええ? 厳しい〜!!」
種族の強さを維持するには、それくらい厳しくなくてはならなかった。
弱い個体が増えれば種族の存続に関わる。
「まあ、それはともかく、シャルルさん、あの四人と食事出来るなんて本当羨ましいっスよ〜」
そう言った隊員に訊いてみる。
「……お前も来るか?」
隊員は慌てた様子で首を振った。
「いやいや、遠慮しとくっス! オレ、ヴァランティーヌさん以外とは関わりないのに急に入っても居心地悪いだけっスから!」
……それもそうか。
そんな話をしていると四つ目の鐘が鳴る。
今日もあの四人と昼食を食べられるだろうか。
話し下手なシャルル相手に無理にあれこれ話題を振ってくることはないけれど、放置するわけでもなく、ほどよく話しかけてくれる。
特にディシーは「シャルルさんはどうですか?」と問いかけてくれるので話しやすく、彼女にはとても感謝しているのだ。
上着を肩に羽織りながら、自然と訓練場の出入り口を気にしてしまう。
受付から食堂へ向かう途中に、ディシーとヴァランティーヌが声をかけてくれるからだ。
「シャルルさーん!」
聞こえてきた明るい声にシャルルはふっと目を細め、振り返る。
予想通り、訓練場の出入り口でディシーがこちらへ手を振っており、その横にはヴァランティーヌがいた。
シャルルはそれに軽く手を上げ、歩き出した。
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