ディシーの悩み(2)
思えば、ディシーがこうしてわたしに悩みを打ち明けることなんて今までなかった。
いつも『お姉ちゃんだから』とわたしの前を歩いていたディシーだけど、こうして抱き締めてみて、緊張に強張っているのを感じたら、色々な感情が湧き上がってきた。
ディシーだって一歳しかわたしと違わないんだ。
「私ね、好きな人が出来たの……!」
なんとか吐き出すようにディシーが言った。
「そうなんだ。ディシーが好きになる人だから、きっと、すごくいい人なんだろうね」
そう答えたらディシーが体を離した。
「お、驚かないのっ?」
「驚いてるよ。だけど、それ以上に嬉しい。ディシーがこれからの人生で一緒にいたいって思える人を見つけられて、良かった」
ディシーはいつもわたしのことを気にかけてくれる。
それは嬉しいけど、ディシーにはディシーの人生を歩んで欲しいし、幸せになってもらいたい。
ヴァランティーヌさんがいるが、他にも好きだと、一緒にいたいと思える人を見つけて欲しかった。
だから嬉しかった。
「っ、ユイ〜っ……!!」
「わっ?!」
ディシーに勢いよく抱き着かれて、二人でベッドに倒れ込んだ。
「それで、好きな人って誰か訊いてもいい?」
ベッドに寝転がって訊くとディシーの口元が恥ずかしそうにモニョモニョと動き、それから本当にとても小さな声で呟いた。
「………………シャルル、さん……」
真っ赤な顔のディシーは可愛かった。
そして、好きな人については納得した。
ディシーはずっと訓練場に通い続けていた。
シャルルさん──黒い鱗を持つリザードマンの男性だ──は、よくディシーの訓練の相手をしてくれていたし、見た目の近寄り難そうな雰囲気とは裏腹に優しい人だ。
……まあ、リザードマンは子供を大事にする種族だから優しかったのかもしれないけど。
「そういえば最初の頃はディシー、シャルルさんのこと怖がってたよね」
ディシーが赤い顔のまま頷いた。
「そうだけど、でも、怖がっても怒らなかったし、その後も優しかったし、私、全然勝てないくらい強いし……」
言いながら恥ずかしくなってきたのか、ディシーがベッドへ顔を埋める。
わたしはそんなディシーにくっついた。
「黒い鱗が格好良いし?」
「うん」
頷いてから、ハッとディシーが顔を上げた。
多分、わたしは笑っていたと思う。
ディシーが「もう!」とわたしを軽く叩いた。
……可愛いなあ。
どんな大きな悩みかと思ってみれば、こんな可愛らしい悩みで良かったと安心した。
ディシーにとっては深刻な悩みなのだろう。
わたしもセレストさんのことで悩んだし。
「いつから好きだったの?」
こそこそと小さな声で話す。
別に普通に話しても一階までは聞こえないだろうけど、なんとなく、声を落としてしまう。
ディシーが同じように小声で返す。
「分からない。気付いたら『好きだ』ってなってた。ユイはどうなの? ユニヴェールさんのこと、いつ好きになったの?」
逆に訊き返されて考える。
「わたしもよく分からない。ただ、シリルに告白された時に頭に浮かんだのがセレストさんで、その時に『わたしはセレストさんのことが好きなんだ』って気付いたよ」
「そっか……」
ディシーも考えるように真面目な顔になる。
「多分ね、わたし、最初からセレストさんのこと、そこそこ好きだったんだと思う。それで一緒に暮らしていくうちに、いろんなところを見て、もっと好きになったんじゃないかな」
横でディシーがうんうんと頷く。
「私もそんな感じかも」
「でもシャルルさんかあ」
「……人間が魔族に恋するなんて、変、かな?」
ディシーに訊かれて首を振った。
わたし達だって竜人と人間だ。
同じ人族同士と言っても寿命が違いすぎる。
魔族と人間も同じくらい違うかもしれないけれど、だからって恋してはいけない理由にはならないだろう。
「最近ずっと悩んでたのって、それ?」
「……うん」
ディシーが眉を下げた。
「私ってそんなに分かりやすかった?」
「ううん、わたしは気付かなかった。だけどヴァランティーヌさんが心配してたよ」
「あー……」
ディシーが唸りながらゴロゴロとベッドを転がる。
それからピタリと止まった。
「ヴァランティーヌにも言ったほうがいいよね?」
ディシーは十六歳になり、成人を迎えてから、ヴァランティーヌさんのことを呼び捨てにするようになった。
ヴァランティーヌさんから「大人になったんだから」と言われたそうだ。
お母さんと呼ぶか迷ったらしいけど、ヴァランティーヌさんは無理にディシーにそう呼ばせようとはしなかった。
ディシーの両親は亡くなった両親だけだ。
だから、無理に母と呼ぶ必要はない。
呼び方なんて気にしない。
大切なのは、ヴァランティーヌさんとディシーが家族だということだ。
ディシーがヴァランティーヌさんを呼び捨てにするようになってから、二人の距離感は更に縮まった気がする。
言葉で表さなくても、ディシーはヴァランティーヌさんをきちんと母親だと思っている。
ヴァランティーヌさんもディシーを娘だと思っている。
しかし、二人は同時にお互いを対等な存在として認めているような感じもした。
「ヴァランティーヌさんは無理に訊くつもりはないって言ってたけど」
ディシーが考えるように視線を動かす。
「……ううん、言う。心配かけたし」
「ディシーがそうするべきだと思うなら、そうしたらいいんじゃないかな」
これはディシーのことで、わたしが決めることではない。
ベッドの上で頬杖をつくとディシーも真似をする。
「どうしたらいいのかなあ……」
そう言ったディシーは途方に暮れている風だった。
「ディシーはどうしたいの?」
がばりとディシーが起き上がった。
「付き合いたい!」
即答だったので思わず「おお」と声が漏れた。
途方に暮れていたわりには、きちんと目標があり、どうしたいかは考えていたようだ。
キリッとしたのは一瞬で、すぐにディシーの背中がへにゃりと丸くなる。
「だけど、私は人間でシャルルさんは魔族だし、寿命全然違うし、そもそもシャルルさんが私を好きになってくれるかは別の話だし……」
段々と声が小さくなって、俯いていくディシーの顔に手を伸ばす。
むに、とその両頬を軽く引っ張った。
「じゃあシャルルさんのこと諦める?」
手の中でディシーが「それは嫌」と言うので手を離す。
「ほら、答えなんて最初から決まってる」
両頬を押さえるディシーの肩を掴んだ。
「誰かのことを好きになることは悪いことじゃないよ。もちろん、ディシーがシャルルさんを好きになるのは自由だし、諦めるのも自由、シャルルさんがディシーの気持ちを受け入れてくれるかどうかだってシャルルさんの自由」
好きだという気持ちがあれば必ず応えてもらえるとは限らない。
想っても、拒絶されてしまうこともある。
ディシーがシャルルさんに告白したから、シャルルさんがディシーの気持ちを受け入れてくれるわけではない。
「伝えるのも、ディシーの気持ち次第だよ」
今の関係を壊したくないから伝えないという方法も間違いではないだろう。
少なくとも、告白して玉砕した後の気まずさや、距離が出来てしまうかもしれない可能性を考えたら、現状維持が一番精神的な負担も少ない。
だけど、と思う。
気持ちを伝えないで、それでもしシャルルさんが他の人を好きになって、その他の誰かと一緒になった時に『やっぱり気持ちを伝えれば良かった』と後悔しても遅い。
どうするかはディシーの気持ち次第だけど、出来るだけ、後悔のない選択をしてほしい。
「……うん」
ディシーが小さく唇を結ぶ。
こんなこと、きっとわたしが言わなくてもディシーなら分かっているはずだ。
そっとディシーの肩に触れて、抱き締める。
「とりあえず、ヴァランティーヌさんに話してみなよ。ヴァランティーヌさん、長生きだし、もしかしたら他にもいい選択肢が見つかるかもしれないし」
ぽんぽん、と二度叩いて離れる。
ディシーが跳ねるように起き上がった。
「よし、ヴァランティーヌのところに行って話してくる!」
わたしも起き上がった。
「え、今から? セレストさんもいるよ?」
「だからこそだよ! ヴァランティーヌもユニヴェールさんも、シャルルさんと付き合いが長いでしょ? だったらシャルルさんの女性の好みとか知ってるかもしれないし!」
「なるほど」
ディシーに手を引かれてベッドから立ち上がる。
……いつも前向きなのがディシーのいいところだよね。
話すと決めたからか、その表情はいつもの明るいディシーだった。
* * * * *
「なるほど、そういうことだったのかい」
居間に行って、ディシーがヴァランティーヌさんとセレストさんに自分の悩みを打ち明けると、ヴァランティーヌさんは顎をさすりながらそう言った。
驚いた様子はない。
セレストさんも、ふむ、と頷いたくらいである。
「話してくれてありがとう」とヴァランティーヌさんがディシーの頭を撫でた。
「確かにそれは悩むねえ」
「うん……」
ヴァランティーヌさんもセレストさんも、ディシーの気持ちを聞いて反対したり、笑ったりしなかった。
それどころか、真面目に考えているようだ。
「……反対しないの?」
ディシーの問いにヴァランティーヌさんが笑う。
「しないよ。アタシから見てもシャルルはいい男だし、ディシーが好きだって言うなら、その気持ちに反対する理由はない。個人的な意見を言うと、長命な種族のほうがむしろ安心して任せられるからね」
「そうなの?」
「ああ、結婚したら最後まで面倒見てくれるだろう? 同じ人間だと先に死んでしまうこともあるからさ」
ヴァランティーヌさんの言葉に「け、結婚……」とディシーが顔を赤くする。
確かに魔族であるシャルルさんのほうが人間のディシーよりも寿命は長いので、離婚しない限り、最後まで面倒を見てもらえる可能性は高い。
そういう点では自分より長命な種族と結婚したほうが利点があるのだろう。
「まあ、私とユイも似たようなものですからね。それに近年は魔族と人族での結婚は多いそうですよ」
セレストさんが言って、わたしとディシーは揃って「そうなんだ?」「そうなんですか?」と訊き返してしまった。
「このグランツェールでも?」
ディシーが重ねて訊き、セレストさんが頷いた。
「ええ、聞いた話によると第一警備隊の隊長は異種族婚だったはずです。第一警備隊の隊長は女性のエルフなのですが、結婚した相手はウェアウルフなのだとか」
「え〜っ、隊長の女性エルフとウェアウルフって格好良い組み合わせですね!」
「そうですね」
想像したのだろう、ディシーが目を輝かせた。
エルフの女性で隊長というのも格好良いけれど、その横に並ぶのが狼であるウェアウルフというのもなかなかに格好良い。
見てみたい気もする。
「だから種族の違いなんてみんな気にしてないさ」
ヴァランティーヌさんの言葉にディシーが頷く。
それで、とヴァランティーヌさんが顔を近付ける。
「ディシーはシャルルに告白するのかい?」
「……まだ、考えてる」
「そうかい。まあ、好きになったから必ずしも、気持ちを伝えなくちゃいけないってことはないからねえ」
ヴァランティーヌさんが小さく笑う。
「シャルルさんが他の人に取られるのは嫌、かも……。でも、シャルルさんが私のこと、どう思ってるかも、分からないし……」
ディシーが呟いて顔を隠す。
恥ずかしいのか耳が赤くなっていた。
それにセレストさんが手を叩いた。
「では、確かめてみてはどうでしょう?」
あっさりと言うセレストさんを見上げる。
「どうやって? 訊くの?」
「いえ、さすがに訊くのは不審に思われるので、リザードマンの風習を使って調べてみるんですよ」
「…………あ、そういうこと?」
最初の頃、わたしが色々とやらかしたアレだ。
リザードマンの習性や風習を使えば、確かに、シャルルさんの中でディシーがどういう位置付けにあるのか調べられるかもしれない。
ヴァランティーヌさんも「ああ」と理解した様子で頷き、ディシーだけは首を傾げていた。
「上手くすれば、シャルルがディシーのことを意識するようになるかもしれませんね」
うん、と頷いてわたしは立ち上がった。
「じゃあ、作戦会議しよう。名付けて『ディシーのお悩み解決大作戦』ね」
「そのまんまだね」と、ヴァランティーヌさんとディシーが笑う。
誰かに聞かれてもこれならディシーの悩み自体は分からないし、わたし達の間で通じればそれでいいのだ。
「ユニヴェールさんはいいんですか? その、シャルルさんと結構仲がいいですよね?」
ディシーがセレストさんに訊いたが、セレストさんは気にした風もなく頷いた。
「ディシーの人となりは知っていますから」
つまり、ディシーだったら友人と付き合ったとしても心配する必要はないということか。
それを理解したディシーが照れ臭そうな顔をする。
とにかく、シャルルさんの様子を見てみよう。
それからどうするかはディシーが決めることだ。




