可愛い人 / 旅の馬車にて
* * * * *
魔獣討伐の後から少し変わった自覚があった。
仕事中は仕方がないとは言え、それ以外の時間、ユイの姿が見えないと落ち着かない。
セレスト自身、その変化には気付いている。
しかし分かっているから簡単に我慢出来るという問題ではなかった。
ユイがそばにいないだけで心配になる。
そして不安感や寂しさが強くなる。
暖炉の中で薪が小さく爆ぜる音がする。
外は雪が降り始めた。
冬支度は出来ているので構わないが、あまり寒くなるとユイが風邪を引いてしまうかもしれない。
そう思い、苦笑してしまう。
……これは過保護と言われても当然だ。
「セレストさん? どうかした?」
振動が伝わったのか膝の上にいたユイが顔を上げる。
「いえ、何でもありません」
ユイの頭を撫でれば不思議そうに小首を傾げたものの、すぐに手元の本へ視線を落とす。
討伐前も時々ユイを膝の上に乗せることはあったが、あれ以降、ほぼ毎日こうして乗せている。
嫌がるならやめようと思ったのにユイは一度も嫌がらない。
それどころか討伐後、ユイも変わった気がする。
自分からくっついてくることが増えた。
食事の時は椅子を寄せてくるし、どこかへ行く時は必ず手を繋ぐし、最近はセレストが揺り椅子に座ると当たり前のように膝に座る。
さすがに外ではそういうことはしないけれど、どういう心境の変化であれ、セレストとの距離を詰めようとしているのが感じられる。
本を読み始めたユイが、すぐにまた顔を上げる。
ジッと見つめられて今度はセレストのほうが首を傾げた。
「どうしました?」
「セレストさん、つまらなくない? わたしが座ってると本読めないでしょ?」
確かに最近は読書の時間が減った。
ユイを膝の上に乗せると、どうしても本を読むとユイの邪魔になってしまうし、セレストも読み難いので読書を控えている。
だが、つまらないと思ったことはない。
「そうでもないですよ。読書に夢中になっているユイを見ていると楽しいし、可愛いですから」
ユイの顔が少し赤くなる。
暖炉の火の明かりだけの色ではないだろう。
「そ、そっか……」
手元に視線を落としながらユイが唇を引き結ぶ。
ここ三年一緒に過ごして分かったことの一つだが、ユイは照れると唇を引き結ぶ癖がある。
それが無表情に見えることもあるので、知らない者からしたら無愛想に感じられるかもしれないが、気付いてしまうと可愛らしいものだ。
ユイの口元が少しだけムニムニと動く。
落ち着かない気分なのが見て取れた。
手元の本を見て、それからチラッと見上げてくる。
「セレストさんも本読む?」
ユイが持ち上げた本の表紙には『黄昏の鐘の音は』と書かれている。
「どのような本ですか?」
「恋愛小説。ディシーが貸してくれたの。最近、街の女の子達の間で流行ってるんだって」
そういうものをユイが読むのは初めて見た。
辞書を好んで読むのは知っていたが、そういう大衆向けのものも忌避感はないようだ。
「面白いですか?」
ユイが「うーん……」と小さく唸る。
「まだ読み始めたばかりだから分からない」
それでも借りた本だから最後まで読むつもりらしい。
そのような真面目さがセレストには微笑ましく感じるし、ユイの真面目なところは好感が持てる。
本を開いて、ふとユイが顔を上げた。
「そうだ、最初の頃みたいにわたしが小説を読むってどうかな? セレストさんは聞いてて。それなら多分、暇にはならないよ」
膝から下りるとは言わない。
セレストはそれを望んでいないし、恐らく、ユイもセレストの膝にいたいのだろう。
「いいですね、たまには流行り物に触れてみるのも面白いでしょう」
セレストが読むのは主に歴史書である。
けれども、それ以外が嫌いというわけでもない。
人から勧められた本を読むこともあった。
ウィルジールは伝記や冒険物が好きで、子供の頃から面白いと思ったものは渡されてきたので、創作物に関してもそれなりに楽しく読めるほうだと思う。
たまにどこから手に入れたのか、男性向けの小説を持ってきた時にはさすがに断ったが。
「じゃあ二人で読もう。……あとね、読んでて意味が分からないところがあるかもしれないから、その時は一緒に考えて欲しい。読み終わったらディシーに感想を言うから、適当に出来ないの」
ふふ、とセレストは小さく笑う。
「それはきちんと読み込まないといけませんね」
ユイが深く頷いた。
「うん、ディシーはこの本好きなんだって。普段はあんまり本読まないけど、これは覚えるくらい読んでるらしいから、適当に言うとすぐにバレると思う」
「ディシーがユイに怒るところは想像出来ませんが……」
「怒らないけど、悲しい顔をされるのも嫌」
なるほど、と思う。
あのディシーならばユイに対して本気で怒ることはないだろうけれど、きっと、貸した本を適当に読んだと分かれば悲しむか、残念そうな顔はするだろう。
ユイのほうもディシーにそのような表情をさせたくないはずだ。
「それに、これは勉強だから」
真面目な顔でユイが言う。
「勉強、ですか?」
どういう意味なのかと目を瞬かせていれば、ユイの唇がまた引き結ばれて、それからボソボソと囁くような声で言った。
「もうちょっと大きくなったら、セレストさんとちゃんと恋愛したいから。恋人とか、何するのかなって、思って……」
言いながらユイの顔が赤くなり、恥ずかしかったのか本で顔を隠す。
その言葉にセレストは驚いた。
ユイは自分がセレストの番であることを受け入れてくれたが、そこから恋愛関係になるかはまた別の話だと思っていた。
少なくとも、セレストはユイが成人するまでは恋愛対象として見るつもりはない。
ユイのほうも親愛や家族愛の情はあっても、恋愛感情はないと思っていた。
……でも、実はそうでもないのかもしれない。
驚いた後に、喜びの感情が湧き上がってくる。
「ユイ、大人になったら私と恋愛をしてくれますか?」
訊けば、本で顔を隠したまま頷かれる。
「……今はまだ、わたしも子供だけど、大人になったらセレストさんと恋人になりたいって思う……」
本の向こうでボソボソと呟かれる言葉が嬉しくて、セレストはユイを抱き締めた。
本ごと抱き締めたのでユイが「わ?」と小さく声を上げる。
こんなに嬉しいと思ったのは、ユイが番であることを受け入れてくれた時くらいだ。
第二警備隊に受かった時だって、ここまで舞い上がるようなことはなかった。
「ありがとうございます。とても嬉しいです」
ユイの腕が背中に回るのを感じる。
「……えっと、一応訊くけど、セレストさんは今はわたしに恋愛感情とかってあるの?」
「いいえ、ありません。どちらかと言うと、慈しみたいと思う気持ちが強いですね。それに成人していない子供に手を出すのは犯罪ですから」
「そうだよね……」
ユイの声が少し落ち込んでいる気がした。
「ユイ?」
顔を見れば、少しだけ眉を下げている。
しかし目が合うとすぐに顔を隠すように、ユイはセレストの胸へ額を押しつけた。
「今はまだいいよ。……でも大きくなったら絶対ドキドキさせる。恋愛対象に見てもらえるように頑張るから」
セレストはその言葉に頷いた。
少しだけドキリとしたのは黙っておいた。
ユイが成人して、結婚しても問題ないくらいに成長すれば、セレストは自然とユイを恋愛対象として見るだろう。
そういう予感がセレストにはあった。
「楽しみにしていますね」
もう一度、ふふ、と笑ったセレストに、ユイが「これが大人の余裕……」と呟くものだから、セレストは今度こそ小さく吹き出した。
笑うセレストをユイがじっとりとした目で見る。
それに気付いてセレストは笑いを堪える。
「ユイ、その本を読んで聞かせてください」
そう声をかければ素直に頷いて、ユイがページを捲る。
ユイの高く澄んだ声に耳を傾けながら思う。
きっと、自分はユイに恋をする。
その欠片はもう、セレストの中にあるのだから。
* * * * *
ガタゴトと揺れながら荷馬車がゆっくりと進んでいく。
雪が降り積もる中、はあ、と白い息が二つ並んで空中に吐き出された。
竜人である兄ならばともかく、エルフの自分達には冬の寒さはなかなかに厳しいものがある。
それでも、今を逃せば話す機会は減ってしまう。
せっかく長期の休みをもらえたのだ。
あちこちをふらふらしている父と母は別にしても、兄にはきちんと会いに行かなければ。
「それにしても寒っ!」
金髪に新緑の瞳をしたエルフであり、双子の兄でもあるイヴォン=ユニヴェールが大きくくしゃみをした。
その横で、非常にそっくりな双子の弟のシルヴァン=ユニヴェールが両手を擦り合わせた。
「グランツェールのほうが寒いって聞いてたけど、確かに王都よりこっちのほうが寒いね」
もう冬も終わる頃だというのに雪が降った。
去年の今時分はもう少し暖かかったと思うのだが、今年はどうやら少し冬が長引いているらしい。
双子は何枚もの毛布に揃って包まり、身を寄せ合ったが、思ったよりも寒くて驚いた。
子供の頃はグランツェールに住んでいたはずなのだけれど、その時は、こんなに寒いとは思わなかった。
御者の男性が「はっはっは」と笑う。
「今年はかなり寒いからなあ。おかげで魔獣が出なくて助かってるけど」
春になると魔獣がよく街道沿いに出る。
冬を越え、腹を空かせた魔獣が人を襲うのだ。
だが今年は春が遅れていて、魔獣の出没も少なく、雪の積もる悪路でも行商人達は頻繁に通った。
それに道が雪で埋もれている時には魔法で雪を退かすことが出来る。
イヴォンもシルヴァンも風属性の魔法が得意なので、雪が積もっているだけならば、少々手荒だが吹き飛ばして進める。
この雪の中では護衛の役目よりも、そちらのほうが需要があるらしかった。
「やっぱ今年は寒いよな?」
「ああ、これだと今年は春も少し寒いかもしれないなあ。野菜が高くなると困るんだが、まあ、グランツェールには温室栽培があるから何とかなるだろう」
聞き覚えのない言葉に双子が振り返る。
「温室栽培?」と二つの声が重なった。
「そうさ、野菜や果物を温室で育てることで、季節が違っても収穫出来るようにしてるのさ」
双子が顔を見合わせる。
「何それ、王都よりすごくない?」
「いつでも好きなもの食えるとか最高じゃん」
双子は揃って「いいなあ」と言った。
「そのうち王都でも始めるだろうって俺達商人の間では噂になってるぞ。そうなればこっちとしては商品の品数が増えて嬉しいんだがなあ」
それになるほどと双子が頷き合う。
「ところで、あんたらはこんな時期にグランツェールまで何しに行くんだい?」
男性の問いにシルヴァンが答える。
「兄に会いに行くんです」
「おや、お兄さんがいるのかい? 驚いたね、エルフで双子ってだけでも珍しいのに」
長命な種族ほど子供が生まれ難い。
そんな中で長命なエルフの双子というだけでも珍しいのに、更に兄がいるというのは非常に稀なことだ。
大抵の人にはこの双子の兄弟だけだと思われる。
「よく言われます。竜人の兄がいて、僕達エルフの双子がいて、三兄弟なんです。僕が末っ子で」
「まあ、ほぼ同じ時に生まれてるから兄とか弟とかあんま気にしてないけどな」
双子の話に男性がまた明るく笑う。
「そうかい。ご両親は子宝に恵まれて幸せだねえ」
それに双子が苦笑する。
「その親は旅に行ったっきり、なかなか帰って来ないけどな」
「子供のことを気にしてるかどうかは分かりませんしね」
男性が「いんやあ」と首を振る。
「親ってのは子供のことは気になるもんさ。常にってわけにはいかないが。それでも、ふとした拍子に我が子のことは思い出す」
男性の言葉にイヴォンが「おっさんも?」と訊くと、男性は笑顔で一つ頷いた。
王都に残した妻子のことをよく思い出すらしい。
行商人という仕事柄、どうしても家を空けることが多く、帰る度に子供達は成長していく。
それを寂しくも嬉しく感じるそうだ。
「きっとあんたらの親だってそうさ。騎士様になって、自分達の手を離れたから安心して旅に出ているだけで、何かあればすぐに帰って来るだろうよ」
その言葉に双子はまた顔を見合わせた。
そうしてどちらからともなく、ふはっと笑った。
「そうかもな」
「そうかもね」
実際、父と母から手紙が届いている。
別にそのまま荷物として兄へ送れば良かったのだが、せっかくの機会なので直接行って渡すことにした。
この手紙を読んだら兄はどんな顔をするだろう。
兄の番の、あの小さな少女はどう反応するか。
双子はそれを想像すると、くくく、と揃って小さく笑ったのだった。
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