お泊まり(3)
翌日、お泊まり二日目。
朝にディシーに起こされて目が覚めた。
起きてすぐ、そういえばセレストさんの家じゃないのだと思い出して少し何とも言えない気持ちになった。
ディシーはわたしよりも早起きして朝食を作ってくれていたようで、わたしは起きて顔を洗い、ディシーの部屋を借りて身支度を整えた。
……寂しい……。
いつもならセレストさんが起こしてくれる。
顔を洗う時もそばにいて、着替えたら、髪を梳いたり編んだりしてくれるし、わたしが一人になる時間なんて入浴や着替えを除けば眠る時くらいだ。
仕事中だって第四事務室だから周りに人がいる。
こうやって静かな部屋にいると寂しくなってくる。
「おはようございます」
身支度を終えて一階の食堂へ行けば、ディシーが丁度、朝食を並べているところだった。
ヴァランティーヌさんも食器を用意していた。
「ああ、おはよう、ユイ。よく眠れたかい?」
「はい」
「そうか、それは良かった」
促されて席に着く。
ヴァランティーヌさんが席に座り、朝食の支度を終えたようでディシーも席に座った。
三人で食事の挨拶を済ませる。
朝食は昨日の夕食の残りだ。
「残りだけどいい?」
ディシーの問いにわたしは頷いた。
「全然いいよ。すごく美味しいから、また食べられるほうが嬉しい。帰っても食べたいくらい」
このじゃがいものグラタンはわたしの好物になりそうだ。
ディシーが嬉しそうに「本当?」と笑った。
「じゃあ作り方を書いて渡すね。そうすれば家でも食べられると思うよ」
「いいの?」
「もちろん。ユイが好きなものを食べられるのが一番だよ。帰ってきたら書いておくね」
それなら帰ってもディシーのじゃがいもグラタンは食べられるだろう。
「ありがとう、ディシー」
すごく美味しいからセレストさんにも食べて欲しい。きっと気に入ってくれると思う。
朝食を食べて、仕事へ行く支度をしたら家を出る。
第二警備隊に近いので、いつもセレストさんの家を出るよりもずっと遅い時間だ。
だからか街には人が多く歩いていた。
「今日の夕食は何が食べたい?」
ディシーの質問に笑ってしまった。
「まだ今日は始まったばっかりだよ?」
「だからこそだよ。食べたいものを決めておけば、一日の楽しみになるでしょ?」
「なるほど」
ヴァランティーヌさんがふふふと笑った。
「昼までに考えておくよ」
「うん」
どうやらディシーとヴァランティーヌさんにとっては毎朝のことらしい。
わたしもセレストさんも食事に関してはセリーヌさんとレリアさんに任せきりなので、こういうのは新鮮だ。
第二警備隊に着き、ディシーは受付で別れ、ヴァランティーヌさんが第四事務室まで送ってくれる。
「昼食の頃に迎えに来るからね」
と、言われて考える。
「わたし、自分で食堂まで行けます」
「まあ、そうだろうねえ」
ヴァランティーヌさんに頭を撫でられる。
「アタシもセレストにユイのことを頼まれてるから」
「じゃあまた後で」とヴァランティーヌさんが手を上げ、廊下の向こうへ消えていった。
……やっぱりセレストさん、過保護だよね?
だけどその過保護が今は少し恋しい。
小さく首を振って、事務室の中へ入る。
「おはようございます」
……仕事に集中しなきゃ。
* * * * *
「──……ィ、ユイ」
肩を叩かれてハッとする。
気付けばすぐ後ろにヴァランティーヌさんが立っていて、わたしの肩に手を乗せている。
「すごい集中力だねえ。もう昼食の時間だよ」
言われて周りを見れば、事務員の半分近くがいなくなっていた。
わたしもペンを置いて立ち上がる。
「ごめんなさい、気付かなかったです」
「いや、いいよ。ディシーが先に食堂に行ってるから、アタシ達も行こうか」
「はい」
ヴァランティーヌさんに促されて事務室を出る。
前から思っていたが、ヴァランティーヌさんはどちらかと言うとおおらかで、第二警備隊の敷地内ではディシーの自由にさせていることが多い。
セレストさんとは正反対のタイプだ。
ディシーも活発なのでヴァランティーヌさんみたいにのびのびと活動させるほうが性に合っているのだろう。
「ユイの仕事してるところを初めて見たけど、本当に計算が早いねえ」
ヴァランティーヌさんが感心するように言う。
「ヴァランティーヌさんがくれた計算機のおかげです。自分で計算したら、もっと時間がかかります」
「そう言ってくれると贈った側としても嬉しいよ」
よしよしと頭を撫でられる。
ヴァランティーヌさんからしても、まだまだわたしは子供なのだろう。
でも、これがなくなったらそれはそれで寂しいから、やっぱりもうしばらくは子供扱いでもいいのかもしれない。
食堂に着くと、隅のテーブルでディシーが手を振っているのが見えた。
席を取っておいてくれたらしい。
テーブルに行くと、ディシーが立ち上がった。
「じゃあ私とヴァランティーヌさんで食事取ってくるから、ユイは席を取っておいて」
「うん、分かった」
ヴァランティーヌさんとディシーが離れる。
食堂はいつも通り賑やかで、それをぼんやりと眺めて待つ。
…………セレストさん、どうしてるかな。
今、魔獣を討伐しているのだろうか。
それとも移動中だろうか。
治癒魔法を使えるから大丈夫だとは思うけれど、やっぱり、怪我をしていなければいいなと思う。
竜人だし、わたしより強いし、他にも大勢の警備隊員達と一緒に行動しているから心配する必要なんてないはずだ。
それなのに気になってしまう。
「お待たせ!」
ディシーの声に我へ返る。
「ユイの分だよ」
「ありがとうございます」
ヴァランティーヌさんが運んできてくれた食事はいつものように美味しそうだ。
向かい側にディシーとヴァランティーヌさんが座る。
隣の席が空いていることが少し落ち着かない。
食事の挨拶を済ませて、食器を手に取った。
「そうだ、夕食に食べたいもの決まった?」
ディシーに言われて、そういえばそんなことを訊かれていたっけと思い出す。
……食べたいもの、かあ。
そうして頭に浮かんだのはパンだった。
いつもセレストさんがチーズを溶かしてくれるあのパンが食べたい。
そこまで考えて小さく首を振る。
「……ううん、わたしは何でもいいよ。昨日食べて思ったけど、ディシーの料理、美味しいし」
こんなことを言っても我が儘になるだけだ。
「もう、何でもいいが一番困るんだよ? まあ、でも、美味しいって言ってくれるのは嬉しいけど!」
よほど嬉しかったのかディシーがニコニコ顔でスプーンを口に突っ込んだ。
それにヴァランティーヌさんが「そうだねえ」と呟く。
「ガルビュールはどうだい? 今日は寒いだろう?」
ディシーが「いいね!」と返事をする。
「ガルビュール?」
「ほら、刻んだ野菜とか豆とか一緒に煮込んでるスープ。ユイは食べたことない? シューたっぷりのやつ」
「……ああ、あるかも」
シューというのはキャベツのことだ。
以前、セリーヌさんが作ってくれた料理にディシーが言ったようなものがあった。
キャベツたっぷりのスープには人参や玉ねぎなどほかの野菜も沢山入っており、そこに豆と肉もあって、野菜と肉の旨味が出た美味しいものだった気がする。
パンとよく合うスープだったから覚えている。
「あれは美味しいよね」
ディシーの言葉に頷いた。
「じゃあ帰りにシューを買って帰ろう」
そういうことで、今夜の食事はガルビュールとなった。
ヴァランティーヌさんもわたしも賛成だった。
* * * * *
午後の仕事も終えて、帰り支度を済ませておく。
帰りに買い物もするので待たせたくない。
荷物を持ち、待っていれば、終業の鐘が鳴ってしばらくしてヴァランティーヌさんが迎えに来てくれる。
「お待たせ、ユイ」
出入り口から顔を覗かせたヴァランティーヌさんに駆け寄って返事をする。
「そんなに待ってないです」
「そうかい、それは良かった」
「さあ、行こう」と言われて事務室を後にする。
正面玄関へ行けば受付のそばでディシーが待っていて、合流して第二警備隊の建物を出る。
「あ、お肉も買いたい!」
ディシーの言葉にヴァランティーヌさんが頷く。
「商店通りで買って行こうか」
「そうだね」
帰り道に商店通りがあるから便利だ。
そのまま歩いて商店通りに入り、ディシーが慣れた様子で近くの屋台に向かっていく。
「こんにちは、おじさん」
顔馴染みらしく、お店の人もディシーを見るとすぐに笑顔で挨拶をした。
「おう、ディシーか。今日は何買ってく?」
「ガルビュールを作るから、シューとかの野菜かなあ。あと、豆はある?」
「ああ、あるよ。今日は寒いしガルビュールはいいな。体の中からあったまるしな」
話しながらディシーがひょいひょいと野菜をお店の人に渡し、それをお店の人が袋に詰めていく。
お会計はヴァランティーヌさんがしていた。
色々な野菜を買うんだな、と思っていると「きゃあああっ!!?」と誰かの悲鳴が聞こえてきた。
振り向けば、獣人らしき男性がこちらへ走ってくる。
その手には女性もののバッグが握られていた。
「退けっ!!」
怒鳴りながら走ってくる男性に脇へ避ける。
避けつつ、ついでに足を引っ掛けてやった。
「うわっ?!」と驚きの声を上げながら、男性が転び、バッグを手放した。
すかさずヴァランティーヌさんがうつ伏せに転んだ男性の腕を掴み、背中へ乗って、動けないように抑える。
男性が「イテェッ!」「離せよ!」と喚いているけれど、ヴァランティーヌさんはそれを無視して近くの大人に警備隊を呼ぶように声をかける。
そうしていると道の向こうから別の獣人の女性が、人混みを割って出てきた。
ディシーが拾ったバッグを女性に差し出す。
「これ、お姉さんのですか?」
それに女性が安堵した様子でバッグを受け取った。
「ええ、私のです。……良かった、全部ある」
バッグの中身を確認して女性がホッと息を吐く。
「今、警備隊を呼びに行ってもらっているので少し待っていただけますか? それから怪我はしていませんか?」
「はい、もちろんです。怪我もありません」
「それは良かったです」
ディシーと女性が話している。
男性は相変わらずヴァランティーヌさんの下で逃げようともがいているものの、しっかり捕まえているようで身動きがあまり取れないようだった。
近くの屋台の人が気を利かせて箱を持って来てくれて、少し離れた場所に女性を座らせ、ディシーとわたしとで女性のそばにつく。
女性の体が小さく震えていた。
兎族の女性は小柄だ。
恐らくひったくりだったのだろう。
いきなりバッグを奪われて驚いたし、きっと怖かっただろう。
女性の背中をそっとさすると女性が微笑んだ。
「ありがとうございます……」
その微笑みはちょっとぎこちなくて、わたしは首を振った。
「いえ、いきなりのことで怖かったですよね。あのまま荷物が盗まれなくて良かったです」
そうして女性の背中を優しくさすり続ける。
こういう時は誰かがそばにいて、体温を感じていたほうが安心するのだ。
周りで様子を窺っていた人達も、ひったくりが捕まったと分かるとホッとした様子で歩いていく。
少しして、警備隊が到着した。
ヴァランティーヌさんが男性を警備隊に引き渡し、兎族の獣人の女性と共にわたし達もその場で簡単な事情聴取を受ける。
男性はすぐに引っ立てられて、女性は安全のために自宅まで警備隊が送り届けてくれることとなった。
「ありがとうございます」
別れ際、女性は深々とわたし達に頭を下げ、警備隊に付き添われて帰っていった。
「盗まれなくて良かったね!」
「うん、女の人のほうも怪我しなくて良かった」
こういうのって被害を受けた側はずっと記憶に残ってしまうだろうし、盗まれたら色々と困るだろう。
戻ってきたヴァランティーヌさんがディシーとわたしの頭を順番に撫でた。
「女性についていてくれて助かったよ。ああいう時は一人でいると心細いからね」
それから箱を屋台の人に返して、わたし達はそのまま買い物をつづけることにした。
先ほどの野菜を売っていたお店で購入したものを受け取り、お肉を買うために別の屋台へ行く。
「今日はちょっといい肉を買おう」
と、いうことで、ヴァランティーヌさんがお肉を売っているお店に着くと、ディシーに必要な物を訊き、あれこれとお店の人に話しかけてお肉を買った。
「さて、これで必要なものは買えたかい?」
ディシーが頷いた。
「うん、大丈夫」
「じゃあ帰ろうか」
日が落ちて薄暗くなってきた空を見上げる。
……あと一日。
一日我慢すれば、セレストさんが帰って来る。
そうと分かっているのに寂しいと思ってしまう。
空いた右手が冷たくて、少し寒かった。
セレストさんと手を繋ぎたい。




