新しい家(1)
時間はあっという間に過ぎて、わたし達がそれぞれの保護者に引き取られる日がやって来た。
警備隊のところにいたのは一週間ほどだ。
その一週間、毎日三食の食事が出て、わたしもディシーもちょっとだけ元気になった。
ただお医者様からは二人とも年齢に比べて食事量が少ないと言われた。
元が乾いた黒パン一切れか二切れに、野菜クズが僅かに入っただけの薄い塩味のスープが日に一度だけだったので、どうしてもそうすぐに食事量は増えないだろう。
それでも今までで一番食べている。
わたし達は最初に着ていた奴隷の時の服に着替えて──とは言っても綺麗に洗って、解れたところは繕ってあった──部屋で待つ。
朝食を食べて一時間ほど経ってからセレストさんとヴァランティーヌさんが部屋を訪れた。
「お待たせしました」
「やあ、元気かい二人とも」
セレストさんは引き取りが決まってからもほぼ会いに来てくれたのだが、ヴァランティーヌさんは毎日夕方頃に顔を見せに来ていた。
訊いたところ、セレストさんはわたしが番だから特別に休みをもらってわたしの世話をしに来ていて、ヴァランティーヌさんは仕事を終えてから会いに来てくれていたので夕方になったようだ。
「はい、元気です!」
ヴァランティーヌさんの問いにディシーが片手を挙げて返事をしたので、わたしも頷いた。
「そうかそうか、それは良かった。でもユイは出来るだけ言葉に出して返事をしなさい。そうしないとなかなか言葉が滑らかにならないよ」
ヴァランティーヌさんに言われてハッとする。
喋ってもつっかえるので大体頷きか首を振ることで返事を済ませていたけれど、確かに、いつまでも喋らずにいたら言葉も流暢にならないかもしれない。
「げ、んき、で、す」
「うん、偉い偉い」
わたしの言葉にヴァランティーヌさんが頷いた。
その横にいたセレストさんは反省した様子で肩を落としている。
「すみません、ユイが返事をしやすいように私が質問をしていたせいです」
言われてみればセレストさんはここ数日わたしにあれこれと訊いてきたものの、どれも頷きか首を振ることで反応出来る質問ばかりだった。
「もちろん、時にはそういう質問も大事さ。でもね、言葉ってのは自分で喋らないと上達しないものだ。セレストもユイも、これからは『相手と話すこと』を心がけるといい」
「はい、気を付けます」
「は、ぃ」
……今後はきちんと言葉にしよう。
見上げれば、セレストさんが屈んでくれた。
「そうでした、ユイに渡す物があります」
言って、セレストさんが小脇に抱えていた袋をわたしに差し出した。
柔らかな布で作られた袋は巾着みたいな形で、口の部分がキュッと絞ってある。
受け取ると「開けてみてください」と促される。
横を見ればディシーもヴァランティーヌさんから袋を渡されており、ディシーはすぐに袋を開けている。
わたしもドキドキしながら袋を開けた。
中を覗き込むと布らしきものが入っていた。
そっと手を入れて中身を掴み、引っ張り出す。
「!」
……服、かな?
セレストさんが袋を引き取ってくれて、わたしは出したそれを両手で持って高く掲げて見る。
それは裾がやや長いポンチョだった。
前開きタイプで、リボンで前を留められるようで、首と裾には可愛らしいフリルがついている。
生地は厚手だけど手触りはふかふかしており、今着ている古着のようにチクチクしたりザラザラしたりしていない。
見上げればセレストさんが袋をベッドの端に置いて、わたしに手を伸ばしてポンチョを持ち、広げてわたしの肩に羽織らせてくれた。
屈んだセレストさんがわたしの胸元でしっかり襟を合わせるとリボンを結んだ。
……あったかい!
軽くてふわふわしているのにきちんと暖かい。
袖を広げて自分の体を見下ろした。
ポンチョと言うよりローブに近い長さだ。
膝まで丈がある。
「おやまあ……」
何故かわたしを見たヴァランティーヌさんがおかしそうにクスクスと笑った。
首を傾げてヴァランティーヌさんを見上げたものの、何でもないと言うように首を振られる。
「寒くないですか?」
セレストさんの問いに頷いた。
「なぃ、で、す。……あり、が、と」
「どういたしまして」
セレストさんがニコリと微笑んだ。
「うわあ、あったかい!」
ディシーの声に振り向けば、ディシーも似たようなポンチョみたいな服を着ていた。
目が合うとディシーが笑う。
「ユイ、可愛い!」
ギュッとディシーに抱き着かれる。
「ディ、シーも、かわ、い、ぃ」
同じように抱き締め返す。
二年間ディシーと一緒に過ごしてきた。
これからは別々に暮らすことになる。
わたしはセレストさんの家に、ディシーはヴァランティーヌさんの家に引き取られるのだ。
「そんなに心配しなくても、明後日にはまた会えるよ」
あんまりギュッと抱き合っていたからかヴァランティーヌさんが苦笑する。
今日と明日はお互い新しい家に行って、新生活のために必要な物を揃えたり色々とやることがある。
でも明後日はヴァランティーヌさんもセレストさんも仕事があって第二警備隊に出仕するから、その時に一緒に連れて来てもらって会えるそうだ。
職場に子供を連れて来ていいのか気になったが、セレストさんは「許可が下りています」と言っていた。
セレストさんとヴァランティーヌさんが仕事をしている間、わたし達は第二警備隊の敷地内で過ごすことになっている。
第二警備隊の詰所はかなり広いらしい。
しかもどこにいても警備隊の人の目があるので安全なのだとか。
人間の子供は闇取引で高額で売買されるため、家に一人で残すことは出来ない。
だからわたし達もセレストさんとヴァランティーヌさんの生活に沿って、警備隊に一緒にくっついて来る生活になる。
「少し離れることになりますが、すぐにまた会えますからね」
セレストさんにも言われて、わたし達は体を離す。
それからわたし達は靴ももらった。
靴は多分子供用のフリーサイズみたいなもので、ややブカブカのブーツを前側にある紐を絞ることである程度大きさが調整出来る編み上げブーツだった。
ブーツは中がモコモコしていて暖かい。
ブーツを履いて、ポンチョを着て、部屋にある姿見の前へ立ってみる。
長いポンチョのおかげで下に着ている服はあまり見えず、フードを被ればざんばらの短い髪も隠れて目立たない。
……なるほど、奴隷のボロボロの服を隠すためにもポンチョタイプのものが良かったんだ。
「よく似合っていますよ」
セレストさんの手が伸びかけて、何かに気付いたように止まる。
それから手が一瞬彷徨って下げられた。
「さあ、家に帰りましょうか」
差し出された手を見る。
セレストさんは穏やかに微笑んでいる。
……わたしはこの人を利用する。
ウィルジールという人はそれでいいと言った。
セレストさんはそれを望んでいると言った。
……本当にそれでいいのだろうか。
わたしを見つめる金色の瞳は優しくて、欠片も敵意がなくて、感じるのは穏やかな空気だけだ。
そっとセレストさんの手に自分の手を重ねる。
それだけでセレストさんが嬉しそうに目を細めた。
「今日からよろしくお願いします」
わたしもそれに頷いた。
「ょ、ろし、く、です」
わたしは今日、セレストさんに引き取られる。
この選択が正しいのかどうかは分からない。
でも、恩人が望むなら今はこれでいいのかもしれない。
わたしは物事を判断するにはあまりにもこの世界のことを知らなさすぎるから。
* * * * *
四人で第二警備隊の詰所の正門に出る。
わたし達がいたのは、警備隊の医務棟で、怪我をした人や保護が必要な人が過ごす場所だったらしい。
ディシーとヴァランティーヌさんと別れ、セレストさんに手を引かれながらゆっくりと道を歩く。
ヴァランティーヌさんが住んでいるところはセレストさんの家とは方向が違うそうだ。
街は大勢の人々が行き交っていた。
外は結構寒い。
でもポンチョとブーツのおかげで全然寒くない。
セレストさんはわたしに歩調を合わせてくれていて、周りの人達も、手を引かれるわたしを見て、微笑ましそうな顔をしていた。
以前の、奴隷だからと蔑む視線はない。
「足は痛くないですか?」
まだ五十メートルも進まないうちにセレストさんに問われて首を振る。
「だぃ、じょ、ぶ、です」
「あそこに乗合の駅があります。そこまで歩いたら今度は馬車に乗りますが、馬車に乗ったことはありますか?」
「なぃ、です」
馬車に乗るのは前世も今生も初めてだ。
と言うか本物の馬を見たこともない。
それに気付いたのかセレストさんはゆっくりと歩きながら話してくれた。
「馬という四本足の生き物が、後ろに人が乗り込む部分をつけて引いて歩いたり走ったりするのが馬車です。乗合馬車は他の人も乗ります。その人達はユイを傷付けないので怖いことはありませんよ」
優しい口調のセレストさんに頷き返す。
駅というのは、どうやら馬車乗り場の名前らしい。
前世で言うところのバス停みたいな感じなのかもしれないが、バス自体にも乗ったことがないので、実際のところはよく分からない。
馬車は絵本なんかに出てきそうなものだった。
前世の、子供の頃に読んだ絵本にこんな感じの馬車が出ていたような気もする。
下が四角くて、上部は英字のUを逆さまにしたような形の骨が中にあるらしく、それが三つか四つ並んで立っているところに革か布のカバーがかかっているだけのもののようだった。
馬車の前には馬が二頭いる。
セレストさんが馬車のそばにいた小太りの男性に話しかけて、大人と子供が乗ることを告げて、何かを渡していた。
……お金かな?
まだこの世界のお金を見たことがない。
「ユイ、この生き物が馬です」
セレストさんが馬を指差した。
それに馬がこちらへ顔を向ける。
……お、大きい……。
前世のテレビや本で見るのとは違って、かなり大きく、足もがっしりと太い。
馬がスッと顔を下げて鼻先を近付けてきた。
思わずビクリと体が跳ねた。
だけど馬はわたしの目の前で止まった。
恐る恐る見ると、意外にも大きな瞳はぱっちりとしていて睫毛が長く、面長の顔立ちは温厚そうだ。
「うちの馬は気性が穏やかだから触っても大丈夫ですよ」
と、小太りの男性が言った。
男性は背が低くて、でも体つきはかなりがっちりしていて、ヒゲがもっさり生えていて分かり難いが、多分笑ったのだと思う。
セレストさんが頷いたのでそっと手を伸ばす。
まずは触れずに掌を差し出せば、馬はわたしの手に鼻を寄せて小さくフンフンと匂いを嗅いだ。
それから控えめに顔が寄せられる。
初めて触った馬の毛並みはツヤツヤで、少しふかふかで、温かな体温の下に筋肉などの硬さが感じられた。
セレストさんも馬に手を伸ばして、その首を撫でた。
真似して馬の頬を撫でると、馬は嬉しいのかわたしの手に顔を擦り付けてくる。
……大きい、けど、可愛い。
両手で馬の顔にそっと触る。
その大きな黒い瞳には知性が感じられた。
……もう怖くない。
「では馬車に乗りましょう」
馬の顔を一通り撫でた後、セレストさんに促されて馬車の後方へ回る。
馬車の後ろは左右に開くようになっていて、今はそのカバーが左右に上げてあって中が窺える。
中には既に数人乗っていた。
馬車は結構な高さがあった。
「抱えますね」
言われて頷く。
抱えてもらわないと乗れそうにない。
セレストさんの手がわたしの両脇に差し込まれ、ヒョイと軽い動作で持ち上げられる。
馬車の中に乗せられてどうすればいいのか戸惑う間もなくセレストさんも慣れた様子で乗り込んできた。
手を引かれて空いている席に座る。
座る部分も足元も板張りだ。
馬車の正面と後ろは開いているから、やや薄暗いかなという程度の明るさで、乗っている人達の顔も見える。
つい馬車の中をまじまじと眺めていたら、横に座っていた獣人の中年の女性に声をかけられた。
「お嬢ちゃん、馬車は初めて?」
突然だったので驚いた。
セレストさんの手を握ると抱き寄せられた。
「ええ、そうなんです。この子は体が弱くて今までずっと家の中で過ごしていたので馬車は初めてなのです。それに少し人見知りでして」
「あら、まあ、そうなの。それじゃあ急に話しかけてビックリさせちゃったかしら? ごめんなさいね」
申し訳なさそうな女性にわたしは何とか首を振った。
わたしが反応したことで女性はホッとした様子で微笑んだ。
「でも元気になって良かったわね。これからもっともっと元気になって、お兄さんを安心させてあげないと」
女性がそう言って、膝の上にあったカゴからリンゴによく似た赤い果物をくれた。
果物はわたしが両手で持つと指先がギリギリ触れ合わないくらいの大きさで、真っ赤で、表面はツヤツヤしていて皮はツルツルで美味しそうだった。
セレストさんが「ありがとうございます」とお礼を言って、わたしも慌ててお礼を伝えた。
「ぁ、りが、と、う」
途切れ途切れの小さな声だったけれど女性には聞こえたようで、女性は「いいのよ、貰いものだもの」と朗らかに笑ってくれた。
セレストさんが一度リンゴらしき果物を手に取ると、ハンカチで表面を拭いてから返される。




