お泊まり(1)
翌日、セレストさんと一緒に第二警備隊へ行った。
魔獣討伐に向かう人達は一度出仕して、全員が揃ったところで街の外に出るようだ。
だから三日間のお別れをしなければならない。
わたしをいつも通り第四事務室まで送ってくれたセレストさんは、わたしの頭を撫でる。
「それでは行ってきますね」
頷いて、セレストさんに言う。
「行ってらっしゃい、セレストさん」
セレストさんが微笑んで頷いた。
* * * * *
「ユイ、迎えに来たよ」
という声に顔を上げる。
第四事務室の出入り口にヴァランティーヌさんとディシーが立っていた。
中へ入ってきたヴァランティーヌさんは、わたしの机の横に置かれた大きな鞄をひょいと持つ。
「あ、ありがとうございます」
立ち上がったわたしにヴァランティーヌさんが「いいんだよ」と笑った。
ディシーがわたしの手を握る。
「今日から三日間、一緒だね!」
ディシーとヴァランティーヌさんを見て、浅く頭を下げる。
「よろしくお願いします」
ヴァランティーヌさんがわたしの頭を撫でた。
「いつもセレストの家に遊びに行かせてもらっているからね、こういう時くらいは気にせずうちにおいで」
「そうそう、それにユイが一人でいるってほうが私達も心配だし。さあ、行こう?」
ヴァランティーヌさんに荷物を持ってもらい、ディシーに手を引かれて事務室を出る。
先を歩くディシーの背中を見ながら思う。
…………成長したなあ。
わたしもディシーも助けてもらった時は年齢のわりに小柄だと言われていたが、今のディシーは多分、百六十前後くらいだ。
十五歳のディシーなら平均だろう。
むしろ十四歳になっても百五十前後のわたしのほうが平均よりも低い。
ディシーはこの三年近くの間にグッと成長した。
身長もそうだけれど、前のガリガリに痩せていた時とは打って変わって女性らしい体型になった。
よく食べ、よく動くからだろうか。
わたしも成長したけれど、全体的に薄くて、小さくて、あまり女性らしいとは言えない。
「帰ってから食事を作るけど、ユイはお腹減ってない? 大丈夫?」
と、振り向いたディシーに訊かれる。
「大丈夫。食事作るの手伝うよ」
「いいの、いいの! 私、食事作るの好きだし、せっかくユイに作ってあげられる機会なんだから、ユイはのんびり待っててよ」
第二警備隊を出て、いつもと違う方向へ歩き出す。
ふと感じたものが何なのか考える前にディシーに話しかけられた。
「ユイは何が食べたい?」
訊かれて困った。
むしろ、今まで食べたものの中で嫌いだと思ったことのほうが少ないというか、ほぼなかったからだ。
どれも美味しいし、また食べたいとも思う。
「食べものはどれも好きだよ」
「そっか、じゃあ今日はグラタンにしよう。この間、近所のおじさんが沢山ポムドテールをくれたんだ〜」
……ポムドテールって確かじゃがいもだっけ?
ヴァランティーヌさんが「いいねえ」と言う。
「ディシーは料理上手だけど、グラタンは特に美味しくて好きだよ」
「そう? 今日はユイもいるから多めに作るね!」
ディシーが嬉しそうに笑った。
「ユイはグラタン、好き?」
うん、と頷きながら思う。
一瞬ポムドテールが何なのか分からなかった。
考えてみるとわたしは食べものの名前をあんまり覚えていない気がする。
セリーヌさんとレリアさんが毎日美味しい料理を作ってくれるし、二人がお休みの時は外食しているものの、セレストさんが連れて行ってくれるお店では大体その日のオススメメニューにしてしまう。
……わたし、料理も全く出来ない。
いまだに火を使おうとするとセレストさんに危ないからと止められるのだ。
だから料理を温めたり、飲み物を用意したりするのはいつもセレストさんで、わたしは待っているだけ。
それが当たり前になりつつあるけれど、それってかなり問題なのではないだろうか。
出されたものを食べているのに、それが何という名前なのか知らないことも珍しくない。
「昔はポムドテールって全然美味しくなかったけど、料理の仕方ですごく変わるんだよ。グラタンにするとあのホクホクした食感にとけたチーズとソースが合って、私も大好きなの!」
グラタンはわたしも好きだ。
セリーヌさんが時々作ってくれるけれど、個人的に一番好きなのは野菜たっぷりのパングラタンだ。
とろけたチーズとソースが絡んだパンはとても美味しいし、野菜や肉もグラタンだと普段よりも沢山食べられる。
「わたしもグラタン好き。でもポムドテールのグラタンは食べたことない」
「そうなの? ユイが初めて食べるなら頑張って作るね。今までで一番美味しいの作るよ!」
ヴァランティーヌさんが「それは楽しみだね」と言い、わたしもそれに頷いた。
そうして通りを歩いて行く。
第二警備隊からヴァランティーヌさんの家はさほど離れていないそうで、途中で商店通りを抜ける。
「ミルクもチーズも家にあるし。……ヴァランティーヌさんが一番好きなのがポムドテールのグラタンで、何度も作ってるから私の得意料理でもあるの。今日も作ろうって実は思ってたんだ」
「そうなんだ。グラタン楽しみ」
きっと美味しいだろう。
…………ん?
「ヴァランティーヌさんは料理しないの?」
見上げるとヴァランティーヌさんが「あー……」と視線を逸らす。
それにディシーが苦笑する。
「あのね、ヴァランティーヌさんは料理が出来ないの。全部焦がしちゃうし、奇跡的に残っても味付けがすごく変だし、美味しくないんだ〜」
「え」と驚いてヴァランティーヌさんをもう一度見る。
美人で、いつも何でも教えてくれて、剣だって体術だって強くて、魔法も使えて、どう見ても完璧に見える人なのに。……料理は下手?
まじまじと見るわたしにヴァランティーヌさんが困ったような顔をした。
「アタシだって昔っから練習してるし、母親にだって習ったんだけどね。どうしても料理だけは上達しなかったのさ」
すごく意外だけど、でも、なんだか分かる気もする。
ディシーが振り返った。
「それ、すっごく重要だからね! 最初にヴァランティーヌさんが作ってくれた料理を見た時、ビックリしたんだから」
「それについては謝ったじゃないか。ちゃんとその後に外に食事に連れて行っただろう?」
「そういう問題じゃないの。毎日外食なんてお金もかかるんだから自分で作らなきゃ。お店の味も悪くないけど、やっぱり味の好みだってあるでしょ?」
「もう!」とディシーが頬を少し膨らませる。
普段と違う二人の様子が不思議だ。
先生だったヴァランティーヌさんが、今は逆に手のかかる子供みたいで、子供だったディシーがまるでお母さんかお姉さんみたい。
「ディシー、大変じゃない?」
訊くとディシーは首を振った。
「ううん、全然。楽しいよ。だって毎日食べたいものを作れるし、食べて『美味しい』って言ってくれる人もいるし。元々お母さんの手伝いもしてたから料理は好きだよ」
「そっか」
「おかげでディシーには頭が上がらないよ」
ははは、と困ったようにヴァランティーヌさんが苦笑して、ディシーも「養子が私で良かったね」と胸を張っていて。
そういうのがディシーとヴァランティーヌさんの関係なのだろう。
わたしとセレストさんとは違った関係性だけど、お互いに信頼し合っているのが伝わってくる。
ディシーはディシーなりにヴァランティーヌさんへの恩返しの方法を見つけたんだ。
それが少し、羨ましかった。
わたしは与えられるばっかりだから。
三人で通りを歩いて、ヴァランティーヌさんの家に到着した。
ヴァランティーヌさんの家は二階建てだった。
窓辺や玄関周りに植物が沢山飾ってある。
ヴァランティーヌさんが玄関に立ち、鍵で扉を開けた。
「いらっしゃい、ユイ」
「ゆっくりしていっておくれ」とヴァランティーヌさんに手招きされる。
ディシーに優しく背中を押されて中へ入った。
「おじゃまします」
ヴァランティーヌさんの家は緑が多かった。
色の話ではなくて、本当に緑、つまり植物がそこかしこに置かれている。
セレストさんの家では少し花を飾るくらいなので、ここまで植物が中にあるのは不思議な感じがする。
思わず植物を眺めているとヴァランティーヌさんが振り向いた。
「ああ、ユイはエルフの家は初めてか」
ヴァランティーヌさんが言うに、エルフは本来森の中の村で暮らしているため、近くに自然のものがないと落ち着かないのだそうだ。
……だからこんなに植物があるんだ。
でも鬱陶しい感じはない。
植物があることで癒しになっていると思う。
「私も初めて来た時は驚いたけど、植物が近くにあると気持ちいいんだよ。それに毎日お世話して、綺麗な花が咲くと嬉しいし」
玄関の横の壁にあるフックに上着をかけながらディシーが言う。
それから家の奥に招かれて、居間だろう場所に通された。
……うわあ、うちと全然違う。
壁にタペストリーや自然の絵画が飾られ、置かれたソファーには植物の刺繍の施されたクッションが並び、床に敷かれた絨毯らしきものには動物の刺繍がされている。
置いてある家具はどれも無骨で、それらが時間をかけて手作りされたものだと分かった。
華美さはないが、落ち着いた雰囲気がある。
「荷物はディシーの部屋に置いておくよ。ソファーにでも座って待っていておくれ」
「私は夕食作ってくるから、ユイとヴァランティーヌさんはゆっくりしててね」
と、二人が言い、わたしだけが残される。
言われた通りソファーに座ってみる。
……あれ、なんだろう。
暖炉の上に鹿みたいな生き物の骨が飾られている。
扉が開いてヴァランティーヌさんが戻ってきた。
どうやら上着も置いてきたらしい。
持ってきたお盆をテーブルに置き、暖炉に近付くと小さく詠唱し、暖炉に火が灯る。
そうしてヴァランティーヌさんもソファーへ腰掛けた。
お盆の上にあったカップの一つを差し出される。
受け取れば、中には紅茶だろう液体が入っていた。
「こうしてユイと二人で顔を合わせるのは久しぶりだねえ。ちょっと前まで文字を教えていたはずなのに、気が付けばもう働くようになって……」
しみじみと言われて首を傾げてしまう。
「セレストさんも時々、似たようなことを言います」
「ああ、そうだろうね、竜人もエルフも長生きだから時間の流れが人間とは違うのさ」
「どれくらい違うんですか?」
わたしの質問にヴァランティーヌさんが苦笑する。
「うーん、難しい質問だね。……でも、たとえるならユイにとっての一年が、アタシ達にとっては一月そこらに感じる。そんな感じかねえ」
全く時間の感覚が違う。
だからセレストさんもよく「ユイはあっという間に成長してしまいますね」と感慨深そうな顔をするのだろう。
「じゃあ、一日なんて一瞬ですね」
ヴァランティーヌさんが頷いた。
「ああ、そうかもねえ。ついこの間ディシーを引き取ったと思ったのに、もう来年には成人してしまうんだから時間なんてものは本当に早いものさ」
セレストさんも同じように感じているのだろう。
ヴァランティーヌさんが言う。
「アタシ達にとって、人間は儚い生き物だよ。十年くらいの感覚で一緒に住んで、たったそれだけで死んでしまう。愛情が深まったところで消えてしまうんだ」
ヴァランティーヌさんの言葉にハッとする。
綺麗な新緑の瞳が静かにわたしを見た。
「だから、セレストを沢山愛してあげて」
その言葉に、声に、色々な感情がこもっている。
「少しでも長く一緒にいて、思い出を作って、あの子がその後も悲しくならないように」
新緑の瞳が優しく細められた。
「あの子は、セレストは生まれた時から知っているんだ。赤ん坊の頃に何度か抱いたこともある。あの子の成長をなんだかんだ見守ってきて、番が見つかって本当に良かったと思ってる」
「でもね」とヴァランティーヌさんが眉を下げた。
「セレストの番が人間だと知った時は、あの子を憐れに思ってしまったのさ。あまりに寿命が違いすぎる」
「……ヴァランティーヌさんは、わたしがセレストさんの番であることに反対していますか?」
その問いにヴァランティーヌさんは首を振った。
「以前のアタシだったらどうか知らないけどね、今は反対してないし、セレストの番がユイだというならそれが運命なのだと思ってるよ」
静かな声だった。
……以前のヴァランティーヌさんなら?
「ディシーを引き取って、毎日共に過ごして。……アタシもセレストと似たようなものさ。娘のほうが先に死んでしまう」
言われて、そうだと気付く。
ヴァランティーヌさんとディシーだって寿命に差がある。
千年は生きるエルフと百年しか生きられない人間。
ディシーのほうが早く寿命を迎える。
「だけど引き取らなければ良かったと思ったことはないよ。ディシーのおかげで毎日楽しいし、家の中も明るくて、あの子を引き取れたことはアタシにとっては幸運なことさ」
ヴァランティーヌさんが優しく微笑む。
「それに娘が残されるより、最期までそばにいてやれるほうがいい。見届けられるのは幸せなことだ」
「……セレストさんも、そうだと思いますか?」
「さあね」とヴァランティーヌさんが苦笑する。
「そればっかりはセレスト自身に訊いてごらんよ」
その言葉に頷いた。
でも、あんまり訊きたくないような気もする。
……本当に、どうしようもないのかな。
死んでしまったらそこで終わりなのだろうか。
わたしにあんなに心を傾けてくれるセレストさんが、わたしが死んだ後、平気でいられるのか。
重く静かな空気の中、パン、とヴァランティーヌさんが手を叩いた。
「まあ、それもこれも数十年は先の話さ。ユイもディシーも、とにかく今を一生懸命生きて、長生きしておくれ」
「うん、長生きします」
その後はディシーが呼びに来るまで、ヴァランティーヌさんから小さい頃のセレストさんについて教えてもらった。
子供の頃のセレストさんもわりと物静かな子だったそうだけど、ウィルジールさんと知り合ってからは、そのウィルジールさんに引っ張り回されていたらしい。
おかげでセレストさんは、街のガキ大将的な存在のウィルジールさんの右腕みたいな扱いだったのだとか。
それで大人から怒られることも多かったそうだ。
セレストさんからもたまに子供の頃の話を聞くけど、ヴァランティーヌさんから聞いた話のほうがやんちゃな印象だった。
「だけど嫌がらなかったってことは、セレストもそれなりにやんちゃしたい年頃だったんだろうねえ」
子供の頃のセレストさんをわたしも見てみたかった。
……きっと可愛い見た目だっただろうなあ。




