無属性の魔力(1)
あれから少し経ち、わたしは十四歳になった。
セレストさんとの関係は相変わらず曖昧なままだけれど、それでも以前とは違う部分もある。
まず、距離が近くなった。
番になることを決めてから「少しずつ慣れていってもらうと思います」と言って、変わった。
距離が近くなったのもそうだけれど、よく触れてくるし、猫可愛がりされるし、前よりも過保護になった気がする。
……いや、それも違うかなあ。
過保護というより、わたしへの執着心が強くなったのだと思う。
それに加えて、マーキングもしているらしい。
朝起きた時と夜寝る前に、頬や額にキスされる。
よく触るのも匂い付けなのだとか。
わたしにはあまり分からないが、やはり獣人や竜人は匂いが分かるそうで、たまに仕事中に他の人と接触してしまうとセレストさんにすぐに訊かれることもある。
やましいことは何もしていないので答えるけど。
嫉妬というよりかは、知らない匂いがすると不安なのだとかで「ユイの交友関係が気になってしまって……」とも言われた。
わたしの交友関係はかなり狭いし、セレストさんに隠すこともないので、最近は家に帰ると今日あったことをセレストさんに報告するのが日課になりつつある。
そうしてセレストさんも同じように、その日にあったことを話してくれる。
それと、休日に出かけることも増えた。
ヴァランティーヌさんにその話をしたら少し呆れていた。
「まあ、セレストも浮かれているんだろうねえ」
と、いうことだった。
そう思うとセレストさんの行動も可愛く思える。
そんな感じでわたし達はなんだかんだ仲良くやれている。
ただヴァランティーヌさんにはこうも言われた。
「嫌なことは嫌だって言うんだよ。竜人は番至上主義だからね、番の嫌がることは我慢するさ」
でも、嫌だと思ったことがない。
セレストさんはいつだってわたしに「これは大丈夫ですか?」と問いかけてくれるから。
つい、受け入れたいと思ってしまうのだ。
* * * * *
その連絡があったのは午後の休憩を少し過ぎた頃であった。
セレストが第三救護室に詰めていると、警備隊員が駆け込んで来た。
「馬車の暴走事故だ!!」
瞬間、救護室の空気が張り詰める。
「場所は?」
問いかけながらセレストは立ち上がる。
他にも待機していた者達もすぐに立ち上がった。
「ラモーンズ通り十五の三、負傷者多数!」
「了解しました。即座に向かいます」
同じ第三救護室の者達と共に部屋を出る。
三班は治癒魔法士で構成されており、基本的にいくつかに分かれて救護室を任されている。
そうして、持ち回りで外勤と内勤がある。
基本的には内勤、救護室に詰めているのだが、定期的に外勤が回ってくる。
外勤は街で何か起こった時にすぐさま出動しなければならない。
セレストのいる三班の第三救護室は今週、外勤に割り当てられている。
馬車に飛び乗り、事故の起こった現場へ向かう。
「馬車の暴走事故と言っていましたが、被害はどの程度ですか? 死者は? 負傷者の正確な人数は?」
呼びに来たのはまだ若い獣人だった。
「二頭立ての馬車がラモーンズ通り十二番から十五番まで暴走し、噴水に突っ込みました。最悪なことに午後の休み時間と重なっており、通りには多くの通行人がいたようで、負傷者の正確な人数は分かりません。ただ、俺が出た時にはまだ死者の報告は上がっていませんでした!」
その獣人の青年も落ち着かない様子で、視線を彷徨わせており、セレストはその獣人の肩を掴んだ。
「しっかりしなさい。あなたは警備隊員なのですよ。我々が動揺していては街の人々にも、負傷者にもその不安が広がって混乱してしまいます。……私達も出来る限り治療に専念するので、あなたもあなたのやるべき仕事を行いなさい」
獣人の青年はハッと息を呑み、そして頷いた。
きっと現場は混乱しているだろう。
その混乱を鎮めなければいけない。
警備隊が不安そうな姿を見せれば、それは見ている街の人々にも、負傷者にも伝わってしまう。
それが更なる混乱を招いてしまうこともある。
馬車は現場へ近付いたものの、人だかりのせいでそれ以上は進めず、セレスト達は馬車を飛び降り、駆け足で現場へ向かう。
現場に近付くにつれて血の臭いが漂ってくる。
その臭いの濃さにセレストはぐっと唇を引き結んだ。
現場に到着すると、道には倒れた人や座り込んだままの人などがおり、先に到着していた別の警備隊の班が出来る限りの手当てなどを行なっていた。
「私とレミ、ハーヴィーは十二番地区を、ウィジエンとアルマ、バルセロは十三番、ミーシアとシエラ、セスティナは十四番、残りは十五番に、様子を見て手が必要な場所に当たりなさい!」
セレストの指示に「了解」と全員が声を揃えて言う。
第三救護室のまとめ役はセレストである。
その理由は、最も長く第三救護室で働いているからという単純なものであったが、誰もがセレストを信頼してくれている。
すぐさま全員がそれぞれの持ち場へ足を向けた。
セレストも近くで手当てをしている隊員に声をかけた。
「怪我人に判別紙は?」
「つけてあります!」
「分かりました、重傷者から順に治療していきますので、あなた方は手当てを続けてください」
ザッと辺りを見回す。
判別紙とはその名前の通り、怪我の程度を一目で確認出来るようにしてある紙のことだ。
治癒や手当てがあまり要らない軽症者なら青、手当てが必要な軽症者なら緑、治癒魔法が必要な軽症者なら黄色、中度の負傷ならオロンジュ色、そして重度の負傷者なら赤と色分けされている。
手当てをした者が怪我の程度を見て、負傷者の手や足などにその紙をつけるのだ。
見回して思ったのは、赤やオロンジュ色の多さだった。
……これは魔力が足りなくなるかもしれない。
かなり厳しい状況になるだろう。
「そこの君!」
セレストは近くにいた警備隊員に声をかける。
「第二警備隊に戻り、魔力回復薬を持って来てください。最低でも二箱、出来れば四箱お願いします!」
「了解しました!」
セレストは近くに寝かされている負傷者を見る。
「大丈夫ですよ、今、治癒魔法をかけますからね」
出来る限り普段通りの口調で声をかけてから、治癒魔法の詠唱を行う。
一人でも多くの命を救うために。
セレストは治療を開始した。
* * * * *
「ユイはいるかい?」
終業時間になり、セレストさんを待っていると、何故かヴァランティーヌさんがやって来た。
もう殆どの事務員達は帰っている。
「ヴァランティーヌさん」
駆け寄れば、ヴァランティーヌさんが眉を下げた。
「悪いね、セレストは外勤で出払っててね」
「何かあったんですか?」
いつも必ず迎えに来てくれるのに。
それに不安が過ぎる。
「ああ、ラモーンズ通りで馬車が暴走して、多数の負傷者が出ているらしいんだ。セレストは負傷者の治療に向かってる」
馬車の暴走事故。
想像するだけでゾッとする。
いつも通勤で馬車に乗っているけれど、ああいうものが暴走した時、止められる人は少ないだろう。
……死んだ人がいないといいけど……。
「戻ってくるまでアタシらと待っていよう」
ヴァランティーヌさんに促されて第四事務室を後にする。
受付にいるディシーを迎えに行き、人気のなくなった玄関ホールのソファーに座って待つ。
治療をしに行っただけだから危険なことはないだろうが、それでも、やっぱり心配だ。
玄関ホールは慌ただしく隊員が出入りしている。
よほど大きな事故なのだろう。
ディシーがそっとわたしの手を握った。
「怪我した人達、すぐに治してもらえるといいね」
ディシーの言葉に頷く。
「ラモーンズ通りはよく行くから、しんぱい」
「うん、あそこは商店通りだし、もしかしたら怪我人がいっぱいいるのかも」
わたしとディシーが話しているとヴァランティーヌさんが「そうさねぇ」と頷いた。
「午後の休憩時間に起きたらしい。時間帯が悪かったね。多分、外に出ていた者も多かったと思うよ」
それは最悪なタイミングだ。
「休憩の少し後に呼ばれて、まだ戻って来ないってことは相当な数の負傷者がいるか、もしくは──……」
ヴァランティーヌさんの声を遮るようにバタンと大きな音を立てて玄関扉が開けられた。
駆け込んで来た隊員が他の隊員へ言う。
「魔力回復薬、追加だ!」
それに言われた隊員がギョッとした顔をする。
「え、だけど、もう既に四箱持ってっただろ?」
「足りないんだよ! 重傷者が多すぎる!!」
「でも使用限度量が──……」
ヴァランティーヌさんが立ち上がった。
「なんだって? そいつはまずい」
ヴァランティーヌさんは隊員達に話しかけるとすぐにわたし達を振り返った。
「ディシー、ユイ、アンタ達、怪我の手当ては出来るかい?」
「出来るよ」
「できます」
即答したわたし達にヴァランティーヌさんが「ついておいで」と手招きしながら歩き出す。
「どうやらのんびり待ってるわけにはいかないようだ。アタシも多少は治癒魔法が使えるからね、応援に行ったほうが良さそうだ」
「どういうこと?」
ヴァランティーヌさんの言葉にディシーが訊く。
「セレストのいる三班は治癒魔法に特化した魔法士達の集まりだろう? その魔法士達が魔力回復薬を使っても治療しきれないほど怪我人がいるってことさ。それに魔力回復薬を追加するなんて……非常事態だよ」
そう答えたヴァランティーヌさんは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「魔力回復薬は飲めば魔力を回復する。でもね、そんなものに何の副作用もないと思うかい? 日に二、三本までならそこまで酷い副作用はないけどね、それ以上ってなると重い副作用が出るのさ。それを無理に続ければ最悪死んでしまう。だから本来なら魔力回復薬は良くても日に二本まで。それ以上は毒になる」
毒、と聞いて血が下がる思いがした。
「そうと分かっていて追加を頼むってことは、相当な重傷者がいるか、怪我人が多すぎて捌ききれないってことだ」
目的地に着いたのかヴァランティーヌさんが扉を開けた。
後ろからついて来ていた隊員が部屋に入ると慌てて箱に手を伸ばす。
「ディシー、ユイ、手伝っておくれ」
言われてわたし達も瓶の入った箱を運ぶ。
……本当は持って行きたくない。
誰かを救うためにセレストさんが無理をするなんて、そんなの、本末転倒だ。
でも追加を頼むということは、きっと、セレストさん達は怪我をした人達を助けたいのだ。
そうして、それがセレストさんの仕事でもある。
玄関までいくつか箱を運び、他の隊員が治療道具を持ってきて、それらを馬車に乗せていく。
それからわたし達と数名の隊員が馬車に乗った。
「現場に着いたら負傷者の手当てをしておくれ。ある程度はやってあると思うけど、怪我をした人の様子を見たり、治療道具を運んだり、今は少しでも人手が必要だ」
ヴァランティーヌさんに言われて頷いた。
わたしもディシーも手当てに関しては得意だ。
戦闘用奴隷だった時は怪我をしてもご主人様達は治療してくれないし、治癒魔法もかけてくれなかったので、いつも自分達で手当てをしていた。
幸い、手当てに必要な道具だけはもらえたから。
血も傷も見るのだって平気だ。
馬車は急いでいるようでガタガタとかなり揺れる。
ヴァランティーヌさんも隊員達も静かに座ってるけれど、空気がピリピリしている。
わたしもディシーも黙って座っているが少し落ち着かない。
そのまま馬車は走り続けて、そして現場に着いた。
馬車から降りてすぐに感じたのは血の臭いだった。
人だかりが道の左右に出来ている。
「魔力回復薬、持ってきたよ!」
ヴァランティーヌさんが声をかければすぐに返事があった。
「こっちへくれ!」
「こっちにもください!」
声の一つはセレストさんと同じ三班のレミさんだ。
切迫した声に、隊員達が慌てて回復薬を持っていった。
ヴァランティーヌさんが瓶を片手に、振り返った。
「アタシも治療に当たる。ディシーとユイは負傷者の様子を見てやっておくれ。青が一番軽症者で、緑、黄色、オロンジュ色と重症になっていく。赤が一番酷い怪我人だ」
「分かった!」
「わかった」
頷けば、ヴァランティーヌさんは走って行った。
わたしとディシーは一瞬だけ顔を見合わせ、それからすぐに別々のほうへ駆け出した。




