気持ち
それからシリルは毎日ディシーに会いに来た。
アルバレスト商会がグランツェールにいる数日の間は、夕方、ディシーの仕事が終わる頃に第二警備隊に来て、その後はヴァランティーヌさんと三人で街を見て回ったり、食事をしに行ったり、色々していたようだ。
わたしは初日以降は会っていない。
ヴァランティーヌさんとディシーとシリルの三人のほうがいいだろうと思ったのだ。
シリルはアルバレスト商会の人間なので、用事が済めば王都へ帰ってしまう。
せめてその間くらいは姉弟で少しでも長く一緒にいる時間を作ってあげたかった。
わたしはいつでもディシーに会える。
でもシリルとディシーはそうではない。
それにわたしが行くとセレストさんも一緒に来るので、毎日セレストさんを連れ回すのもちょっとどうかと思うのだ。
セレストさんとシリルはほぼ会話がない。
嫌っているわけではないみたいけれど、好きというわけでもなくて、微妙な感じなのだ。
……まあ、そうだよね。
わたしはシリルに勉強を教えていたものの、セレストさんはそばにいるだけで、それほどシリルとの関わりはない。
あと、わたしも考えたいことがあったから。
……セレストさんとのこと。
セレストさんはわたしにとって、大事な人だ。
まだ恋愛は分からないけど、家族としても、恩人としても大切だし、一緒にいたいと思う。
セレストさんの優しさを感じる度に胸が温かくなる。
セレストさんの微笑みを見るとすごく安心する。
旅の間も、セレストさんの腕の中は心地好かった。
…………やっぱり、わたしは…………。
「ユイ、どうかしたの?」
ディシーの言葉で我に返る。
「……ううん、なんでもない」
「そう? ならいいけど……」
わたし達は馬車に乗っている。
今日、シリルを含めたアルバレスト商会は『新緑の息吹』に護衛をしてもらい、王都へ帰るのだ。
わたしとディシーはその見送りをするために、ヴァランティーヌさんとセレストさんについて来てもらい、アルバレスト商会の泊まっている宿へ向かう道すがらだ。
まだ早朝なので人気はまだ少ない。
「もうシリルは帰っちゃうんだよね」
そう呟いたディシーは落ち込んだ様子だった。
「もうあえないわけじゃないよ。それに、おたがいのいばしょがわかったんだから、これからはてがみをおくればいいんだよ」
そっとディシーの肩に触れる。
ヴァランティーヌさんも「そうさ」と頷いた。
「それにディシーがもう少し大人になったら会いに行けばいいのさ。確かに王都とグランツェールは離れてるけど、会えない距離じゃあないんだから」
ヴァランティーヌさんがディシーの頭を撫でる。
「……うん、そうだね、会えなくなるわけじゃない。離れちゃうけど、その分、沢山手紙を書けばいいんだよね!」
ディシーが顔を上げる。
そこにはいつもの明るい表情のディシーがいて、わたしはホッとした。
馬車は宿の近くの駅に停まったので、そこから歩いて宿へ向かう。
すると、もうアルバレスト商会が出発の準備で忙しそうに動き回っていた。
でも、わたし達に気付くとアルバレスト商会の人達はすぐにエルデンさんとシリルを呼んでくれた。
セレストさんとエルデンさんが話をし始め、ディシーとシリルも別れの挨拶をする。
「なんだ、姉ちゃん見送りに来たのか?」
「当然でしょ。離れちゃうんだから、見送りくらいしておかなくちゃ」
「そっか」
そこで一瞬、沈黙が落ちる。
そうして、どちらからともなく抱き締め合う。
「元気でね、シリル」
「ああ、姉ちゃんも」
ギュッと強く抱き合っているのが分かった。
「沢山手紙書くからね」
ディシーの言葉にシリルが笑った。
「オレも書くよ。でも、忙しいから毎日は無理」
「私だって毎日は無理だよ。それにここから王都まで遠いんだから、毎日書いて送ってたらお金なくなっちゃう」
「じゃあ手紙が届いたら返すってことで」
ディシーもシリルも泣きそうな顔で笑っていた。
別れがつらいのは当たり前だ。
無理やり引き離された家族と再会出来たのに、たった数日でまた離れることになる。
ディシーがアルバレスト商会について行くことは出来ない。
仕事もあるけれど、ヴァランティーヌさんが保護者なので、保護者の下にいなければならないのだ。
そして、それはシリルも同じだ。
シリルの保護者はエルデンさんで、下働きとして働いているものの、シリルも保護対象である。
「成人したら会いに行くから」
シリルが頷く。
「オレも、また大旦那様がこっちに来る用があったらついて来るから」
ディシーが頷いた。
二人はお互いの背中を二回、叩いた。
それから、やっぱりどちらからともなく体を離す。
シリルがヴァランティーヌさんを見た。
「姉ちゃんをお願いします」
ヴァランティーヌさんが大きく頷いた。
「もちろんさ。ディシーはアタシの可愛い娘だからね。そのディシーの弟のアンタも、アタシの身内みたいなものだよ。まあ、保護者がいるだろうけど、困ったことがあったら連絡してきな」
「ありがとう」
ヴァランティーヌさんはシリルを気に入ったようだ。
ディシーが嬉しそうにニコニコしている。
「困ったことがあったら言ってね。お姉ちゃんが何とかしてあげるから」
「じゃあお小遣い貸して」
「それはダメ。シリルだって稼いでるでしょ?」
ディシーとシリルが顔を見合わせて、あはは、と同時に明るい笑い声を上げた。
ふとシリルがわたしを見る。
「ユイもありがとう。計算を教えてくれたのもだけど、グレイウルフから守ってくれたこと、忘れない」
それにわたしは首を振った。
「べつにいいよ」
「いいや、良くない。商人は恩をもらったら必ず返すんだ。一生分の恩をオレはもらった。今はまだ下働きで返せないけど、いつか、ちゃんと恩返しするから」
シリルの真剣な表情にわたしは困った。
恩を返してもらいたくて助けたわけではない。
どう返すか迷っているとディシーが笑った。
「じゃあさ、ユイ、シリルが商人になった時に商品を安く売ってもらいなよ!」
……あ、それいいかも。
シリルが「げっ」と顔を顰めた。
「姉ちゃん、そういう時だけは頭回るよな」
それにディシーがバシッとシリルの後頭部を叩いた。
「『だけ』って何? 私はいつでも頭いいでしょ!」
「いてっ、叩くなよ!……まあ、でも、そうだよな、うん。オレが商人になって、ユイが欲しい物があったら、安く売るよ」
「うん、そのときはたのしみにしてる」
少なくとも何年か先の話になるだろうけど。
いわゆる、出世払いというやつだ。
ジッとシリルがわたしを見る。
首を傾げれば、シリルが大きく息を吸う。
パッと手を掴まれた。
「オレ、ユイが好きだ」
思わず「え」と声が漏れた。
それはディシーと重なった。
ほぼ同時に、ぶわっと横から殺気が飛んできて、大きな手がシリルの腕を掴んだ。
「触るな」
低い声と共に、セレストさんに抱き締められる。
「竜人の番に触るのがどういうことか、分かっているはずだ」
抑えた声には怒気が含まれている。
わたしに向けられていなくても、その殺気に僅かに鳥肌が立つ。
向けられたシリルは相当怖いだろう。
でも、シリルは睨まれても怯まなかった。
「オレはユイが好きだ。だから、そっちこそ、ユイを大事にしろよ! もしユイが泣いてたらオレが迎えに来て、王都に連れて行く! 番だからって適当にしたら許さないからな!」
怯むどころか掴まれていないほうの手で、セレストさんに指を突きつけた。
それにセレストさんが目を眇める。
「当たり前だ。ユイを泣かせることも、適当に扱うつもりもない。私にとってユイは大切な存在だ」
セレストさんとシリルが睨み合う。
わたしはセレストさんの腕の中で、ドキドキと大きく脈打つ心臓に手を当てていた。
シリルに手を取られた時、すごく驚いた。
驚くのと同じくらい嫌だと思った。
好きだと言われて、その瞬間に思い出したのはセレストさんの顔だった。
「シリル」
シリルを呼べば、セレストさんとシリルだけでなく、ディシーやヴァランティーヌさんもわたしを見る。
「ごめんなさい」
セレストさんの腕の中でシリルに頭を下げる。
わたしを好きだと言ってくれる気持ちは嬉しいけれど、でも、わたしはそれに応えられない。
……だって、わたしが大切に思うのは、そばにいて欲しいと思ったのは、セレストさんだから。
「わたしはセレストさんといっしょにいる」
セレストさんがハッと息を呑む音がした。
「まだれんあいとかはよくわからないけど、このさきもいっしょにいたいっておもうのはセレストさんなの。てをつないでいたいのも、だきしめてほしいのも、いっしょにいえにかえりたいのも、セレストさんだけなの」
ディシーやヴァランティーヌさんも好きだけど、この好きって気持ちはそれとは違う気がする。
セレストさんへの好きは特別なのだと思う。
わたしの言葉にシリルがニッと笑った。
「知ってる」
それが意外で驚いた。
「ユイが幸せなら、それでいいんだ」
シリルが拳を握ると、それをセレストさんの肩に軽く当てて言った。
「ユイのこと幸せにしてやれよ」
「じゃあな!」とシリルは笑顔を浮かべて、背を向けると、商会の荷馬車に向かって走っていった。
見上げれば、セレストさんが呆然としている。
「セレストさん、これからもいっしょにいてくれる?」
そう訊けば、ゆっくりとセレストさんの瞳が瞬き、それから整った顔が少しだけ泣きそうに歪む。
「……私でいいのですか? 竜人は重いですよ?」
その言葉にわたしは笑ってしまった。
「うん、しってる。いいの。セレストさんがしてくれること、ぜんぶ、うれしいから。だからいいの」
「っ、ユイ……!」
ギュッと抱き締められる。
わたしの背中に回る大きな手は、震えていた。
「わたし、セレストさんのつがいになる」
大切なセレストさんといたい。
出来れば、この先もずっと、一緒に。
わたしのほうが先に死んじゃうけど、それまでの時間はきっと竜人には短いけど。
それでもいいなら番になる。
抱き締める腕に少し痛いくらいに力がこもる。
わたしもセレストさんの背中に腕を回した。
「つがいになってもいい?」
セレストさんが「ええ」と頷く。
「ええ、もちろんです……っ」
「ありがとうございます、ユイ」と掠れた声に言われて、わたしはまた笑ってしまった。
いつも、いつだって、お礼を言うのはわたしのほうだ。
わたしを助けてくれてありがとう。
セレストさんがわたしの番で良かった。
* * * * *
荷馬車がグランツェールの門を出た。
姉が手を振っている。
シリルはそれに大きく手を振り返した。
姉の姿が見えなくなるまで、振り続けた。
そうして、門が丘の向こうに消えると手を下ろし、俯き、唇を噛み締めた。
生き別れた姉とやっと再会出来たのにもう別れなくてはならないつらさと、初恋の失恋とで胸が痛い。
それに、気丈に振る舞ってはいたけれど、やっぱり竜人と対峙するのは怖かった。
今更になって足が震えてくる。
座り込んだシリルの目から涙がこぼれた。
……次に姉ちゃんと会えるのはいつになる?
……しかもユイに振られた。
そうなるだろうと分かっていてもつらい。
そっと肩に手が乗せられる。
「シリル、お前は充分に頑張った」
大旦那様の優しい声がした。
「商売でも、努力しても報われないこともある。しかし努力をすること自体は無駄にはならない。お前は竜人に立ち向かった。好きな相手に想いを伝えた。それは大変勇気のいることだ」
ぽんぽん、と肩を数回叩かれる。
「良い経験と出会いをしたな」
それにシリルは泣きながら頷いた。
しばらく、ユイのことは忘れられないだろう。
シリルが初めて好きになった女の子。
計算を教えてくれて、命を助けてくれた女の子。
そう簡単に忘れられるわけがない。
……悔しいけど、オレは勝てない。
ユイの番の竜人はすごい人だ。
魔法も強くて、見た目も良くて、竜人で。
シリルよりもずっとずっと大人で。
勝てないと知っていても悔しかった。
「……オレ、絶対商人になる」
また会う日まで、もっともっと努力する。
そうして、いつか、ユイに恩を返す。
その頃にはきっと、この時のことは笑い話になるだろう。
……絶対に商人になって成功してやる。
どんなものでも買い付けられる凄腕の商人になるのだと、シリルは涙を拭いながら決意したのだった。
* * * * *




