失敗 / グランツェール到着
頷いて、わたしはセレストさんと荷馬車に戻る。
セレストさんに抱えられて荷馬車に乗ると「ここから出ないでくださいね」と言い置いてセレストさんは離れていった。
互いの無事を確認し終えたアルバレスト商会の数人と『新緑の息吹』、そしてウィルジールさんという大勢であっという間にレッドベアが解体されていく。
……うわあ、血がすごい……。
思わず目を背けてしまった。
戦闘用奴隷だった頃にも血は見慣れているけれど、生き物を解体するグロテスクさは別物だ。
荷馬車の隅に座って待つことにした。
やがてアルバレスト商会の人達が戻って来たので見れば、レッドベアだけでなくグレイウルフまで皮が剥がされていた。
「良い肉が取れた。これならグランツェールまで充分持つな。良い狩りだった」
ほくほく顔のウィルジールさんが来た。
荷馬車に寄りかかるとウィルジールさんが「君さぁ」とわたしを見る。
「セスの番なんだから、もうちょっと自分の身を大切にしろよ。番が傷付いたり死んだりして喜ぶ奴はいないぞ」
「……ごめんなさい」
「そういう時は『もうしない』って言えよ」
わたしは首を振った。
「わたしのたいせつなひとがあぶなかったら、たぶん、またおなじことする」
「素直だな。まあ、俺もそうだけどさ」
ウィルジールさんがセレストさんを見た。
セレストさんはシリルといて、何やら話し込んでおり、シリルがちょっと涙目だ。
一緒にいるセレストさんはこちらに背を向けているので顔は見えないけれど、シリルが怒られているのだろうことは分かった。
「もっとセスのこと考えてやってくれよ」
真面目な声だった。
ウィルジールさんの横顔を思わず見る。
「……うん、そうする」
「ああ、そうしてやってくれ。セスを狂った竜人にさせないためにも、俺達のためにも」
ふと王都で竜王陛下から聞いた話を思い出す。
竜人の相手は竜人にしか出来ない。
だから狂った竜人を殺すのは竜人で、もしセレストさんが狂ったなら、一番近くにいるウィルジールさんが相手をすることになるのだろう。
……それは想像するだけでも嫌な光景だ。
「……レッドベア、たべるの?」
視線を動かして、運ばれていく肉を眺める。
クマと言っても魔獣である。
食べても大丈夫なのだろうか。
「あー、見た目はああだけど、かなり美味しい肉だ。それに比較的高級な部類に入る」
「そうなの?」
「レッドベアは強い魔獣だからな」
わたしが首を傾げればウィルジールさんが言う。
「魔獣は強い奴ほど肉が美味いんだよ」
「夜が楽しみだな」と言われてとりあえず頷く。
……なんで強い魔獣ほど美味しいんだろう?
あとでセレストさんに訊いてみよう。
* * * * *
シリルは気落ちした。
同じ村出身であり、同じく大旦那様の下で働いていたウェインツはシリルにとっては大切な仲間で、兄のような存在だった。
だからグレイウルフに襲われたのを見た時、殆ど無意識のうちに飛び出していた。
今朝、使った薪の残りを掴んで、それをグレイウルフに振り下ろした。
でも棒はあっさり壊れてしまう。
考えてみれば魔獣であるグレイウルフに棒なんかで傷をつけられるはずがない。
……食い殺されるかと思った……。
だけど、そうはならなかった。
シリルよりもずっと小柄なユイが、シリルを助けてくれた。
しかも、ユイはグレイウルフと戦った。
その姿に姉を思い出した。
姉も子供だったけれど、村では大人顔負けに強くて、そしていつだって勇敢だった。
奴隷商に村が襲われた時もそうだ。
姉は最後まで抵抗した。
その姿をシリルはずっと忘れられずにいた。
まるで姉のような姿にシリルはしばし見入ってしまったが、ユイの番の竜人の魔法で我へ返った。
それからグレイウルフ達はすぐに倒された。
アルバレスト商会のみんながシリル達の無事を心から喜んでくれて、それでようやく、シリルは自分達が助かったと自覚して膝が震えた。
……オレ、バカだよな。
あんな棒で魔獣に勝てるはずがないのに。
その後、ユイの番の竜人にも物凄く怒られた。
「仲間を思う気持ちは分かりますが、だからといって自分の命を危険に晒すのは勇敢さではありません。それは無謀というのです。そして無謀さは時として他の者を危険に晒してしまいます」
その言葉の意味は分かった。
シリルが何も考えずに飛び出したことで、結果的に、ユイが出てきて彼女をも危険な目に遭わせることとなった。
「一人の命を救うために、他の命が消えてしまっては意味がありません。救われた者も苦しみ、残された者も苦しみ、誰も救われないのです」
……ああ、そうだ。
シリルの父親も母親も、姉とシリルを守るために武器を取り、そして殺されてしまった。
その時に思ったのだ。
立ち向かわなくていいから生きていて欲しかった。
あの気持ちを、もしかしたらウェインツにさせてしまっていたかもしれない、ユイがシリルのせいで怪我をしたらと考えて、シリルは後悔した。
「正直、あなたが怪我をするのも死ぬのもあなたの勝手ですが、私の番を巻き込まないでください」
何故かその言葉がグサリと胸に刺さった。
「……すみません、でした……」
どうしてこんなに胸が痛むのか分からない。
ただ、酷く後悔した。
ユイの番はこんなにユイを大事に想っていて、誰かの大切な人を、自分のせいで失うかもしれなかった。
それはとてつもなく悪いことだと思う。
ユイの番はそれ以上は言わなかったけれど、その代わり、その人からシリルへ対する信頼が薄れたことは肌で感じられた。
言葉はなかったが「失望した」という気配があった。
それにシリルは唇を噛んだ。
人から失望されるのが、こんなにつらいことだと今まで知らなかった。
大旦那様の所へ戻ると声をかけられた。
「シリル、感情は大切なものだが、感情的になるのは損なことだ。そして一度失った信頼を取り戻すのは、どんなものを差し出したとしても難しい」
それは優しい叱責だった。
「お前はまだ若いし、生きている。生きていれば、やり直せる機会があるかもしれない。……よく覚えて、考えるんだ。お嬢さんにもきちんと後で謝るんだぞ」
シリルは唇を噛んだまま、黙って頷いた。
今、口を開けば泣いてしまいそうだった。
* * * * *
その後はセレストさんが過保護になったこと以外は何事もなく過ぎて、わたし達はグランツェールに到着した。
グランツェールも王都ほどではないけれど、堅牢そうな壁に囲まれており、出入り口には門がある。
出発した時にそれを見ることはなかった。
だからか、壁や門を見ても帰ってきたという実感は湧かなくて、不思議な気持ちだった。
門で身分証を確認し、中へ入る。
街並みを見て、やっと、帰ってきたと思う。
「あー、これだよ、この空気。やっぱグランツェールが一番だよな」
ウィルジールさんが荷馬車から顔を覗かせる。
到着したのは午後で、街にはそれなりに人が行き交っている。
「どこにむかってるの?」
見上げれば、セレストさんが答えてくれる。
「冒険者ギルドですよ。そこで依頼完了の手続きをする必要があります。私達はギルドを経由して旅の同行を依頼したので、それが無事終わったという報告をしなければなりません」
ギルドを通した依頼は全て報告の義務がある。
依頼期間を過ぎても報告がなかった場合、依頼者に何かがあったのか、依頼が達成出来ない理由があったということでギルドが調査を行う。
過去に依頼を請け負った冒険者達が依頼者を裏切って金品を巻き上げたり殺していたりといったこともあったらしい。
もしもそのようなことがあれば当然その冒険者達はギルドから追放され、警備隊に引き渡され、犯罪者として罰を受けることになる。
逆に依頼者が金銭を惜しんで嘘の報告をする可能性もある。
そのため、依頼者と冒険者の両方から報告を受け、問題がなかったかどうかの確認がされる。
問題が起きればギルドが介入して解決する。
「ほうこくしなかったらどうなるの?」
「罰金や罰則が与えられます。たとえば私が報告をせずにいると、報告義務を怠ったことで、ギルドから人が遣わされて事情聴取をされます。ここで罰金を支払うことになりますが、故意に報告をせず、それが悪質だと判断されればギルドを一定期間、利用出来なくなることもありますよ。ちなみに罰金の支払いを拒否すると契約違反として警備隊に引き渡されます」
報告義務は依頼者と冒険者、双方を守るためでもあるので、怠るというのはかなり問題なのだとか。
今回はアルバレスト商会と『新緑の息吹』にわたし達が同行させてもらっているので、三者からの報告をする必要がある。
「まあ、報告と言いましても何事もなければ『依頼完了』と伝えるだけです」
逆に何か問題があれば、ギルドに報告出来る。
たとえばこの冒険者達は気性が荒いとか、この依頼者は冒険者への態度が悪いだとか、そういう情報がギルドへ集まる。
そこから内容によってギルドがどの冒険者に、どの仕事なら任せても良いかという判断基準になり、あまりに冒険者への対応が悪い依頼者からの依頼を断ることもあるそうだ。
ギルドは冒険者と依頼者の橋渡し役でもあり、どちらも守る立場であり、冒険者達を纏めるための組織でもある。
「ギルドってだいじなんだね」
「そうですね。街の治安維持に関しては警備隊の仕事ですが、冒険者となるとギルドがその役割を担ってくれています」
「けいびたいじゃダメなの?」
セレストさんが苦笑する。
「ダメというわけではないけれど、警備隊も冒険者も血の気の多い者ばかりですからね、揉め事になると色々と騒ぎになってしまうのでギルドに任せたほうが良いのですよ」
それに警備隊と冒険者は根本的に違う。
警備隊は街の治安を維持し、守護するが、その中では個々の力量差はあまり立場と関係ない。
しかし冒険者は力が全てだ。
しかも冒険者は荒っぽい者が多いせいか喧嘩や乱闘を起こすことも少なくない。
冒険者が警備隊を下に見ることもある。
そのため、警備隊の中にも冒険者を問題を起こす厄介な存在と感じてしまう者もいる。
実際はどちらが優れているという話ではない。
警備隊がいるから街の治安が維持される。
冒険者が定期的に魔獣を狩るから、街は守られる。
それぞれに違った役割があるのだ。
「実を言えば、警備隊には元冒険者が多く、逆に冒険者には元警備隊が多いんですよ」
「そうなの? どうして?」
「そりゃあ簡単な話さ。長く冒険者をして、もう無茶は出来ないけど働きたいって奴が警備隊に入ってきたり、警備隊に入ったけど規則が嫌だったり不満を感じたりして飛び出してった奴が冒険者になったりするんだ」
わたしの質問にウィルジールさんが笑ってそう言った。
……そういうこともあるんだ。
なんだか面白い話を聞いた気分だ。
「俺も最初は冒険者になる道も考えたんだけど、セスが警備隊に入るって言うから、その道も悪くないって思ったんだ。何より固定給だしな」
それにセレストさんは苦笑をこぼした。
とても一国の王子とは思えない仕事の選び方だ。
「冒険者は収入が安定していませんからね」
現実的だけど、大事な理由である。
そうしている間に荷馬車が停まった。
荷馬車の前方から「ギルドに着きました」と声がして、ウィルジールさんが腰を上げる。
セレストさんもわたしを足の上から下ろした。
先にセレストさんが荷馬車を降りて、わたしを抱えて下ろしてくれる。
自分で降りられないことはないが、セレストさんに抱えて降ろしてもらうのはもはや習慣に近い。
ふわ、と吹いた風はどこなく王都より僅かに涼しいような気がする。
エルデンさん、アズヴェラさん、わたしを連れたセレストさんとでギルドの中へ入り、報告を行う。
報告内容は簡単なものだったけれど、全員、満足そうでギルドの受付の人も笑顔だった。
エルデンさん達アルバレスト商会は数日グランツェールに滞在し、帰りの護衛も行う『新緑の息吹』達も同様にしばらく街にいるそうだ。
ウィルジールさんは「今回楽しかった。またな」と随分とあっさりした挨拶をしてさっさと人混みに消えていった。
「今回は本当にありがとうございました」
セレストさんがエルデンさんとアズヴェラさん達に声をかける。
「いえいえ、こちらこそお世話になりました。しかもレッドベアの肉をいただいてしまって、よろしいのですか?」
「ええ、もちろんです」
「我々も素材をもらえて助かった」
レッドベアとグレイウルフの肉、毛皮や爪などの素材はエルデンさん達に渡すことにした。
セレストさんもウィルジールさんも、肉はこの旅の間に食べたし、素材をもらっても使う当てがないそうだ。
それならばアルバレスト商会が肉を、そして『新緑の息吹』が素材を受け取ったほうがそれぞれの役に立つ。
……レッドベアの肉、意外と美味しかった。
わたしもこの四日間でそれを充分味わった。
「それでは、また縁があったら」
アズヴェラさんも短い挨拶をすると、仲間を連れてギルドの建物から離れていった。
シリルが近付いて来る。
「その、また会えるか……?」
不安そうに訊かれて首を傾げた。
「けいさんはもうおしえたよ?」
「そうじゃなくて! せっかく知り合ったのに、これでさよならっていうのは寂しいっていうか……」
段々とシリルの声が小さくなり、不安そうに見つめられて、わたしは首を戻した。
「それはわからない。わたし、しごとがあるから」
それにシリルががっくりと肩を落とす。
エルデンさんが笑った。
「仕事があるならば仕方ないですなぁ」
そうしてエルデンさんがシリルの肩に手を置く。
慰めるようにぽんぽんと二度、軽く叩く。
「では、私達もこの辺りで失礼させていただきます。明日、第二警備隊へご挨拶に伺いますので、もしお会いした際にはよろしくお願いいたします」
エルデンさんとシリル達もゆっくりと荷馬車を引きながら離れていった。
それを見送り、セレストさんがわたしを見る。
大きな手が差し出された。
「私達も帰りましょう」
その手に、わたしも自分の手を重ねる。
「うん、かえる」
セリーヌさんはいるだろうか。
お土産を渡したら、どんな顔をするだろうか。
……セリーヌさんのご飯が食べたい。
手を繋いで、二人で家へ向かって歩き出した。
わたし達の帰るべき場所へ。




