王都観光(1)
* * * * *
セレストは落ち込んでいた。
竜王陛下から番の話をされることは分かっていたが、誓約書まで交わすことになるとは思っていなかった。
もちろん、ユイの寿命を無理に延ばすつもりはない。
ないけれど、ああして誓約書を交わしてしまえば、二度とそれは叶わなくなる。
……分かっていたはずなのに。
改めてユイとの寿命の差を突きつけられた。
はあ、と小さく息が漏れる。
するとユイが見上げてきた。
「セレストさん、だいじょうぶ? ぐあいわるい?」
訊かれて、我へ返る。
「すみません、昨夜ちょっと寝付きが悪くて」
「かえる?」
「いえ、大丈夫ですよ」
心配そうに見上げられて、慌てて微笑んだ。
せっかくユイと王都の観光に出たのに、浮かない顔をしていたらユイが楽しめない。
それにセレストも初めて王都に来たのだ。
楽しまなければ勿体ない。
「人が多いので逸れないようにしましょうね」
しっかりとユイの手を握れば、握り返される。
「まずはどこに行きましょうか……」
大通りに来たものの、人通りが多く、様々な店があり、景色だけでもグランツェールとは違う。
辺りを見回していると丁度良いものを見つけた。
観光案内所と書かれた看板のある建物だった。
「あそこできいてみる?」
ユイもそれに気付いたようだ。
「そうですね」
そうして案内所へ向かった。
どうやらここには案内人もいて、お金を払えばその案内人が観光地へ連れて行ってくれるそうだ。
案内人をつけない場合は観光名所の書かれた地図を購入して、自分達でそこへ向かうらしい。
ユイが物珍しそうに説明を聞いていた。
「せっかくですから案内人をお願いしましょうか?」
そう訊けばユイの瞳が輝いて、頷き返される。
案内人は魔族のケットシーだった。
可愛らしい猫の姿の魔族にユイの目が更に輝く。
……きっと触りたいんだろうな。
「本日はよろしくお願いいたしますにゃー。ケットシーのミリナリアですにゃー。お気軽にミリーとお呼びください。あ、にゃー!」
ケットシーの案内人にセレストは苦笑した。
語尾にわざわざ「にゃー」をつける必要はないと思うのだが、きっと、そのほうが観光客も喜ぶのだろう。
実際ユイの目は輝いていた。
それから今日一日、案内を頼むことになった。
移動は辻馬車で、けれど馬車を牽くのは魔族のケンタウロスだった。
……なるほど、これなら馬車を操る必要がない。
ケンタウロスのほうも分かっているようで、セレストとユイが馬車に乗り、ケンタウロスの背にくっついたケットシーが明るい声で告げた。
「では王都をご案内いたしますにゃー!」
ケンタウロスに引かれて馬車が走り出した。
それほど速さはないが、意外と乗り心地が良い。
街中を走りながらケンタウロスの背中に乗ったケットシーが王都でも美味しいと有名なパン屋やお菓子屋、服屋などを説明していく。
時々、噴水や像の建てられた広場を通り、それらがいつ頃造られたのか、その場所の逸話や王都の人々からどれだけ親しまれているかも話してくれた。
「この像は初代の竜王陛下を模した像ですにゃー。あの像が持っている壺に投げた銅貨が入ると幸せになれると言われていますにゃー。やってみますかにゃ?」
言われてみれば、噴水の中に銅貨が沢山落ちている。
横を見ればユイが見上げてくる。
「やりたい」
と、思った通り言ったので数枚銅貨を渡した。
ケットシーが教えてくれた場所まで下がり、ユイが銅貨を持って構えると、周りの人々が微笑ましそうな顔をする。
きっと観光客だけでなく王都の人々の中にもやる者がいるのだろう。
ケットシーが「頑張ってくださいにゃー」と言い、ユイがそれに頷いた。
そしてユイが銅貨を投げた。
ヒュッと小さく風を切る音がして、銅貨が飛んでいき、そして壺の中に吸い込まれるように落ちていった。
見ていた周りの人々がどよめいた。
ケットシーが興奮した様子で言う。
「凄いですにゃー! あの壺に一回で投げ入れられた人なんて初めてですにゃー!」
ユイが珍しく得意そうな顔で戻ってくる。
「上手でしたよ、ユイ」
頭を撫でれば嬉しそうに紅茶色の瞳が細められる。
ユイは投擲するのが上手いらしい。
「これでユイは幸せになれますね」
しかしユイは首を振った。
「わたしはもうしあわせだから、あれはセレストさんのぶん。これでセレストさんもしあわせになれるよね?」
「……ありがとうございます。そうですね、ユイのおかげで、いえ、ユイが来てから私は幸せです」
もう一度頭を撫でれば、ユイがニコリと笑う。
その笑顔にセレストも笑い返した。
たとえ寿命に差があったとしても、生き物はいつか死ぬ運命にある。
それならば、その日までを大事に生きよう。
この子のそばで、この子を、その人生を慈しもう。
たった百年。されど百年。
その分、沢山の思い出を作っていこう。
* * * * *
セレストさんの笑顔にホッとした。
昨日からどことなく元気がなかったから。
優しく頭を撫でてくれる手が心地良い。
「さあ、次の観光に行きましょう」
差し出された手に私も手を重ねる。
ケンタウロスに牽かれて馬車が走り出す。
「次は王都自慢の時計塔ですにゃー」
可愛い案内人はケットシーのミリーさん。
ちょっと大きめの猫に見えるけれど、尻尾が二つあって、魔族なんだそうだ。
次の観光名所は時計塔。
とても大きくて、離れていても見えていたが、実際にその足元から見上げると壮観だった。
石造りの時計塔は堂々とした佇まいで、他の観光客達も思わず口を開けて見上げている。
かく言うわたしもその一人だった。
「この時計塔は実はこの王都が出来た頃からあるのですが、これまでの歴史で四度も焼け落ちているんですにゃー。しかもそのうち二回は落雷が原因の火事ですにゃー」
その言葉に納得してしまう。
この時計塔は王城を除けば、街の中で一番高い建物のようだ。他にそれ以上高いものは見えない。
しかも屋根は木製らしいので雷が落ちれば燃える。
「四度も焼け落ちて、それでもこうして今も建っている、王都の象徴的な建物の一つですにゃー。……私としてはそろそろ屋根に木を使うのをやめるべきだと思うのですにゃ」
こっそり言うミリーさんの言葉に笑ってしまう。
二度も落雷で焼けているなら、確かに、いい加減木製の屋根をやめるか、何か耐火性のある材質のものを使うべきだろう。
「毎年案内所では『今年は燃え落ちるか』で賭けが行われておりますにゃー」
「やけたら、かんこうちがへりませんか?」
「大丈夫ですにゃ。焼けたらそれもまた観光の一つとして案内出来るのですにゃ。そうなれば五度目の火災で崩れなかった時計塔と案内するのですにゃー」
やれやれという風にミリーさんが言う。
焼け落ちても観光地としての役割を果たせるなんて、それはそれで凄いけれど、でもこれだけ綺麗な時計塔が燃えてしまうのは惜しい。
「かみなり、おちないといいですね」
「そうですにゃー。やっぱりこの立派な時計塔を案内出来るのは誇りですから、綺麗なままであってほしいですにゃ」
その後は王都を横切っている大きな川にかかっている橋を見たり、大聖堂とその中にある黒曜石で出来たドラゴンの像を見に行ったり、色々なところを観光した。
お昼は屋台で王都の名物を食べたりもした。
午後はわたし達の希望で、王都で最も本屋さんの多い『書店通り』に行くことになった。
わたし達が本を見ている間、ミリーさん達は待っていてくれるそうだ。
それにセレストさんと二人で「長居しすぎないようにしましょう」「うん」と頷き合ったのだった。
あんまり待たせるのも良くないだろうし。
小さな馬車から降りて、セレストさんと手を繋ぐ。
書店通りというだけあって通りの左右は本屋さんだらけで、一軒一軒回っていたら、数日かけても全ての本屋さんを見ることは出来ないだろう。
道を歩きながら、二人で良さそうなお店を探す。
「セレストさん、あそこきになる」
繋がっている手を引けばセレストさんがこちらを見て、わたしが指差した先のお店を見た。
「ではあそこに入ってみましょう」
その本屋さんはなかなかに大きい店だった。
恐らく品揃えも結構いいだろう。
セレストさんと中へ入れば、カランとベルの音がする。
カウンターにいた店員さんが「いらっしゃいませ」と出迎えてくれる。
中にはそれなりに人がいる。
ざわざわとしているが、うるさいほどではない。
「とりあえず見て回りましょうか」
初めて入る本屋さんにワクワクする。
グランツェールでよく行く本屋さんは雑多な感じで、あれも雰囲気があっていいけれど、こちらの整然とした感じもいいなと思う。
背表紙に書かれた題名を流し読みしながら本を見て回る。
グランツェールでいつも行く本屋さんにはあまりない、女性向けの恋愛小説などもあった。
セレストさんは相変わらず歴史書が気になるらしい。
わたしも辞書などが気になるので、それぞれ、目星をつけて本棚へ向かう。
……凄い。
大きな本棚二つにみっちりと厚めの本が詰まっていて、タイトルを見ると色々な辞書であることが分かった。
植物、種族、動物、花、言葉だけでなく、中には王都の観光名所辞典や各国の有名人辞典なんてものもあって、どれも面白そうだ。
でも、とりあえずわたしは種族に関するものが読みたいので、その辺りを眺める。
…………あ。
思わず一冊の本を手に取った。
表紙には『竜人の番達へ』と書かれていた。
本を開き、ページを捲ってみる。
最初のページには著者から読者に向けての言葉が書かれていた。
竜人の恋人や妻、夫を持つ人がこれを読んでくれることを願っている。
この本は竜人である私自身の経験を踏まえて『竜人』がどのような生き物であるか、何をどう感じるかについて述べた本である。
もしもあなたが竜人を理解したいと思い、共に歩みたいと考えているのであれば、きっとあなたの役に立つ本となるだろう。
その言葉にドキッとした。
指で文字を辿る。
……理解……。
セレストさんと過ごすようになって、セレストさんの好きなものや苦手なものを知ることはあったけれど、セレストさんが何を感じ、どう思っているのか、そういったことは分からないままだ。
いつも微笑んでいるから。
わたしが何をしても怒らない。
それがセレストさんの性格からくるものなのか、竜人が番に感じるものからくるのか。
それすらもわたしには分からない。
……知りたい。
わたしの一番近くにいる人のことだから。
数ページだけ中身を確認した後、本を閉じる。
他にも辞書を選び、それと重ねて分かり難いようにして、セレストさんのところへ戻った。
「ユイ、良い本はありましたか?」
セレストさんの問いに頷き返す。
「あった。セレストさんは?」
「私も気になる本がいくつかありました」
二人でカウンターへ向かい、会計をしてもらう。
ここでは本を買うと紙袋に包んでくれるようで、それぞれが選んだ本を茶色のそれに入れて渡される。
買ったばかりの本を持ってお店を出る。
それからもいくつかの本屋さんを回った。
セレストさんはせっかくだからと色々と買っていて、そんなに買ったら帰りが大変になるのではと思うほどだった。
「もってかえれる?」
わたしが訊くとセレストさんが微笑んだ。
「荷物としてグランツェールへ送ってもらうので大丈夫ですよ」
と、いうことだった。
本屋さんで本を購入して、グランツェールへ送ってもらう手配をしてから馬車へ戻った。
二冊は送らずに手元に残してある。
帰りの道のりで時間があれば読みたい。
馬車に戻るとミリーさん達は他の案内人らしき人達と話していて、わたし達を見つけると手を振ってくれた。
「おかえりなさいませにゃー」
手を振る猫の姿が可愛い。
「良い本と出会えましたかにゃー?」
「ええ、案内してくださり、ありがとうございます。つい沢山買ってしまいました」
セレストさんの言葉にわたしも頷く。
王都の本屋さんはグランツェールの本屋さんと雰囲気も違えば、置いてある本の種類なんかも違って、それも面白かった。
流行りらしく、女性向けの小説も多かった。
「それは何よりですにゃー」
ミリーさんがケンタウロスの背でぴょんぴょんと跳ねていて和む。
わたしとセレストさんが馬車に乗れば、ミリーさん達の案内が再開する。
「次はお土産を扱っているお店に参りますにゃー。お二方はグランツェールからいらっしゃったので、食べ物は避けたほうが良いですにゃ」
二週間弱もかかるので食べ物が傷んでしまう。
「せっかくですから道を戻ってメーダ川のウィロー通り沿いの川商店に行くのはどうですかにゃー?」
「かわしょうてん?」
「川の上に屋台船が浮いているのですにゃ。そこを小船に乗って通りながら、買い物をするのですにゃ。景観もいいですし、屋台は品数も豊富で、船遊びのようで楽しいですにゃー」
セレストさんがわたしを見る。
「そういえばユイは船に乗ったことはありませんよね? 水の上に乗り物を浮かべて乗るんですが、大丈夫ですか?」
それに頷き返す。
「ふね、のってみたい」
前世でも今生でも船は乗ったことがない。
セレストさんが「では川商店にお願いします」とミリーさん達に言い、次の目的地はそこになった。
来た道を戻って、途中で見た大きな橋を渡り、それから川の分かれたところへやってくる。
そこはまるで水の上に街が浮いているようだった。
道の代わりに川が家の間を流れている。
「この辺りは水棲の魔族が住んでいる地域ですにゃー。ですから道の代わりに川が流れていまして、あ、でも屋台を出しているのは色々な種族ですにゃ」
馬車が停まり、そこで降りる。
馬車を牽いてくれていたケンタウロスさんはそこで待っているそうで、ミリーさんがふわっと浮いた。
……え、浮いた?!
まるでそこに地面があるかのように、空中をぴょんぴょんと跳ねる。
「船着場はこちらですにゃー」
ミリーさんの案内で、わたしとセレストさんは船着場へ向かった。




