それぞれの思い
* * * * *
「最近、ユイとの時間減っちゃったなあ」
帰り道の馬車の中、ディシーがそんなことを言った。
それに、横にいたヴァランティーヌは苦笑する。
「仕方ないさ。お互い仕事を始めたんだ、同じ部署でもない限りは離れるのも無理ないよ」
「それはそうだけど……」
少しだけ不満そうにディシーが唇を尖らせた。
本人が言うように、最近、ディシーとユイが一緒にいる時間は減っただろう。
どちらも仕事に就いたため、出仕してから帰るまで、それぞれの仕事に勤しむのだから当然である。
「第一、アンタは勉強嫌がってよく訓練場に逃げてたじゃないか」
ディシーは座学が苦手だ。
学ぶこと自体が嫌というわけではないらしいが、興味のないことをずっと聞いて覚えなければならないことがつらいようだ。
「それは言わないでよー……」
ぷく、とディシーの頬が膨らんだ。
その頬を横から指でつつく。
「でも、ディシーもユイも仕事が順調で良かったじゃないか」
人と接することが好きなディシーに受付の仕事は丁度良いものだっただろう。
毎日ディシーも楽しそうだ。
たまに失敗をして落ち込む時もあるけれど、それは新人ならばよくあることだ。
そういう失敗を重ねていくことで成長する。
それも大事な経験だ。
ユイは逆に人と接するのが苦手で、そして計算が得意なようなので、事務方に入った。
聞くところによるとかなり重宝がられているようだ。
あの子の計算の腕は相当なものだ。
計算機を誕生日に贈り、それの使い方を教えてあげてからは計算がもっと速くなった。
ヴァランティーヌのあげた計算機を持って毎日仕事に向かっていると聞くと、贈った側としても嬉しい。
「そうだけどさあ……」
これまでユイと一緒にいる時間が長かったのだろう。
ブツブツとぼやくディシーの横顔は少し寂しげだ。
ユイにはセレストという番がいる。
セレストはこの街で生まれた竜人で、ヴァランティーヌはセレストの両親とも知り合いだし、セレストとも生まれた頃からの付き合いである。
……あんな小さかった子が、第二警備隊に入って、しかももう番を得られるなんてね。
生きているうちに番を得られるのは幸福なことだ。
人間のユイやディシーには番を感じられないのが残念だが……。
……いや、そうでもないか。
ユイは人間なので番を本能で感じ取ることが出来ないものの、それでも、セレストのことを少なからず特別視しているのは分かる。
周りも竜人の番であるユイに極力触れないようにしているというのもあるけれど、ユイ自身もあまり人との接触をしないようにしており、それが誰のためなのかは明白だった。
もしセレストのことを何とも思っていなければ、そんなことはしないだろう。
ユイが普段触れるのはディシーかヴァランティーヌ、そしてセレストぐらいのものだ。
そういった気を遣うくらいには、ユイもセレストを大事に思っているはずだ。
セレストは時折「ユイとの温度差を感じます……」と寂しそうにしているが、単に分かり難いだけで、ユイもセレストのことを少なからず想っているだろう。
ただそれが恋愛としてなのか、人としてなのか、ヴァランティーヌにも分からないが。
「……ねえ、ヴァランティーヌさん」
ぼやくのをやめてディシーがこちらを見る。
「ユイはユニヴェールさんのところにいて、幸せかな?」
どうやらディシーはユイのことを気にしているらしい。
何でも、ユイがセレストの下に引き取られるかどうするか悩んでいた時に、ディシーはセレストのところへ行くように言ったそうだ。
「ユニヴェールさんは、私が目が覚めた時に色々教えてくれたの。子供の私でも分かるように説明してくれて、ユイを助けてくれて、この人ならきっとユイのことも大事にしてくれるって思った。……番だし」
ディシーもディシーなりに考えて、ユイにセレストを勧めたのだろう。
ヴァランティーヌからしても友人の子であり、友人でもあるセレストが番と共に過ごせるようになれて良かったと思っている。
番に拒絶されるなんて、竜人には耐えられない。
セレストはユイに選択肢を与えているが、ユイが本当にセレスト以外を選んだ時にどんな結果が待ち受けているかは考えたくもない。
「さあ、どうだろうねえ。幸せかどうか決めるのは、ユイ自身だからね」
そう、幸せかどうかを決めるのは他人ではない。
だからユイが幸せかどうかは分からない。
「だけど、ユイを見る限りは不幸ではなさそうだよ。いつ見ても、あの子は前を向いてる」
そうして、その横には常にセレストがいる。
「……うん、そうだね」
ディシーは頷いて笑った。
この子のほうが歳上だからか、よくユイのことを気にしているが、ディシーはもっと自分のことを考えるべきだ。
「だからアンタも自分の幸せをきちんと掴むんだよ」
養子にしたこともあってか、ヴァランティーヌはディシーのことが可愛くて仕方がなかった。
明るくて、活発で、人とお喋りすることが好きで、実はかなり世話焼きな子だ。
家では掃除や洗濯など、家事を率先してやってくれる。
下手するとヴァランティーヌのほうが世話を焼かれることもある。
でも、それがちっとも嫌ではないのだ。
二百歳の頃に森を出てから、五百年の間、ヴァランティーヌはずっと一人で暮らしてきた。
静かな家に、最近は飽きていた。
しかしディシーが来てから、家の中は明るくなり、毎日笑い声が絶えない。
その穏やかで楽しい日々をヴァランティーヌはすぐに好きになった。
ディシーは人間なので長生きしても百歳までだ。
それより早く死ぬ可能性のほうが高い。
……その日を思うとつらいねえ。
この元気な子もあっという間に年老いて、ヴァランティーヌよりもずっと先に逝ってしまう。
子であってもそうなのだから、番が人間のセレストはもっとつらいだろう。
それでも出会わなければ良かったとは思わない。
……この子に出会えたのは幸せなことだ。
おかげでヴァランティーヌは自分が孤独を感じていたことを知り、それが癒やされるのを感じている。
たった数十年の寿命。
ならば、その数十年を大事にしてやりたい。
「うん、でも、私今でも幸せだよ!」
そう言って笑う養い子の頭をヴァランティーヌは優しく撫でたのだった。
* * * * *
面白くない、と思うことはある。
親友であるセレストを取られて、ウィルジールとしては不満に思うこともある。
だからといって邪魔をするつもりはない。
セレストは番を大事にしている。
たまに食事を共にすることがあるのだが、そういう時は、いつ見てもセレストは番の世話を焼いている。
基本的に竜人は他人の食事に手を出すことはない。
しかし、セレストは番の食事に関してはかなり口も出すし、手も出している。
……本当は食べさせたいんだろうなあ。
竜人の愛情表現の一つに給餌行動がある。
己の手で番に食べ物を与えたい。
世話をしたい。構いたい。
ウィルジールはそう思ったことがないけれど、番を得た竜人は皆、そうなるらしい。
だからか、セレストはよく番に自分の食事を分け与えたり、口元を拭いてやったり、あれこれしている。
番のほうは嫌がる様子もなく、セレストのその行動を許容しているようだった。
……まあ、今までずっと奴隷だったみたいだし、竜人の求愛行動なんて一般的な知識でもないしなあ。
竜人の求愛行動はいくつかある。
一つは匂い付け。
体を触れ合わせることで自分の匂いを番に付ける。
一つは給餌。
番に食事を与えたり、食べさせたりすることで、愛情を示し、受け入れてもらえることに竜人は幸福感を覚える。
他にもやたらと贈り物をしたり、物を買い与えたり、自分の財産を差し出すことも少なくない。
そもそも竜人は同族の王にすら膝を折らない生き物で、竜人が唯一自ら膝を折って首を垂れる相手は番だけなのだ。
「難儀な生き物だよなあ」
竜人というのは憐れな生き物だ。
番を見つけたら、その相手の愛を得るためならば何でもしようとしてしまう。
番が唯一であり絶対なのだ。
そういう点ではセレストはよく耐えている。
番を見つけた竜人の中にはそのまま攫ってしまうか、そうでなくとも相手から良い返事がもらえるまで延々と離れないといった問題行動を起こす者も少なくない。
それに比べたらセレストはかなり我慢強い。
まだ幼い番のために本能を抑えている。
番を得た竜人は、しばらくの期間、番と二人きりになりたがる。それを俗に蜜月期間と呼ぶ。
セレストだって本来ならば番を見つけ、何事もなければ既に蜜月期間も終わっている頃だろう。
だが、セレストはそれを耐えている。
番に無理強いをさせないために。
年齢差を考えれば蜜月期間に入っても出来ることはないが、それでも、番と二人だけになりたいはずなのに。
セレストは元々理性的な竜人だ。
本能はありつつも、抑えることに長けている。
「まあ、あれだけべったりしてたしなあ……」
番を引き取ってしばしの間はセレストは仕事の時以外の殆どを番と共に過ごしているようだった。
あれはもしかしたら竜人の本能を抑える意味もあったのかもしれない。
そして、最近仕事中のセレストは少々気が立っている。
だが本人もそれは分かっているようで、気配は少しピリリとするものの、救護室へ来た者への対応は普段通りであった。
同じ竜人の中にはセレストを心配する声もある。
いっそ、番を囲んでしまえと言う者もいる。
けれどもセレストは絶対に頷かない。
「それは私と番の問題です。私は自分の欲望よりも、番の心を大事にしたいのです」
と言い切って、それ以上は聞き入れない。
……それだけ番が大事ってことか。
ウィルジールには番がいないため、その気持ちを完全に測ることは出来ない。
だが、普段は周囲の意見などをきちんと聞き入れるセレストが頑なに頷かないところを見るに、よほど番のことが大事なのだろう。
元奴隷の番ならば、どこかに閉じ込めてしまうことも出来ただろうに。
そうしないところがセレストらしいとも思う。
……あいつは昔っからそうだ。
竜人のわりに気性が穏やかで、理性的で、そして周りのことをよく考えている。
「早く番が受け入れてくれたらいいのにな」
警備隊の詰所の屋上から見下ろせば、丁度、正面玄関から見慣れた後ろ姿が出て来た。
その片手は小柄な番の手と繋がっている。
何を話しているのかは知らないが、番を見下ろすセレストの表情はとても柔らかく、微笑んでいる。
セレストを見上げる番の表情も以前より明るい。
番が顔を上げて、ふっとこちらを見上げた。
そして番がこちらに小さく手を振った。
それに気付いたセレストも顔を上げる。
セレストと番がこちらを見て、手を振ってくる。
それにひらひらとウィルジールは手を振り返す。
そうして、セレストと番は背を向けるとゆっくりとまた歩き始めた。
セレストが番に歩調を合わせている。
周囲の人間よりものんびりと二つの背中が離れていくのを、ウィルジールはぼんやりと眺めた。
少し前まではあそこはウィルジールの位置だった。
仕事終わりにセレストを飲みに誘ったり、互いの家で飲むこともあったが、セレストが番を見つけて以降はそういったことはない。
セレストに余裕があまりないのも分かっている。
時々、誘うことはあるけれど、頷くのは数回に一回程度になっている。
「……なぁんか、ムカつくけど羨ましいよなあ」
親友を取られて面白くない。
それに、少しセレストが羨ましい。
ウィルジールはそれほどに心を傾けられる相手がいない。
昔から寂しさを感じることが多く、ウィルジールはそれもあって自分のことを知る者が少ないグランツェールの街に来た。
沢山の獣人やエルフ、ドワーフ、魔族、人間、竜人達と友人になっても、その寂しさは完全には消えない。
……番を見つけたら消えるのかねえ。
そうだとしたら、やはりセレストが羨ましい。
でも同じくらいセレストの番も羨ましい。
「ああ、もう、ガキかよ俺は……!」
ガシガシと頭を掻きながら、柵に寄りかかる。
誰かを羨んだところで無意味なことだ。
「明日、もっかい飲みにでも誘うか」
柵から体を起こして屋上を後にする。
それでもウィルジールの頭の片隅には、いつまでも親友とその番の後ろ姿が残っていた。
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