アデライド / 不信感
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十八歳のアデライド=オードランには好きな人がいる。
母セリーヌと、そして自分が使用人として仕えている竜人・セレスト=ユニヴェールだ。
目の覚めるような真っ青な髪に、金色の瞳は神秘的で、線の細い美しい顔立ちの男性である。
竜人は見目の良い者が多い。
この街にもそれなりにいて、どの竜人も皆、美の方向性は違っても整った者ばかりだ。
しかしアデライドにとってはセレストが一番素敵な男性に見えた。
職人である父のような無骨さはなく、細身で、けれども男性だと分かる。
街のそこいらにいる男性とも違う。
穏やかで、優しく、誰よりも紳士的で。
幼い頃からセレストはアデライドの憧れであり、初恋の人でもあった。
いつから恋心を抱いていたかなんて覚えていない。
気が付いた時には恋に落ちていた。
街の同年代の男の子なんて、みんな、セレストに比べたらまるで出来の悪いオモチャのように見えた。
アデライドの心はセレストのものだった。
「……それなのに……」
アデライドは十六歳から二年間、ずっとセレストの下で働いてきた。
竜人は番を大事にするという。
子供の頃はセレストの番になることを夢見た。
しかしそれが夢でしかないことはすぐに分かった。
竜人は一目で番を判断することが出来る。
そして、セレストはアデライドを番だと言わなかった。
それだけで答えは出てしまっていた。
アデライドはセレストの番ではない。
そのことを理解した時、どれほど泣いたことか。
こんなにセレストのことを想っているのに。
こんなに長い間、ずっと想っているのに。
見たこともない番という存在に負けた。
アデライドは同年代の男の子達の間では、これでも美人だと結構有名だった。
もしかしたらセレストが振り向いてくれるかもしれない。
そう思い、母の仕事を継ぎたいと言って、セレストの下で働くことを選んだ。
……だけど実際は違った。
セレストは優しい人だけど、誰に対しても丁寧で、穏やかで、平等だった。
……あたしにだけ優しいわけじゃない。
それに仕事で会う時間は増えても、あくまで使用人と主人という立場であって、それほど言葉を交わすことはなかった。
大抵、セレストは母に話しかけた。
アデライドに話しかけることは稀だった。
それもまた、アデライドの自尊心を傷付けた。
……どうしてあたしを見ないの?
話しかけたくても、母が常に仕事ぶりを見ているので必要以上に話しかけることは出来なかった。
そして、セレストはある日、突然言った。
「番を見つけました」
今まで見たことがない、幸せそうな顔でセレストは「番は幼いので、必要なものを揃えなければ」といつもより少しだけ弾んだ声で微笑んだ。
母は「まあ、おめでとうございます!」と心から喜んでいるようだった。
アデライドも祝福の言葉をかけたと思うが、その時のことはあまりに衝撃的でよく覚えていない。
自分が番でないなら、せめて、自分が死ぬまではセレストの番が見つからないで欲しい。
神様にそう願っていたのに、その願いですら叶えられることはなかった。
母は喜んでセレストの番のために部屋を用意した。
新しい寝具に化粧品、部屋のカーテンや絨毯も全て新しいものへと変えた。
……ここにある全てが番のもの。
ただ、たまたまセレストの番だっただけなのに。
そうして十日ほど前にセレストは一人の子供を連れて来た。
アデライドと同じく人間で、アデライドよりも小さくて、痩せていて、上手く喋ることも出来ないような少女だった。
どうして、と思った。
こんな痩せっぽっちのニコリともしない子供が、何故、セレストの番なのだろう。
……あたしのほうがずっと美人じゃない。
子供はずっと俯きがちで可愛げもない。
食事の様子も見たけれど、マナーだって出来ていなくて、食べ方は適当で、全く美しくない。
アデライドのほうが何を比べても優れている。
そう思ってしまうと、もうダメだった。
恋い焦がれるセレストを奪った相手が憎かった。
しかも子供はその日のうちに服を買ってもらっていた。
アデライドだって滅多に着られないような、質の良い店のもので、それを靴から髪飾りといった小物も合わせて、何着も届いた。
その山を見て、アデライドは悔しかった。
……あたしが番だったら、これを受け取れたのはあたしだったかもしれない。
あんな貧相な子供ではなく、アデライドのほうが絶対に似合うだろう。
母に荷物の整理を頼まれて、子供に与えられた部屋の一角で荷物を開けて、中身を確認して、衣装部屋に収めていく。
どの服も、靴も、小物も、可愛かった。
思わずアデライドは服を自分の体に当ててしまった。
小さいが、それでも、アデライドには子供よりも、自分のほうが似合っていると感じた。
そんなことをしている間にセレスト達は帰ってきていたようで、子供が部屋に入ってきた時にはギクリとしたが、子供はよく分かっていないのか何も言わなかった。
……まあ、あれじゃあ言いたいことも満足に言えないだろうけどね。
あんな途切れ途切れの話し方では、聞いてくれる者も少ないだろう。
アデライドも必要に迫られて仕方なく何度か話しかけたが、喋るのが遅くて、しかも何を言いたいのか分からなくてイライラした。
……どうせ気付かないでしょ。
高い位置に箱を置いておけば子供には届かない。
それに、これだけ沢山の小物があれば、多少なくなってもきっと分からない。
アデライドはバレないように、小さな小物を少しずつ子供の衣装部屋からくすねていった。
小さな髪留め、リボン、靴につけるキラキラした飾り、ワンピースにつけるコサージュ……。
ポケットに入る程度の大きさのものばかりだ。
しかも、それらをつけた自分は可愛かった。
母に一度髪飾りについて尋ねられたことはあったものの、安く売っていたから買ったと言えば、母からはそれ以上何も訊かれなかった。
……あたしのほうがずっと似合う。
それらをつけて街を歩けば、アデライドは男の子達に「可愛いね」「似合ってるよ」と褒めてもらえるのだ。
あの子供がつけていたとしても、彼らは多分、そんなことは言わないだろう。
アデライドだから褒めるのだ。
街の男の子達の褒め言葉はアデライドの傷付けられた自尊心を少しは癒してくれる。
……そう、あたしのほうが。
あの子供よりもセレストの隣にいても似合っているはずなのに。
* * * * *
セレストはユイの部屋に入った。
基本的にはあまりユイの部屋に入ることはないが、衣類の箱が高い位置にあっては使うことが出来ないだろう。
ユイと共に部屋に入り、衣装部屋に向かう。
衣装部屋の扉を開けようとして、ふと、部屋の奥にあるベッドを見た。シーツが乱れている。
ベッドに腰かけたからと言うよりは、寝て起きた後のままといった感じである。
セレストの視線に気付いたユイが手を離し、ベッドへ向かう。
そして乱れたベッドを整え始めた。
「ユイ」
声をかければユイが振り返る。
「き、れぃ、した」
ユイの言葉にセレストは頷いた。
「ええ、そうですね、上手ですよ」
戻ってきたユイの頭を撫でつつ、セレストは不信感を覚えていた。
ユイの世話はセリーヌの娘、アデライドの仕事であり、その中にはユイの部屋を整えたり掃除をしたりといった仕事も含まれている。
今日はユイは帰ってきてからずっとセレストと一緒にいたため、部屋に戻ったのは上着を置きに行った時くらいである。
つまり、ベッドの乱れは帰ってきてから出来たものではない。
……まさか、仕事を怠った?
ベッドは朝の状態のままだったとしたら。
「ユイはいつもそうやって、自分でベッドを整えているのですか?」
セレストの問いにユイは首を傾げつつ、頷いた。
それに「偉いですね」と返事をしながらも、セレストは内心で更に不信感を募らせていった。
試しにテーブルに指を滑らせると薄っすら埃がつく。
……掃除もやっていない。
少し空気もこもっている。
……これは注意をしなければ。
どうしてかは分からないがアデライドが仕事をしていない。
セレストとユイが出かけている間に、本来であればアデライドがユイの部屋を掃除して、整えておくべきなのだ。
それが彼女の仕事なのだから。
その仕事をしてないのは問題である。
「せれ、す、と、さん?」
ユイに呼ばれて我へ返る。
「何でもありません」
ユイを促して衣装部屋に入る。
さほど広くはないが、それなりに収納が出来る小さな衣装部屋には、ユイの衣類や小物、靴などが収めてあった。
適当に並んでいる箱をいくつか開けてみて、どうやら箱は一目で分かるようにするためか、中身に合わせて色や柄があるらしかった。
なるほど、と思いながら衣装部屋を見回す。
今ユイが着ている服は淡い緑のワンピースだ。それに合わせて頭につけるリボンがあったはずで、ユイに訊いてみる。
「ユイ、その服はどの箱から出しましたか?」
ユイが衣装部屋を一度出て、戻って来る。
その手には着ているワンピースとよく似た色合いの大きな箱が抱えられていた。
「これ」
箱を持って来てくれたユイに礼を言って、セレストは同じ色の箱を探した。
なかなか見つからなくて、棚の上段に置かれている箱を退かして見て回ると、いくつかの箱の奥に、その箱はあった。
……これではユイは見つけられない。
身長的にも手が届かないし、そもそも、奥にあったら下から見ることが出来ない。
セレストはその箱を奥から取り出した。
そして小さな箱のフタを開ける。
「……」
中身がなかった。
箱の中には、中身が傷まないように柔らかそうな布が敷いてあるけれど、その中身がない。
セレストは服を買いに行った時のことを思い出す。
確か、この服には頭につけるリボンがあった。
そもそも購入した服には大体、リボンか髪飾りがついていたはずなので、この服にだけ何もないということはない。
見下ろせば、ユイが首を傾げて見上げてくる。
「ユイ、部屋のほうで少し待っていてもらえますか?」
セレストがそう言えば、ユイは素直に頷き、衣装部屋から出て行った。
それを見送り、扉が閉められて、セレストは持っていた箱を元の位置に戻した。
そうして上段に置かれている箱を一つずつ下ろし、箱のフタを開けて中身を確認した。
確認して、そして愕然とした。
上段の箱の半分近くが空だった。
それらはどれも小さな箱で、棚の上段の、奥のほうに隠すように置かれていた。
……あの位置はユイからは見えない。
わざとそこに置いたのだとすぐに分かった。
箱を全て元の位置に戻して衣装部屋を出る。
ソファーに座っていたユイに近寄った。
一瞬、どうするか考えた。
……ユイにこのことを伝えるか……。
伝えずに密かに手を打つことも出来る。
けれど、そうすればユイに黙っていることになる。
それは信頼を裏切ることにならないだろうか。
きちんと説明して、どういう状況なのか知っていたほうがユイにとっても良いのではないか。
まっすぐに見つめてくるユイにセレストは、伝える選択をした。
「ユイ、落ち着いて聞いてください」
ユイが頷く。
「恐らくアデライドが、ユイの小物を盗んでいます」
この部屋に入れるのはユイ、セレスト、セリーヌ、そしてアデライドの四人だけ。
セリーヌはアデライドにユイの世話を任せているから、理由もなくユイの部屋には立ち入らないはずだ。
セレストもユイの部屋には極力入らない。
そうなれば残るはユイかアデライド。
「小物がなくなっているのに気付いていましたか?」
そう問えば、ユイが一度口を開き、それを閉じてから、小さな声で言った。
「す、こし、へん、お、も、った」
「どう変に思ったのですか?」
「ふ、く、か、わ、いぃ。でも、た、り、なぃ、き、する。わ、たし、の、ま、ちが、い、おも、った」
ユイも少なからず違和感を覚えていたらしい。
でも気のせいかもしれないと考えたようだ。
そっとユイの頭を撫でる。
「ユイの間違いではないと思います。アデライドがユイの服の小物を盗んでいて、だからユイは変だと感じたのでしょう」
ユイが「あ」と声を上げる。
「ま、え、あ、で、らい、ど、さん、わた、し、ふく、じ、ぶん、にあて、て、た」
「自分に当てる?」
「……こう」
上着のケープを手に取ったユイが、姿見の前で、自分の体に合わせて鏡を見た。
……なるほど、そういうことか。
多分、アデライドはユイの服が羨ましかったのだ。
確かにユイの服は平民でも購入出来ない値段ではないが、何着も買えるほど安くもない。
そして盗んでいるのが小物というのも、恐らくは、持って帰ってもバレ難いものだからだろう。
……いくら羨ましいからと言って、主人のものを盗むだなんて。
しかも盗んだものは一つや二つではない。
そんなことをすれば仕事をクビになる。
場合によっては警備隊に突き出される。
アデライドは成人しており、もう子供ではない。
「明日、セリーヌにも話します。それに仕事についてもアデライドに任せたことがされていないようなので、そのことも」
ユイが首を傾げた。
「部屋の清掃をしたり、整えたりするのもアデライドの仕事なのです。ですが掃除もされていないようですね」
ユイが頷いた。
「少し忙しくさせてしまいますが、ユイの部屋の清掃もセリーヌにお願いしましょう」
そう言えば、またユイは頷いた。
アデライドのことを警備隊に突き出すかは本人次第だが、セリーヌとの長い付き合いを考えると、その娘を犯罪者にしたくはないという気持ちもある。
……何故、こんなことを。
アデライドにだって充分な給与を与えている。
髪飾りやリボンなど、なくなった小物はアデライドでも買えないものではない。
それなのにユイから盗んだ。
セレストは怒りを押し殺しながら微笑んだ。
「ユイ、気付かなくてすみません」
ユイが首を振る。
「わ、たし、も、へん、おも、た、のに、す、ぐ、いわ、な、くて、ご、め、な、さい」
「ユイは悪くありませんよ」
「せ、れす、と、さん、も、わ、るく、なぃ」
「ありがとうございます」と言いながらユイの頭を撫でる。
ふつふつと湧き上がる怒りは、番に与えたものを奪われたからだろうか。
これほど腹立たしい思いをしたのは初めてだった。
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