リザードマンと嫉妬
午後はヴァランティーヌさんに詰め所の中を案内してもらった。
色々な場所を見たけど、リザードマンのシャルルさんとまた会えたことが今日一番の印象に残った。
真っ黒な鱗に赤い目のリザードマン。
前世でも見たことのない姿だが、怖くはない。
……敵意が全然なかった。
それどころかわたしが話しかけたら少し戸惑っていて、でも、目線を合わせてくれたり、リザードマンの風習を教えてくれたり、怖そうな外見とは裏腹に優しい人だ。
それに鱗にも触らせてもらえた。
ツヤツヤで、硬くて、綺麗な鱗だった。
トカゲやワニに近いのかなとも思ったが、触ってみたら凄く硬くて驚いた。
リザードマンはトカゲやワニとも違うようだ。
……本物のトカゲやワニを触ったことはないけど、多分、あんなに硬くはないと思う。
魔族は色々な姿の者がいるのだとヴァランティーヌさんが言っていたが、リザードマンみたいに人とは違う種族もきっと多いのだろう。
……そういう人達をもっと見てみたいなあ。
そんなことを考えながら紅茶を飲む。
詰め所の中を見て回った後はお茶を飲みつつ、食堂でまったりと過ごす。
「それにしても、ユイは度胸があるねえ」
ヴァランティーヌさんが言う。
「リザードマンの鱗に触ってみたい、なんて言い出すやつは初めて見たよ」
ははは、とヴァランティーヌさんが愉快そうに笑って、ディシーはわたしの横で頷いた。
「うん、ビックリした。ユイは怖くなかったの?」
ディシーに訊かれて首を傾げる。
「こ、わく、なぃ。しゃ、るる、さん、てき、い、なぃ。だい、じょ、ぶ」
「そうなんだ。……うん、でも、そうだね。シャルルさん、ユイにも優しかったし、良い人なのかも」
わたしはそれに頷いた。
結構失礼なことをしちゃったのに許してくれたし、腕にも触らせてくれた。
しかもわたしが怪我をしないように爪を出さないように気を配ってくれた。
……悪い人には全然思えない。
ヴァランティーヌさんも頷く。
「ああ、シャルルはいいやつだよ。この第二警備隊に入ったのだって、人手不足って聞いて入ってくれたぐらいだからねえ」
何かを思い出すようにヴァランティーヌさんの綺麗な緑色の瞳が細められた。
……それで入ってくれるなんて本当にいい人だ。
「私、次はもっと話しかけてみる」
「ああ、そうしてやりな」
ディシーの言葉にヴァランティーヌさんは頷いた。
その後はヴァランティーヌさんからリザードマンについて色々と教えてもらった。
また今度話す時に失礼なことをしないためにも、わたしの好奇心のためにも、色々と訊いてみたが、聞けば聞くほど面白いと思う。
リザードマンは男性女性という言い方はせず、雄、雌と性別を言うそうだ。
基本的に雄の方が大きく、体の鱗も硬く、雄は全員戦士となるために子供の頃から鍛えられる。
雌は鱗が雄ほど硬質ではないため戦士に向かないらしいが、魔法を使えれば戦闘にも参加するし、鱗が柔らかいと言っても尾で叩かれるとかなり痛いそうだ。
「シャルルが痛いと言うくらいだから、人間が尾で叩かれたら大怪我をするだろうね」
と、いうことらしい。
あと面白いと思ったことはシャルルさんがきちんと服を着ていたことだ。
体つきは人族に近いから、人族の服でも着られるのだろうけれど、あの鱗があるから着なくても良さそうな気もする。
でも服を着ているほうが人族の中では目立ち難いのかもしれない。
……ちょっと可愛いって思っちゃった。
リザードマンはその硬質な鱗があるため、あまり体の接触をしないらしく、体の接触があるのは家族や友人、恋人や夫婦といったごく親しい間柄だけ。
だからわたしが触らせてもらえたのはとても珍しいことらしい。
五十年来の付き合いがあるヴァランティーヌさんでさえ、握手くらいでしか触ったことはないそうだ。
……五十年の付き合い。
魔族は種族によって寿命にかなりバラつきがあり、リザードマンは魔族の中でも長寿な種族で、シャルルさんも三百歳は超えているのだとか。
「ああして触らせてくれたということは、シャルルはユイを友人として受け入れたってことさ」
「ゆう、じん……」
……それは嬉しいかも。
「リザードマンが体の柔らかい部分に触れるのを許すのは信用出来る者だけなんだよ」
なるほど、と頷く。
言われてみると納得出来る。
それからリザードマンは身を守るための鱗を非常に大切に考えているため、同性同士で鱗を褒め合うのは友情の証であり、異性の鱗を褒めるのは、自分がその相手に好意があるという表れなのだとか。
そして尾は攻撃にも防御にも使え、リザードマンの威厳の象徴でもあるため、触れていいのは結婚相手だけ。
……うわあ、わたしどっちもやっちゃった。
よく怒らなかったな、とシャルルさんにもう一度心の中で感謝しておいた。
「ユイ」
呼ぶ声に振り向けば、セレストさんがいた。
どうやら巡回を終えて戻ってきたようだ。
……セレストさん。
わたしは椅子から飛び下りて、セレストさんへ駆けて行き、その勢いのまま抱き着いた。
セレストさんが驚いた様子でわたしを受け止める。
「ユイ、どうしましたか?」
優しい声がして、頭を撫でられる。
……わたし、セレストさんの優しさに気付かなかった。
「せれ、す、と、さん、いえ、あかり、あり、が、と」
セレストさんが首を傾げる。
「家の明かり、ですか?」
訊き返されて頷いた。
「へや、ろ、ぅか、よる、あかり、ある。わ、たし、うご、く、こまら、なぃ」
「ああ、そのことですか」
見上げた先でセレストさんが微笑んだ。
「ユイは人間ですからね。竜人と違って夜目が利かないので、明かりがないと不便でしょう?」
それに頷き返す。
「だ、から、あり、がと」
「どういたしまして」
よしよしと頭をまた撫でられる。
セレストさんの手が心地好い。
この手はわたしを傷付けないと分かっているから、安心して身を任せられる。
それからセレストさんがわたしと手を繋いでヴァランティーヌさんとディシーのいる席に戻った。
わたしを椅子に座らせ、セレストさんがヴァランティーヌさんを見る。
「ところで、ヴァランティーヌ、どうしてユイから男性の匂いがするのですか?」
柔らかい口調なのに、少しひんやりとしたセレストさんの声がする。
…………あれ?
見上げてみてもセレストさんはニコリと微笑んでいる。
微笑んでいるが、なんだか気配がちょっとおかしいような気がする。
……怒ってる?
「詰め所の中を案内してね、訓練場でシャルルに会ったのさ。それでユイがシャルルの鱗に興味を示して、シャルルが腕を少しだけ触らせてくれたんだよ」
セレストさんが目を丸くした。
「あのシャルルが?」
わたしも、うん、と頷いた。
セレストさんは「珍しいですね」と呟いた。
ヴァランティーヌさんも頷いた。
「ユイが怖がらなかったから、シャルルも嬉しかったんだろうねえ」
「……ああ、そういうことですか」
「そういうことさ」
セレストさんが納得した様子で頷き、ヴァランティーヌさんも小さく笑う。
「リザードマンは元々子供に甘い種族だからね。自分を怖がらない子供に触ってみたいと言われたら、そりゃあなかなか断れないよ」
セレストさんが苦笑してわたしを見た。
「シャルルの鱗はどうでしたか?」
訊かれたので素直に答える。
「しゃ、るる、さん、う、ろこ、つる、つる。かた、ぃ。きら、きら。つ、め、たぃ」
「楽しかったですか?」
頷くと、セレストさんは苦笑のまま小さく息を吐いた。
……もう怒ってない?
でも気配は変わらず、ちょっとチクチクする。
敵意ではなさそうだけど。
「せれ、す、と、さん、おこ、った?」
そう訊けば困ったような顔をされる。
「……もう怒ってはいません。いえ、怒ってはいませんが、あまり良い気分でもありませんね……」
「な、んで?」
「ユイに私以外の男性の匂いがついているからです」
……セレストさん以外の男性の匂いって。
「しゃ、るる、さん?」
セレストさんが頷いた。
それから手を取られ、わたしの両手をセレストさんの両手が包み込んだ。
目を合わせるためかセレストさんが膝をつく。
「ユイ、竜人はとても嫉妬深いのです。女性ならまだしも、番に自分以外の男性の匂いがあると、とても、その、嫌な気分になります。……ユイに非があるわけではないと分かっているのですが……」
そう言いながらセレストさんが眉を下げる。
……うーん……?
首を傾げるとヴァランティーヌさんも苦笑した。
「たとえばユイとセレストが恋人同士だったとして、ユイが出かけている間に、セレストが他の女性と会っていて、その香水の匂いがセレストからしたら嫌だろうって話なんだけど……。ユイには少し難しいかねえ」
…………それって、つまり。
「し、っと?」
「おや、それは知ってるのかい」
わたしに他の男性の匂いがついているのが嫌だというのは、それは嫉妬なのではないだろうか。
……でも何でセレストさんが嫉妬するの?
「あ」
セレストさんの顔を見て分かった。
……わたしがセレストさんの番だから。
すぐ忘れてしまうけれど、わたしはセレストさんの番で、番とは神様が決めた運命の相手で、竜人は自分の番に対して凄く執着する種族で。
だからセレストさんはわたしから他の男性の匂いがすると、もしかして……って思ってしまうのだろうか。
……わたし、まだ十二歳なのに。
恋愛なんて全然興味がないのに。
「せれ、す、と、さん、にぉ、ぃ、わ、かる?」
「はい、竜人は五感が鋭いので鼻も獣人と同じくらいよく利きます」
そしてわたしは訓練場でシャルルさんに触った。
多分、触ったら匂いが移るんだと思う。
セレストさんは鼻がいいから、わたしが他の男性、つまりシャルルさんと触れ合ったことが分かってしまうんだ。
「すみません、誰と親しくするかはユイの自由です。そう分かっているのですが……」
目を伏せたセレストさんはつらそうだった。
もし、そうたとえばの話、先ほどヴァランティーヌさんが言ったように、逆の立場だったらわたしも嫌だと思うかもしれない。
付き合っている恋人から他の女性のものだろう香水の匂いがしていたら、きっと、不安になる。
恋愛をしたことがないから確かなことは言えないけど、付き合ってるのに、明らかに他の異性の気配を感じたら不愉快に感じるかもしれない。
……わたしとセレストさんは付き合ってないが。
「それだけ竜人は番一筋ってことさ」
わたしの考えに答えるようにヴァランティーヌさんが言う。
…………うーん……。
これはわたしが謝ったほうがいいのだろうか。
でも、セレストさんも困った顔をしていて、多分、セレストさん自身も自分の反応に困っている。
わたしはセレストさんの番だけど、現時点で付き合っているわけではない。
……でもセレストさんを悲しませたくはない、かな。命の恩人だし。お世話になってるし。
「せ、れす、と、さん、ご、め、なさ、ぃ」
頭を下げればセレストさんが慌てたように肩に触れてくる。
「ユイは何も悪くありません」
「で、も……」
「悪いのは私です。番だからと言ってあなたを引き取って、番だからとあなたに強要しようとしてしまう、私が悪いのです」
すみません、とまたセレストさんが謝った。
だけどセレストさんが謝るのも何か違う。
わたしが口を開く前に鐘の音が聞こえてきた。
「……すみません、仕事に戻らなければ」
セレストさんが立ち上がった。
それから、そっとわたしの頭を撫でた。
「ユイ、あなたは何も悪くありません。だから気にしないでください。これは私の問題ですから」
そう言って、ヴァランティーヌさんに「ユイをお願いします」と告げてセレストさんは止める間もなく足早に食堂を出て行った。
ヴァランティーヌさんが「しまった……」と頭を掻く。
「ごめんね、ユイ。アタシがもっと気を付けていれば良かったね。竜人の執着を甘く見てたよ」
申し訳なさそうに言われて首を振る。
「ゔぁ、らん、てぃー、ぬさん、わる、く、なぃ」
「ありがとう。ユイは本当に優しいね」
ヴァランティーヌさんが困ったように笑う。
ディシーはセレストさんが出て行った出入り口とわたしを見て、こっそりと話しかけてきた。
「セレストさん、追いかけなくていいの?」
「い、ぃ」
今追いかけてもセレストさんに何も言えないから。
それに仕事に戻るところを引き留めるのも迷惑になるだろうし、わたしはもっと知らないといけないことがある。
「ゔぁ、らん、てぃーぬ、さん」
セレストさんのことをもっと知らなければ。
そして番というものについても。
わたしは多分知らなければいけないのだ。
「つ、がぃ、の、こと、お、しえ、て」
そうしなければ、セレストさんとこれから向き合っていくことも出来ないと思うから。
ヴァランティーヌさんが「ああ」と頷いた。
「番について教えよう」
それを聞いてからでも、セレストさんへの対応を考えるのはきっと遅くない。
……ちゃんと向き合わないと。
番のことを知らないまま、番だからと甘えてばかりいたらダメだ。
恩人であるセレストさんを苦しませたくない。
……このままじゃ壊れてしまう。
何が壊れてしまうのか自分でも分からないけれど、それが良くないことなのは分かる。
竜人の番と、番を得た竜人。
わたしはもっと知る必要がある。




