シャルル=ラクール
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シャルル=ラクールはリザードマンだ。
全身を黒く硬質な鱗で覆われ、瞳は赤く、手の爪は鋭利に尖っており、口を開けば鋭い牙が覗く。
リザードマンとは深い森の湿地帯や川、湖などのそばで同族と共に集落を作って、森の生き物を狩ったり魚を獲ったりしながら生きている魔族である。
そしてリザードマンの雄は全員が戦士だ。
千年ほど前まで、魔族と人族──主に人間だが──は敵対関係にあった。
戦争も当時は珍しくなかったようだ。
その戦争にリザードマンも参加していた。
だが戦争が終わり、魔族と人族は敵対するのをやめ、その後は友好的な関係を築いている。
魔族が人族の中で暮らせるようになったのは、魔族の歴史の中ではまだ最近のことだ。
シャルルの祖父も戦争に参加した世代である。
しかしシャルルは戦後に生まれたため、人族に対して思うところはない。
だが、人族は自分達と姿が全く違うリザードマンのシャルルを恐れることが多い。
シャルルが何かをしたからというのではなく、そのリザードマンの外見が、人族には威圧感を与えてしまうらしい。
特に人間や獣人はシャルルを怖がったり、警戒したり、とにかく、なかなか親しくなることがない。
シャルルがこのグランツェールの街に来たのは今より五十年も前の話だが、未だに怖がられることもある。
子供に至っては大体怯えられるのだ。
だからシャルルもあまり子供には近付かないようにしている。
「おい、そこ、腕の筋肉だけで振るな! もっと上半身の筋肉を使え!!」
新人の教育のために声を張る。
リザードマンの声帯は独特で、やや掠れた低い声が出るので慣れない新人の肩がビクリと跳ねた。
怖がられているわけではないと分かっていても、その反応に内心でシャルルは申し訳なく思う。
思うけれど、それとこれとは別の話だ。
きちんと訓練をさせなければ、将来、新人自身やその周りの者達の命を危険に晒してしまうかもしれない。
……訓練中は厳しくあらねば。
そうして更に声を張りあげようとした時、後ろから声がした。
「おや、シャルルじゃないか。今日も新人を鍛えてやってるのかい」
聞き慣れた声に振り返る。
「ああ、ヴァランティーヌ、か……」
そして固まった。
ヴァランティーヌは、シャルルが第二警備隊に入った時に先輩として色々と教えてくれた人物だ。
エルフなのに他種族に好意的で、穏やかで、けれど厳しいこともある。
何よりシャルルを恐れない。
けれども、今そこにいるのはヴァランティーヌだけではなかった。
その長身の後ろには二つの小さな影があった。
一つはやや大きく、くすんだ茶金の長い髪をした少女だ。見覚えがない。魔力も感じず、恐らく人間だろう。
もう一つは更に小さく、亜麻色の短い髪の少女だ。こちらは一度だけ見たことがある。竜人セレストの番だという、やはりこちらも人間だ。
ただ後者の少女はかなりの量の魔力を感じる。
…………子供……。
予想以上に近い距離に子供がいて驚いた。
シャルルだけに限らず、リザードマンは実は子供好きが多い。
種族的にそれほど子供が多く生まれないため、他種族の子であっても大事にする。
けれどもリザードマンは外見のせいで人族の子供からは怯えられてしまう。
「……」
つい固まってしまったシャルルを二人の少女が見つめてくる。
茶金の髪の少女は怖々と。
亜麻色の髪の少女はジッと。
どうすれば良いのか分からず、シャルルは戸惑い、しかしとりあえずその場に膝をついた。
「確か、セレストの番のユイだったか?」
怖がらせないよう、出来るだけ優しい声を出そうとするが、どうしても唸りに近くなってしまう。
だが亜麻色の髪の少女はこくりと頷いた。
「は、ぃ、そぅ、です」
途切れ途切れだが返事があった。
オレンジがかった赤い、人族がよく飲む紅茶に似た色の瞳がまっすぐに見つめてくる。
その瞳からは恐れを感じない。
……そういえば。
昨日の朝、セレストと少女に会った時も、この少女はあまり怯えた様子を感じさせなかった。
少し驚いた様子ではあったが、初めて魔族を、それもリザードマンを見た者は大抵この外見に驚くのでシャルルもそこに関しては気にしてない。
「今、詰め所の中を案内してたんだよ。この子達はアタシとセレストが引き取ったから、最低でも成人するまでは一緒にいて、見てやっておかないといけないしね」
その言葉にシャルルは驚いた。
「ヴァランティーヌもか?」
「そうだよ、一人暮らしには飽き飽きしてたからねえ。……ほら、ディシー、自己紹介出来るかい?」
ヴァランティーヌが茶金の髪の少女に声をかける。
その少女は戸惑ったようにヴァランティーヌを見て、それからセレストの番を見た。
セレストの番がこそこそと話しかける。
「だぃ、じょ、ぶ、しゃ、るる、さん、や、さし、ぃ。てき、い、なぃ」
「……ほんと?」
「ん」
リザードマンは五感が鋭い。
そうでなくとも、二人の少女の会話は本人達はこっそりしているつもりだろうが、よく聞こえてしまっている。
お互いに耳打ちする姿が少し微笑ましい。
黙って見ていると茶金の髪の少女がこちらを向いた。
「あの、は、初めまして、ディシーっていいます。ヴァランティーヌさんのところでお世話になっています!」
緊張しているのかやや大きな声だった。
シャルルはそれに小さく頷いた。
「シャルル=ラクール、リザードマンだ。ヴァランティーヌやセレストと同じく第二警備隊に所属している」
「よ、よろしくお願いします!」
シャルルは「ああ、よろしく」とまた頷いた。
ヴァランティーヌが「よく出来たねえ」と茶金の髪の少女の頭を撫でると、少女がホッとしたような顔をした。
その横でセレストの番も僅かに目を細めて、その少女を見ている。
しかし、ふっとセレストの番がシャルルを見た。
温かみのある紅茶色の大きな瞳で見つめられて、シャルルはどうすれば良いのか困った。
ぱちぱちとその瞳が瞬いた。
「ぅ、ろこ、き、れい」
それにシャルルは驚いて、つい尾を地面に叩きつけてしまった。
茶金の髪の少女とセレストの番がビクッと震える。
ヴァランティーヌが苦笑した。
「すまない、ユイはリザードマンの風習を知らないんだ」
その言葉にハッと我へ返る。
「あ、ああ、いや、そうだろうな……」
セレストの番が首を傾げる。
昨日初めてリザードマンを見たのだから、リザードマンの風習や生態を知らないのも当然だろう。
シャルルは内心で安堵しながら叩きつけた尾をゆっくりと持ち上げた。
「ユイと呼んでも構わないか?」
問えば、セレストの番は頷いた。
「では、ユイ、雄のリザードマンの鱗を褒めてはいけない。同じ性別同士ならば言葉通りに受け取られるが、異性相手に鱗を褒めるのは求婚を意味する」
セレストの番がまた首を傾げる。
「きゅ、こん?」
「あなたと結婚したいです、とお願いすることさ」
ヴァランティーヌが教えてやると意味が分かったようで、セレストの番は目を丸くした。
この風習を知っている者は少ない。
そもそも他種族がリザードマンと会って、その鱗を褒めること自体がまずないので、鱗を褒められたことにもシャルルは驚いていた。
セレストの番が僅かに肩を落とす。
「ごめ、な、さぃ」
言ってはいけないことだと理解したのだろう。
「いや、いい。鱗を褒めてもらえるのは、リザードマンにとっては誇るべきことだ。……ありがとう」
同性同士で鱗を褒め合うことはある。
鱗が美しいのは人族で言うところの外見が美しい、という意味と同じだ。
シャルルも鱗にはかなり気を遣っている。
だから、何も知らないセレストの番が純粋にシャルルの鱗の美しさを褒めてくれたことは嬉しいことだった。
……後でセレストが怒らなければいいが。
番を得た竜人は非常に嫉妬深いので、どこかでうっかりこの話を聞いたセレストが嫉妬しないかが心配なところである。
セレストは竜人の中ではかなり温厚な性質だ。
しかし番のこととなると、どうなるか、五十年の付き合いがあるシャルルでも予想がつかない。
セレストの番がヴァランティーヌの服の裾を引っ張った。
それから、腰を曲げて顔を寄せたヴァランティーヌに、口元に手を当ててこそこそと話しかける。
だが先ほどと同じく声は筒抜けだった。
「し、っぽ、さわ、る、のも、だめ?」
……それだけは勘弁してくれ。
そんなことを許した日にはセレストに、冗談抜きに殺されるかもしれない。
尾に触れていいのは結婚相手だけだ。
ヴァランティーヌが「あははは!」と腹を抱えて笑っているが、全くもって笑いごとではない。
どうやらセレストの番は普通の人族よりも度胸があるらしい。
「それもダメだ。リザードマンの尾に触っていいのは結婚相手だけだからね。そんなことしたらセレストが嫉妬でどうにかなってしまうよ」
ヴァランティーヌの言葉にセレストの番が明らかにしょんぼりと肩を落とす。
……そこまで触りたいものか?
あまりに残念そうにしているので、シャルルは少しだけ申し訳ないような気持ちになった。
「尾は触らせられないが、腕なら構わない」
思わずそう口にしてしまっていた。
「いぃ、の?」
セレストの番がまっすぐに見つめてくる。
それに頷き返した。
「おやまあ」
ヴァランティーヌがおかしそうに小さく笑った。
シャルルは必要以上に他者との接触は好まない。
そのことを知っているヴァランティーヌからしたら、シャルルのこの言葉はかなり珍しいことなのだろう。
言い出したシャルルですら、少し驚いている。
キラキラと輝く紅茶色の瞳は期待がこもっていた。
「ああ、ただし爪は鋭いから触らないでくれ」
ある程度は整えているが、子供の柔い肌では下手に触れば傷付けてしまうかもしれない。
セレストの番が大きく頷いた。
それから、ゆっくりと近付いて来る。
触りやすいように体の前へ腕を出した。
もし触ってしまっても傷付けないように、出来る限り爪を内側にして手を握り込む。
小さな手がそっと腕に触れた。
リザードマンの鱗は硬く、特に体の外側に向いている場所はかなり硬質なので触られても実はあまり感覚がない。
最初は控えめに、ぺた、と小さな手が触る。
そのまま、ぺた、ぺた、と鱗の表面を触っていたが、慣れてくると更にぺたぺたと撫でる。
腕の表と裏で硬質さに違いがあることに気付いたセレストの番が不思議そうに目を丸くして、境い目を指で辿る。少しくすぐったい。
「か、たさ、ちが、ぅ。なん、で?」
セレストの番の問いに答える。
「外側は攻撃を弾くために硬い。そして内側が柔らかくないと動き難くなる。だから表側と裏側で硬さが違うんだ」
説明すればセレストの番がうんうんと頷いた。
聞きながらも熱心に腕を触って来る。
……好奇心の強い子だ。
顔を上げたセレストの番がまじまじと目を覗き込んで来て、ふっと紅茶色の目が細められた。
「め、りざ、ど、まん、りゅ、じん、に、てる」
そう言われて、ああ、と思う。
……本当にこの子は俺を怖がらない。
「リザードマンも竜人も、ドラゴンの要素を濃く受け継いだ種族だ。この目もその一つで夜目が利く」
頷いたセレストの番がふと首を傾げた。
「りゅ、じん、よ、め、きく?」
「ああ、竜人は皆、暗い場所でもよく物が見える」
そしてリザードマンも同じく夜目が利く。
ほんの僅かな月明かりがあるだけで、昼間とそう変わらずに物が見えるし、動くことも出来る。
セレストの番が口を開いた。
「せれ、す、と、さん、いえ、い、つも、あ、かり、つ、いて、る。よる、おき、る。あ、かり、ある」
「そうなのか?」
セレストの番は頷いた。
「へや、ろ、ぅか、いえ、の、なか、ぜ、んぶ、らい、と、ある」
それを聞いてシャルルはなるほど、と思った。
「恐らく、ユイのためだな」
「わ、たし?」
「そうだ。竜人もリザードマンも月明かりのように僅かな明かりの中でも物が見える。だが人間は違う。夜中にユイが起きた時に周りが見えないと困るだろう? そのために多分明るくしているんだ」
紅茶色の瞳が丸くなる。
予想外のことを聞いたといった感じだ。
……セレストもやはり竜人だな。
夜目の利かない番のために、わざわざ家中にライトの魔法で明かりを灯しておくなんて。
ライトの魔法はそれほど魔力を使用しないが、家のあちこちに用意するのはかなりの手間だろう。
しかし、そうすることで番が安全に動くことが出来る。
夜、目を覚ましてトワレットに行きたい時、喉が渇いて厨房に行く時、明かりがなければ人間では暗い屋内は移動が難しい。
ライトの明かりがそこかしこに灯っていれば、この小さな少女でも安全に移動出来るはずだ。
「せれ、す、と、さん、あり、が、と、ぃう」
真面目な顔でセレストの番が言う。
「ああ、セレストに感謝の気持ちは伝えるべきだ」
セレストの場合は感謝の言葉が欲しくてしているわけではないだろうが、番から感謝されて嫌な気持ちにはならない。
考えていた様子だったセレストの番が顔を上げた。
「しゃ、るる、さ、ん、も、あり、が、と」
それにシャルルは首を傾げた。
「何がだ?」
「ぃう、だめ、な、こと、おこ、ら、なぃ。うで、さわ、る、いぃ。あり、が、と」
つまり、先ほどの非礼を怒らなかったことと腕に触らせてくれたから、感謝するということらしい。
腕から手を離したセレストの番がもう一度「あ、り、がと」と言う。
これくらい、礼を言われる程のことではない。
それに先ほどのことも、一般的にはあまり知られていないリザードマンの風習なので、仕方のないことだ。
だが不思議と穏やかな気持ちになった。
「ああ」
……セレストは良い番を得たな。
正直でまっすぐな子だ。
「こちらこそ、怖がらずに接してくれてありがとう」
セレストの番は目を瞬かせた。
「しゃ、るる、さ、ん、こわ、く、なぃ。いぃ、ひと。やさ、しぃ、よ?」
そんなセレストの番の頭をヴァランティーヌが撫でた。
エルフ特有の新緑に似た瞳が穏やかに細められる。
「そうだね、シャルルは優しい男だよ」
そう言われて悪い気はしなかった。
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