霊樹の実
「アタシが一緒について行くよ」
「……ええ、お願いします」
セレストさんの腕から解放される。
まだ聞こえる泣き声が悲しげで、つらそうで、聞いていると胸が苦しくなりそうだった。
ベランジェールさんの父親が柵を開けてくれて、ヴァランティーヌさんと一緒に中に入る。
近くで見ると精霊樹はより綺麗だった。
枝の先は透明で、よく見ると精霊樹が緑色なのは周囲の木々の色が反射しているからだった。
幹も枝も緑色に見えたけれど、本当は無色透明の透き通ったものだ。
ホタルみたいな光がわたしの周りを落ち着きなく飛ぶ。
ヴァランティーヌさんがいるのは夢と違うが、他は同じだ。
精霊樹のそばに立ち、手を伸ばす。
そっと触れると冷たくて、硬くて、でも意外と表面は滑らかだ。
でも、精霊樹から何かが出てくることはなかった。
ただ、ずっと泣き声が続いている。
「……悲しいの?」
泣き声は反応しない。
花に言葉をかけた時のように、心を込めて励まさないとダメらしい。
両手で精霊樹に触れて、そっと額を押し付ける。
「『……苦しいね……つらいね……でも、大丈夫』」
このエルフの里を守ってすごい。ずっとずっと、森を守ってすごい。
きっと精霊樹には沢山の負担がかかっていたのだろう。
「『だけど、時には疲れることもあるよね。これまで大変だったよね』」
がんばったね。すごいね。だから、無理しすぎちゃったんだね。
触れているところから声が聞こえてくる。
【……疲れた……?】
「『そうだよ。たまには休んでもいいし、誰かに助けてもらってもいいんだよ』」
【魔力が……魔力が足りないの……】
「『うん……わたしから魔力を持っていっていいよ。そのために来たから』」
精霊樹を伝って嬉しそうな気配を感じた。
魔力は分からないけれど、温かいような流れが体の中で動いているのを感じる。セレストさんに魔力譲渡をした時と同じだ。
温かなそれが精霊樹に流れていく気配がする。
精霊樹の枝が風もないのに揺れて、シャラシャラと控えめで涼しげな音が響く。
背後で「精霊樹が喜んでいる……?」とヴァランティーヌさんの驚いた声がした。
シャラシャラという音は次第に重なり合い、音楽が流れ出す。
とても優しくて、温かくて、心地良い音色だった。
精霊樹からふわりと何かが飛び出す。
半透明の淡い薄緑色をした十歳くらいの女の子が嬉しそうに精霊樹の周りを飛び回る。
それに釣られるようにホタルみたいな光がどこからともなく集まってきて、精霊樹の周りが、そして幹が光であふれていく。
「『……綺麗だね……』」
半透明の女の子がわたしに抱き着いた。
【あなたのおかげ! ありがとう、人間の子!】
「『もう、大丈夫?』」
【うん、もう平気! あなたの魔力で元気になったよ!】
手から抜けていく魔力の流れが止まった。
それにホッとすると、足から力が抜けていった。
「ユイ!」
セレストさんの呼ぶ声に手を振った。
ヴァランティーヌさんがわたしを支えてくれる。
「ユイ、大丈夫かいっ?」
「はい、魔力が減って、ちょっと疲れちゃっただけです」
ヴァランティーヌさんに支えてもらいながら柵に寄れば、セレストさんがわたしを抱き上げた。
わたしもそのまま、セレストさんに抱き着く。
「ああ……体が冷えてしまいましたね。ローブを持ってくるべきでした」
と、心配そうに言うセレストさんに笑い返す。
「こうしてくっついてれば大丈夫。……綺麗な音だね」
「……そうですね」
精霊樹はまだ音楽を奏でて、周りを半透明の女の子が飛び回っている。
エルフの人達は跪き、精霊樹に深く頭を下げていた。
ヴァランティーヌさんが感心したような顔で言った。
「精霊がこうして人前に現れるなんて珍しいねぇ」
「あの子が精霊ですか?」
「ああ、この里ができた頃から見守ってくれている精霊だよ」
ヴァランティーヌさんと話していると、また女の子がこっちに来た。
抱き締め合っているわたしとセレストさんの周りを楽しそうに笑いながら、くるくると回る。
「どうして弱っていたの?」
【森の奥で大きな地滑りがあったの。それを食い止めるために魔力を使い過ぎちゃった】
「里に入った時に聞こえた声はあなた?」
【そうだよ】
それから半透明の女の子──……風の精霊が跪いている長老達のところに行く。
【森の子達、警戒するのは大事だけど、この子は私のお客様だよ】
「は……はいっ!」
「申し訳ございません……!」
「申し訳ありませんっ」
風の精霊がふわりと宙で止まった。
【人間は魔法適性がないことが多いけど、純粋な魔力を持っているの。この子みたいに。そういう子は精霊樹に魔力を注げるの。人間だからって相手の話を聞かないのはダメ】
風の精霊が怒ったようにムッとした顔で腰に手を当てて言う。
それに長老達も他のエルフの人達も深々と頭を下げた。
「い、以後、気を付けます……」
【よろしい】
そして、また風の精霊がふわりと動いてこっちに戻ってくる。
【街からここまで来てくれてありがとう】
「……グランツェールを知ってるの?」
【精霊樹の欠片が反応した時、一瞬だけどあなたと周りの景色が見えたから】
何故か風の精霊がぱたぱたとワンピースのあちこちを叩いて確かめる。
そして、何かを見つけると取り出した。
【あなたにはお礼を】
差し出されたのは精霊樹と同じ水晶みたいなものでできたリンゴだった。
セレストさんがわたしを下ろしてくれたので、両手を差し出せば、それが掌に置かれる。
しっかり受け取るとセレストさんが「ポム……?」と不思議そうにわたしの手元を見た。
わたしの両手でギリギリ包めるくらいの大きさで、光に当たると七色に輝く。
【『霊樹の実』だよ。これはあなたと青い竜に必要なものだと思うから、あげるね】
「霊樹の実?」
【そう、これを食べればあなたの寿命はとっても延びる。竜人の番には必要でしょ?】
それに驚いたのはわたしだけではなかった。
いや、むしろセレストさんのほうが衝撃を受けた様子で「そんなものが……?」と動揺していた。
「いいの……?」
【うん。この実はあなたしか触れないから、落とさないように気を付けてね】
「触れない?」
【そうだよ。青い竜さん、この実に触ってみて】
セレストさんが実に手を伸ばし、指先で触れようとすると、その指がするりと実を突き抜けた。
【これを食べれば精霊の祝福で寿命が延びるの。少しだけ精霊に近い存在になって、番と長く一緒にいられるよ。……だけど、食べるかどうかを決めるのはあなた】
ふわっと風の精霊が浮き上がる。
【恩人のあなたに幸福がありますように】
そして、空気に溶けるように風の精霊が消えて、精霊樹の音がフッと消えた。
森は暗闇に包まれ、先ほどの光景は夢だったのではと思うほど静けさを取り戻した。
立ち上がった長老達がこっちに来るとわたし達のほうに頭を下げた。
「精霊樹を……精霊様を助けていただき、ありがとうございます」
「まさか、精霊様にお目にかかれる日が来るなんて……」
「……無礼な振る舞い、申し訳なかった」
セレストさんと顔を見合わせる。
わたしの好きにしていいですよ、というように微笑みと共に頷き返されたので、長老達に顔を戻す。
「わたしは気にしていません。……精霊樹が元気になって良かったです」
長老達が驚いた様子で顔を上げた。
「お礼はヴァランティーヌさんとベランジェールさんに言ってください。ベランジェールさんも心から精霊樹や里のことを心配していました。二人がいなければ、わたしはここに来なかったと思います」
長老達は深々とわたし達に頭を下げて、それからゆっくりと顔を上げた。
「精霊樹に活力が戻ったお祝いに明日の夜、宴を開きますので、どうか皆様も楽しんでいただければ幸いです」
長老達やエルフの人達の嬉しそうな表情に、ヴァランティーヌさんも「やれやれ」と肩を竦める。
手の中に残った『霊樹の実』は見た目よりもずっしりと重かった。
* * * * *
その後、深夜ということもあって借りている家に戻った。
風の精霊からもらった『霊樹の実』は布に包み、カバンに入れておいた。
実というけれど、食べ物のような感じはなくて、不思議なものだった。
疲れていたのでセレストさんとベッドに入り、横になったのに、全然寝付けなかった。
セレストさんはしばらくすると寝息を立て始めたので、そっとベッドから抜けて一階に下りた。
……あれ? 明かりがついてる?
厨房に小さな明かりが見えて、覗けば、ディシーがいた。
「ディシー?」
「ん? ユイ? ……もしかして、ユイも眠れないの?」
「うん……」
振り返ったディシーが「そっちでちょっと待ってて」と食堂のほうを示す。
厨房から明かりが漏れて、食堂のほうも少し明るい。
椅子に座って待っているとディシーが木製のカップを二つ持ってこっちに来て、隣に座った。
「はい、熱いから気を付けてね」
「ありがとう」
ほのかに甘い匂いの白い液体が木製のカップに入って、一口飲むと、ミルクと蜂蜜の優しい甘さが広がった。ホットミルクだ。なんだか安心する。
二人で並んで椅子に座り、しばらく、黙ってホットミルクを飲む。
「……精霊樹、綺麗だったね。あんな音楽も初めて聴いた」
シャラシャラと不思議な音で奏でられる音楽は透き通った音で綺麗だった。
周りを飛ぶホタルみたいな光も、風の精霊も、淡く輝く精霊樹も、全てが綺麗で見惚れた。
「うん……」
「それに精霊樹が元気になって良かったね。ユイは魔力が減ったけど、気分悪くない?」
「何ともないよ」
本当は少し体がだるかったけど、魔力譲渡の後はこうなると分かっていたから気にしていない。
「ヴァランティーヌさんは?」
「部屋で寝てるよ。『夜更かしは年寄りには堪えるねぇ』って言ってた」
ディシーがヴァランティーヌさんの声真似をしたから、ちょっとおかしかった。
「ユニヴェールさんは?」
「寝てる」
「そっか。……昼間はずっとわたし達を守ってくれたから、さすがに疲れちゃったよね」
ディシーがカップに口をつけ、数口飲んでから、わたしを見た。
「ユイは『霊樹の実』を食べる?」
まっすぐな質問にわたしは首を横に振った。
「……分からない」
「どうして? 寿命が延びれば、ユニヴェールさんと一緒にいられるのに……」
実を食べるのが怖いというわけじゃない。
……でも、竜王陛下との約束があるから。
魔法で延命しないと誓約書を交わした。あの『霊樹の実』は魔法とは違うかもしれないが、それでも勝手に食べてはいけないと思ったし、セレストさんともきちんと話し合いたい。
深夜だったから話は明日となったけど、セレストさんはきっと『食べてほしい』と言うだろう。
寿命が延びたとして、どこまで長生きできるかも分からない。
だけど、多分、普通の人間よりは確実に長く生きる。
……ディシーはどうなるんだろう。
わたしが長生きして、ディシーは先に年老いて死んでしまう。
ディシーだってシャルルさんがいて、二人は幸せそうなのに、わたしだけが長生きするなんて。
「……もしかして、私のこと気にしてる?」
ディシーはこういう時、すごく鋭い。
「……うん」
「やっぱり。……私のことは気にしなくていいのに。ユイが精霊樹に魔力をあげたからお礼にもらったもので、私は何もしてないから何もないのは当たり前だよ」
「でも……」
ディシーがわたしの口元に人差し指をかざした。
「私ね、ユイが幸せになってくれて嬉しい」
優しく、ディシーが笑う。
「ユニヴェールさんはユイを大事にしてくれて、ユイは毎日幸せそうで、それがすごく嬉しいよ。ユイとユニヴェールさんがこれからも一緒にいられる道があるなら、選ぶべきだと思う」
「……ディシーが先に死んじゃうのに……?」
ディシーだってシャルルさんと一緒に長く生きたいはずだ。
わたしだけセレストさんと一緒に生きるなんて、ずるい。
だけどディシーはいつも通りに笑った。
「私ね、シャルルさんに『あなたの百年をください』って告白したの。最初から、百年だけ一緒にいるって約束だった。その代わりにこの百年を濃く生きるって決めてるから」
ディシーとシャルルさんはもう話し合って、そう決めているのだ。
……二人とも、大人だ……。
わたしとセレストさんは分かっていても、互いにそこは深く触れずにいた。
「ねえ、ユイ。私のことがなかったら、どうしてた?」
その問いに答えられなかった。
……わたしはどうしていたのかな。
ギュッとディシーに抱き締められる。
「……ユイは『霊樹の実』を食べるべきだよ」
ディシーのハッキリした声に、わたしは押し黙ってしまう。
セレストさんと出会ってからは文字通り、世界が変わった。
セレストさんを好きだと自覚してからは毎日はより幸せだと思った。
ずっと一緒にいたいかと訊かれれば、はい、と答えられる。
でも、ディシーと確実に死に別れるという事実に体が震えそうになる。
……実を食べたら、絶対にわたしのほうが長く生きる。
ヴァランティーヌさんやセレストさん達の気持ちが今更になって分かった。
「ユイ、長生きして、私のこと看取ってくれる? ヴァランティーヌやシャルルさん、ユニヴェールさん、ウィルジールさん……みんなで『頑張って長生きしたね』って笑顔で囲んでほしいなあ」
そう言ったディシーは嬉しそうで、わたしのことを羨む様子もなくて。
「できるだけヴァランティーヌに料理を教えておくから、私が死んだ後にちゃんと料理をしてるか、一人で生活できてるか見に行ってあげてくれる? 放っておくと外食ばっかりだから心配なの」
握ったわたしの拳に、ディシーがそっと手を重ねた。
成人してもディシーのほうが相変わらず背が高くて、手も大きい。
「だからね、食べていいんだよ」
わたしはやっぱり、その言葉に返事ができなかった。
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