準備と旅立ち
「セレストとユイちゃんのほうも落ち着いたみたいだし、ヴァランティーヌとディシーちゃんに、エルフの里の件でちょっと話があるんだよね〜」
テーブルの周りの人気が減ると、ベランジェールさんが言った。
ヴァランティーヌさんとディシーが振り向く。
「昼間、ヴァランティーヌにも少し話したけど、里の精霊樹っていう大切な木が弱っちゃって、ユイちゃんの力を借りたくてセレストと一緒に来てもらう予定なんだけど──……」
隊長さんのところでの話を簡単にベランジェールさんが説明した。
わたしの魔力の話などは伏せてくれたけれど、話を聞いたヴァランティーヌさんが「なるほど」と頷いた。
「長老達は反対するだろうね。アタシはその説得を手伝えばいいのかい?」
「そうそう、さすがヴァランティーヌ! 話が早い! それで、バルビエの里にヴァランティーヌが来る時にディシーも一緒にどうかって話になってね。ほら、養い子を一人で残していくのは心配だろうし」
「確かに、ディシーは戦闘面でも優れているけどね……」
ヴァランティーヌさんが心配そうにディシーに目を向ける。
ディシーの目が輝いた。
「ヴァランティーヌの故郷に行くなら、私も行きたいです!」
「ほら、本人もこう言ってるし」
ディシーとベランジェールさんがヴァランティーヌさんをジッと見る。
ヴァランティーヌさんがややあって、はあ、と小さく息を吐いた。
「分かったよ。ディシーも一緒に行く。……それでいいよ」
「やった!」
ディシーが嬉しそうに笑い、こっちに振り返る。
「ユイと一緒に旅するの、初めてだね!」
「うん……エルフの里、楽しみ」
「自然豊かって聞いたけど、どんなところかなあ」
わたしとディシーが話しているとヴァランティーヌさんが苦笑する。
「エルフは他種族に冷たいから、居心地が良いところではないよ」
それでも、初めて行くエルフの里が楽しみだ。
* * * * *
そうして、数日かけて旅の準備をした。エルフの里までは荷馬車を借りて向かうそうだ。
馬車や食料品についてはベランジェールさんが用意してくれるそうなので、わたし達は自分が必要なものを持っていけばいいらしい。着替えなどの必要なものをカバンに詰めた。
……エルフの里……。
セレストさんも旅の準備を終えており、明日、出発する。
居間の揺り椅子に座るセレストさんの膝の上でわたしも揺られて過ごしていた。
「ねえ、セレストさん。エルフってそんなに他種族に冷たいの?」
セレストさんが「そうですね……」と考えるふうに呟く。
「最近の若いエルフはそうでもありませんが……年配のエルフはその傾向が強いです。エルフは美しい容姿と魔法に優れており、それ故に遥か昔は他種族から奴隷にするために狩られたという歴史があります」
「それで他種族が嫌いなんだ……」
「その当時に生きていたエルフはもういませんが、代々口伝いでその事実が伝えられているのでしょう。それに同じエルフと言っても里が違うだけで他所者扱いされることもあるそうなので、他種族だから嫌いというだけではないのかもしれませんね」
キィ、と揺り椅子がゆっくりと揺れる。
「弟達やベランジェール、ヴァランティーヌもそうですが、個人の性格だけでなく幼少期に他種族との関わりがあるかどうかも重要なのだと思います。ただ……」
セレストさんが言葉を切り、黙った。
「ただ?」
「人間は特に嫌われています。遥か昔、奴隷にするために最初にエルフの里を襲ったのは人間だったそうなので、人間の数が減った現在でも、エルフは人間に冷たいかもしれません」
「……だからヴァランティーヌさん、困った顔をしたんだね」
「ええ、エルフの里に行っても歓迎されないかと。もしかしたら里に立ち入ることすら許されないかもしれませんが──……その辺りについてはヴァランティーヌがいるので何とかなるでしょう」
セレストさんの言葉に首を傾げる。
……ヴァランティーヌさんなら何とかなる?
「ヴァランティーヌさんはエルフの中でも、力があるの?」
「ヴァランティーヌはエルフの中でも希少なハイエルフです。他の種族で言うところの王族のような立ち位置と言いますか……何でも、妊娠中に精霊の祝福を受けるとハイエルフとなるそうで、精霊を崇める彼らにとって、ハイエルフはより精霊に近しい者であると尊ばれるのだとか」
しかし、セレストさんは苦笑した。
「ヴァランティーヌはその特別扱いが嫌で里を出て、少しの間、国を見て回り、里の近くにあるこのグランツェールの街に落ち着いたのです。……里を嫌ってはいないでしょうけれど、複雑な心境ではあると思いますよ」
人の好いあのヴァランティーヌさんが嫌がるなんて、どんな特別扱いだったのか。
セレストさんの表情からして、ヴァランティーヌさんにとって良いものではなかったのだろう。
「ヴァランティーヌが里に戻ることは今までほとんどなかったのですが……」
「心配?」
「ええ、まあ……ヴァランティーヌだけのことではなく、私自身のことも」
「セレストさん自身?」
セレストさんが困り顔でわたしの頭を撫でる。
「竜人は番を大事にします」
「うん……?」
「エルフの里の者達がユイに心ない言葉をかけてくるかもしれません。竜人の番への侮辱は、竜人への侮辱も同然です。……あなたが傷付けられれば、私も黙ってはいないでしょう」
…………あ、なるほど。
エルフの里でわたしが酷いことを言われた時、セレストさんが反応するかもしれない。
それはそれで嬉しいけど、エルフとの対立は良くないだろう。
セレストさんに寄りかかり、抱き着く。
「大丈夫、何を言われても聞き流すから」
「ユイはつらくありませんか?」
「うん、全然。わたしの大事な人がわたしのことを知っててくれればいいよ」
セレストさんの手を握り、頬擦りをする。
「セレストさんも他の人に怒るより、わたしのことだけ見ててほしい」
「ユイ……」
ギュッと抱き締められ、広い腕の中に囲われると安心する。
ここにいれば、わたしが傷付くことは絶対にないから。
* * * * *
翌朝、朝食を摂ってセレストさんと家を出る。
セリーヌさんとレリアさんにはこの旅の間は休暇を出したそうだ。
バルビエの里はグランツェールから徒歩で一週間ほどの距離で、荷馬車を引いた馬で行くと五日ほどかかるらしい。馬も荷馬車もベランジェールさんが用意してくれた。
行きと帰りで十日。向こうに数日滞在するとしたら、二週間ほどの旅だろう。
セレストさんと辻馬車に乗り、待ち合わせの東門に向かう。
仕事ではないということもあってセレストさんは動きやすそうな私服で、腰に剣を下げており、旅用にローブを羽織っている。わたしも今回の旅のために新しいローブを買った。
ちなみにわたしのローブを選ぶ時、セレストさんが何の躊躇いもなくスノースパイダーの糸で作られた最高級のものを買おうとしたので慌てて止めた。
さすがのわたしでもスノースパイダーの糸で作られた衣類がとても高いことは知っている。
それでもスノースパイダーの糸を使ったものが良いとセレストさんが強く推してきて、スノースパイダーの糸と羊の毛糸で作られたローブを購入することになってしまった。
……でも、スノースパイダーの糸は半分だし。
セレストさんはいつも買い物で値段を確認しないし、教えてくれないが、全てスノースパイダーの糸で作られたものよりかは安いはずだ。
わたしの衣類になると季節毎に新しいものを購入したがるのに、セレストさん自身は服にそれほど関心がないみたいで、今回のローブも前回王都に行った時に着ていたものと同じだ。物持ちが良いのはいいことだけど、わたしにばかりお金を使いすぎだと思う。
わたしも腰のベルトに短剣を二本、差してある。
セレストさんいわく「ユイとディシーが戦うことはまずないと思いますが、身を守るために」だそうで、わたしが武器を身につけるのはあまり好きではないような様子だった。
馬車が停まり、東門の前の駅で降りる。
辺りを見回していると「ユイ、ユニヴェールさん!」と声がした。
「ディシー、ヴァランティーヌさん」
幌がかかった荷馬車のそばにディシーとヴァランティーヌさんがいた。
駆け寄れば、荷馬車の向こうからベランジェールさんも顔を覗かせた。
「お、時間通りだね〜。揃ったなら、乗った乗った!」
というベランジェールさんの声に、全員で荷馬車に乗り込んだ。
荷馬車は街中で走っている馬車と違い、座席がないので床板にそのまま座る──……のだけれど、セレストさんが胡座をかくとわたしに向かって膝を叩いてみせた。
……わたしはもう子供じゃないのに。
でも、ここで断るとセレストさんが悲しげな顔をするのも分かっている。
固い床板にわたしを座らせないようにという気遣いなのも知っているので、素直にその足の上に収まることにした。わたしが座るとセレストさんが嬉しそうに微笑んだ。
恋人になったら何か変わるかと思ったけど、以前より過保護になった気がする。
向かいの壁際に同じく座ったディシーとヴァランティーヌさんだったけど、わたしを見ると「おや」と少し驚いた顔でわたしのローブを見た。
「セレスト、もしかしてユイのローブはレェヌムートンの毛を使ったものかい?」
「ええ、そうです。以前買ったローブの丈が合わなくなっていたので、スノースパイダーとレェヌムートンを半々の割合で使ったものを購入しました。以前もレェヌムートンのローブは着心地が良さそうだったので、今回は気温の変化も考えてこちらにしました」
「アンタねぇ……」
と、ヴァランティーヌさんが呆れた顔をして、ディシーが「ふふふっ」と笑う。
訳知り顔な二人の反応に、まさか……、と思う。
馬車が動き出し、揺られつつセレストさんを見上げる。
「セレストさん、あの時『これはただの羊の毛を混ぜたものです』って言った」
「はい、言いました。レェヌムートンは普通の羊ですから」
「……スノースパイダーのローブと、これと、どっちが高かったの?」
セレストさんは微笑んだまま何も言わなかった。
……これ、絶対今着てるほうが高いやつだ!
「わたし、無駄遣いはダメって言ったよ」
「ユイに関することは無駄遣いではありません。竜人に比べて人間は気温の変化に弱いでしょう? 急に寒くなって風邪を引いたら大変ですから」
「夏だから風邪は引かないと思う」
「……それにレェヌムートンの毛糸はとても頑丈なので、多少の攻撃は防いでくれます」
スッとセレストさんが視線を逸らした。
ジトッと見続けていれば、ヴァランティーヌさんとディシーの弾けるような笑い声が馬車の中に響く。
「あはははは!! ユイ、諦めな。番がいる竜人っていうのはこういうもんさ!」
「ユニヴェールさんに服を選んでもらってるんだから、こうなるのは当然だよ」
……確かに、いつもセレストさんの反応を見て服は選んでるけど……。
「レェヌムートンの毛糸はどれくらい高いですか?」
「決まった値段ない。時価さ。レェヌムートンの毛はその年によって刈れる量が違うからねぇ」
「時価……」
「だけど、大体スノースパイダーより高値がつくよ」
……つまり、百パーセントスノースパイダーよりも高い!?
パッと見上げたものの、セレストさんは「ヴァランティーヌ」と困ったように言う。
それにヴァランティーヌさんが「嘘を教えるわけにはいかないからね」と返す。
「ユイ、竜人はこういうものだから好きにさせてやりなよ。それにユイが適当な服を着てるとね、他の竜人から『あの竜人は番を大切にしない』って信用を失うこともあるのさ」
「そうなの?」
セレストさんは黙ったまま困ったように微笑んでいる。
「何より『番に金をかけられない』なんて竜人の矜持が許さないのさ。……そうだろう?」
「……我ながら面倒な種族だという自覚はあります」
「セレストのためを思うなら好きにさせておやり。ただ、本当に嫌な時はハッキリと断るんだよ?」
「分かりました」
もう一度見上げれば、セレストさんがやっぱり困り顔でわたしを見た。
「そのローブは嫌でしたか……?」
わたしの顔色を窺うように問われて考える。
値が張るからか着心地はすごくいいし、軽くて、触った感じは水も弾いてくれそうだ。
ローブ自体に不満はない。
「ローブは嫌じゃないけど……わたしが高くないのがいいって言ったのに、黙ってもっと高いのを買ったのは嫌だった」
「すみません……」
「これからは何でそれがいいのかとか、竜人に関係することとかなら教えてほしい」
セレストさんが「はい」と頷く。
スノースパイダーより高いなんて値段を聞くのが怖いけれど、買ってしまったものは仕方ない。
「まあ、世の中には『使った金額が愛情』だと感じる者もいるからね。そういう意味では、竜人はその手の種族だと思っておいたほうがいいよ」
ヴァランティーヌさんの言葉に頷き返す。
「そもそも竜人は金銭面で番に苦労をさせないために貯金をするから、経済を回すって意味では竜人が番のために金を使うのは良いことさ。竜人の手元にばっかり金があっても困るだろう?」
「うん……」
「番のために必死で可愛いじゃないか」
しょんぼりした様子のセレストさんが見つめてくる。
セレストさんは理性的な竜人で、でも本能を抑えているだけで。
……好きにさせればいい……。
「うん、でも、やっぱりお金は大事」
「あはは! セレストよりユイのほうが金銭感覚はしっかりしてそうだね!」
とりあえず、まだしょんぼりしているセレストさんの頭を撫でておいた。




