第二十六話
続きです。
よろしくお願いします。
乾燥して冷たいながらも澄んだ空気。短い秋が終わり、今年も冬の走りがいよいよ私が住む街にもやって来た。
私は朝、布団から出るのが億劫になり始め、あまちゃんは保湿保湿と暇さえあれば塗りたくる、いい匂いがするクリームでべたべたになり始めたけど明日香はいつの季節も関係なく、相も変わらず元気いっぱいだから何よりだけど年中無休のコンビニみたいだねって私が思わず微笑んでしまう十一月も今は半ば。高校最後のイベントと言える文化祭も先週終わって今日は土曜日だから学校は半どん。
その午後一時過ぎ、私は既に家に居て、今ずずずとうどんを啜っている。
「今日、明日香とあまちゃん、夕方くらいに来るから。あまちゃんが例のあれの資料持って来るって。明日香は特に用はないけど、私も行くに決まってんだろって言ってた」
「ふふふ」
例のあれとは来年私が無事に受かって東京に行くことになったら私とあまちゃんでシェアをする部屋のこと。この前、受かってから部屋探しとか大変そうだから椎名が受かったら私が住む予定の部屋をシェアしない? 椎名がいいならパパとママに話してみるけどどう? ってあまちゃんが魅力的な提案をしてくれた。なんでもあまちゃんのお父さんに不動産関係の伝手があるらしく、元々東京に行くあまちゃんのためにある程度広い部屋を用意するつもりでいたんだとか。
私はそれに乗っかった。その理由としては、有り難いと思ったし、何度も行ったり来たりして残りの時間を取られるのも焦って部屋を決めるのも嫌だったし、何よりあまちゃんとの繋がりが途切れずに済むことが嬉しかったから。私は凄く寂しがり屋なんだと思う。
それであまちゃんが、椎名が大学に合格して東京に行くことになったら椎名と一緒に住みたいんだけどいいかな? って親に訊いてみたところ、あの美月さんなら是非そこに住んでもらいたいとかなんとか言っていたってあまちゃんが私に伝えてくれた。私と明日香はあまちゃんをずっと暗かったあまちゃんを明るくしてくれた得難い友だちということで、あまちゃんの親からの信頼度みたいなものが異様に高いから。最近馨がよく笑うようになったのふたりのお陰なんだってね、馨から色々と話を聞いているよありがとう的に。
で、こういう話があるんだけどって私が両親に伝えたところ、親からしても人柄をよく知っているあまちゃんなら何かと安心だから一緒に住まわせてもらいなさいってトントン拍子に話が進んで今に至るってわけ。その上で、私が無事合格したら一度会ってご飯でも食べながら金銭面とその他諸々具体的なことを詰めていきましょうねって話になっている。
ちなみに、情で始まったこの話だけど、あまちゃんのお父さんは経営者として、私の母さんは法律に携わる者として互いにドライなところがあると思うから詰めた話をきちんと書面にして残しそうな気がする。念書では証拠としての価値は低いからきっと契約書で。事実、母さんがそんなことを言っていたし。
そうしておいた方が万が一の時には契約に沿って互いの義務を果たせば余計に揉めることはないということらしい。子供の私からするとそこまでするなんてやっぱりドライだなぁって思うけど大人とはそういうものなんだと私たちに見せてくれているのかなぁという気もする。なら私はそれを見習わないと。
「あまちゃんと一緒なら安心だって」
「パパとママもそう言ってた。ならあとは椎名が受かるだけだ」
「そうなるね」
てな話をいつものマクダナルズで私があまちゃんとしていたら、食事の話に明日香が喰いついてきてひと騒ぎあった。まぁ、騒ぎと言ってもそれ自体はいつもの私たち、だったんだけど。
「なぁ? その食事ってなに食うんだよ?」
「さぁ? けどたぶんしゃぶしゃぶかすき焼きになると思う。なんで?」
家族でよく行くお店があるからたぶんそこになると思うってあまちゃんがなんでもない事のように明日香に返していたけど、私は、すき焼きは家でやるからともかくとして、本格的なしゃぶしゃぶなんて一回しか食べたことないんですけど? って思っていたらやっぱり明日香は明日香だから私も連れてけ連れてけって騒ぎ出す始末。
「ずりぃ。私も連れてけよ。てか連ーれーてーけー」
「ぷっ。明日香はブレないね。面白いけど」
「んだよ。べつにいいだろ。食いたいんだからよ」
「わかる。私もしゃぶしゃぶなんて一回しか食べたことないもん」
「だろ?」
「明日香。任せて。パパとママに伝えておくから。ふたりとも明日香のことも気に入ってるから来てくれるなら喜ぶと思う」
「だって。よかったね明日香。私も親に言っておくよ」
「まじかっ。サンキュー」
「明日香。喜んでるとこ悪いけど、椎名が受からないと食べられないから」
「あ? なんで、あ、そうかっ。おい椎名。絶対受かれよ。頼むぞ。絶対だぞ。絶対だからなっ」
「ダチョウか」
「本当だね」
「うるさいよ」
「「あはは」」
その時の明日香の顔ったらもう、ね。それをあまちゃんとふたりでケラケラ笑ったのはいい思い出。そして私は笑いながらも頭の隅でこんなことを思っていた。
たぶん、その時明日香が見せた忙しい感情の移り変わりは、明日香は否定するかもだけど、明日香は私とあまちゃんのこれからの具体的な話を聞いて寂しくなっちゃったんだと思う。ひとりだけ取り残される気分になっちゃったんだと思う。取り敢えずこの先も続いて行くことになった私たちにお前ら良かったなと安堵しつつもそのことを羨ましくも思ったんだと思う。私たちに残されたイベントを明日香ひとりだけ欠けたくなかったんだと思う。連れてけ連れてけと騒いで、食える食えると嬉しげな顔をみせながらも、ふと見せた寂しげな明日香の顔と安堵の表情を私は見逃さなかったから。
私たちはいつも一緒にいて、ここ最近は特に仲良くなった。
その別れを、私には私の、明日香には明日香の、あまちゃんにはあまちゃんの惜しむ理由がるのは当然のことで、だから、私たちの中で一番大人びていてしっかり者で訪れる私たちの別れを当然の事として受け止めているように見えた明日香が急に寂しさに襲われて、欠けたくなくて必死になってしまったのも年相応に当然のことで自然なこと。
そんな明日香を見てしまって私は堪らなかった。私はその時、恋とか愛とか関係なくひとりの人として、寂しそうに見えた明日香を思い切り抱きしめたくなった。寂しい思いをさせてごめんねって、居なくなることを寂しいと思ってくれてありがとうって、大好きだよって、流行りの軽い言葉かも知れないけど、ずっ友だよって伝えたかったよ。
と、つい最近マクダナルズであったことを思い出しつつ母さんに今日の予定を伝えたあと、私はまたうどんをずるずると啜った。
「ふふふ。明日香ちゃんは相変わらずね。けどはっきりしてて気持ちがいい子だわ」
「だよね」
「それに、部屋の件については水野さんにお世話になりっぱなしね。お礼しないと」
「だよね」
「と言っても美月が受からないと意味ないんだけど?」
「はいはいそうですねー」
母さんがからかっているのがわかるから、私もわざと顔の表情を消して抑揚のない声で答えると母さんはふふふと笑った。
「よしっ。じゃあ明日香ちゃんも来るなら張り切って夜ご飯作らないとっ」
「よろしく。私は勉強するから手伝えないけど」
「いいのよべつに。甘えていられるのも今だけなんだから今のうちにたくさん甘えておきなさい」
母さんが腕を伸ばして私の髪を撫でる。照れ臭いけど私はされるがままに受け入れる。子供扱いしないでよなんてその手を払いのけたりしない。いくら生意気に育っても大人になっても親にとっては子供はいつまでも子供のまま。もう宇宙にこんなことしていないだろうし、これが母さんにとってのやり納めになるかもって思ったから。
「ありがとう」
「それで。勉強はどう? 順調?」
「大丈夫だよ。この前の模試もC大の法科以外はAだったじゃん」
「そうね。美月のことだから大丈夫なのはわかってるけど。でもね、それでもやっぱり気にはなるのよ」
「大丈夫だってば。どっかには受かるから。それよりさ、根抵当権なんだけど、いまいちよくわからないんから解り易く説明してほしいんだよね」
「ああ。根抵当権はね」
こうして日頃あまり出来ていない母娘の触れ合いとか会話なんかをしている私たち。今日は珍しくもお休みということで家に居る母さんがささっと作ってくれたたぬきうどんを食べながら。母さんは楽しそうに私と話をしながらにこにこ笑みを浮かべてうどんを食べる私を見ている。自分がしたかったことをやれるようになった今でも、私と宇宙の世話もしたかったんだと思う。その両方を秤にかけて、母さんの秤は仕事に傾いたけど私も宇宙も気にしていない。充実している母さんを見ることが出来て嬉しいとさえ思っている。
「だからね」
「うーん?」
母さんは楽しそう。私としてもこういう時間は大事な時間。私は来年家を出る予定だから、変な方に飛び火さえしなければ今の内に色んなことを話したいなって思っている。
「わかった?」
「うーん。わかるようなわからないような」
「解説を繰り返しよく読み込んでみなさい。そうしているうちピンとくるものだから」
「わかった。そうする」
難しい話を一度切って、私がうーんと伸びをして凝り固まった体と気分をほぐしていると、母さんが悪戯な笑みを浮かべていた。このあと何を言うのか私はピンと来てしまった。恋バナだ。
「ところで美月は今好きな人いないの?」
ほらね恋バナ。残念ながらやっぱり飛び火しちゃったよ。この話題は母さんと話す時には必ず一度は出てくるもはや鉄板ネタのようなもの。母さんがいつものように、ん? ん? って言っている。
まぁこうなることは想定内だから私は平気。宇宙にも、会えばなーさんにも、最近どうなの? 仲良くやってるの? ん? ん? って根掘り葉掘り訊いているらしいからそっちの話が好きなだけかもだけど、母さんは親だから私のこと、子供たちのことを出来るだけ把握しておきたいんだと思う。異性との付き合いなんてその最たるものの一つだと思うから。
それに母さんは私のモノについては何も知らないわけだから悪気があるわけじゃない。訊かれる度に嫌だなぁって思って色々考えてしまうけど、私はイラついたりしないし慌てもしない。
「いないよ」
こういう時、私は親に対して平然と嘘を吐けるようになった。それは自分を守るためで、母さんのことは親として信頼しているけどそれと私のモノの話は別だと私が思っているから。
親だからって私が抱えているモノを気持ち悪いと思わないでくれるに決まっているだなんて保証はどこにもないし、生理的に受け容れられないモノや無理なモノは、たとえ親子の間柄であっても関係ないと思うから。
私は親に嫌われたくないからカムアウトなんてしない。傷つきたくないから伝えないし動揺させたくも悲しませたくもないから曝けない。
最悪の結果を想像すると怖くなる。そうなってしまったらいま子供の私は耐えられない。だったら今耐えられることを私が耐えていればいい。カムアウトするのは私がもっと大人になって、最悪の結果に傷つくことや悲しみに耐えられるだけの強さを身につけてから。
「そうなの? ならさ、好きなタイプは? どんな人が好きなの?」
「母さんてこういう話好きだよね」
「好き。だって楽しいもの。なんかウキウキするでしょ? で、どんな人がいいの?」
「面倒いなぁ」
と言いつつ私は頭に明日香を思い浮かべる。
「うーん。背が高くてかっこよくて優しくて頼りになって一緒に居て退屈しない人、楽な人、かな」
「贅沢だねぇ」
「理想だからいいんですー」
実際いるよ、母さんもよく知っているお気に入りの女の子、明日香のことだよって普通の恋バナみたいにサラッと言えたらいいんだけど言えないから言わない。好きな人がいるよって言えば母さんは嬉々として色々訊いてくるだろうから言えない。私だって恋バナくらいしてみたい。明日香は凄いんだよって自慢したいしそのことに共感してほしいしそりゃあ好きになっちゃうよねーって言ってほしくもなる。
だけどやっぱり誰にも言えない。私がしている恋はそういう恋で、今のところそれを言えるのは私と同じ玲さんとその恋人の真里さんだけ。世界が狭くて笑っちゃう。
「そうね。じゃあ嫌いなタイプは?」
「それなら簡単だよ。繊細なくせに鈍感な人」
「それは私も嫌だわ」
「でしょ。絶対無理」
「ま、あれね。どんな人でも付き合ったら一度必ず連れて来てね」
「付き合ったらね」
そういう形で紹介することは絶対にないけど、私の好きな人ならもう何度も家に来てるよって私は思った。私の好きな人は明日香なんだよって私は思った。
好みはさておき美月はどんな人と付き合うんだろう、楽しみねーって母さんはいまだ楽し気に笑っている。
こういう話をする度に、期待に添えそうにないから酷く申し訳ない気分になるけど話題を逸らす訳にも目を逸らす訳にはいかない。そんなことをして変な空気にする訳にはいかない。今は何も悟られたくないから、私はあくまで自然に振る舞うことにしている。だから年頃の娘とその母親の会話は違和感なくちゃんと出来ている、つもり。
「ごちそうさまでした」
「足りたの? お稲荷さんも食べる?」
「ううん。お腹いっぱい。美味しかった」
「そう。よかった」
「少し休んだらふたりが来るまで勉強するよ」
「そう。私はあとで買い物に行ってくるけど、何か欲しいものある?」
「うーん。明日香のためのオヤツかなぁ。ポテチとか菓子パンとか?」
「ふふふ。美月は本当に明日香ちゃんのこと好きよね」
「そりゃあ、まぁ、ね。ずっと一緒だもん」
大丈夫。何もヘマはしていない筈。私は不自然にならないよう気をつけて立ち上がり、つゆが少し残った丼を持ってキッチンへ向かった。後ろから洗っておくからシンクに置いておいてと母さんの声が聴こえたけど私はスポンジを取った。この程度ことまで甘えない。自分で出来ることは自分でやるろうねと、私は小さい頃からそう育てられたんだから。
そして今は午後三時。短いシエスタを過ごした私はシャカシャカと鳴るギターの音と共にムーンライトシャドウと歌う声をバックに机に向かってたった今ちょいと難しいと思えた問題を解いてやったところ。
「ふぅ」
宇宙はバイトで父さんは朝から趣味の釣りに出かけている。母さんは買い物で、私の待ち人、明日香とあまちゃんはまだ来ていない。
この地球の上に六十何億人が暮らしていても、いま私しか居ないここは私だけの世界。だから何だって話だけど、私だけしか居なくても、ひとりぼっちっていう気は不思議と少しもしない。どこにいても大事に思う人たちとは繋がっているっていう気がする。
「うんっ」
大事な人たちと離れるのは寂しいけどあまちゃんはこの先も暫くは側にいてくれるし、それならこれからも私らしくやっていけるかなって私は思ったよ。へへへ。
お疲れ様でした。ここまで来てくれて超ありがとうございます。
若い時のお別れってまだ先のようですぐにやって来ましたよね。そしてふと気がづくと、昔のように思い切り走れなくなっている自分がいることに気づくんですよ? ヤバくない?
読んでくれてありがとうございます。




