第十三話
続きです。
よろしくお願いします。
私の夏休み最終日の今日は平日。父と母はいつものように仕事に出かけ、兄も午前中からどこかへ出かけたから、明日香は定食屋さんの手伝いだと言っていたし、ここはひとつ、明日香にも会えるし明日香のところでお昼を食べようと、混む時間帯を避けて午後一時半過ぎに家を出た。一度、十二時過ぎに行ったら凄い混んでて痛い目を見たから学習したの。
愛車を駆って十五分後、思った通り外には誰も並んでいない定食屋さんに無事着いた。
出入りの邪魔にならないように自転車を隅に止めて、明日香は居るかなぁなんて思いつつ暖簾を潜りながらガラガラガラと扉を開けてお店に入る。
予想通りお客さんは疎ら。そして私の目にお盆を胸に抱えて、テーブル席に座わる作業着姿の四人の男性客の相手をしている明日香の姿が映る。
ぱっと見、年齢層はまちまちだけど、その内の一人、私に背を向けて座る若そうな男性と明日香がやけに親しげに話す姿を見た瞬間、心臓に鋭い痛みが走った。
「いらっしゃーい、って椎名じゃん。昼飯食いに来てくれたのか」
いらっしゃいの元気な声とともに、私に顔を向けた明日香が私に気づいて声をかけてくれたけど、私はもの凄く動揺していたからいつものようには返せなかった。
「…あ、うん」
「じゃ、いつもの席な」
「うん」
さっと近寄って来て、私が一人で来た時にいつも座るカウンターの端の席に案内してくれる明日香に穏やかじゃない私の胸の内を悟られないよう、今日は何食べよっかなぁなんて言いながら席に着くと同時に、丁度出来上がった鯖の味噌煮をトレイに置いて、はいこれ持ってってと厨房にいる明日香の母親、早苗さんが明日香に声をかけた。
「よろしく」
「あいよ」
と答えて炊飯器を開けてご飯茶碗にご飯を盛り始めた明日香を横に見ながら私は早苗さんに挨拶をする。
ちな、早苗さんはおばさんと呼ばれることを極度に嫌がるから私は名前で呼んでいる。
「早苗さんこんにちは」
「いらっしゃい美月ちゃん。来てくれて嬉しいよ。外、暑かったでしょ」
「灼熱地獄ですよ」
「そんなに?」
「はい。汗ダラダラ。止まらないです」
私が汗を拭う真似をすると、早苗さんはあははと笑ってくれた。そしてこのあとこう続ける。
「美月ちゃん。いつも明日香と仲良くしてくれてありがとう」
「いえいえそんな」
と、ここまでが早苗さんとのいつもの会話。イギリス人のように天候から入って、あとは学校の行事のこと、例えばテストが近ければまた勉強を教えてやってねとかそんな話をする。
明日香との一件があったから早苗さんは私を気に入っている。早苗さんが毎回口にする私への感謝の言葉には裏が無くてその気持ちが痛いほどにが伝わってくる。それは私にとってもありがたいことだと思う。だけど。
確かに私は友人として明日香と仲良くなったけど今は私が恋をする相手だから私が明日香と仲良くすることに下心が無いとは言えない。だから、美月ちゃんが友だちになってくれて本当に嬉しいわと、今も私に向けられている早苗さんからの百%の信頼にどうしても後ろめたさを感じてしまう。
「美月ちゃん何にする?」
「じゃあ冷やし中華で」
「残念。ウチはまだ始めてないの」
「え。ちょっと遅くないですか? もう夏が終わりますよ?」
「本当にぃ? それは気づかなかったなぁ」
「二人で何くだらないこと言ってんだよ」
配膳を終えて戻って来た明日香に突っ込まれる。これも大体いつものこと。
「いいじゃない」
「いいじゃん」
「べつにいいけどよ」
「またそんな言葉使い。そんなだから彼氏のひとりもできないのよ」
「うるさいよ。ほっとけ」
そんな台詞を残して明日香は冷えた麦茶が入ったポットを掴んでまた離れて行く。
ほんと、口が悪くて困るのよねぇと言いつつもその背を見送る早苗さんの顔は優しげで目には温かいものが宿っている。
明日香は早苗さんにとって旦那さんが残した一粒種。だから余計に親として自分のこと以上に娘のことを大切に思い最優先に考えるのは当たり前。それが早苗さんの態度や言葉の端々に表れている。私にはそう見える。
明日香が道を外れた切っ掛けになったあの時のことだって、早苗さんは明日香を蔑ろにしようなんて露ほどにも思っていたわけじゃなく、単にあのクソ男が根っからのクソだっただけ。それは明日香だったちゃんとわかっている。
けど、明日香曰く、あの件以来彼女はに男性の影が全く無くて、明日香がべつにいいよ、私は全然大丈夫だよと伝えても早苗さんに今はそのつもりが無いらしい。それが早苗さんなりのケジメなんだとか。
その早苗さんが前に私に色々話してくれたことがあった。
今は親子で仲良くやっているとか、店を継ぐつもりと言ってくれて嬉しかったとか、将来この店を明日香と一緒にやって行くことを楽しみにしているとか、その先のこと、明日香も結婚するだろうとか、さらにその先の、子供が産まれて孫にばぁばと呼ばれることを楽しみにしているのよふふふふふとか。
そんなことをはち切れんばかりの笑顔で話されてしまっては、ただでさえ抱えるモノに要らない筈の引け目を感じている私が気にしない訳もなく、その、彼女の親として当然に娘の幸せを願いその将来に期待する気持ちが私にこの恋を諦めさせる駄目を押したことは確かなこと。
自分本位にあっち側の女性をこっち側に引き摺り込むことの傲慢さをわからされてしまったから。愛は奪う、惜しみなく何もかも、なんてこと私には無理。
「それで美月ちゃん。何にする?」
「んー。何にしようかな」
「今日のお勧めは日替わり。客足もそろそろ落ち着いてきたし、おかずを少しサービスするよ」
「じゃそれでお願いします」
「はい日替わり一丁。はい喜んでー」
一人で言って一人で応えて調理を始める早苗さん。そんな面白くもない一人芝居を見せられるのもいつものこと。
面白くないとか見せられる、なんて馬鹿にしたように思ってしまうのは、早苗さんは何も悪くないのに、私にわからせてくれてどうも大きなお世話様でしたと私が嫌味ったらしく思ってしまうからで私が心の小さい人間だから。
「椎名お待たせ」
「おー。美味しそう」
「椎名。そう、じゃくて美味い、だろ」
「そうだった。いただきます」
「おう」
ご飯を少な目にして貰って、コロッケとメンチと唐揚げ三個とキャベツとひじきの小鉢とお味噌汁付いた日替わり定食と、別のお皿で出されたおまけの生姜焼きを置いてまたまた側を離れて行った明日香の様子をチラチラ窺う。
明日香は件の男性四人組の元へ。その隣の空いているテーブルの椅子に腰掛けて何やら楽しそうに話を始めている。やっぱりあの男性とは特別親そうに見えた。
たまに腕に触れたり肩に触れられたり。普段はそんなことしないし許さないのに私の知らない明日香がそこにいた。それを見ていると吐きそうな気分になる。
だから定食に視線を戻してお味噌汁を一口飲んで箸を取る。それからキャベツに箸を伸ばした。
「だったんだ。あん時はまじ焦った」
「相変わらずだなお前は」
私の知らない明日香がいることも、私の知らない人たちと一緒に笑っていることも当たり前のこと。私と明日香は一緒に居ることが多くても、居ない時間の方が断然長いんだから。それくらいのこと私はちゃんとわかっている。
「いやいや。私だって少しは成長したよ」
「背だけはな。まだ伸びてんだろ?」
「背だけじゃないよ。伸びたけどさ」
だから気にせず食べようと思うけど、視線を遣らずとも楽しげな声は聞こえてきてしまう。それでやっぱり吐きそうになる。
減っていた筈の私のお腹は食べ物を受け入れず、今何を噛んでいるのかもよくわからなくなって、私は箸を置いた。
凄くイライラする。胸が苦しくて辛い。それに合わせて動悸と呼吸がさっきよりももっと早くなっていく。
いつかそうなるって私はちゃんとわかっていたのに、わかっているから大丈夫だって、耐えられるって思っていたのに、私たちはもう、今までと同じではいられないと思うと凄く怖くて体が震える。
「うぷ」
苦しい。もう食べたくない。要らない。見たくない。聞きたくない。色々と無理。今すぐここを出たい。
怒涛のように湧き出ずるどろどろした暗い感情たちをどうにか圧し殺して、私は明日香たちの様子を機嫌良く眺めている明日香の母親に声をかけた。
「あのぉ早苗さん。ごめんなさい。なんかもう入らなくて。お会計を」
その間も体の震えを抑えようと腕できつく抱いてみたけど駄目だった。早苗さんが私の異変に気づいてしまった。
「えっ、ちょっと美月ちゃん震えてるよ。大丈夫? 顔色も良くないし、どこか具合でも悪いの?」
「いえ。ただちょっと日射しにやられちゃったのかも」
「なら軽い熱中症かも知れないね。少しウチで休んでいきなさい。明日香っ」
「あ」
私が止める間もなく明日香の母親が明日香を呼んで、どした? と返事をしながら寄って来た明日香に、美月ちゃんの具合が悪いからあなたの部屋で休んでもらいなさいと伝えてしまった。
「まじか。椎名ほら、部屋行くぞ」
明日香は何の疑いもなく心配してくれて、私の腕に腕を絡めて立つことを促した。
「大袈裟。ちょっと熱中症ぽいだけだから。家に帰って休んでいれば平気だよ」
具合が悪いことはは事実でも私は嘘つき。胸がチクチク、さっきとは別の痛みに苛まれる。
「バカ言ってんじゃねぇよ。お前まじ具合悪そうだぞ。いいから行くぞ」
問答無用にそう言って、明日香は素早く私の腕を自分の首に回し、私の背中から脇の下に腕を回して私を支えるようにしながら店の奥にある居住スペースの扉へと歩き出す。
私はもう、どうしたいのか、どうするべきなのか、どうしたらいいのかわからなくなって、されるがままにゆっくり歩いてくれる明日香の歩調を合わせて歩いて行く。見慣れた居間を通り過ぎて階段を上がって明日香の部屋へ。
「くそ、あちぃな。ほら。寝かすぞ」
「でも服…」
「んなもんいいって。よっと」
言葉使いと裏腹に私を優しくベッドに転がして、私の体にタオルケットを掛けくれて、それからピッとエアコンをつける音がした。
「なんか冷たいもん取ってくるわ」
明日香はそう言い残して出て行った。
「はぁ」
先週もお邪魔したこの部屋。横になったままゆっくり首を動かして見回すと、それから何も変わっていなくて少し安心する。飾り気のないところも物が乱雑に置かれているところも同じだった。もう少し整理したらと私が言う度に、明日香は何がどこにあるか私がわかっていればいいんだよと笑って言う。そのやり取りを今までに何度繰り返したことか。
けど変わらないものなんてなにもないと私は思うから、いつの日か、私がそれを指摘する機会も必要も細かいことはいいんだよってあっけらかんと笑う明日香もいなくなってしまう。嫌でもみんな変わっていく。私も含めて。
「…ん」
「お。目、覚めたか?」
何か夢を見ていたようなないようなと、覚醒していく意識とまだ少しボーッとしている頭で考えながら、目を瞬かせて意識がはっきりするのを待つ。あ、でもこのままもう一度目を閉じてしまえば二度目ができそう。それもいいかも気持ちよさそうなんて考えていたら、寝ている私と同じ高さで私を覗き込む明日香の顔が直ぐ近くにあったから驚いて目が覚めた。
「うん」
「大丈夫か?」
その言葉のあと、熱はどうだとか言った明日香のおでこが私のおでこにくっ付いた。真正面からじゃなくて少し斜めに。
「うん。なさそうだな」
明日香のおでこは離れていった。それはたかだか三秒くらいの出来事。その時はそんな余裕は少しもなかったけど、後に思い返すと私には、おでこのチューだようへへへへって思ってしまった貴重な時間だった。明日香の目とか鼻とか少し開いた唇とか、近すぎてピントが合わなかったけど、キスする時はあんな感じなのかなぁなんて身悶えするには十分な出来事でもあった。
まぁ、その分あとで感じる虚しさもひとしおなんだけど。
「なんかごめんね。もう平気」
横になっていた体を起こし、四つん這いになってベッドの端に移動して、そこにペタッと座り直してその隣、ベッドに寄りかかって床に座っている明日香に目を向けた。
「びっくりしたぞ。椎名体調悪かったのかよ」
「まぁそんな感じ。ていうか寝不足かも」
心配してくれてて申し訳なく思うけど私はまた嘘を吐いた。優しい嘘なら構わないと私は思うから。胸はチクチク痛むけど。
「ならいいけど。無理すんなよな」
「うん。ありがとう」
出て行った時に取ってきててくれたのだろう、明日香が床に置かれたお盆の上のポットを掴んで二つ並んだグラスにどばどば注ぐ。茶色い液体の飛沫が跳ねるそのお盆にはラップに包まれた何やらが三つある。
「はいよ。まずこれでも飲んどけ。水分補給は大事だからな」
「うん。ありがとう」
差し出された冷えた麦茶を、私は腰掛けていたベッドから明日香の隣に座り直してグラスを受け取って、ごくごくと一気に飲んだ。隣で明日香もついでに飲んでいる。
「ぷはぁ。冷たくて美味しい」
「よかったな。んじゃ次これ。腹減ってんだろ」
食わないと力がでないぞーと渡された何やらは、たぶん私が食べられなかったコロッケかメンチカツがキャベツと一緒に挟まれたラップで包んだパン。
明日香の言う通りお腹が空いていて、見たら涎が出てきてしまった。
「いいの?」
いいのと言いつつラップを剥が始めている私。その様子を笑いながら見ている明日香。こうしていると自分勝手な想像は影を潜めて私たちが過ごすいつもの日常が戻って来たような気がする。
「いいのも何もそれは椎名のだからな」
「私まだお金払ってないよ」
「細かいことはいいから食えって」
「じゃ遠慮なく」
「おう。じゃんじゃん食えよー」
「おっさんみたい」
「うるさいよ」
ふふふと笑って一口齧ってわかった中身はメンチカツ。空腹だから余計に美味しく感じてもう一口と頬張ったところで、私の様子を窺って満足したらしい明日香が、私はこれとか言って明日香も何かが挟まれているパンを食べ始めた。
「それ中身なに?」
「生姜焼き」
「あ、美味しいよね。私もよくやるよ」
「お、わかる? タレが染みてるキャベツとかまじ美味いんだよなこれ。けどみんな微妙な顔すんだよ。なんでだろな」
「する。宇宙なんて信じられねーとか言うし。ま、宇宙はまだ子供だからその美味しさを理解するにはちょっと早いのかもね」
「言えてるな」
こうしてわいわいしながら食べ進め、最後に残ったコロッケパンを半分個して、私のお昼と明日香のおやつの時間は終わった。
「ごめんね。お店手伝わないといけなかったのにずっと付いててくれたんだよね?」
時刻は三時前。食堂としての営業はもう終わりの時間。
「んなこといいんだって。正恵さんもいるし、一時半過ぎりゃそんな忙しくないからな」
「あと、仲良く話してた男の人も。邪魔しちゃったね」
私は踏み込んでみた。こうしていつもの私たちが、と言うか私が戻って来たからさっきのことは別にいいかなと思ったけど、やっぱり気にしないではいられなかったから。
「仲良く? ああ、ゴリさんの兄貴のことか」
え? 誰が誰のお兄さん? ですと?
「……え? なんて?」
「だからあの人はゴリさんの兄貴なんだよ。現場が近くだからってわざわざ食べに来てくれたんだよ」
「現場?」
「庭師だからな」
「ふーん。明日香はゴリさんのお兄さんのことよく知ってるんだねー」
あんなふうに仲良くしやがってこの女めと、私は油断したと言うかそんな嫉妬心に思わず恨めしさが篭る口調になってしまった。私の頬が膨れて唇も尖っていること間違いなし。
「なんだよその顔」
「べつにー。珍しく男の人と仲良くしてるなって思っただけ」
「そりゃあれだよ。昔、ってかほら、私が荒れてた頃にさ、ウチらが屯してたとこに別のグループで来てよく一緒になったからな」
「へぇ」
「まぁ最初の頃は、私はあの事があったし男なんて冗談じゃねぇって思ってたから、無視したり思いっ切り避けたり生意気な態度取ったりしてたんだけどさ、樹さんはお前まじ生意気だなーって笑うだけで怒りもしないで根気よく相手してくれてさ、それで少しずつ話すようになったんだよ」
「そうなんだ」
「ああ。それに樹さんは私の胸とかいやらしい目で見ないからな。あの頃はあの野郎のせいで特に過敏になってたし、そういう視線てわかんじゃん。あ、コイツ、って」
「だよね。わかるよ」
「だろ」
構ってくれて世話になったし、だから樹さんは気を許せる相手ではあるなと、明日香は話を締め括った。
「へぇ。じゃあ」
私は焦っていたんだと思う。私が入る余地の無いさっきの仲良さげな二人を見て、いつもよりも棘の無い柔らかな明日香の話す声を聞いて、警戒心の無い穏やかな表情を見て。
だから明日香がなぜあそこまで警戒しなかったのかその理由を、なぜゴリさんのお兄さんの話題で今そんなに穏やかな顔をしているのかその理由を、その答えを知りたくないし聞きたくないけどそれでもやっぱり私が望む答えを今すぐ聞いて安心したくて、ここでも愚かで短慮な自分がしゃしゃり出る。
「もしかして明日香」
「違ぇよ。そんなんじゃねぇって」
「そうなの?」
「そうなの。なんっーか、私は一人っ子だからさ、今も昔も樹さんはお兄ちゃんって感じなんだよ」
ああ。よかった。ほんとよかった。そんな思いが膨れ上がって、私の心に垂れ込めていた暗雲が一気に晴れて、それが声に出ていたのが自分でもわかった。
「なんだそっか。やっぱり明日香に恋愛はまだ無理かぁ」
「ばっかだな椎名。私だっていつかはすげー恋愛すんだよ。ただ、今はまだ恋だの男だのはべつにいいかなってな」
「ぷ。あはは。すげー恋愛ってなに。ウケるねそれ。あはははは」
「うるさいよ」
「あはははは」
「馬鹿にすんなっ」
「痛い」
泣いたカラスがもう笑う。気分はまるでジェットコースター。上下左右にぐらぐら揺られて振り回されて、ぐるぐる回って逆さまになったりとても疲れる。
「そう言う椎名はどうなんだよ? いないのかよ好きな人」
「いないよ」
「じゃあ椎名も私のこと笑えないだろ」
「笑えるよ。だって私はすげー恋愛するだなんて恥ずかしい宣言しないし」
「ああ? んだとこらー」
「うわっ。苦しいっ。ちょっとやめっ。ギブギブ。やーめーてー」
私はまたしてもしれっと嘘を吐いた。嘘はやっぱり駄目だけど相手を思う優しい嘘なら吐いても構わないと私は思うから。
だけど私が明日香に吐く嘘は、自分を守る自分可愛さ故の嘘で、少しでも私を見てほしいと願う、浅ましくもいじましい私に優しい嘘だから、私を苛む胸のチクチクは消えたりしない。
「はぁはぁ。疲れた」
「あ、そうだ。ノロかと思ったってさっき母さんが焦ってたぞ」
「えっ? あ、違う違う。そんなわけないよ」
「だよなー」
そう。そんなわけない。
そしてこのあと取るに足らない高校生特有の馬鹿な話で笑って過ごして午後六時。
そろそろお暇するねと立ち上がり、店の準備をしていた早苗さんにお世話になったお礼と挨拶をして外に出て止めた自転車の方へ向かう。
明日香は何も言わず私が自転車の鍵を外すのを待って、チチチチと自転車の音を鳴らして動き出したら傍に来て、人通りの多い商店街を出口まで二人で歩き始める。
「あちぃな」
「だからいいっていつも言ってるのに」
「すぐそこだからいいんだよ」
こうして商店街を抜けた所まで明日香が私を送ってくれるのはいつものこと。今のやり取りもそう。私にとっては全てが自然で私たちの関係が少しだけ特別だって思えるたった三分くらいの私の好きな時間。
「ありがとう」
「私がしたいからいいんだっつの」
三分経って好きな時間があっという間に終わった所で私はサドルに跨った。
「今日はごめんね迷惑かけて」
「気にすんなって」
「うん。じゃあまた明日。学校で」
「おう。気をつけてな」
「うん。バイバイ」
手をあげる明日香に手を振り返して、私はひとこぎ目に力を入れて勢いよく走り出した。
「っと」
明日香がまだそこに居て、私の姿が見えなくなるまで私を背を見ていることを私は知っている。
だから少し走ってから一度止まって振り返り、やっぱりそこに居てくれた明日香に向かって私は大きく手を振った。明日香も大きく振り返りてくれて、満足したのか商店街へと消えて行った。
これも私にとって、私たちは特別だと思うたった五秒くらいの私の好きな時間。
「よかった」
終わってみれば結局のところ、今日のところは私たちの関係性はまだ変わっていなかった。つまりマックスを現状維持。
それを儚みそのことに誰にとも無く感謝を捧げ、私は再び勢いよくペダルをこぎ出した。
そして日付けが変わって草木も眠る丑三つ時。私はいまだ眠れず悶々とベッドに転がって、今日のことを思い返して反省しては怯えるということを繰り返していた。
「はぁ」
ゴリさんにお兄さんがいたことや、そのお兄さんが今二十三歳で造園業を営む実家で働いていること、いずれそれを継ぐつもりでいることなんかはどうでもいいからスルーするとして、問題はやはり今日の私。明日香に彼氏が出来るかも知れないことを初めて実感したとは言え、いくらなんでもあれくらいのことで体調に異変を来して周りに迷惑をかけるのはいかがなものかと。私は平気、大丈夫だと、ちゃんと覚悟が出来ているつもりでもそれが全然足りていなかったということを。
「うっ」
そして、今回は違ったみたいだけど、いつか明日香が実際に恋をした時、私がそれを知った時、その恋が上手くいった時、それを目の当たりにしてまった時、総じてこの恋が終わった時、私は一体どうなってしまうのかと。
私の事情を今は誰にも何も話せない以上、私が頼れるものは経過とともに全てを思い出に変えてくれる筈の時間だけ。だけど果たしてその間、私はそれをたった一人きりで耐えられるのだろうかと。それすら経験のない私は不安で不安で仕方ない。
「ううっ」
どうせ眠れないだろうからと流した音。イヤホンから聴こえているその音楽は、音は聴こえど誰が何を歌っているのかわからない。それに混じって微かに聴こえてくる音は誰かの嗚咽。
「うぐ。うううっ」
お疲れ様でございました。
早くいちゃいちゃを書きたくてうずうずしているしはかたです。が、プロット的にそれはまだ先になります。無視するかもしれませんが…
読んでくれてありがとうございます。




