第四章② 理由はないけど、海を見るとテンション上がらない?
それからしばらく歩いた。天気もいいし旅路は順調だし、今日中にはクルスに辿り着けるだろう。俺たちは焦らず無理せず、休みながら歩いた。
用心棒と戦うまで自覚していなかったが、俺の身体は思っている以上にボロボロらしい。もちろん普通に歩けるし、身体的には問題ない。だが見えない場所、体内の魔力が駆け巡る時の回路が、ボロボロなのだ。
わかりやすい言葉にすると、エネルギー切れ。体力が魔力回路の回復に使われるため、すぐに息切れしてしまうのだ。まあ、魔王と戦ったんだから、平気な方がオカシイともいえるが。
幸い、今は無理する必要がない。平地に座ったら周囲の薬草を採取するなど、ゆっくりと旅を楽しんでいた。
「それにしても、アイツはよくピンピンしてるよな」
俺は周囲の薬草を摘みながらつぶやいた。
「アイツとは?」
地べたに寝転んだルルが聞き返す。
「あの用心棒だよ。普通なら、あれだけの魔力を放ったら動けないはずだ。俺だってこんなにボロボロなのに、よく逃げられたもんだよ」
「ああ、それは仕方ない」
ルルは起き上がると、ちゃんと座り直した。
「何か魔力の消耗を防ぐ、裏技でもあるのか?」
「違う。あいつは魔力を使っていないのだ」
思わず俺は手が止まった。
「いやいや、使ってただろ。特大の魔力を」
「あれは魔力ではない、怨念だ」
「怨念?」
「君はあの用心棒を魔術師だと思っているみたいだが、それは違う。あれは呪術師だ」
耳慣れない言葉に、俺も手を止めて座り直した。
「呪術師って何だ?」
「魔術師は、自らの体内にある魔力を使って術を行使する。しかし呪術師は他者の想念を魔力に転換して使うのだ」
「俺には大した違いに思えないけど、どう違うんだ?」
「魔術師は自らの魔力量で強さが決まるが、呪術師の力は天井知らずだ。他者の想念が強いほどに、術者の力は上がる。そして想念が強いほど、強力な術が使える。だから呪術師たちはより強い感情として、恨みつらみといった負の感情──特に怨念を好んで使う。禍々しい魔力と相性がいいせいもあって、呪術師は人を攻撃したり、不幸にする術ばかりを好き好んで使うのだ」
「ああ、だからあいつの魔力は禍々しかったんだな」
「想念は貯めておくことができない。だから呪術師は、常に想念を吸える対象の近くにいることが多い。今回はそばに奴隷商人たちがいたせいで、強力な技が使えたのだろうな」
「五人分の怨念ってわけか。そりゃ五対一なら、俺が押し負けたのもわかる」
「呪術師の場合、感情を効率よく魔力に変換できる者が強いといわれる。弱点としては、変換後に術式を発動するから、普通の魔術師よりも術の発動に時間がかかることだろうか。そのタイムラグを狙って攻撃するのがよいというぞ」
「ずいぶん詳しいんだな」
「世の中、魔術師より呪術師の方が多いものでな。様々な敵に備えて、戦い方を熟知しておいた方がいいぞ」
そういえば、初代の記憶を遡っていた時、やたらと変な輩に絡まれていた。初代はあっさり倒していたが、あれは呪術師のことだったのか。
先代全員分の人生という膨大な情報量に押されて忘れがちだが、脳内を探ればその時の記憶もちゃんと頭に残っていた。
「もしかしてあの用心棒、結構強かったのかな」
「一つ言えるのは、君が勝ったということだ。もう過ぎたことだし、今は薬草を摘むことに注力したらいい」
ルルは身体を伸ばすと、大きな欠伸をした。そして俺が薬草を積み終わるまで、短い昼寝に落ちた。
そんな風に寄り道しながらも、前進しているといつかは目的地に辿り着く。
日暮れが近づく頃になって、ようやく地平線に煌めく灰色のもやが見えた。
気づいた瞬間、俺は駆け出したね。かなり距離があるというのに。初めて見たけど、直感で海だとわかった。というか海だと確認したくて走り出したんだ。おかしな話だよな、前は海に憧れも興味もなかったっていうのに。でもすぐそこにあるんだと思ったら、居ても立っても居られなかった。
灰色のもやは次第に煌めきはじめ、ぼんやりと、けれど確実に姿を現しはじめた。俺に向かって吹く潮風。特有のもったりとした空気が俺の鼻孔をくすぐる。
目的地はすぐそこだ! 自然と足が速まった。
一本道が大きく曲がるその場所に来て、ようやくクルスの全貌が見えた。
そこは小高い丘の上だったんだけど、俺の眼下に円形になったクルスの街並みと無限の水面が広がっていた。港には、一日の仕事を終えた船が無数に停泊している。海に張り出すように建設された灯台は、手を伸ばせば届きそうなほど大きく、そして近くに見えた。
待望の光景に、俺はうまく呼吸ができなくなった。ようやく息の吸い方を思い出して、胸いっぱいに空気を吸い込んだ。ああ、これが海! うまく言葉にできないのがもどかしい。まさかこんなに自分がはしゃぐなんてびっくりだ。
「ルル、すごいな! 本物の海だ!」
「ああ、海だな」
初代と旅したルルにとって、海はなんてことないものなのだろう。終始澄ました顔をしていた。
「お前って相変わらずリアクションが薄いよな」
「それより道を急げ。早くしないと、海を見ながら野宿するはめになるぞ」
「わかってるよ!」
満身創痍のはずなのに、俺の足取りはしっかりとしていた。ぐんぐん前に進んでいく。どこにそんな元気が隠れていたのだろうと自分でも思う。いや、海という存在が、俺のやる気を引き出してくれたに違いない。その美しい水面に少しでも近づきたくて、俺は歩を早めた。




