その身を赤く染めて
ミアカがおれの名前を知らないのは当たり前だ。今日初めて会ったのだから。
おれが勝手にミアカとフィウナを重ねているだけだ。それで、勝手に傷ついているだけだ。
だからおれは、できるだけ淡々と告げる。
「あなたの背負う罪の理由はわかった。あなたは死神の中でも特別な存在となる。虹の死神、彩雲の席」
おれはシリンに目線を送る。シリンは呆然としていた。無理もない。ミアカがこうして、死神となる責任の一旦は彼にあるのだ。
だが、こんなことでいちいち立ち止まっていたら、死神は務まらない。まあ、務まらなくても、死神になってしまった以上、役目を果たさなくてはならない。
「シリン、マントを」
「っ、はい……」
ミアカにマントを着るように示す。ミアカはシリンからマントを受け取った。
おれはシリンの目を塞ぐ。
「な、セッカさん!? 一体」
「目を潰されたくなければじっとしていろ」
おれがぐ、とシリンの瞼を押し込むと、シリンはびくり、と抵抗をやめた。
何をやっているんだろう、と思う。今更、良心の呵責? 笑えてきてしまう。
ミアカが死神のマントを羽織ると、それは始まった。見るのは二回目だ。二度と見たくなんてなかったはずなのに、おれは目を塞いだシリンの代わりに食い入るように見つめた。
「あっ、ぐぅ……ああああああっ」
「ミアカ大尉!?」
シリンがもがくたびにおれが目を潰そうとする。シリンが動けないように、羽交い締めにして、片足を踏みつけて、槍にした死神の武器を踏んだ足ごと刺す。刺された痛みにシリンが息を詰めた。こんなおれたちでも、流れる血は赤く、影のように水溜まりを作っていた。
シリンの目を塞いでいてよかった。ミアカが触手にじっとりとなぶられる様なんて、とても見せられるものではない。ミアカを待っていたように抱き潰す触手はミアカに張りつき、まとわりつく。みしみしと骨が軋む嫌な音がした。ミアカの悲鳴が無音の叫びへと変わる。
それを眺めながら、巨大な蛇の捕食の話を思い出した。確か、獲物にぐるぐると巻きついて、ゆっくりと絞め殺すのだ。全身の骨を粉々に砕いて、食べやすいように。蛇は丸飲みするらしいから、骨を砕いた方が食べやすいのだろう。それみたいだ。
死神のマントは、人間だった罪人の体を死神のものに作り替える。前提として、死神となる人間は死んでいなければならない。例外として存在したかつての彩雲の藍の席だった少年は死ぬには体が丈夫すぎて、死神の力をもってしても殺せなかった。そのため、死神のマントを被せ、マントに棲む何かが彼を強制的に死者にしようとしたが……それをあのとき、おれは止めた。
だって、あまりにも惨かった。奪われ続けた少年が、最後の最後に残った唯一の、自分の命まで奪われるなんて、そんなの、あんまりだ。
そこまで思い出したところで、おれは気づく。ミアカを苛む死の靴音の中で、くつくつと笑ってしまった。
「セッカさん?」
「シリン、お前の言う通りだ。おれが一番、死神らしいのかもしれない。
かつて、フランという少年が、今のミアカと同じ目に遭ったとき、おれは止めたんだ。でも、ミアカのそれを、おれは止めようと思わない」
「セッカさん、何の話をしているんです?」
シリンの疑問に答えない。
「おれはフランには同情できたけど、ミアカには同情なんて、これっぽっちもできないんだ。でも、お前には同情するよ、シリン。年が近いからかな……同情するから、目を塞いでいる」
答えられない。自分でも、何を言っているのかよくわからないのだ。死神らしさと同情が同居するのかなんてわからないのに、一人前みたいに語る自分がおかしかった。半人前にもなれずに死んだくせに、何を言っているんだか。
結局、自分がかわいいのだ。心を寄せられる相手をなるべく助けて、それ以外はどうでもいいみたいな扱いをする。おれはそんなやつなのだ。
ミアカの全身から、血の赤が染み出してくる。おかしくなりそうなくらい鮮やかな赤だ。気づいたら、ミアカはもう声を出していなかった。呼吸音すら聞こえない。絶命したのだろう。
ミアカの死に様を見せつけるように開いていたマントが閉じ、ボタンによって留められる。黒い布に覆われたミアカは唇の端から血を垂らしていた。青白いその顔にだんだんと血の気が戻っていく。
ミアカの目がゆらりと開かれたのを確認して、おれはシリンを解放する。シリンは崩れ落ちるミアカの体を咄嗟に抱きしめた。
「ありがとうございます。すみません……」
ミアカが力なく呟く。シリンがいえ、とミアカを抱え直そうとするが、どうにもシリンの体は小さいのであった。
おれがひょい、とミアカとシリンを担ぎ上げる。
「わ、セッカさん? 僕は大丈夫ですって!」
「帰るぞ」
「だから歩けますって」
「ミアカを離すなよ」
「え」
おれは屋敷から飛び出した。猛スピードで街を駆け抜けていく。おれの背丈とシリンとミアカの容姿は非常に目立ったにちがいない。
おれは走った。何にも追われていないのに、逃げているみたいな速さで。真っ直ぐ走ることしかできないかのように、商店のテントを突っ切ったり、屋根を踏みしめたり、洗濯紐を掴んで一回転してみたり。シリンとミアカはぐるぐる目を回していたかもしれないが、おれはそれなりに楽しく、そこそこ長い距離を走った。
どうして、と言われると……海が見たかったから、だろうか。そのためには隣国まで走る必要があった。死神界を介したくなかったから、走った。
ミアカのマントの下は、きっと血塗れのままだ。キミカが目にしたら、悲しそうな顔をされてしまう。リクヤに勘づかれたら、恨まれるかもしれない。ユウヒの笑顔は、もう見たくない。
そんな感情が、おれを走らせた。足が痛いし、向かい風で手足が千切れそうな思いもする。
けれど、潮の香りがしてくれば、頬が緩んだ。
「二人共、海だ」
おれがとん、ととある街頭の上で止まると、不意の言葉に、二人はゆっくりと顔を上げた。
「本当だ……」
「海って……どこまで走ったんです?」
国境は越えたが、距離はわからない。
すとっと街頭から降りた。二人が軽く悲鳴を上げる。
「海まで来た。せっかくだから、水遊びでもして帰ろう」
「せっかくというか、それが目的で来ましたよね……?」
「ふふ、いいじゃないですか。楽しそうです」
「……水遊びなんて、したことがないんですけど」
「だろうな。おれもだ」
言うとおれは二人に反論の間も与えず、海に飛び込んだ。
「げほっげほっ、セッカさん!」
「あはは!」
「あははじゃないですって! 声くらいかけてください」
「けほ……しょっぱい……」
三人で、ずぶ濡れになって、全身が赤いのもわからなくなるほどに、自由にして。
今だけは自由だと思って。
流れた涙を隠して。




