藍に焦がす想い
キミカのお見舞いに行きたい、というセイムを抑えるのが大変だった。まさか、死神界に生きている人間を連れていくわけにもいかない。
死神というのは世に知られてはいけないのだ。マザーが言っていた。死神の存在が世に知られたら、死神の力を悪用する者も現れるだろう。死神は曲がりなりにも神であるなどとほざいて、信仰を始める者もいるかもしれない。そうすると世の中はややこしいことになる。世の中の混沌が広がるのを防ぐために存在する死神が混沌を招いてしまうのは元の木阿弥というものだ。
それなら、せめて見舞品を預かってほしい、というので、そこを妥協点とした。アオイからは食べやすそうなゼリーを、セイムからは御守りにミサンガを渡されて、二人とは別れた。
「やあ、あのセイムくんって子意外と強情で焦っちゃった」
どうにかこうにか理由をつけてセイムを来させないように弁舌の限りを尽くしたユウヒが疲れを宿した顔で言った。セイムの勢いにはさしものユウヒも充てられたらしい。若さってすごいな、とぼんやり思った。
そんな傍ら、別れるまでずっとアオイを見ていたアイラは何やら考え込んでいるようだ。おれは少し話を聞いてみることにした。
「アイラはなんだかアオイを気にかけていたみたいだが、何か気になることでもあったのか?」
「いや……」
煮え切らない返事を寄越すアイラ。こういう思うところがあってもはっきり口にしない辺りがリクヤの苛つくところなのだろうな、とおれはなんだか微妙な心地になった。
別に無理に聞き出そうとは思わないが、なんとももやもやする。アオイもたぶん気づいていただろうが、アイラは穴が開くのではないかというほどアオイを注視していた。何かない方がおかしいだろう。
はあ、とおれは溜め息をつき、アイラに声をかける。
「アオイは次の虹の候補だ。何か気になることがあるなら言ってほしい。いずれ仲間になるとして、人となりは知っておきたいから」
おれが声をかけると、少し悩んでから、アイラが口を開く。
「あいつ……俺に似ているような気がしたんだ」
「アオイが?」
「ああ。危なっかしい。……自分の愛のために平気で過ちを犯しかねない雰囲気だ」
愛、か。おれはアオイがセイムに向ける姿勢を思い返す。あの執着はある種の愛なのだろう。家族愛や友愛なんてありふれた言葉で表すにはあまりにも大きすぎる感情。それを平坦に「愛」と表してしまうのなら、アイラの言うことは少なからず合っているのだろう。
アオイが犯す過ち。セイムのためなら、他者を殺すかもしれないということ。それなら、死神の候補に挙がるのもわかる。ただ、平和なクォン国でそれほど大規模な殺人劇ができるとは思えない。セイムは出自上、学校でも他の生徒から白い目で見られているようだが、それが学校の生徒全員ではないだろう。表立った怪我もないようだし、暴力を受けているとは思えない。
アオイはまだ何もしていないところを見ると、これはセイムが殺傷沙汰にでも巻き込まれない限り、その手を血に染めることはしないだろう。
クォン国は中立国なだけあって、子どもたちにもきちんと道徳を説いている。だから安易に暴力に走ったり、いじめたりすることもないのだろう。生前は気味悪がられたおれの容姿に怯えることもないし、遠巻きにされることもない。
この国が簡単に崩壊することはないだろう。
「セッカ」
「なんだ、ユウヒ」
ユウヒを振り向くと、ユウヒは優しくにこりと笑った。穏やかすぎて、次の言葉が頭を素通りしていく。
「壊れるときは一瞬だよ」
それから数週間後。
キミカが新聞を持って帰ってきた。ばたん、といつもよりけたたましく開いた扉におれとリクヤが驚いた顔で出迎える。
息を切らして走ってきたキミカの表情には満面に悲壮が広がっていた。
「アセロエ連邦が、クォン国に、爆撃を……」
「なっ!?」
冷戦状態の片方が耐えきれず仕掛けたらしい。相手に直接ではなく、クォン国に。
「クォン国は自衛のために兵を募っているそうです。十五歳以上の青少年に」
「アオイもセイムも高校生だ、十五は過ぎてる……! あとは二人の意思次第だが」
リクヤの呟きにキミカは顔を暗くする。どうやらこれ以外にも凶報はあるらしい。
「自衛のためとはいえ、兵役を強制しない代わり、武器の扱いを学校で教えることになったそうです」
それと軍で兵を育てるのは何が違うのだろうか。
それに武器の扱いということは、訓練とはいえ、人を殺すことができるものを手に取ることになるということだ。
リクヤの顔に焦りが浮かぶ。
「やべえな……クォンにはまともに武器を扱ったことのあるやつは少ないだろ。今まで軍隊すらなかったんだ。治安もいいし、武器を扱って暴力を生業とするやつはいるにしても少ない……そんな中、ただの教師が武器の扱いを教えんのか? 素人だろ?」
「ええ」
「剣やナイフ、打撃系の武器はまだいいとして、問題は銃火器だ。一つ手順を間違えただけで暴発の危険もあるし、誤射や跳弾も危ねえ」
吸血鬼のいる街で自警団をやっていたからか、リクヤはやたら詳しかった。肝心のアイラやアルファナの記憶だけが綺麗に抜け落ちているのだろう。
銃についておれは詳しくないのだが、暴発というのは銃を撃てる状態で投げると爆発するらしい。誤射は撃つつもりはなかったのに、引き金に指が当たっただけで弾が発射されてしまったり、狙ったのとは違う場所に当たってしまうことを言うのだとか。跳弾は屋内など固い壁や天井があるところで、壁や天井に当たったことにより、跳ね返った弾丸があらぬ方向へ飛んでいくという恐ろしい現象らしい。
おれは棍や鞭しか使った経験がないのであまりぴんときていないのだが、銃の殺傷能力が高いことは知っている。どれも恐ろしい事故だ。
ただ、事故なら仕方ない、と引き下がる分別くらいはアオイも持ち合わせていると思うのだが……
「悪どいやつは故意でも事故騙ったりするからな。警戒心の高いアオイの前でセイムが撃たれてみろ。どうなるかわからねえだろ」
確かに。アオイは基本的にセイムの言葉以外を信じない。セイムの言葉しか信じていないとも言えるが、他人を安易に信用できないことは変わらない。どう言い訳されようと、まずは疑ってかかるだろう。
セイムに対する不満……暗く淀んだ感情たちが爆発して、ぶつかり合うには恰好のシチュエーションなわけだ。
「だが、おれたちにできることはないよ。おれたちは生者じゃない。死神だ」
「でもよ、セッカ」
「だって、生者の国の方針にぽっと出のおれたちがどうやって干渉するっていうんだ?」
リクヤは言い返してこなかった。
そう、おれたちとアオイやセイムのいる世界は違う。無理をすればおれたちは干渉できるかもしれないが、手の届く範囲だけだ。死神のことは外では伝承にすらなっていない。死神だ、なんて話しても、誰が信じるだろう。
何もできないことに歯噛みするリクヤ。おれより年上のはずなのに、おれの心は悔しくなかった。何もできないことを無力だとは思わない。自分の役割はここにはないから。
人の心なんて、おれは知らないんだ。まともな環境で育った覚えがない。だからなのだろうか。何故、自分のことではないのに、そんなに悔しがるのだろうなんて思う。
人でなしだ。
「……今日は、アオイたちに会いに行くのか?」
嫌な思考を振り払うように、おれはキミカに聞いた。
キミカは悲しげな表情で頷く。それを見て、リクヤもついていく、と声を上げた。
「セッカは?」
「……おれは行かない」
「セッカ……」
おれはごめん、とだけ呟いて、ある扉に入った。どこに繋がるかわからない扉の向こうには、なんとなくおれが予感していた人物がいた。
「やあ、セッカ。もうすぐのようだね」
何が、とは問わなかった。わかっているから。
近く、虹の死神、青の席が埋まる。愛憎故に。




