死を摘む青
そんなことをユウヒに話すと、彼は軽く「問題ないんじゃない」と答えた。
ざくざくと手首を刻む姿は吐き気を催すほどだが、まあ、今更血の一滴や二滴で何かを言う気は起きない。
マザーの思考が混ざってきている、と言っていたことが関係あるのだろうか。ユウヒは最近素っ気なかったり、ぼんやりしていることが多い。それでも必要な話はしてくれる。
ちょうどいい、とユウヒが立ち上がる。
「ついておいで、セッカ。歴代の青の席について話すよ」
ぼたぼたと手首から零れ落ちる赤を気にも留めず、ユウヒは一つの扉へと向かった。おれはせめて止血を、と言ったのだが、全く届いていないのか、真っ赤な手でドアノブを回すユウヒ。そのオレンジに返るはずの琥珀色は濁っていた。
おれは何か言いたかったが、言葉が出て来なかったため、そのままついていく。ユウヒの自傷に関してああだこうだと言える立場ではない。アイラと任務に行ったときには、アイラと殺しあってまでいるのだから。
そういうのはキミカに任せることにしよう。
扉をくぐると、そこはユウヒの部屋だった。大量の日記が置かれているのだけが特徴と言える特徴で、他はどこを見ても殺風景だ。
「ええと、どの辺りだったかな……」
ユウヒが日記をごそっと取り出す。ものすごい冊数が出されたので、おれは唖然とした。
「他の死神にも話してはいいんだけど、次代の青の席と関係を築くなら、先入観はない方がいいかな、と思うから、セッカにだけ話すよ」
「な、何を?」
ユウヒは妖艶でいてどこか皮肉げな笑みを浮かべた。
「歴代の青の席がどんな人物だったか」
ユウヒはざっくりとページを開いて見せてきた。そこに並んでいたのは歴代の青の席が犯した罪と死因についてだ。五人分あったが、全員誰かへの「思慕」だけでは表現しきれない執着が原因のように見えた。心中している者がほとんどだ。
心中は地域や時代によってはただ人を殺すよりも軽蔑される行為だという。心中に至る心境が心の闇によるものであるという理解は及んでいない。無理心中なんかは特に他人を巻き込んだ自殺ということで蔑視される。
何故、おれがそんなことを知っているかといえば、まあ養母がしたのがまさにそれだったからだ。精神的に追い詰められていたからといって、家族ごと死のうとするのはあんまりだろう。……おれはフィウナのことを少し思い出した。
「ご覧の通り、青の席は誰かへの執心により、罪を重ねて死神になる。殺した数は大したことないからそんなに罪の数値は大きくないんだけどね。ただ、人数じゃなくて、残忍さ、陰湿さが問題なんだ。すごーく病んでるの。でも素の性格──執着している対象がいないときは信じられないくらい常識人でね」
「え、常識人?」
無理心中する人物が? とおれは思わず聞き返してしまった。ユウヒはお手上げとでも言いたげに肩を竦めた。
「はは、私も戸惑ったよ。彼らは執心のあまりおかしくなっただけで、なんてことはない普通の人なんだ。ちょっと魅力的ですらある」
任務も素直にこなして、あのマザーにちょっかいをかけて楽しむくらいの余裕まである猛者ばかりだったそう。
とても楽しかった、とからからとユウヒが笑う。最近あまり見られなかったユウヒの純粋な笑顔になんだかおれはほっとした。
が、それも束の間、ユウヒは真顔になる。
「ただ、執着対象がいる生前はとんでもなくヤバい奴だ。アオイというその子はセイムって子にご執心なのだろう。だから、接触するときは気をつけた方がいい」
確かに、セイムへの気のかけ方は異様だった。殺意すらあったと思う。
キミカはあの性格上、人を警戒することに向いていない。何かされたとしてもやり返せないだろう。アオイがセイムを殺そうとしたらセイムを庇う、まであり得る。
リクヤは対人戦は問題ないだろうが、アオイを殺そうとして、マザーに止められるだろう。それで何もできない理不尽に吠えることしかできない。まあ、これはリクヤが悪いのか? とおれは思うが……
ユウヒがおれだけに話そうとした理由はなんとなくわかった。ユウヒはマザーと融合しようとしているのかもしれない。だから、虹の死神が生まれることを妨げられたくないのだ。
キミカは月の魔力で人を回復することができる。きっと、セイムでもアオイでも、死にかけた子どもが目の前にいたなら、罪の数値の加算など省みずに力を使うだろう。その場しのぎにしかならないと知っていても、それがキミカの望んだことだ。何も成せないのに神と呼ばれていたキミカの芯の強さはマザーも知っている。
リクヤは死因がかなり自分本位な原因からだったが、元々は人々を守る自警団の団長をしていたからか、虹の死神の中でも正義感が強い。言葉も強く、マザーを打ち負かしたことがあるほどだ。ガキ臭い論理だと言われても簡単には折れない。おそらく、青臭かろうが、理念を貫き通すことこそが正義の示し方だと思っているのだろう。理不尽に屈することはあっても、「おまえは理不尽なことをした」と主張するあの真っ直ぐな言葉は人間味のないマザーをも惑わせるほどだ。
アオイが最終的に虹の死神の青の席に就くことは変わらないのだろうが、マザーもユウヒも反発されることに疲れていると見える。だから大抵のことを理不尽とは思っても「仕方ない」と片付けることのできるおれを選んで告げたのだ。
「それに、狂気に立ち向かえるのは狂気だけだよ。キミカとリクヤにはそれが足りない。だから異常な青の席の相手はできない」
確かに、生きることを考える二人には「死なば諸共」という考えは理解できないだろう。いや、だからっておれも理解しているわけではないが。
おれは二人よりは知っている。狂気でおかしくなった人間の異様さを。おれもある意味狂気に身を委ねたがために死神になったようなものだ。その狂気は死神になった今でも身の内に燻り、命の危機に瀕したときや修羅場などで発揮される。
躊躇しているふりをしていても、おれが「暴力」に慣れてしまっていることは変えられないのだ。
「まあ、私もマザーも歴代の青の席にはほとほと手を焼いていてね」
「え、そんなことあるのか?」
「うん。紫の席が万年空席って話はしたっけ? その原因が青の席なんだよね」
歴代の青の席の心中相手の名前らしきものをユウヒは指差す。
「これら全部ね、紫の席候補だったの」
「え」
ユウヒの説明によると、青の席と紫の席にはなんらかの因縁があるらしく、青の席の候補者の傍らには紫の席の候補者が現れ、青の席候補を狂わせていくらしい。わかりやすく表現するなら、いつかのアルファナの感じだろうか。少し違うが。
そこでふと疑問に思う。
「でも、死んだからって罪が浄化されるわけじゃないはず」
おれがそう呟くと、ユウヒはニヒルに笑った。
「忘れた? 死神候補者の能力」
はて、と思考を巡らし……あっと声を上げた。
「生前から周りの人間の罪を浄化できる……だから殺した相手は罪が浄化されて死神にならないのか」
「そういうこと。紫の候補者は自殺願望が強くて、普段から自傷とか自殺未遂とか繰り返して自分の体をぼろぼろにしていくんだけど、それで他者に迷惑をかけない……つまりは他者の寿命を操作するわけじゃないから、大した罪の量ではないんだよね。すると虹級の者の手にかかれば罪なんてあっさり浄化してしまうのさ」
それがこれまで虹の死神に紫の席がいなかった理由らしい。更に元々死にたくて死んでいるので、罪悪感もなく、すっぱり逝ってしまうのだとか。
それによって青の席には青の席になるだけの罪が生まれるのだから皮肉なものだ。
「今回の青の席候補は特に逃したくないんだよ。何せ、ご執心の相手は紫候補じゃない」
「セイム……名前からも紫の字が入るとは思えないな」
それに見た目も紫要素はなかった。
虹の死神はおれの赤い目のように身体的特徴に冠する色が表れている者がなるのだという。名前もその色が使われている場合が多い。
「これを逃したら、いつか現れる紫の席と青の席が同時に存在することがなくなるかもしれない。だからアオイの存在は奇跡なんだよ」
その事情に巻き込まれるセイムのことは一ミリも考えていやしないのだろう。こういうところがマザーに似てきたな、とおれは少し寂しく思う。
まあ、一万年以上も死神として活動しているのだ。その心の複雑怪奇は計り知れない。もしかしたら、虹の死神が揃うのを望んでいる理由すら、もう忘れているのかも、と思うと、ユウヒもマザーも哀れに思えた。
だからといって、おれはユウヒもマザーも止めない。止めても無駄だと割り切っているから。
だから扱いやすいと思われて、こんな貧乏くじ紛いの情報を一人だけ与えられるのだろう。
それでもかまわない。それでいつか、ユウヒやマザーが救われたり、報われたりするのなら。
それに、虹が七人揃うという状況が何をもたらすのか、おれも気にはなっているのだ。たらればの話だが……揃ったら、何かが変わるのかもしれない。変えられるのかもしれない。
そういう可能性が保証されているわけではないが、確定していないからこそ持てるのが希望というものじゃないだろうか。




