黄色い花言葉
リクヤが虹の死神に参入してから、死神界は人間界に近くなっていった。
おれが時計を置いた次には、キミカが毎朝無料新聞をもらってくるようになったのだ。
「そんな文字ばっかの紙が面白いのか……?」
リクヤが少々引き気味に言う。
「外の変化が知れて面白いですよ。まあ、私は昔は入院生活で読むくらいしかすることがなかったんですけどね。あとは隣人の髪のケアです」
「好きだよね、キミカ……」
毎日手入れされまくっているユウヒが苦く笑う。だが、「キミカに手入れしてもらえるなんて羨ましいぜ」とリクヤがじとっとした視線を送る。実にいつも通りだ。
「下手な床屋に行くよりいいのは確か」
おれも短いこの髪をといてもらったことが何回かあるが、キミカの手つきは優しく気持ちがいい。体さえ悪くなければ、床屋として暮らしていたかもしれない、なんて、もう叶わないけれど、そんな幻想を抱いていた。
「そういえば、セッカは生前何かやりたかったことはなかったんですか?」
「え……」
不意に問われ、悩む。
おれの生前。あのときは、生きることで精一杯だった。排斥されても、生存本能にすがってただ生きていたから。
「……まあ、世話になってた家がなくなったりしなきゃ、姉さんと一緒にアーゼンクロイツ家で医学関係とか勉強したかったな……」
「姉さんって、お前、兄弟いたの?」
事情をまだ話していないリクヤが驚く。
「いや姉ってよりお前の方が兄なイメージ……」
「背丈で判断するなよ。おれが死んだのは十五のときだ」
「はあっ!?」
おれが年齢を告げると今度はリクヤのみならず、キミカやユウヒまで驚いていた。
そんなに驚くことだっただろうか。
「ちょっと待って十五でその背丈って……何がどうなったらそうなるんだい?」
「……オレ十八のときから変わってないが……?」
リクヤが特にダメージを受けている。
そういえば子どもの中に入るにはせいたかのっぽだったため、あの子たちには同じ子どもというより施設の職員みたいに見られていた気がしなくもない。
「……アーゼンクロイツの家にいたときは普通の子どもサイズだったんだが、何故か施設に入ったらいきなり背が伸びて……ひょろ長もやしとか言われた覚えがある」
「う……」
するとキミカから憐憫の眼差しが注がれる。覚えがあったのだろうか……
「……子どもって苦手です……」
どうやらキミカもその女性寄りの容姿と体のひ弱さをからかわれ、似たようなことを言われたらしい。
ショボくれるキミカの脇で、リクヤが何故か憎々しげにおれを見上げていた。正確にはおれの頭頂部を。
頭一つ分くらい差があるので首が痛くならないだろうか、と思ったのだが、杞憂だったようで、そんなことより怒り……? が勝っているようだ。
「いつか追いついてやる……!」
なんだろう、ものすごい子どもっぽい闘争心が眼鏡の奥で燃え上がっている。まあ、おれより本来なら何歳か年上のはずだが。こういうところは人間らしくていいなぁ、と思う。
人間らしく生きる。考えてみれば、生前にはできなかったことだ。アーゼンクロイツの家は少々特殊だったからこうして家族のように集まって談笑することもなかったし、施設じゃあ死にかけだったから、それどころじゃなかった。
こんな戯れ話ができるのも、これはこれで幸せなことなのかもしれない。
「まあ、死神になったら不老不死だから、背も伸びないけどね」
「なにぃっ!?」
ユウヒの言に噛みつくリクヤ。こんな小さないさかいすらも平和で尊いことなんだと、おれは愛しくすら思った。
「くそ野郎背丈寄越せっ」
「って、うわっ、八つ当たり!!」
単細胞なリクヤがおれやユウヒの首を刈らんばかりに得物を振るい始める。
しかし首刈り鎌では使った年歴の違いでユウヒにアドバンテージが出る。最小限の動きでリクヤの鎌はユウヒの鎌に絡め取られ、床にからんと落ちる。
悔しがるリクヤの頭をキミカがぽんぽんと撫でて慰める。
「まあまあ、そんなにいきり立っても何にもなりませんよ。
そういえば、こっちの世界には武術の訓練場みたいなのはないんでしょうか?」
ふとキミカが口にした疑問は、確かにごもっともだった。
死神の任務を今まで何の問題もなくこなしてきたから気にならなかったが、任務で刈る相手は碌なことをしていないため、変に腕が立つやつとかがいる。その場合のためにも武術の心得の一つも習得しておきたいところだが。
ユウヒが苦笑いする。
「訓練場はマザーが出してくれればあるでしょうけど、教える人がいませんよ」
「……確かに」
言われて、キミカも渋い顔をする。
「でも別に我流でいいんじゃないか? とりあえず部屋で暴れるのは危ない」
遠い日にユウヒを追いかけ回して暴れたことがあったが、得物を振り回すには、この居間の空間は雰囲気が不似合いだし、手狭だ。
死神の鎌はやはり刃が大きいし柄も長い。おれが扱う三節棍や九節鞭も長い得物だ。
それに限らず、ようやく人間の頃のような形を得てきた居住空間を壊すのは気が引けた。碌に人らしい生活をしてこなかったおれたちには、この空間はあまりにも心地よく、壊すのは惜しまれる。
「おい、マザー、暴れても平気なような広い空間とかはないのか?」
ダメ元で呼び掛けてみる。この世界は厄介なことにマザーの支配下にあるため、扉や窓がそこかしこにあるが、どういう空間に繋がるかはランダムに決まるのだ。特定の空間に行くには、マザーに頼まなければならない。
自分の部屋に帰るのもマザーに頼まなければいけないということにもなる。本当に我が子を見守る母親か、という管理の徹底ぶりである。
『確かにリクヤは血気盛んなようですから、そろそろそういう部屋が欲しいかと思いまして、準備途中です。試しに行ってみますか?』
用意周到というか、本当に便利だな、マザー。
とりあえず全員で行ってみることにした。
『では、窓から外に出てみてください』
ユウヒがぎくりと固まる。おそらく以前、窓から出たとき地上数十メートルという高さだったことがあるからだろう。
相変わらずマザーの考えることはわからない。ひとまず窓を開けてみると、その向こうには広い空間が続いていた。居間が何十部屋も入りそうなくらい広い場所だ。居間の床は木だったがここは草を編んで締めたようなものが敷かれている。木より感触が柔らかい。
『そういえば、靴は脱いでくださいね』
「そういうことは入る前に言ってもらえないか」
靴を脱ぎ、直に足で触れると、床は木とはまた違った程よい冷たさを持っていた。
「わぁ、なんか気持ちいいですー」
キミカが早くも寛ぎ出す。待て、訓練に来たんだろうに。
ほわほわとしているキミカとは対照的に、リクヤは早くも得物を構えてユウヒと向き合い、殺気立っていた。うん、こちらも突っ込みどころ満載だが、いちいち突っ込むのも野暮だろう。
足を踏み入れて一分も経たずに戦闘が始まった。ユウヒは鎌でやるのが飽きたのか、棍である。リクヤがそれに瞠目し、自分も真似て武器を変化させようとし、その隙を突かれて得物を手から弾かれるという、なんとも一方的な展開だった。
「セッカー」
いつの間にやら部屋の片隅で観戦態勢に入っていたキミカに呼ばれる。元々キミカは体がそんなに強くないから、暴れる気はないのだろう。完全に他人事目線で眺めている。
おれが寄っていくと、持ち込んできたらしい新聞を見せてきた。
「そういえばさっき会話でアーゼンクロイツって名前を口にしていましたよね?」
「ん、ああ」
頷くと、キミカは新聞を「何頁だったかなぁ」とめくり、やがてある頁で止まる。
そこの見出しには「新細胞発見、医学の大いなる進歩」などと書かれていた。
記事の内容に目を通そうとして、文頭にある名前に目を留める。
「フィウナ・アーゼンクロイツ……」
懐かしい、名だった。
記事の内容は、こうだ。
××大学研究員フィウナ・アーゼンクロイツ女史が特殊細胞を発見。再生能力の高い細胞で、自然治癒を促す成分○○の循環が人間の約七百倍であるという発表がされた。
この細胞を元に再生医療の発展に努めていきたい所存であるとのことだった。
と、まあ、大体こんな感じだ。詳しい用語は、おれにはよくわからなかったが、医療に大きく貢献する偉業であるというのが、なんとなくわかった。
キミカが言う。
「私の記憶が正しければ、アーゼンクロイツ家というのは昔医療や生物学で栄えた家で、かつて一つの医療ミスで患者を死に至らしめたことからその名が失墜したと聞きます。
本家の方は狂気の果てに一家心中したという噂が流れましたが、そんな逆波に抗って、分家の方々は栄誉を取り戻そうと医学の部門で様々な研究に取り組んでいたと聞きます」
入院していた時代にたまにアーゼンクロイツの名を耳にしたらしい。キミカが生きていたときはまだアーゼンクロイツは医療界では差別的に見られており、それでも細々と生きていたのだとか。キミカの知る助かった隣人のうちの何人かはアーゼンクロイツの者の施術を受けたらしい。
「小さな功績が積み重なって、ようやく花が咲いた、といったところでしょうかね」
「……そうだな」
純粋に、嬉しかった。
おそらく、姉さんと同じ名前なのは偶然の一致だろう。けれど、アーゼンクロイツなんて名はそんなに聞かない。
一度挫けたけれど、諦めず、数十年もの時を経て、戻ってきてくれた。そのことが嬉しかった。
おれはその記事を誇らしく、大切に、撫でた。




