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虹の死神  作者: 九JACK
灯の死神
111/150

赤刈

 その子は赤い髪をしていたから、ボクは近くにあった果物ナイフでその子を刺した。

 慌てたのは神父だけ。周りの人はみんなボクを見て拍手をした。ありがとう、ありがとう、悪魔の子どもを殺してくれてありがとう、と。

 赤い髪のその子も微笑んでいた。刺されて、口から血をこぼしながら、ありがとうって、その子も言ったんだ。

 紫色の目が、いるとしたら、女神様みたいに僕に微笑みかけたんだ。

 とても、とても。

 不気味だと思った。


 神父が連れてきてくれたのは、教会というにはあまりにも殺風景な場所だった。その教会にはステンドグラスがなく、赤い絨毯も敷かれていない。錆びた十字架があるだけ。

 神父は赤い髪の女の子の手当てをしながら、ボクに説明した。

「この教会はきみたちのような色覚衝動症候群に悩まされる子どものためにあります。できるだけ『色』を排除しているので、きらびやかではないでしょうけれど、きみたちには住みよいはずです」

「……その子は何なの」

 ボクの声は固い。ボクの緊張を感じ取った神父が、柔らかく微笑む。

「この子の名前はアカリ。きみと同じ色覚衝動症候群ですけれど、症状はきみとは違います。きみは赤で発症しますが、アカリは緑で発症します。きみは殺人衝動を起こしますが、アカリは自殺衝動を起こします」

「じさつ……?」

「死にたいと願うことです」

 ボクは唖然とした。

 死にたい人間なんているものか。死にたいんだったら、生きる意味がないし、生かす意味がない。ボクは生きたいから生きているし、みんなも生きたいから人殺しのボクを疎むのでしょう?

 ボクの目の前に横たわる女の子は、ボクの知らない世界の女の子だった。

 神父がボクを諭す。

「世の中には、生きることが苦しくてたまらなくて、死にたい、と思う人は私たちが思うよりたくさんいます。人は生きたいと思うと同時、心のどこかで死にたいと思っているのです。生きたいという思いの方が強いから、私たちは生きようともがくのです。

 けれど、死にたいと願うのもまた、人の摂理。神が我々に与えたもうた試練の一つなのです」

 神様とか試練とかはわからないけど、つまり、この女の子はボクと対をなすみたいな存在っていうこと?

 普通の赤より少し淡い色の髪。閉ざされた瞼の向こうにあるのは夜空と地平の境界みたいな綺麗な紫色だ。ボクとそう年は変わらないだろう女の子。ボクよりたぶん女の子らしい体型や仕草の子。おかーさんみたいに笑う子。

 おかーさんなんて、知らないけど。不思議な子だ。さっきはダメだったけど、こうして眠っているこの子を見ていても、その赤い髪でボクの中の衝動が蠢き出すことはない。

「つまり? 神様とやらが勝手に与えた試練にボクたちは挑まされてるってこと?」

「試練ではありません。人間が不自由の下に生きるのは罰です。聖典には禁断の果実の話があります。禁断の果実を食べたから、我々は母なる神より地上へと追放され、こうしていつか死ぬことを定められて生きているのです。

 アカリという名前は禁断の果実とされる林檎を揶揄した名前ですね。赤い梨と書くのです」

「なし?」

「果物ですよ。食べたことがありませんか?」

 わかんない、というと、神父は林檎みたいな形をした黄緑色の果物を出してきた。これが梨というらしい。確かに、赤くしたら林檎に見えるだろう。

 食べていい、と言われたので、食べてみると、林檎より噛んだときの食感がしゃりっとしている。それに瑞々しい。林檎より甘くて、汁がじゅわっていっぱい出てくる。

 梨を食べながら思った。もしかして、ボクが見つけてもそのまま食べられるように、林檎じゃなくて梨を用意したのかな。この神父は。

 日が暮れる。ステンドグラスのない教会はガラスからそのまま夕焼けの色を受けて、オレンジ色に染まる。ボクは夕焼けでは暴走しない。赤には違いないのだけれど、なんでなのかは考えたことがなかった。そうしたら、神父が言った。きっと太陽の加護を受けているのですよ、と。

「ヒカリの髪は夕焼けを紡いだような色をしています。陽光を紡いだよう、と形容されるのは綺麗な金色の髪ですが、太陽の本当の色は夕焼けの色だとも言われているのですよ。ヒカリは太陽に愛されているから、きっと太陽の色では病まないのです」

 不思議な話だ。まるで太陽が神様みたいじゃないか。

「それだったら、この子だって加護されてもいいはずじゃない。この子の髪は夕焼けと夜空の境の色だよ」

「おや、ヒカリも詩的な表現をするのですね。

 ええ。加護がどうあれ、きみたちは本来、庇護されるべき子どもです。奇妙な病のために、人々から疎まれます。アカリは病以外の理由もありますが」

「目のこと?」

「おや、どうしてそう思ったのですか?」

 ボクの目だって、発症しているときは真っ赤になる。かつてオバサンに「悪夢の子」とか呼ばれていた。この子は「悪魔の子」と呼ばれていた。病気以外の理由で人が疎むとしたら見た目だ。紫色の目というのはあまり見たことがない。

 人は珍しいものをありがたがったり、嫌がったりする。この子は嫌がられたのだろう。だから殺されそうになって、拍手なんてされるのだ。

「そうですね。紫色の目は珍しいものです。けれど、何故珍しいかと言ったら、紫色の目の人間はかつて、差別されて、殺されてしまったからです。だから紫の目を持つ者はその差別の名残で嫌がられるのです。『シノメ』とも呼ばれ、死神や悪魔と関わりがあるとされて、忌み嫌われるのですよ」

 ボクはふん、と鼻を鳴らす。

「ボクは神様なんかより、死神や悪魔の方がよっぽど信じられるね。死神や悪魔だなんて、ボクの方がよっぽど似合う」

 こんな、ただの綺麗な女の子には似合わない。

 だから、その呼び名を拭うように、ボクはその子の頬をそっと撫でた。すると、紫の目とぱちりと出会う。

 とくり、と胸が高鳴った。

 その紫は、今まで目にしたどんな色よりも美しくて、ボクはぼーっと眺めていたんだ。

「あな、たは……」

 涼やかな声が、風のように凪いでいく。

「刺してごめん」

 ボクは咄嗟にそう口にした。

 口にしてから、ボロボロと、涙が溢れてきた。

 ごめんなんて、今まで誰にも言わなかった。言えなかった。だって、ボクが殺した人は死んでいて、ごめんなんて言っても何も返してくれない。そんなのにごめんって言っても、虚しいだけじゃないか。

 何が悲しくて泣いているんだろう。ボクの涙は止まらなかった。ごめん、ごめん、とボクは壊れたように繰り返す。

 ──違う。ボクは嬉しくて泣いているんだ。

 ボクがこの子を殺さずに済んで、嬉しいんだ。それで今まで人を殺した事実がなくなるわけじゃない。それでも、一人、殺さずに済んだ命があることが、ボクの心を軽くした。

 この子は死なずにいてくれる。そのために出会ったようにさえ思えた。

 疎むばかり、呪い、呪われるばかりの力を否定してくれる人にようやく出会えた。

 遠い記憶でボクの名前を呼んでくれていた人に、これでようやくサヨナラできる。ボクは大丈夫だよって言える。

「ボクの名前はヒカリ。これからよろしくね、アカリ」

 ボクの目を見て、アカリはその夜空みたいな紫色を見開く。それから花が綻ぶみたいに笑った。

「ありがとう、ヒカリ」

 ああ、ボクの名前を呼んでくれる人ができたよ。

 この子を守ってあげたいとボクは思った。ボクに名前をつけて、ボクを守り育ててくれた人のように、今度はボクが、この子を忌み嫌う全てのものから、この子を守ってあげるんだ。

 殺した事実は消えないけれど、ボクが人を殺す以外の意味を持って生きるのは、きっと誰かのためになる。

「仲良くなれそうでよかった」

 神父がそう微笑んだ。

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