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18日目 観光と失礼①

これは、とある男の旅路の記録である。

「おはよう~」



 いつもの時間に起き、いつものように洗面台で顔を洗い、いつものようにリビングに繋がるドアを開くと、キッチンで子ども用エプロンを身に着けているクロノスが、子どもには少々重いと思われるフライパンを前に、少し大きめの菜箸を片手に持ってスクランブルエッグを作っている姿が目に飛び込んできた。



「あぁ、律。おはよう」



 俺の声に気付いたクロノスは、俺の方を一瞬だけ見るとすぐにフライパンに視線を戻した。


 おっ、どうやら昨日俺が言ったことをちゃんと守っているみたいだな。まぁ、昨日教えたらあっという間に自分のものにしてたから、そこまで心配していなかったが……さすが神様。


 昨日、俺が教えた火の扱い方を忠実に守っているクロノスに小さく口角を上げると、近くに立て掛けてあった大人用エプロンを身に着け、冷蔵庫の野菜室からキュウリを取り出した。



「昨日俺が言ったことを守っているみたいだな」

「まぁねぇ。律をこんなことで失うなんて、律をこの世界に連れて来た時の神様として許されないことだから」



 大人がよく使う鉄製のフライパンの取っ手を持って子ども用の踏み台から降りたクロノスが、少しだけ危なっかしい足取りで2枚の白い平皿の前に立つと、出来たてのスクランブルエッグを皿の上に器用な箸捌きで2人分に分けながら盛り付けた。



「なぁ、クロノス。そのフライパン、重くないか?」

「重い? 残念だけど、神様の僕にはそんな概念は無いよ」

「それじゃあ、そのフライパン、使いづらくないか?」

「ごめん、それもよく分からないや」



 盛り付け終わった皿から離れ、シンクに使い終わったフライパンを置いたクロノスが小首を傾げた。


 どうやら本当に分かっていないらしい。だが、昨日のうちにクロノスに頼んで部下達に子ども用フライパンを用意してもらうかスーパー行った時に子ども用フライパンが売っていないか見ておけば良かった。

 昨日は色々ありすぎてすっかり見落としていた。



「そうか、それなら良いんだ」



 『時すでに遅し』と小さく溜息をつきながら盛り付けている間に洗っておいたキュウリをまな板の上に置くと、俺の手元を覗き込んできたショタ神様が何の気なしに話し始めた。



「そう言えば、律が言ってた【子ども用の包丁】って道具、部下に頼んで取り寄せてもらったよ」

「おぉ、来たんだな! お前の部下って仕事が早いんだな!」

「そうかな?……まぁ、ここと神界の時の流れってかなり違うから、人間の律がそう感じても仕方ないのかもしれないけど」



 やっぱり、俺たちが住む人間界とクロノスが住んでいた神界って、時間の流れがかなり違うんだな。

 そうじゃないと、俺が寝ている間に戸籍の偽装から住居の確保に家具の設置に生活必需品の用意を完璧に準備することなんて出来ないよな。



「クロノス、フライパンを片付けたら部下から用意してもらった子ども用の包丁を持って来てくれないか?」

「うん、良いよ」



 俺と話している間に洗い終わったフライパンについた水滴をコンロの火で飛ばし、ある程度冷まして元の場所に戻したクロノスが、部下が用意してくれた子ども用の包丁をプラスチックの包装に入れたまま持ってきた。



「これだよ」

「ありがとう。これか……」



 クロノスから包丁を受け取って包装を綺麗に外すと、プラスチック製の白い包丁が出て来た。


 これが子ども用の包丁か。親戚の集まりで甥や姪が叔母達に混じって手伝っていた時に、子ども用の包丁を使って野菜をぶつ切りにしていたが……


 子ども用の包丁をまじまじと観察し終えると、包丁をまな板の上に置き、コンロにあった踏み台をまな板のあるところまで持ってきた。



「クロノス、今からお前に【食材を切る】という料理に欠かせない工程を教える」

「それって、律が昨日(がん)として僕にさせてくれなかったやつだね」



 『頑として』とか言うな。いつの間にそんな言葉を覚えたんだよ。

 それに、いくら神様だからっていきなり大人用の包丁を使わせるいかないだろうが。



 再び小さく溜息をついた俺は、気持ちを切り替えてショタ神様に包丁の使い方を教えた。





「ふ~ん、昨日も思ったけど、【食材】って呼ばれるものによって包丁の使い方って変わるんだね」



 自分の切ったキュウリをまじまじと見つめてから可愛らしいお口に放り込んだクロノスに思わず笑みを零れた。



「そうだな。切り方によって食材の火の通り方も違ってくるし、それによって料理を食べた時の食感も変わってくるからな」

「そうなんだね。ちなみに、律ってどうやって火の扱い方とか食材の切り方って身に付けたの?」

「そうだな……小学生の頃に、おふくろか学校で教えてもらったかもしれない。でも、ちゃんと料理を作り始めたのは社会人になってからだな。何せ一人暮らしだから」

「へぇ~」



 間延びた返事をしたクロノスは、キュウリをもう一口食べると付けっぱなしにしてあるテレビに目を向けた。


 この神様、今の俺の話に興味を持ったのか?……いや、あの感じだと関心すら持っていないな。


 小さく溜息をつきながらクロノスが作ってくれたスクランブルエッグに手を伸ばそうとした瞬間、テレビから女性アナウンサーの溌剌とした声が聞こえてきた。



『さて、今日のお天気は晴れ! 絶好の行楽日和でございます!』



「行楽日和かぁ~」



 クロノスが作ったスクランブルエッグを一口放り込むと、つまらなさそう表情でテレビ観ていたクロノスが不思議そうな顔で俺の方を見た。



「行楽日和?」



 どうやら俺のしょうもない呟きが聞こえたらしい。



「行楽日和っていうのは、簡単に言えば『観光名所や野外レジャー施設に行くには丁度いい日』ってことで、大抵は晴れている休日のことを指すんだ。あっちの世界にいた頃に見た偽りの空が晴れていたのも、恐らく行楽日和から来たんだと思う。行楽日和って聞くと、大半の人間は外に出てどこかに行きたくなると思うしな」

「そうなんだね。じゃあ、人間達はその『行楽日和』って日じゃないと外には出ないってこと?」

「そういうわけじゃないが……どうせ外に出てどこかに行くなら、雨とか曇りの日じゃなくて晴れの方が良いと思わないか? 気分だって晴れるし、外に出て思いっきり体を動かすことだって出来るしな」

「僕、人間じゃないから律の言いたいことが全く理解出来ない」



 そう言えば、そうでしたね。



「でもまぁ、『行楽日和』ねぇ……」



 自分が作ったスクランブルエッグを完食したクロノスが不気味に口角を上げた。


 うっ、この笑みを浮かべたクロノスって、まさか……


 クロノスの不敵な笑みに背中に嫌な冷や汗を感じると、時の神様が慈悲深い笑みを向けた。



「ねぇ、律」

「なっ、何でしょうか?」



 俺、こいつのこういう笑みを何度となく見てきているが未だに慣れない……というか、慣れるものじゃないよな。



「僕たち、この世界に来て今日で4日目だね」

「そう、ですね」

「だからさぁ……」



 慣れないが故に、タメ口から敬語になったことも、思わず引きつり笑いをしてしまったことも、一種の不可抗力だと思いたい。



「この世界で観光地巡りしようか?」





「観光地巡りって、あっちの世界でもやっていたあれか?」



 首を傾げた俺にクロノスは満足そうな笑みを浮かべた。



「そうだよ。あっちの世界でもやったでしょ?」



 確かにそうだが……まさか、またもや時の神様から旅行の定番を提案してくるとは。

 思えば、俺たちがこの世界に来てから今日で4日目。この間に何をやっていたかと言えば、別の世界から移動したり、部屋の探索をしたり、クロノスと一緒に家事をしたりゲームをしたり、この世界のスーパーで買い物をしたり……ってあれ? 俺たち、この3日間で旅行らしい旅行をしていない!

 はぁ、我ながら情けない。



「どうしたの、律? 僕、変なこと言った?」



 情けなさから抱えていた頭をあげると、ショタ神様が可愛いらしく小首を傾げていた。


 ちくしょう、可愛いな。



「いや、何も変なことを言ってない。そうだな、あっちの世界でも観光地を巡ったのなら、こっちの世界の観光地も巡らないと」



 あっちの世界とこっちの世界の良い比較になるかもしれないしな。



「うん、分かった」

「でも、その前に朝飯を片付けるか」

「そうだね」



 こうして俺とクロノスは、この世界でも観光地巡りをすることになった。


最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!


今日から最終回までほぼ毎日更新始めます! 頑張ります!


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