17日目 買物と人間⑥
これは、とある男の旅路の記録である。
「ふぅ、何とかレジに着いたな」
俺が知らない女性……久美子さんからの襲撃を偶発的に智子さんが救ってくれたことで、足早にレジに辿り着いた俺は心の中で一安心しつつ、既に出来上がっていたレジを待つ列の後ろに並んだ。
へぇ~、ここのスーパーは全レジに人がいるんだな。しかも、商品のバーコード読み取りから支払いまで全て店員の手で行われている。
俺のいた世界では『セルフレジ』が徐々に普及していて、俺が日頃お世話になっていたスーパーにもバーコードの読み取りから支払いまでの全てを買い物客が行う【フルセルフレジ】と、バーコードは店員が読み取って支払いは買い物客が行う【セミセルフレジ】の二種類が置かれていたなぁ。
俺の場合、フルセルフレジの常連さんであったが。
そんなことを思いながらレジに並んでいると、俺の前の前の買い物客がレジで支払いしているところが目に留まった。
へぇ~、この世界にも硬貨や紙幣で払う方法が残っていたんだな。
ライフウォッチが普及している世界の隣にある世界だから、てっきり硬貨での支払いは衰退して俺のいた世界でも普及しつつあった【キャッシュレス決済】ってものがこの世界では完全に普及しているものだと思っていたが……
感心しながら右隣のレジに視線を移すと、俺が並んでいるレジで支払いをしている買い物客も同じように現金支払をしていた。
こっちの客も現金で支払ってる。じゃあ、左隣のレジで支払いしている買い物客をチラ見……ん?
興味本位で左隣のレジで支払いをしている買い物客に視線を向けると、視線の先の買い物客も現金で支払っていた。
えっ、この人も現金支払だ。偶然、だよな?
首を傾げそうになった途端、右隣のレジで買い物客と店員のやり取りが聞こえてきた。
「あの、クレジットカードを使って支払いをしたいのですが?」
「申し訳ございません。当店では、現金のみ支払いになります」
「そう、なんですね。分かりました」
この人、さっき現金支払をしていた人の後ろに並んでいた人だ。それにしても、このスーパーって現金のみなのか。随分と変わったスーパーだな。
戸惑いながら財布から現金を出そうとしている買い物客を内心で気の毒に思いながら店員の顔に視線を向けると、そこには客に対して絶対に向けてはいけない冷たい視線を送っている店員がいた。
えっ、現金支払じゃなかったらこんな冷たい視線を送られるの!? 怖い、怖すぎるだろ! というか、現金のみって……今更だが、俺のいた世界でももう少し支払方法の選択肢ぐらいはあったぞ!
俺のいた世界より遥かに文明や価値観が進んでいてもおかしくない世界はずなのに、俺のいた世界より少しだけ価値観が逆戻りしていることに気づいて不思議に思っていると、俺の後ろから聞き覚えのある2人の女性の声が聞こえた。
「ねぇ、久美子さん。あの人、きっと……」
「そうよ、智子さん。あの人確か、つい最近こっちに家族で引っ越してばかりの人でしょ」
「そうだったわ。しかも、旦那さんの仕事の都合でこっちに越してきたみたいよ」
「そうなの? それってまるで、律さんの家族と同じね」
「あれは、奥さんの事情でしょ。全然違うわよ」
「そうだったわね。それよりもあの人、こっちに越してから一週間経ったのに、この程度のことも知らないなんて信じられないわ」
「本当。この辺一帯のお店が全て現金のみなんて、一週間も過ごしていれば分かるはずよ」
「そうそう。おまけに、エコバックを出していないあたり、本当に知らないみたいね。まぁ、お金さえ払えばレジ袋は貰えるけど、この辺でレジ袋をぶら下げて歩いている人なんて滅多に見ないわよね」
「本当、この一週間どうやって過ごしてきたのかしら」
「きっと、買い物とか家事の一切を全て旦那さんに任せていたんじゃない?」
「まぁ! 仕事で疲れている旦那にそんなことさせるなんて、妻として恥ずかしくないのかしら!」
「そんなんだから、一週間経っても買い物の一つも分からないのよ」
怖い、この世界の女性怖すぎる。スーパーでの買い物の仕方を知らないだけで罵倒されるなんて……クロノス、お前が言った『隙を見せるな』の本当の意味が分かったぞ。
俺、この世界でお前と無事に旅行する為に、外出中は全力で営業モードになるからな!
「いらっしゃいませ~。商品お預かりします~」
後ろで行われている恐怖の井戸端会議から逃れるように、目の前の店員に営業スマイルで買い物籠を渡した。
「ただいま~」
無事に買い物を終えた俺は、スーパー近くにあった銀行のATMで必要な軍資金を補充すると、エコバックに入った卵が割れない程度の小走りで来た道を戻った。
平日の真っ昼間から成人男性がエコバックを持って小走りしているなんて、見る人によっては怪しさ満点の要注意人物として、ご近所さん達同士で交わされる噂の恰好の餌食になりそうだが。
まぁ、その時は『あの時は、時司のことが心配になってどうしても……』と言ってお茶を濁そう。
本当は、こんな言い訳じみたことを考える必要なんて一切無いんだが、今日の買い物で俺とクロノスの偽情報がご近所さんにどれだけ広まっているのか身をもって知らされた。
恐らく、次に外出する時にご近所さんに会った際には今日のことが話題に出るだろう。その際は、時の神様にはお手間を取らせて申し訳ないが俺に合わせてもらおう。
少しだけ上がっている息を無視して家の鍵を開けてすぐに閉めると、クロノスがお菓子を片手に出迎えてくれた。
「律、どうしたの? 外で何かあった?」
不思議そうに小首を傾げるクロノスの顔を見て、安堵したのと同時に俺は外出前のやり取りを思い出した。
そう言えば、クロノスは『行ってきます』も『行ってらっしゃい』も知らなかったんだな。だとしたら……
大きく息を吐いて呼吸を整えると、目の前にいるクロノスに対して中腰の体勢になって目線を合わせた。
「クロノス、その前に人間について一つ言っておきたいことがあった」
「えっ、それって今じゃないとダメ? 律、こんなに【汗】ってものをかいているのに」
走ってきた俺がかいた汗を見て可愛らしい眉をひそめたクロノスに、俺は優しく微笑みかけた。
「あぁ、今じゃないとダメだ。俺が外からこの家に帰ってきた今だからこそなんだ」
「律が外から帰ってきた今だからこそ言いたいこと?」
「いいか、クロノス。外から家に帰って来た者……この場合は俺だな。その俺がクロノスに『ただいま』って言ったら、家で待っていた者……これはクロノスだな。クロノスが俺に『おかえり』って言うんだ」
「へぇ~、そうなんだ。人間って、本当に面倒くさい生き物だね」
「ハハッ、そうかもしれないな。でもな、その一言があるかないかだけで、人間は【安心】ってやつが得られるんだ」
「安心?」
「そう。人間が強く欲する感情の一つだ」
「ふ~ん。まぁ、人間の律が言うのならそうなのかもね」
俺の言葉に呆れながら納得したクロノスに小さく笑みを零した。
「ただいま、クロノス」
「おかえり、律」
安心を求めるようにクロノスの頭を撫でると、一瞬だけ不思議そうな顔をしたショタ神様は、優しい笑みを浮かべながら俺が肩にかけていたエコバックにそっと触れた。
旅行17日目
今日は、クロノスが料理に挑戦した。最初は、興味本位で火を使おうとしていたらしく、朝から寿命が縮まる思いをしたが、昼飯を一緒に作った時に俺が教えた火の扱いをちゃんと覚えてくれた。
そして俺は、クロノスの頼みでこの世界で初めての買い物をした。
まぁ、冷蔵庫の中身を見て買いたい物があったから別に構わないが……ショタ神様のオレンジジュースに対する執着にはさすがに驚いた。
この世界のスーパーは、俺のいた世界でよくお世話になっていたスーパーと似ていて、買い物自体は何不自由なく済ませることが出来た。
ただ、この世界の文化は俺のいた世界より多少衰退してしまったのではないかと感じることが所々あった。
平日の昼間を理由にクロノスが外に出られなかったり、俺が行ったスーパーが現金支払のみだったり……本当に、この世界は未来の世界なのだろうか。
それと、この世界に住んでいる人間達は、俺とクロノスについての偽情報を事細かに知っていた。
その為、初対面のはずなのに俺や時司の名前を当たり前ように知っていて……正直、怖かった。
それに、ここの人達はどうやら他所から来た人間について強い関心を寄せているようだ。
まるで、あの世界みたいに。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!




