17日目 買物と人間⑤
これは、とある男の旅路の記録である。
「それでは、失礼致します」
「えぇ、律さん。また後でね」
「律さん、お仕事頑張ってな」
「はい!」
深々と頭を下げて2人に別れを告げ、溜息をつこうとした瞬間、外出する前に交わしたクロノスとの会話が脳裏に蘇った。
あれは確か、朝飯に使った食器を一緒に片付けていた時だったな。
『そうだ、律には言っておかないといけないことがあったんだった』
『ん? 何だ?』
また、この世界に関する制約なのか?
『律、外に出たら絶対に【隙】というものを見せてはいけないからね』
『はっ? この世界ってそんなに物騒な世界なのか?』
『それは、律の目で直接見ないと理解出来ないと思う』
『そういうことか……分かった、隙を見せなきゃ良いんだな』
『うん。一昨日の律だったら大丈夫のはずだよ』
『つまり、外出している間は常に営業モードでいた方が良いのか』
『営業モード?』
『いや、何でもない。こっちの話だから気にするな』
『分かった』
クロノスが言っていた『隙を見せちゃいけない』ってのは、こういうことだったのか。
外出中は常にアンテナを張りながら緊張感を持たないといけないなんて……この世界では、プライベートの時まで仕事モードでいないと歩けないのか。
心の中で盛大に溜息をつきつつ、再びスマホと周囲一帯を交互に見ながら歩いていると、前方に平屋建てで屋根に派手な看板が立てかけてある大きなスーパーが見えてきた。
どうやら、ここで間違いないみたいだな。
無事に、この世界のスーパーに辿り着けたことに内心安堵しつつ、さっさと買い物を済ませようとスーパーの入口近くに置いてあった専用の買い物籠を取ろうとした瞬間、後ろから本日2回目となる女性の声が聞こえて来た。
「あら~、律さん! さっきぶり!」
思わず出そうになった溜息を強引に飲み込んで営業スマイルで振り返ると、眩しい笑顔の智子さんがお洒落な大きいバッグを持って大きく手を振りながら走ってきた。
またかよ。もう勘弁して欲しんだが。というか、俺が立ち去った時に剛さんと仲良くお喋りしてたじゃねぇか……ん!?
智子さんから横に視線をずらすと、そこには渋めな大きなバッグを持って遠慮がちに手を振っている剛さんが、智子さんの後を追いかけるようにこちらへ歩いてきていた。
えっ!? 剛さんも一緒ってことは……こいつらもしかして、俺の後をつけて来たってことか!?
怖い、怖すぎる! こんなの、完全にストーカーじゃねぇか! こういう場合、警察に通報しても良いよな? 物的証拠は無いが、通報した方が絶対に良いよな!
恐怖で引き攣りそうになる顔を営業スマイルで必死に抑えていると、満面の笑みを浮かべた智子さんが息せき切りながら俺のところに来た。
「智子さん! 一体、どうされたのですか? 先程、剛さんと仲良くお話されていましたよね?」
「それなんだけどね……昨日、律さんの姿が一日見えなかったじゃない。それが、どうしても気掛かりになっちゃったのよ! それに、律さんって方向音痴なんでしょ? だとしたら、『もしかするとスーパーに辿り着けないまま彷徨っているじゃないか』って、2人で意見が合致したの! だから、『善は急げ!』ってことで剛さんと一緒にスーパーに来たのよ~! ほら、剛さん! 急いて! 律さん、無事にスーパーに着いたわよ!」
「あぁ、すまんすまん。いや~、年を取ると本当に堪えるね」
「それはお互い様じゃない!」
「「アハハハハハ!!」」
そうか、これが言わずと知れた【有難迷惑】ってやつなのか。
俺、この2人と別れる時にちゃんと『スマホがあれば大丈夫』って言ったはずなんだが……聞いていなかったのか?
「お2人とも、心配していただきありがとうございます」
そんなことを一切億尾に出さなかった俺は、2人に向かって少しだけ深く頭を下げると、智子さんと剛さんは満更でもない表情で笑っていた。
「良いのよ~。私と剛さんが勝手に心配していただけだし、私も律さんと同じでスーパーでお買い物しよう思ってたから『良ければ一緒に~』って声をかけよう思ったんだけど……私ったらつい、剛さんとお話に花を咲かせちゃったから、こっちこそごめんね~」
「おや、そうことだったら申し訳ないことをしたね。智子さんのお話は楽しいから、僕もつい……」
「あら、それならお互い様じゃない」
「本当だね」
「「アハハハハハ!!」
あぁ、また始まったよ。ここは、耳障りがいい言い訳をしてさっさとこの2人から離れよう。
「あっ、すみません。そろそろ買い物を済まさないと、午後からの仕事に間に合わなくなってしまいますので」
「あら、そうなの! 律さんでも出来る仕事なら、今日くらい別の人に頼めば良いのに~」
また言っている。いい加減にして欲しい。
「そうしたいのは山々なのですが、残念ながら現地の方は今日に限って多忙のようでして……それに、先方との兼ね合いもありますので」
「そうなんだね。それは、律さんには悪いことをしてしまったようだね」
「本当よ!」
「アハハ……それでは、失礼します」
「あぁ、それと時司君にもよろしく頼むよ。今頃、お父さんの帰りを大人しく待っているだろうし」
「そうよ! まだ小さい子を誰もいないお家に1人にしているんだから、早くお買い物を済ませて、時司君の待つお家に帰ってあげてね」
「はい、ありがとうございます」
そうだな、あんたらとグダグダ話していなかったら、もっと早く時司の元に帰れたんだが。
というより、時司のことも知ってたんだな。この世界のプライバシー、一体どうなってるんだ?
込み上げてきた不快感を表に出さないまま2人に向かって営業スマイルで軽く会釈をすると、薄高く積み上がった買い物籠を手にスーパーの中へ入った。
「え~っと、確かにここにジュースコーナーが……あっ、あった」
外出直後にスマホのメモ帳で入力した買い物リストを手に、スーパーをウロウロしながらリストの中にある商品を次々と買い物籠の中へ放り込んでいった。
スーパーの内装自体は俺が元居た世界でよくお世話になっていたスーパーと変わらないようだな。お陰で、思ったよりすんなりと買い物が出来て助かった。
「え~っと、卵とオレンジジュースとコッペパンと牛乳……よし、これで全部だな。あとはレジで精算すれば、買い物は終わり……」
「あら、律さんじゃない!」
今頃、お家で大人しく待っている時の神様が所望されていたオレンジジュースを買い物籠に放り込み、レジへ向かおうとした瞬間、聞き覚えのない女性の声が後ろから聞こえてきた。
自分と同じ名前を見知らぬ誰かに言われ、思わず顔を顰めそうになったが、何とか堪えて振り向くと、智子さんと年の近そうなマダムが俺の方に近づいてきた。
えっ、誰!? というか、『律さん』って俺のこと!? この人も俺のことを知っているのか!?
初対面の相手に名前を呼ばれて内心焦っていると、商品棚の間に出来た通路から聞き覚えのある女性の声が聞こえてきた。
「あら、久美子さん! 元気~?」
「智子さんじゃない! そっちこそ元気~!?」
商品棚の間から出てきた智子さんが、俺に声をかけてきた女性……久美子さんに声をかけた瞬間、久美子さんの意識が俺から智子さんに移り、キャッキャッと井戸端会議を始めた。
ふぅ、何とか助かった……のか? とりあえず、智子さんが久美子さんを足止めしてくれている間にレジに行こう! これ以上いたら、営業で鍛えられた俺のメンタルが持たない!
井戸端会議をしている久美子さんと智子さんに向かって軽く会釈すると、足早にレジへと向かった。
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