17日目 買物と人間④
これは、とある男の旅路の記録である。
「え~っと、確かにこの通りをもう少し行けば辿り着くはず……」
スマホの地図アプリを頼りに、平日ならではの少しだけ閑散した道を忙しなく見ながら歩いていると、前から俺を呼ぶ声が聞こえて来た。
「あら、お~い! 律さ~ん!」
スマホから目を外すと、少し遠くから見覚えのあるマダムが走ってきた。
あの人って、確かに……
この世界に来た時の記憶を辿っていると、走ってきたマダムが息せき切りながら目の前に立ち止まった。
あぁ、この人ってもしかして!
「おはようございます、智子さん」
「おはよう、律さん」
そうだ、この人は確か、俺とクロノスが初めてこの世界に来た時に最初に出会ったこの世界の住人だ。
妙に馴れ馴れしかったから、何となく覚えていた。
脳内で失礼千万なこと思いながら営業スマイルで智子さんに向き合うと、頬を染めた智子さんが上品に口元を隠して俺のことを上目遣いで見てきた。
何でこっち見て頬染めてんだよ。
「もう、律さんってば昨日、外出されなかったでしょ? みんな、心配していたのよ~」
えっ!? 何でこの人、俺が昨日、外出しなかったことを知っているんだ!?
怖い、怖いすぎる! というか、みんなって誰だ!? みんなって!
「アハハ。すみません、昨日は仕事が立て込んでしまって、外出が出来なかったんです。私自身、大したことは無いと思っていたのですが……どうやら、智子さんだけでなく皆さんにもご心配をおかけてしまっていたみたいですね」
「そうよ、みんなあなたのことが心配で心配でならなかったんだから!」
「それは、大変失礼いたしました」
「そんな、謝らなくても良いのよ! ただ、あなたのことが心配だっただけのことだから!」
初めて会った時も思ったが、何だかこの人、図々しい気がする。
『心配した』って仰ってたから思わず謝ってしまったが……たかが、一日外出しないだけで、そこまで心配されることなのか?
まぁ、智子さんがそういう性格の人なのだろう。正直、面倒くさいが。
満足そうに笑うマダムにそんなことを思いながら営業スマイルで対応していると、背後から聞き覚えのない男性の声が聞こえてきた。
「お~い、智子さ~ん!」
「あら、剛さん!」
俺の背後にいる男性に向かって大袈裟に手を振っている智子さんに僅かながら引きつつ後ろを振り返ると、智子さんと同じように大袈裟に手を振っている智子さんと同い年くらいの男性が走って来ている姿が見えた。
見るからに智子さんの知り合いだよな。この人も智子さんと同類なのか?
心の中で危惧しながら営業スマイルで待っていると、駆け寄ってきた男性……剛さんが智子さんと同じように息せき切りながら俺と智子さんの前で立ち止まった。
「おはよう、剛さん! もう、そんな急がなくても私や律さんは逃げないわよ!」
「アハハ、それもそうなんだけどな、朝から2人を見かけて、つい嬉しくなって!」
「アハハ、それ分かるわ~。だって、さっきの私がそうだったんですもん!」
「おや、智子さんもそうだったんだね」
「そうよ~!」
「「アハハハハハ!!」」
何だ、これ。
茶番とも取れる会話に内心ウンザリしながら営業スマイルで聞いていると、剛さんが爽やかな笑顔と共に俺のことを見てきた。
「律さん、おはよう。昨日は、一切外出ていなかったね」
「おはようございます、剛さん。実は昨日は……」
「実は律さん、昨日は仕事が立て込んでいたらしくて、外に出られなかったらしいわよ」
「おや、そうだったんかい! それまた、大変だったね~。みんな心配してたよ」
ここでも『みんな』か。みんなって誰のことを指しているんだ?
「はい。先程、智子さんからそのことを伺いまして……その節は、大変ご心配をおかけしました」
「いや、良いんだよ。僕はただ、律さんのことが心配だけだったんだ」
満更でもない表情で笑う剛さんに向かって申し訳なさそうな顔で軽く頭を下げながら、俺は既視感のあるやりとりで沸々と湧き上がってきた怒りを必死に抑えていた。
こんなの、まるで俺が元の世界で勤めている会社で日常茶飯事に行われていた上司と部下の理不尽な会話じゃねぇか!
というか、どうしてこのおばさんは、俺の言いたかったことを横取りした上に、さも自分のことのように得意げに言ってんだよ!
何がしたいんだ、このおばさんは!
あと、この『剛さん』って人も、俺の名前をさも当たり前のように知ってたな……クロノスが昨日言ったことは本当だったんだ。
「それより、律さんは今からどこへ行こうとしていたの? スマホを見てずっとウロウロしていたみたいだけど」
おっと、この既視感のある会話のお陰で危うく目的を見失うところだった。この時だけは智子さんに感謝だな。
「はい、実は卵が切れてしまってスーパーに行こうかと」
「あら、そうだったの! スーパーなんて、スマホなんて使わなくたってすぐ近くなのに、わざわざご苦労なことね」
うっ、妙に棘のある言い方をするな……まぁ、心配している表情からして悪意があって言ったわけではなさそうだが。
「アハハ……実は僕、方向音痴なんです」
「へぇ~、そうだったの!」
「はい。ですので、こうしてスマホで調べながら歩かないと、目的地まで辿り着けないんです」
まぁ、単にスーパーまでの道のりを知らないからスマホを頼りに歩いているだけで、本当は方向音痴じゃないんだけどな。
「おや、それは難儀な体質だね。あっちで暮らしていた時もそうだったのかい?」
『あっち』って……恐らく、嘘設定にあった『仕事の都合で暮らしていた海外』のことだろう。
「そうですね」
「それはまた……奥さんから呆れられなかったかい?」
あぁ、設定上の奥さんのことか。まさか、ここまで知られていたとは。
「出会った最初の頃は驚かれましたけど、『まぁ、それなら仕方ないわね』と苦笑しながら受け入れてもらえました」
「そうだったの~。奥さん、出来た人なのよね~。私、前に奥さんが勤めていらっしゃる病院に行ったことがあるんだけど、とても素敵な方だったわ~。またお世話になっちゃおうかいしら」
「アハハ、妻に言っておきますね。きっと、喜ぶと思います」
クロノスが昨日言っていた『部下達と一緒に練りに練った設定がこの世界の住人に知れ渡っている』というのは、誇張でも何でも無く本当のことだったんだな。
でも、この人達どうしてプライベートのことまで知ってるんだ? かえって不気味なんだが。
照れたような愛想笑いを浮かべつつ、満足そうな笑顔をする2人に警戒心を高めた。
「それでは、そろそろ失礼しますね」
「あら~、もうちょっと話したかったわ~」
「そうだよ。昨日話せなかったんだから、今日はたくさん話そうよ」
俺としては、これ以上あんたたちと話したくないんだが。
「そう言っていただけると大変光栄なのですが……実は午後から仕事が入ってしまって」
「あら、そうだったの!? 昨日、仕事が終わったんじゃないの!?」
「そうだよ。そんなの他の人達に任せられなかったのかい?」
「そうよ! 律さんに出来る仕事なら、他の人達にも出来るわよ!」
こいつら、俺に喧嘩を売っているのか? 世の中には『他人任させられない仕事』ってやつが、山ほどあるんだよ! いい歳した大人なんだから、それくらい知ってるだろうが!
あと、他人様の事情にずけずけと入り込むのを止めて欲しんだが!
「アハハ、出来ればそうしたかったのですが……いかんせん、先方が私を指名してきたもので」
「あら、そうなの? 律さん、今は現地にいないんだから、別の人に引き継いでも問題無さそうなのに」
「先方にもそうお伝えしたのですが……先方がどうしてもというものでして」
「まぁ、なんて我儘な先方さんなの!? そんな会社さんとは縁を切ってしまえばいいのに! 剛さんだって、そう思いません?」
「あぁ、全くだ! 律さんの勤めてる会社は、一部上場企業でもある外資系企業だからね。たかが一社、縁と切ったところで律さんの勤めている会社には何の影響も無いはずだ!」
「……」
何だろう、急に頭が痛くなってきた。というか俺、この世界では外資系企業に勤めている設定だったんだな。後でクロノスに聞いてみるか。
「律さん、どうしたの?」
「あっ、いえ……ただ、お2人がそこまで私のことを心配してくださり、『私は何と果報者だろう』と思っていました」
「まぁ! 律さんの方こそ、そんな嬉しいことを言ってくれるなんて! ねぇ、剛さん!」
「そうだな! 君のような人間は本当に素晴らしい人間だよ!」
「ありがとうございます」
恭しく頭を下げつつ、俺はこの数分で積もりに積もった苛立ちをどのように発散させようか頭をフル回転させた。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!




