17日目 買物と人間③
これは、とある男の旅路の記録である。
「それじゃあ、行ってくる」
クロノスからもらったキャッシュカードを寝室に置いてある財布に入れ、そのまま手に持って玄関に向かい靴を履いていると、後ろから俺が元の世界から持ってきたリュックを両手で抱え、右肩にエコバックのような片手バッグを通したクロノスが走ってきた。
「クロノス、今回は買い物に行くだけだから持って来なくても大丈夫だぞ」
必要じゃないと思って寝室に置いてきたつもりだったんだが……
「じゃあ、律はこの世界で買い物出来る場所を知ってるの?」
「そっ、それは……」
確かに、この世界のスーパーやコンビニがある場所を俺は知らなかった。
痛いところを突かれて言い淀んだ俺に、溜息をついたクロノスが両手に持っていたリュックを静かに下ろした。
「はぁ、そんなことだろうと思ったよ」
「すまん」
「でも、安心して。律のいた世界には【スマートフォン】って物が普及していたみたいでしょ?」
「あぁ、普及していたが……って、もしかして!」
驚いて目を見開いる俺に、再びリュックを持ち上げたクロノスが、そのままリュックを本来の持ち主である俺に渡した。
「この世界でなら律の持っているスマートフォンが動くよ。『それを使えばこの世界を訪れたばかりの律でも買い物が出来る』って部下達が言ってたけど……行けそう?」
受け取ったリュックの中から自分のスマホを取り出し、慣れた手付きで電源を入れると問題無く動いた。
どうやら、この世界で動かせるのは本当らしい。
簡単な動作確認を済ませ、仕事でよく使っているマップアプリを開くと、俺たちが住んでいる場所の周辺地図が出てきた。
本当、この神様は人間にとって……というより、俺にとって慈悲深い神様だな。
「あぁ、大丈夫そうだ。ありがとう、クロノス」
「ううん、僕は部下達の言葉をそのまま伝えただけさ。それと……これ」
「これは?」
この辺の地理が分かって喜んでいる俺に、クロノスが自分の右腕に通していたバッグを差し出した。
「これは【エコバック】って呼ばれるものだよ。『この世界では必要な物です』って部下達が僕に預けたんだけど……律、これの使い方って分かる?」
「あぁ、使い方なら分かるが……」
『これが必須アイテムか?』と聞かれたら、そうじゃない気が……でも、クロノスの部下達が俺のことを思って用意してくれたものだ。ここはありがたく使わせてもらおう。
クロノスからエコバックを受け取ると、俺が持っていたリュックがクロノスに取り上げた。
「それじゃあ、このリュックは僕が戻しておくね」
「あぁ、分かった……なぁ、クロノス」
「ん? 何だい?」
取り上げたリュックを両手で持って玄関から離れようとしているクロノスの背に声をかけると、リビングに繋がるドアの前で立ち止まって振り返った。
「お前、本当に行かなくていいのか?」
それは、キャッシュカードを財布に戻そうと寝室へ向かう時、クロノスが俺に『今回の買い物は俺一人で行ってほしい』と言ってきたのだ。
クロノスにしては珍しい提案に驚いた俺は行かない理由を問い質すと、人間社会では当たり前の理屈を言われ、思わず言葉を無くした。
そんな、本当はクロノスだって行きたいはず。それなのに……
人間に関して意外と好奇心旺盛な神様のやるせない気持ちを想像して顔を顰めると、リュックを持ったショタ神様が清々しいほどの優しい笑みを浮かべた。
「うん、さっきも言ったでしょ? 『【平日】と呼ばれる日の【夕方】って呼ばれる時間以外に僕と律が一緒に買い物に行ったら、周りの人間達が律に対して【不快】って感情を抱くから』って」
「そうかもしれないが……」
そんなの、神様であるお前が気にすることじゃない。たかが、平日の少しだけ遅い朝の時間帯に、お前と2人で買い物に行くだけだ。疚しいことなんて何一つ無い。
そもそも、そんなものは気にしなければ良いだけの話なのだ。なのに、どうして……
「それに、この世界にいれば、僕と律が買い物に行けるチャンスなんていくらだってあるさ」
クロノスの言葉で、渦巻いていた感情が一気に晴れた。
そうだ、この世界にいればクロノスと一緒に買い物に行ける機会なんていくらでもあるはずだ。
それなら、今回は買い物兼下見ってことにして、次に買い物に行く時にクロノスと一緒に行こう。
クロノスの優しい笑みで色々と吹っ切れた俺は、手に持っていたエコバックを肩にかけると小さく笑みを浮かべた顔でクロノスを手招きした。
不思議そうな顔をしたクロノスが俺に近づいて来ると、中腰の姿勢になってクロノスと視線を合わせた。
「だったら、次に買い物に行くときは【休日】と呼ばれる日に行こう。そうすれば、お前と2人で堂々とこの世界のスーパーやコンビニに行けるしな」
「そうだね。僕もこの世界のスーパーやコンビニには興味があるから行ってみたい」
やっぱり……そりゃあ、そうか。だって、この神様は何だかんだ言いながらも人間に対して興味があるんだ。そんな奴だからこそ、本当は行きたいに決まっている。ただ、今回はタイミングが悪かった。それだけなんだ。
納得した笑みを浮かべるクロノスの顔を見て、悔しさで思わず下唇を噛みそうになってグッと堪えた瞬間、脳裏に日本人にとっては馴染み深い約束事をする時の手段が思い浮かんだ。
正直、いい歳した大人になってから滅多にすることが無くなったが……まぁ、この機会に人間のことに関して勉強熱心な神様に、少しだけ人間のことを知ってもらおう。あとは、自分自身に対しての誓いってことで。
咄嗟に出た思い付きに小さく苦笑を漏らすと、スマホを持っていない方の手で小指以外を握り締めた形を作り、そのままクロノスの方に向けた。
「律、これは?」
「人間同士で行われる【約束】ってものをする時に行う儀式の一つだ」
「約束?」
「そうだ。人と人が交わす決め事のことだ。この【約束】ってものを交わした人間は、その約束を可能な限り破ってはいけないんだ」
「そうなんだね。でも、どうして今それをするの? 律、何か約束をした?」
可愛らしく小首を傾げ続けるショタ神様に、小さく笑みを零した。
「それを今からするんだ」
「今から?」
「そうだ。ほら、クロノスも俺と同じように手の形を作って、俺の方に向けてくれ」
「うん、分かった」
リュックを置いたクロノスが俺と同じ手の形を作って差し出すと、クロノスの小さな小指に俺のごつい小指を絡めた。
「クロノスも俺の小指に絡めて」
「うん、これでいい?」
小さな小指が俺の小指と絡んだ。クロノスの手は、思った以上に小さかった。
「あぁ、良いぞ。それじゃあ、約束だ……次に買い物に行く時は絶対にクロノスを連れて行く」
「うん、分かったよ」
軽く頷いた時の神様に、俺は日本人なら誰もが知っているのであろう約束を交わす歌を歌いながら小指同士を絡んだ手を上下に振った。
「ゆ~びきりげんまん、うそついたら、はりせんぼん♪ の~ます、ゆびきった!」
歌い終えるのと同時に絡んだ小指を強引に離すと、クロノスが不思議そうに離れた小指を見ていた。
「律、今のって?」
「今の歌は、俺のいた世界で歌い継がれている約束を交わす時に歌う歌だ」
「へぇ~、そうなんだ」
自分の小指を凝視しながら軽く頷いたクロノスが再びリュックを持ち上げたタイミングで中腰を上げた俺は、玄関ドアの鍵を開けようとした。
その時、元のいた世界で習慣として口にしていた言葉を思い出し、ドアノブに手をかけないまま振り返った。
「そうだ、クロノス。お前に言い忘れたことがあった」
「ん? 何かな?」
今更だが、あの世界を訪れてからは言ってなかったな。
「家を出る時の挨拶だ」
「挨拶? そんなのあったかな?」
思い出すように小首を傾げて悩んでいるクロノスの表情に、少しだけ呆れたような笑みを零した。
お前、あっちの世界で色んなアニメやドラマを観ていたんだろ? だったら、知ってるはずだぞ。
「あぁ。あったぞ。良いか、外に出る者……この場合は俺だな。俺がクロノスに『行ってきます』って言うんだ。そしたら、家で待つ者……これはクロノスのことな。クロノスが俺に『行ってらっしゃい』って言うんだ」
「へぇ~、そんな挨拶があったんだね」
本当に知らなかったショタ神様に苦笑を漏らすと、人間の挨拶に感心している小さな頭を軽く撫でた。
「それじゃあ、行ってきます」
「うん、行ってらっしゃい」
一瞬だけ不思議そうな顔した時の神様だったが、直ぐに慈悲深い笑みを浮かべた。
そんな神様に見送られた俺は、少しだけ重い玄関ドアを押して外に出た。
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