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17日目 買物と人間②

これは、とある男の旅路の記録である。

「どうしたの、律。何かあった?」



 静かに振り返ると、不思議そうに小首を傾げるクロノスがいた。


 お前なぁ、お子様1人が2日で1.5ℓのオレンジジュースを開けるとか信じられないぞ……まぁ、こいつの場合は時の神様だけどな。


 神様の規格外の胃袋を目の当たりにして大きく溜息をつくと、首を傾げているショタ神様に体を向けた。



「クロノス。オレンジジュース、飲みたいか?」

「まぁ、そうだね。その為に律を呼んだんだし」



 だろうな、そんなことだと思った。



「まぁ、朝飯で卵は使い切ったし、他にも色々と買いたいものがあったから別に構わないんだが……って、お金!」



 この世界が俺のいた世界と似たような世界だとしたら、この世界では当たり前のように貨幣経済が成り立っているはず!

 そうなったら、俺のポケットマネーの出番じゃねぇかよ!


 あっちの世界にいた頃では一切出番が無かった財布の中身を確認しようとキッチンから出ようとした瞬間、小さな細腕が長方形の板を持って行く先を阻んだ。



「おい、クロノス。言いたいことがあるなら、後にしてくれ。俺は今から自分の財産を確認しに……」

「その必要は無いよ」

「はっ?」



 行く手を阻まれて僅かながら苛立ちを覚えつつショタ神様を睨み付けると、行く手を阻んだ張本人は懐から見覚えのある長方形の板を取り出すと、口角を上げている自分の顔の近くに寄せて左右に振った。



「クロノス、それって……」

「フフッ、どうやら律は()()を知ってるみたいだね」

「いや、知ってるも何も……」



 元の世界ではよく使っていたから。


 満足げな笑みを浮かべたクロノスが、片手で持っていた長方形の板を両手で持ち、そのまま俺に向かって差し出した。



「律、この世界に【口座】ってものを持っていないでしょ?」

「あっ……」



 確かに、今いる世界は俺のいた世界ではないから、自分名義の口座がこの世界にあるはずがない。



「だから、()()()()()

「えっ……?」



 名刺交換よろしく差し出されたものを両手で受け取ったそれは……ローマ字で俺の名前が印字された、見覚えの無い銀行のキャッシュカードだった。





「クロノス。お前、どうやってこれを作ったんだ?」



 愕然としながら視線をキャッシュカードからクロノスに戻すと、得意げな笑みで立っていたクロノスが笑みを深めながら口を開いた。



「これはね、昨日僕が言ったこの世界に来るにあたって僕が部下達と一緒に準備をした物の1つなんだ。確か、【キャッシュカード】って言ったかな。ちなみに、それはこの世界で一番利用されている【銀行】って呼ばれるところで発行されているキャッシュカードだよ」

「そっ、そうなんだ」



 だから見覚え無かったのか。



「ほら、人間の間では【不測の事態】ってものが存在しているんでしょ?」

「あっ、あぁ。そうだな」

「そのいう時って、大抵は【お金】ってものが必要になるんでしょ? 特に今の僕たちみたいに旅行をしている時が、一番不測の事態に陥りやすいんだよね?」

「そっ、そうだな」



 この神様、この世界に来る前に色々と勉強していたのか?


 妙に説得力のあるクロノスの言葉に、俺は元の世界にいた頃に聞かされた同僚の旅行話を思い出した。


 それは、長期休暇を取った同僚は彼女を連れて、前々から彼女が行きたかった場所に旅行で行った時のことだった。

 念願の場所に行けて大喜びしている彼女と一緒に、彼女が行きたかった観光名所を巡り終わったタイミングで、突如として彼女から宿泊先の変更をしたことを告げられたとのこと。

 驚いた同僚は、彼女から相談も無しに宿泊先の変更した理由について問い質したところ、何でも同僚が提案した宿泊先よりももっと良い宿泊先を見つけたからだったという。

 しかも、前もって同僚が予約していた宿泊先よりも少しだけ割高だった為、結果的に予約以上の出費をしたとのことだった。


 まぁ、同僚の不公平話は色々と極端すぎるものではあるが、その時の同僚の落ち込みようを見て、俺は不測の事態に陥った時のお金の大切さを思い知った。



「本当は、僕が使うつもりだったんだけど……どうやら、この世界では僕のような見た目の人間が使った場合、律にとって何かと不利になるみたいだから、律に渡すことにしたんだ。部下達も『律に渡した方が良い』って進言してたし」

「そう、だろうな」



 確かに、お前のような見た目の子どもがATMや銀行窓口に行ったら、この世界では保護者役である俺が周囲の人間にどんな風に見られるかなんて、火を見るよりも明らかだと思うから、その判断は間違っていないな。



「ちなみに律、これの使い方って分かる? 人間の律だったら僕以上にこれの使い方を知っていると思ったんだけど」

「あぁ、もちろん。俺のいた世界と仕組みが変わっていないなら問題無いはずだ」

「それなら心配要らないよ。この銀行は、律のいた世界と変わらないから」

「そうなんだな」



 同じ未来の世界なのに、あちらの世界と全然違うんだな。



「まぁでも、この世界では僕の出来ることってこれくらいなんだよね」

「そうなのか?」



 『これくらい』って、人間の俺からしたら十分だと思うんだが。


「うん。どうやら、この世界はあの世界と比べて色々と【縛り】ってやつが厳しいんだよね。特に【子ども】って概念と【大人】って概念に強い【(こだわ)り】ってものを持っているみたいだから、あの世界に比べてこの世界で出来ることが少ないのさ」


「でも、この世界に来るまでに部下達とあれこれと準備してたじゃねぇか」



 そのお陰で、俺はこうして快適な生活が送れているわけで。



「そうなんだけど……裏を返せば、それだけしか出来ないんだよ」

「そう、なんだな」


 珍しく自嘲気味なことを言うクロノスに、(わず)かながら首を傾げた。


 時の神様であるこいつがこんなことを言うなんて、この世界って一体……



「だからさ」



 両手を後ろに回して少しだけ前屈みになったクロノスが、少しだけ(はかな)げな笑みを浮かべた。



「僕は律に対して、【頼る】ってことをするかもしれない。さっきも言ったけど、あの世界に比べてこの世界では僕が自由に外に出ることが難しいんだ。そういうことだから、もし、僕が律に頼る時が来たら頼っても良いかな? 僕も、律が頼ってきたら出来る限り叶えるから」



 クロノスの言葉に、俺は目を見開いた。


 あの世界ではチート能力を遺憾なく発揮し、この世界でもチート能力を遺憾なく発揮した時の神様が、ただの人間でしかない俺に『頼って良いか?』って聞いてくるなんて。

 それくらい、クロノスにとってこの世界は相性の悪い世界なのかもしれないが……それを言ったら、この世界のことを全く知らない俺だって、こいつを頼らないとこの世界を旅行をすることも生活することも出来ない。

 だから……



「そんなの、当たり前に決まっているじゃないか。だって俺は、お前にこの(いびつ)な世界に連れて来られているのだからな」

「フフッ、そうだったね」



 クスクス笑う相棒(クロノス)を見て、小さく口角を上げると、手の中にあるキャッシュカードを後生大事に握り締めた。


 クロノスが俺に託してくれた物だ、絶対に無駄しない!



「そう言えば、口座にはいくら入っているんだ?」

「あぁ、それなら……」



 あっけらかんとした声で言われた預金額は、正社員の男性サラリーマンの平均年収と同額だった。

 ただのサラリーマンでしかない俺が持つにはあまりにも不釣り合いな大金に、その場で卒倒しそうになったことは、ここだけの話とする。


最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!


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