17日目 買物と人間①
これは、とある男の旅路の記録である。
「あっ、律。おはよう」
「あぁ、おはよ……う?」
いつもの時間に起きて、いつものように洗面台で顔を洗い、寝癖がついた頭のままリビングに入った途端、子どもエプロンに悪戦苦闘しながらキッチンに立っているクロノスと目が合った。
「お前、何やってんだ?」
「何って、料理さ」
「料理?」
あっちの世界では一切しなかった……というより出来なかった料理を時の神様が作るのか?
クロノスの健気な姿にほんの少しだけ喜んだが、それ以上の不安が襲ってきた。
「クロノス、料理って何を作るんだ?」
「えっ、律が作っていた『スクランブルエッグ』って料理だよ」
可愛らしく小首を傾げるクロノスに血の気が引いた俺は、慌てて近くに立てかけてあった自分用のエプロンを引っ掴んでクロノスの隣に立った。
「クロノス、【火の使い方】って分かるか?」
「ううん、律が昨日使っていたのを近くで見ていただけから使い方までは分からないよ」
「……ちなみにだが、その火を使おうしていたのか?」
「もちろん。ちゃんとした使い方はよく知らないけど、昨日の律を見ていれば理解出来たし、スクランブルエッグを作るには火を付けることが必要なことくらい分かってるから」
自信あり気な笑みを浮かべるクロノスの両肩を掴むと、大きく息を吐いた。
「はぁ……良いか、クロノス。今からお前に火の使い方を教える。お前のことだから、ここで俺がちゃんと教えないと、明日も今日と同じことをしそうだからな」
「律、少しずつだけど僕のことを分かってきたようだね」
「それはどうも。あと、今日だけは火を使う時は、必ず俺に声をかけて俺の隣で使うこと! 良いな?」
「それは別に良いけど……どうして?」
「そうしないと、お前が扱った火のせいで俺が命を落とす可能性があるからだ!」
「どうして僕が扱う火のせいで律の命を落とすのか全く理解出来ないけど、せっかくの律のお願いだからね。ここは律の言う通りにするよ」
「ありがとうございます」
再び大きく溜息をつくと、クロノスの後ろに回って苦戦していた子ども用エプロンをつけてやった。
「お前、こんな物も持ってたのか?」
「ううん、これは律が寝静まった頃に部下に届けさせたものだよ。昨日、律がこれを身に付けて料理していたから、僕も付けてみたんだよ。これを付ければ律と同じように料理が出来るかなと思って」
「そうですか」
つまり、俺の料理している姿に興味を示したから、まずは形から入ったってことか……何だよ、案外可愛いところがあるじゃねぇか。
でもまぁ、興味を示したからと言って火を扱うとは……昨日は、料理初心者にいきなり刃物や火を扱いさせるのが怖かったから一切触らせてなかったし、今回は着慣れないエプロンが足止めをしてくれたらお陰でどうにかなったが……昨日の俺を真似て火を扱うとか怖すぎる!
綺麗に子ども用エプロンを身に付けさせてた俺は再びクロノスの隣に立つと、俺に着せてもらったエプロンに興味を示したショタ神様が、左右に体を振ってまじまじと見ていた。
「へぇ~、これがエプロンね……うん、付け方は理解出来たから次からは僕1人でも出来るよ。ありがとう、律」
「どういたいまして。あと、部下に【子ども用包丁】って物を用意してもらってくれないか?」
「えっ、律が使っているものじゃダメなの?」
「……料理初心者のお前には到底扱えない代物だから」
「そうなんだね。そこまで言うなら部下に用意してもらうよ」
「あぁ、頼むからそうしてくれ」
微妙に腑に落ちていないような顔をしているクロノスに本日3度目の溜息をつくと、クロノスを手招きしてコンロの前に立たせ、その横に立った俺はショタ神様にコンロの火のつけ方を教えた。
「へぇ~、火の扱いにも色々あるんだね~」
初めて作った自作のスクランブルエッグを頬張っているクロノスは、感心したようにコンロの方に視線を向けた。
「そうだな。だから、お前が火を扱う前で本当に良かった。あのままお前が使っていたら、俺はどうなっていたことか……」
「うん、ようやく律の言いたかったことが理解出来たよ。確かに、あのまま火を使っていたら、律の命を危険に晒していた可能性があったね」
サラッと言っているが、俺にとっては大事なんだからな!
「はぁ、理解してもらえてよかった」
「それに、僕にも律と同じ料理が作れたしね。昨日、律が作ってくれたものとは見た目が異なっているけど」
そう言って苦笑を浮かべるクロノスからテーブルに置かれているスクランブルエッグに視線を移すと、クロノス作のスクランブルエッグを口に運んだ。
まぁ、俺の作ったものに比べれば多少焦げ目が多い気がするが……
「別に見た目が違っていても良いんじゃねぇか? 俺は気にしていないし、料理なんてそんなもんだろう」
「えっ、良いの?」
「あぁ。食べるのはお前と俺の二人だけだから、作ってもらった俺が気にしなければ、それで良いんだ。味だって、お前が塩を少しだけ入れすぎたお陰で、俺の作るものより塩気が多い気がするが、普通に美味いぞ。それに……」
スクランブルエッグを全て胃の中に収めると、じっと見ているショタ神様に向かって口角を上げた。
「料理ってもんは、【愛情】ってやつが籠っていれば大抵は美味いんだ」
「愛情? そんなの、【感情】ってものを持たない僕には無いものだよ」
『理解出来ない』言わんばかりに小首を傾げるクロノスに少しだけ笑みを深めた。
「かもしれないな。でもな、クロノスは興味本位で俺と一緒に料理を作ったんだろ?」
「そうだね。人間が生存維持をする為には【協力】ってものをしないといけないから、律の生存維持の為にも、僕が料理ってものをしないといけないと思ったから」
益々理解出来ないという顔をするクロノスに優しく目を細めた。
「それで良いんだ」
お前が俺の為に何かをしてくれる……それだけで十分なんだ。
「あっ、律」
「ん? どうした?」
昨日同様、二人揃って朝飯の片付けを済ませ、俺がホットコーヒー用のお湯を沸かしていると、背後にいたクロノスが驚いたような声で俺のことを呼んだ。
丁度沸騰したタイミングでコンロの火を消した俺は、何の気なしに後ろを振り向くと、そこには冷蔵庫を開けっ放しのままで立ち尽くしたクロノスの背中があった。
「クロノス、すまんが用が済んだら冷蔵庫を閉めてくれないか? 中にある食材が痛むし電気代が上がるから」
一応、この部屋は俺の名義で借りているからな。この世界の等価交換の仕組みが、俺のいた世界と同じだとすれば、無駄なことは削減するに限る。
「あっ、そうなんだ。それじゃあ、閉めるね」
こちらをチラ見して納得したクロノスがパタンと冷蔵庫の扉を閉めると、俺と向き合うように後ろを振り返った。
「それで、どうしたんだ?」
「実は、律に言い忘れていたことがあってね」
「俺に?」
「うん、本当は律が起きた時に言おうと思ったんだけどエプロンに苦戦していたから、僕としたことがすっかり忘れていたのさ」
「そう、だったんだな。それで、言い忘れていたことって何だ?」
もしかして、この世界のことで守らないといけないルールがまだあったのか?
「それがね……オレンジジュースが無くなっていたんだよ」
「……はっ?」
オレンジジュースが、無くなった?
「……クロノス、悪いがそこを退いてくれないか?」
「いいよ」
クロノスと入れ替わるように冷蔵庫の前に立った俺は、そのまま冷蔵庫を開けて中を確認すると、手前にあったドリンクホルダーの中に1.5ℓのオレンジジュースが空になった状態で置かれていた。
「まさかと思わないが……お前、昨日のうちにオレンジジュースを飲み切ったな?」
「うん、そうだよ」
後ろから聞こえてきた吞気な返事に本日何度目かの溜息をつくと、空になったペットボトルを取り出して静かに冷蔵庫を閉めた。
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