16日目 住処と偽装④
これは、とある男の旅路の記録である。
「この世界の住人達全員が、クロノスと部下達が作った設定を知っているのか?」
目を丸くしながら突っ伏していた顔をゆっくり上げた俺に、時の神様は小首を傾げながら話を続けた。
「そうだよ。律は、不思議に思わなかった? 『どうしてあの人間は僕たちのことを知っていたの?』って」
「あの人間?」
「ほら、僕たちがこの世界に来て最初に出会った人間ことだよ。確か、人間でいう【女性】って呼ばれる人間だったはず」
「女性……あぁ、智子さんのことか」
「そう。あの時の僕たちは、あの人間に会うのは初めてだったし、名前だって名乗っていなかったよ」
「あっ……」
確かにあの時、俺たちがこの世界に着いて早々にやったことと言えば、後ろにあったあのショッキングピンクのドームを見ただけで、誰かに俺たちのことを言った覚えはない。
それに、俺たちが自己紹介をする前に、智子さんはハッキリとクロノスのことを『時司君』と言った。まるで、もう既に何度も会っているかのような親しみを込めて。そして俺のことも知っていた。クロノスが作った偽りの関係も把握していた。
でも……
「それを言うなら、お前だって智子さんの名前を知っていたじゃねぇか。それに、お前のことだから、この世界の住民達に俺とクロノスの関係をそういう風に思わせるように仕向けたんじゃねぇのか?」
一夜で色々と改竄出来る時の神様のチート能力をもってすれば不可能なことでは無いはずだ。
「まぁ、この世界に住んでいる人間達に対して、僕と律の関係をそういう風に思わせるように仕向けたのは事実だよ」
「やっぱり……」
あっちの世界でもこっちの世界でも俺の知らないところで住む場所を俺名義で借りたのだから、そのくらいは造作も無いんだろうな。
「でも、僕がこの世界に住んでいる人間達にそういう風に仕向け無くても、この世界に住んでいる人間達は全員、僕と律が【親子】って呼ばれる人間関係であることを当たり前のように知り得ると思うよ」
「えっ?」
この世界の住人達、まさか全員が神様に匹敵するほどのチート能力の持ち主なのか?
「それに、今僕たちがこうして平和に暮らせるのは、律と僕が【ただの他人同士】ではなく、【血の繋がりのある親子関係】であることを、この世界に住んでいる人間達が全員知っててその事実を受け入れてくれているからだよ」
「そう、なんだな……でも、どうしてこの世界の住人達は全員、俺とクロノスの関係を知ってるんだ?」
俺のいた世界の感覚では、見ず知らずの誰かが自分のことを知っているなんて、恐怖以外の何物でも無いんだが。
「さぁ?」
『さぁ?』って……
「もしかして、情報の出所が分からないのか?」
「うん、時の神様の僕でもそれだけは分からないんだよね」
可愛らしく小首を傾げる時の神様と一緒に俺も顔を顰めながら首を傾げた。
いくら人間のことに関して疎い神様でもそんなことがありえるのか? いや、人間に疎いからこそ分からないのかもしれないが。
「あと、お前と部下達は一生懸命考えてくれた設定にケチをつけるつもりは一切無いんだが、仮にも公に俺たちの関係を知らせる必要があるとするならば【ただの二人旅】って設定ではダメだったのか?」
「う~ん、僕もそれで良いんじゃないかと思ったんだけど、部下達が『それだと、律が犯罪者として捕まる』って言われたから、仕方なく却下したんだよね」
何だよ、それ。まぁ、いい歳した大人が血縁関係でもない子どもを連れていたら、周りが色々と怪しんで通報する可能性は無きにしもあらずだが……色々と極端すぎる。
「要は、この世界では俺とクロノスが【血縁関係】であることを周りに知られていないと、俺はこの世界では旅行どころか生きていくことすら出来ないってことだな?」
「そうだね」
本日何回目かの大きな溜息をつくと、再び天井を見上げて片手で目元を覆った。
まさか、こんな噓偽りで凝り固まった設定がこの世界の住人達に広く知れ渡っているとは。
でも、どうしてそんなパーソナルな部分まで知っているんだ?
もしかして、この世界には【プライバシー】って言葉と概念は廃れたのか?
それに、俺とクロノスが『偽りの血縁関係』である必要性をクロノスがご丁寧に説いてくれたが、俺自身未だに合点がいってない。
確かに、血縁関係でもない大人と子どもが旅行しているなんて、見る人が見れば不気味と受け取れられるかもしれないが……それだけで周りに迷惑をかけるわけなんてことはないはずだ。
第一、俺自身も周りに迷惑をかけるつもりは毛頭無いしな。
そもそも、そういうのは見て見ぬふりをしてくれれば良いだけ話なのだが……それが出来たら、時の神様が部下達と一緒にここまでする必要が無いはずなんだよな。
「まぁ、色々と思うところはあるが」
目元を覆っていた手をゆっくり外すと、顔の位置を天井からクロノスの方に向けた。
「とりあえず、この世界における俺とお前の関係は理解出来た」
「そう」
「正直、納得出来ていないところもあるし、疑問に思っているところもある」
「うん」
「でもそれは、あの世界と同じようにこの世界を旅行すれば、今ある疑問も納得出来てない部分も解決出来ると思って良いんだよな?」
「そうなんじゃないかな」
あの世界……科学技術が発展した世界でも、俺は疑問や感情を抱きながらクロノスと旅行をして、色んなものを見聞きして経験もした。
そのお陰で、俺は抱いていた疑問も不可解な点も、ある程度ではあるが納得出来た。
「だったら……」
この世界でも、あの世界と同じように旅行をするしかないよな。
椅子からそっと立ち上がった俺は、そのままクロノスが座っているところまで歩いていき隣に立つと、利き手を差し出した。
「改めて、これからよろしく。クロノス」
「あぁ、こちらこそよろしく。律」
一瞬だけ目を見張ったような表情をしたクロノスは、すぐさま満面の笑みを浮かべると、立ち上がって優しくも力強く俺の手を握った。
こうして、俺とクロノスの旅行が、再び始まった。
「さて、片付けでもするか」
そっと手を離した俺は、俺とクロノスが使っていたコップを片付けようと両手に空のコップをキッチンの流し台に置いた途端、何故か後ろからついて来たクロノスが俺の隣に立った。
「どうした、クロノス? テレビを観るんじゃないのか?」
てっきりソファーに逆戻りして、再びつまらなそうな顔をしながらテレビを観ると思ったんだが。
「うん、それもそうなんけどさ……あのさ、律」
「ん? どうした?」
いつものクロノスにしては妙に歯切れが悪いな。
「僕もやってもいいかな、片付け」
「えっ?」
時の神様からの思わぬ提案に今度は俺の方が目を見張った。
「さっき、律が朝食の片付けをしてたじゃん。あれを見て『僕もやってみたいな』って思ったんだよ。あと、律が作ってくれた【スクランブルエッグ】って料理も作ってみたいなって」
「…………」
感動で言葉を失っている俺に、クロノスが可愛らしい眉を寄せた。
「何さ、僕がこんな提案するのが、律にとってそんなに変だったのかい?」
「いいや。どうやら俺は、お前に対して変な偏見を持っていたみたいだ」
「偏見?」
「あぁ。『神様だから、料理も片付けも興味が無いし、自分からすることは無い』って偏見を持っていたんだよ」
大変失礼極まりないのは重々承知なんだが、クロノスが言ってくるまでは本気で思っていたことなんだよな。
俺が知っているアニメや漫画に小説では、神様が人間の家事を手伝うなんて描写は滅多に無かったから尚更。
「確かに、僕たち神様は【料理】って概念も【片付け】って概念も無いからしないけど、興味がないわけじゃないんだ。それに、人間って生き物は互いに【協力】ってものをしないと生きていけないんでしょ? だったら、一応見た目は人間の僕も律に【協力】ってものをして、律を生かしてあげないと」
「フフッ、そうですか」
本当は、料理や片付けに興味を持っただけなのだろうけど……全く、この神様は。
人間のことを変に誤解しているクロノスに苦笑すると、持っていたスポンジをクロノスに差しだした。
「律、これは?」
「これは、【スポンジ】って言うんだよ。ほら、俺と一緒に片付けするんだろ? だったら、まずはこれを持たないと始まらないぞ?」
「うん、分かった。でも、律の分は?」
「俺の分は、ここにあるから大丈夫だ。さて、早速だが……」
その後、俺は時の神様に【片付け】を伝授した。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!




