16日目 住処と偽装②
これは、とある男の旅路の記録である。
智子さんと世間話をした後、クロノスに連れられて向かったのは、俺名義で借りたとされるとあるマンションのとある一室だった。
扉の前に立ち止まったクロノスがポケットから銀色の鍵を取り出すと、何の躊躇いも無く俺に渡してきた。
なるほど、ここが今日から俺たちの住処となる家か。
受け取った鍵を鍵穴に差すと、ゆっくりと開けた。
ガチャ!
「へぇ~、ここが俺たちの新しい住処になるのか」
レトロなタイルで敷かれた玄関で靴を脱ぎ、築年数を感じさせる暗い木目調の廊下を抜けると、そこには俺たちが14日間住んでいた部屋のリビングと同じ配置に家具が置かれていた。
「クロノス、これってもしかして……?」
「おや、律も気づいたみたいだね」
初めて訪れる家に置かれていた家具たちを啞然とした顔で見ている俺に気づいたのか、隣に並んだクロノスが小さく笑った。
「ここは、所謂【ウィークリーマンション】って呼ばれる建物だよ」
「ウィークリーマンション……」
「そうだよ。ちなみに、僕たちがいるこの建物はこの世界以外から来ている人間達向けに提供しているみたい」
「そうなんだな……というか、『時司』って誰だよ!? お前、ここに来る前に偽名を名乗るとか言っていなかったじゃねぇかよ!」
「それは、律に言わなくても良いかなと思ったからだよ。『僕に合わせて』って前以って律に言ったし、僕があそこで偽名を名乗ってもどうにかなって。それにしても、律って本当にすごいね。あそこまで僕に合わせてくれるなんて」
「いや、それはお前が事前に家族を例えに出したからどうにかなっただけで……って、違う! お前の偽名もそうだが、どうしてあの人は俺たちのことを知ってたんだよ!? それも、智子さんだけじゃねぇ。ここまで来るまで色んな人に声をかけられたが、全員が俺たちのことを知っていたじゃねぇか!」
そう、この場所に辿り着くまでに老若男女から声をかけてきた。
まぁ、話の内容は全て近所の世間話レベルのものであったが、声をかけてくれた人達に怪しまれないように、穏やかな笑みを浮かべながらクロノスの話に合わせていた。
だが、俺や時司の名前だけじゃなく、クロノスがでっち上げたであろう俺と時司のパーソナルの部分をさも当然のように知っていたのは、恐怖を感じて何度も引きつり笑いになった。
だって、初対面の人間が自分のことを知っていたら、普通に怖いじゃないか。
「まぁ、それは明日にでも話すよ」
「明日って、俺は今話して欲し……」
「それよりも、律。そろそろ、眠くなってない?」
「はぁ? まだ日が昇って暫く経った頃だぞ。そんな眠くなるはず……」
あれっ、急に眠気が……
片手で顔の半分を覆いながら急に襲って来た眠気に抗っていると、クロノスが俺の背中を優しく押した。
「やっぱり眠いんじゃん。『初めて来た土地や初めて話した人間に対する【ストレス】って呼ばれるものは、人間にとって心身に影響を及ぼす』って言った部下の話は本当だったんだね」
「ちっ、違う。これは……」
「ほら、さっさと行くよ」
クロノスに背中を押されるがままリビングの奥へ進むと、白い大きな扉の前に立たされた。強い眠気に襲われていた俺を他所に、後ろにいたクロノスが俺の前に来て慣れた手付きで扉を横にスライドさせると、部屋の中には真っ白のシーツが敷かれたセミダブルベッドが鎮座していた。
「ほら、律」
「あっ、あぁ……」
クロノスに少し強めに背中を押された俺は、そのまま吸い込まれるようにセミダブルベッドにダイブした。
そう言えば、クロノスと初めて出会った日も、こうしてクロノスに導かれるままに寝室ベッドにダイブして寝たな。
そんな遠い昔のようなことを思い出しながら、ゆっくりと意識を静かに手放した。
「フフッ、また律の中にある時の流れに干渉しちゃった。でも、今の律では、律の抱えている疑問を律自身が理解出来るとは思えないから。それに、ここに来るまでに改竄した時間に対する負荷が、僕が思った以上に律の心身にかかってしまったみたいだからね。とりあえず……おやすみ、渡邊 律」
「律~、どうしたの~?」
間延びしたクロノスの声で現実に戻った俺は、大きく溜息をつくとキッチン越しから見えるリビングに目を向けて、退屈そうな顔でこちらを見ているクロノスに声をかけた。
「あぁ、すまん。今から朝飯作る」
「朝ご飯? 律って、作れたの?」
「失敬な! ちゃんと作れるぞ!」
簡単なものだけどな!
「ふ~ん、そうなんだ~」
「あと、昨日のこと思い出してた」
「昨日の?……あぁ、あれね」
一瞬だけ眉をひそめたクロノスは考えるように視線を外したが、直ぐに納得したような顔をして再び視線を俺に戻した。
「それより、お前も手伝えよ」
「えぇ~? 僕も~?」
「お前なぁ、一昨日は自分で2人分の朝飯を用意してたじゃねぇか」
それに、俺と旅行を始めてから俺とクロノスが交代で毎日の飯の準備をしてたじゃねぇか。
それが、ここに来て突然しないとか……
「だって、それは【ライフウォッチ】っていう、人間にとって便利なものがあったから用意してただけだよ。そもそも、僕たち神様は【食事】っていう概念が無いから、人間のように何かを体内に入れないと生きていけないわけじゃないから」
その割には、飯で和食が出たら箸と悪戦苦闘しながら食べてたし、ハンバーガーショップに行った時は、俺と一緒のメニューじゃなかったからって変に不貞腐れたじゃねぇか。
「はぁ。じゃあ、飯は要らないんだな?」
「そんなこと言ってないじゃん」
朝から面倒くさい神様だな!
「じゃあ、俺が朝飯作るから、クロノスは俺が作った料理を俺の目の前にあるテーブルまで運んでくれないか?」
「分かった。それなら、僕でも出来るね……あっ」
「どうした?」
何かを思いついたショタ神様がソファーから飛び降りると、そのままキッチンにいる俺の隣に駆け寄ってきた。
「ねぇ、律の作っているところ見てても良い?」
「別に構わんぞ。とはいっても、俺が作る料理って、そんなに凝ったものじゃあねぇよ?」
「凝ったもの? 僕には律が何を言っているのかよく分からないけど、『ただ単に興味が湧いた』ってことだけは言っておくね」
「そうですか。だったら、料理を並べるテーブル近くにある椅子にでも座って見とけ。そこからだったら、油が飛び散る心配はねぇからよ」
「油? これもよく分からないけど、律の言う通りにするね」
そそくさとキッチンの目の前にあるダイニングテーブルに備え付けられている椅子に行儀よく座ると、体ごとこちらにむけた。
どうやら、このショタ神様は単に料理というものを知らなかったから『手伝いたくない』と我儘を言ったらしい。
再び大きく溜息をつくと、手元にあった卵を透明の大きめのボールの淵で割って中に入れた。
「へぇ~、これが【料理】なんだね」
テーブルの上に俺の作った料理を並べて終えたクロノスが、椅子に座りながら自分の並べた料理達に感心しながら眺めていた。
「そうか? まぁ、これを料理なんて言ったら、色んな人から怒られるかもしれないが」
「怒られる? どうして?」
小首を傾げるクロノスに、キッチンで後片付けをしている俺は小さく口角を上げた。
「まぁ、人間の世界にはそういう人間もいるってことだ」
「ふ~ん、そうなんだね」
まぁ、人間のことをよく知らない神様には、まだ分からないのかもしれないかもな。
「それより、クロノス。お前、何が飲みたい?」
「え~っと、オレンジジュースで」
「あいよ」
「律?」
「何だ?」
食器棚から2人分のコップを出しながら振り向くと、テーブルに両手をついたクロノスが、前のめりで俺の方を見ていた。
「手伝わなくていい?」
どうやら、この時の神様は短時間で【お手だい】というものに目覚めたらしい。
本当、子どもみたいだな。まぁ、それを言ったら思いっきり拗ねられそうな気がするが。
「大丈夫だ。持って行くのは、これだけだから」
「分かった。でも、次は僕が持ってくるからね」
「あぁ、その時は頼んだ」
透明なコップに注いだオレンジジュースと自分用に淹れたホットコーヒーをテーブルに置くと、椅子に座って反対側で行儀良くクロノスと目を合わせた。
「それじゃあ、手を合わせて」
パン!!
「「いただきます」」
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!




