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16日目 住処と偽装①

これは、とある男の旅路の記録である。

「おはよう」



 見慣れない木目調を視界に入れて起きた俺は、少しだけ固いシングルベッドから抜け出すと、洗面台で蛇口から水を出して顔を洗い、備え付けられていたフェイスタオルで顔を拭いたままリビングに繋がるドアを開けた。

 そこには、あの世界で暮らしていた家と比べて少しだけ狭いリビングにある黒色のソファーに寛ぎながら、薄型テレビに映るニュースをリモコン片手に無表情で見つめる金髪碧眼の時の神様クロノスがいた。



「あぁ、おはよう」



 こちらを視認したクロノスは再びテレビに視線を戻した。


 全く、こっちに来ても相変わらずなんだな。



 小さく溜息をつきながら、2人分の椅子が備え付けられている木目調のダイニングテーブルに手を(かざ)そうとして……ゆっくり手を下した。



「律、またやってる~」

「『また』って何だ、またって。今日はこれが初めてだぞ」

「あれっ? だったらさっき、洗面台の蛇口に向かって手を翳していたあれは違ったのかな?」

「ちっ、違……というか、お前! さっき、俺のことを見てたのか!?」

「ううん、直接は見ていないよ。でも、僕って一応は時の神様だから、自分の目で見なくてもこの世界に流れている時の流れを見れば分かるよ。律、時の神様である僕を騙すようなことはしない方が良いよ」

「べっ、別に騙すなんて……」



 まさか、己の二度の失態がこの神様に見られていたとは!


 込み上げてきた恥ずかしさから逃れようとクロノスから目線を逸らすと、向こうから大きな溜息が聞こえてきた。




「はぁ。まぁ、律があっちの世界にいた頃の癖が抜けていないのは理解出来たけど……頼むから、それを外でするのは止めてね。僕は僕で、部下達と一緒にこの世界に来るまでに色々と準備していたんだから」

「あっ、あぁ。それは分かっているし……感謝している」



 逸らしていた視線を一瞬だけ戻して軽く礼を言うと、リビングの中にあるキッチンに足を運んだ。


 こうしてキッチンに立って料理するのは、一体いつ振りなのだろうか。

 元の世界にいた頃も、時間に余裕がある時は作っていたはずなのに、どうしても懐かしく思ってしまうのはきっと……


 少し大きめな冷蔵庫を開けて程よく入っている冷蔵庫の中身から朝飯に使えそうな材料を見繕い、そのままキッチンの作業スペースに置くと、不意に昨日のことが脳裏に蘇った。


 まぁ、こうして何不自由も無くこの世界で生活出来るのは、リビングでつまらなそうにテレビを見ている時の神様のお陰なのは間違いないんだけどな。





 パチン!



「律、着いたから目を開けても大丈夫だよ」

「うっ、ううん……ん? ここは?」



 指を鳴らしてあっさりと異世界転移をクロノスに言われるがまま恐る恐る目を開けると……そこに広がっていたのは、俺が元の世界で暮らしていた場所と似て非なる場所だった。



「ここが、もう1つの世界……といっても、僕たちがいた世界のすぐ隣にある世界なんだけどね」

「すぐ隣?……っ!?」



 隣に立っていたクロノスの視線を追って後ろを振り返ると、そこにはショッキングピンクの不気味な色を纏った巨大ドームが悠然と(そび)え立っていた。


 これが、俺たちが14日間を過ごしていた世界なのか。


 初めて見るドーム型の世界に言葉を無くしていると、横から俺の服の袖を強く引っ張られた。

 唐突に服を引っ張られて少しだけ不快に思いながら隣に視線を寄越すと、眉間に皺を寄せたクロノスが前を見据(みす)えていた。


 ん? どうしたんだ?


 時の神様の珍しい表情に疑念を抱きつつ視線を前に戻すと、ふくよかなマダムが朗らかな笑顔を向けながらこちらに駆け寄ってきた。


 おぉ!! 第一住人発見!! しかも、見るからに人が良さそうだ。クロノスは出発前にあんなことを言っていたが、やっぱりこの世界に暮らす人間は、俺のいた世界と似たような人達がいるに違いない!


 この世界に来て早々、初めて出会う生身の人間に内心胸を踊らせて声をかけてようと一歩を踏み出そうとした瞬間、再び横から強く袖を引っ張られた。


 えっ、クロノス?


 行動を遮られて不機嫌を隠さず声をかけようと再び横を向いた瞬間、さっきより少しだけ険しくなったクロノスの表情を見て出発前の制約の1つ思い出した。



『向こうの世界に着いたら、僕が合図を送るまでの僕の調子に合わせて欲しい』



 そうだった、この世界に来る前にクロノスから合図があるまで、クロノスの調子に合わせるんだった。目の前の光景に気を取られ、すっかり忘れていた。


 クロノスの表情に頭から冷や水を被ったような恐怖を感じ、浮かれていた気持ちを一気に(しぼ)ませると、俺たちのもとに来たマダムに気づかれない程度の小さい咳払いをした。





「あら~、時司(ときし)君。お帰りなさい! 今日はお父さんとお出掛けだったの~?」



 優し気な笑みで俺達に声をかけるマダムから初めて聞く名前に表情に一切崩さなかった俺を誰か褒めて欲しい。誰かだ、誰かにだ。


 時司って誰だよ!? 俺の名前は律だし、マダムの視線が隣に行っているってことは……時司ってこいつのことか!? 

この世界に来る前、こいつが『俺達の関係が、ここでは親子になる』って例え話で出していたが、まさか本当のことだったのか!? しかも偽名まで用意しているし! 

というか、このおばさんどうしてクロノスの偽名を()()()()()んだ? こいつがマダムの名前を知っていたのも驚きだが……確か、まだ名乗っていないはず。



 営業スマイルで絶句している俺を他所(よそ)に、隣にいる金髪碧眼の時を司る神様クロノス……もとい、俺の(偽の)息子である黒髪黒目の渡邊 時司君が子どもらしい無邪気な笑顔で元気よくお返事した。


 というか、こいつの黒髪黒目の姿、どこかで見たことあるような……



「ただいま! 智子さん! 今日ね、パパと一緒に川でいっぱい写真を撮ったんだよ! お魚さんがキラキラしてて、とっても綺麗だったよ!」

「そうだったのね~。おばさんにも、時司君の撮った写真を見せて欲しいなぁ~」

「うん、良いよ! 見て~!!」



 この世界に来る時に背負っていた小さなリュックからデジカメを取り出すと、しゃがみ込んだマダムこと智子さんに、俺と一緒に撮ってきた(設定の)写真を見せた。


 こいつ、いつの間にこんな用意周到に……


 時司(クロノス)が撮った写真を一緒に見ている光景を眺めていると、智子さんの視線がデジカメから俺に移った。


 来た、やっぱりこいつの(偽の)保護者である俺に関心が向きますよね。



「息子さんの写真、よく撮れていますね~。さすが、律さんの息子さんですね!」

「いえ、息子の感性が素晴らしいだけですよ」

「そうなんですね~。時司君と一緒に写真を撮りに行ったということは、律さんも写真を撮られたのですか?」



 このおばさん、人が良さそうな割には他人様の事情にずけずけと入ってきている気が……まぁ、このおばさんはこういう性格の人物なんだろう。

 正直、苦手だが。



「いえ、今日は息子の写真撮影に付き合っただけです。何せ、息子はとても勉強熱心で、隣でカメラを構えようとしたら、『僕が撮るから、パパ教えて!!』ってせがまれしまい……」

「だってパパ、僕が撮ろうした場所を撮ろうとしたんだよ! それに、パパの撮る写真はとっても綺麗だから、僕もパパみたいな綺麗な写真が撮りたかったの!」

「とまぁ、こんな感じで」



 頭を掻きながら作り笑いをすると、目の前のマダムがとても愛おしいようなものを見るような目で俺たちを見つめた。



「そうだったの~。時司君、パパを困らせちゃダメでしょ」

「う~ん、だって~」

「今日の時司の写真、パパの撮る写真よりよっぽど綺麗だったぞ」

「本当!?」

「あぁ、本当だ」

「やった~! パパ、今日は困らせてごめんね。でも、パパが良かったらまた一緒に写真を撮りに行って良い?」

「あぁ、良いぞ」

「やった! やった!」



 ……何だ、この茶番は?


最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!


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